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共に生きるために tsuna41 2026a

レトルト「鰤のアヒージョ」誕生!

~奥能登×パレスチナ×ネパールの美味しい協働!~

2024年1月の最大震度7の地震の衝撃から少しずつ立ち上がろうとした人々に半年後、豪雨が襲うという二重の災害から復興が進まない奥能登地域。長年ジェノサイドにさらされているパレスチナ。仕事がなく人材が外にでていくネパール。それでも人々は必死に生きています。美味しいものもいっぱいあります。輪島の「いしり」「トマト」、パレスチナの「オリーブオイル」、ネパールの「ブラックペッパー」「ガーリック」。最高の作り手と原材料が揃いました!ぜひ、召し上がってください。
そして、防災用備蓄にもぴったりのレトルト食品をいざという時の備えにお薦めします。

レトルト・鰤のアヒージョ(ご注文はこちらをクリックしてください)
手をかけて作られた各地の食材が旨味を引き出し合い、ご飯もお酒もすすむ濃厚な味わいの鰤のアヒージョ。
メインディッシュになる大きな切り身が二切れ入っていて、オイルと旨味が染み込んでいます。
美味しさがつまったオイルも最後の一滴まで召し上がれ。
日々の食卓にはもちろん、おもてなしや持ち寄りパーティーにもおすすめの逸品です。

■【内容量】170g(切身二枚)
■【原材料】ブリ(国産)、オリーブオイル(イスラエル(パレスチナ地域)製造)、トマト(石川県輪島市)、魚醤(サバ、食塩)(石川県輪島市製造)、ガーリック(ネパール)、唐辛子(国産)、ブラックペッパー(ネパール)
■【生産者】(株)タマタニ(石川県輪島市)
■【調理方法】
・湯煎で…袋のまま熱湯で約3分。
・電子レンジで…耐熱容器に移しラップをかけ、500Wで約1分半、600Wで約1分温めて下さい。(注)袋のまま電子レンジでは絶対に加熱しないで下さい。
■【賞味期限】製造日から6ヶ月

「鰤のアヒージョ」の生産者の皆さんをご紹介します!


右から上田拓郎さん、土屋春代、皆川万葉さん、板垣猛さん。

いしり from 奥能登・輪島
株式会社タマタニ 代表 板垣猛さん

文・土屋春代(ネパリ・バザーロ創立)

㈱タマタニさんとの出会いと感動の「いしり」
ネパリ・バザーロは2017年から沖縄での新たな産業創出を目指し「沖縄カカオプロジェクト」に取り組んでいます。その活動の応援者〝カカオフレンズ〟さんが各地におられます。能登半島地震で大きな被害を受けた珠洲市の「湯宿さか本」の坂本美穂子さんもカカオフレンズのお一人です。震災後メールでお見舞いをしましたが、状況が分からず不安でした。4月に宿を再開されると知り、状況を知りたいと思い宿泊しました。珠洲と輪島に行き、販売支援できる商品があればと思っていたので、食通も唸るという「さか本さん」で扱われている調味料や地酒はとても参考になりました。夕食の締めに出てくる焼きおにぎりがとてもおいしく、「いしり」がぬられていると知り、その生産者が輪島市門前町の海産物加工会社(株)タマタニさんと分かり、早速、取引のお願いをしました。
板垣猛さんが創業して14年の(株)タマタニ。板垣さんは地震の後の惨状に呆然とし、気力を失い一時は再建は難しいと感じた時もありましたが補修箇所がたくさんあっても建物の構造上は問題ないと分かり、仕事再開を熱望するスタッフにも励まされ、一緒に懸命に作業し再建しました。いしりもタンクが倒れ流れてしまったものがありましたが、先代の会社から引き継いだ伝統のいしり。地域の宝を絶やしてはならないと、震災の年も必死に鯖を手当てし仕込みました。
タマタニさんのいしりは鯖を一匹まるまる使用し裁断機で切って、塩もみして樽に入れ、原料の3分の1の塩で漬け込み、発酵が終わるまで約2年間置き、その後しばらく自然熟成させます。潮風でミネラル豊富な美味しいいしりができあがります。
魚醤という名称を知っていても、使用している人は少ないだろう、売れるだろうか、最初は不安でした。しかし、販売する私たちが真っ先にその美味しさに感動し、料理の腕が上がったと錯覚するほど調理の必需品となり、販売に熱が入りました。一度味わった人のリピーター率は高く、感動が口コミで伝わり、直営店での試食効果などもあり徐々に広がり人気商品になりました。被災地や被災者支援という気持ちからの購入だけで終わらず、日常使いの調味料として欠かせないという方、美味しいから友人にも紹介したいとまとめ買いされる方、すっかり定着したようです。

レトルト食品「鰤のアヒージョ」企画
いしりの素晴らしさをもっと多くの人に知って欲しい、いしりを使った新製品をつくりたいと出会った頃から思っていました。
一方、2025年12月に仙台の「ブックカフェ火星の庭」さんで行われたパレスチナ・オリーブの皆川万葉さんと私のトークイベントで、皆川さんとの長い付き合いの思い出やたくさんの共通点の話をする内、心の中でコラボ商品を作りたいと熱い想いが湧きあがりました。パレスチナの人々の苦境に少しでも支援になればと、長年オリーブオイルの販売をお手伝いしてきましたが、もっと販売協力するために新製品を作ろうと思いました。
タマタニさんがレトルト釜を購入したのは、震災でいざという時の食の備えの必要性に直面し防災用にもなるレトルト食品を製造したいからだと言われていたこともあって、オリーブオイルといしりを使用し、能登の魚でアヒージョを作ろうと具体的な商品がイメージでき板垣さんに相談しました。もちろん、長年お付き合いしているネパールのスパイスも入れます。
能登の海の幸と大地の幸、パレスチナ支援をしている仲間のオリーブオイル、ネパールのフレッシュなスパイスを「いしり」だけで味付けするレトルト食品があったら、食卓にもう一皿欲しい時に、ちょっと一杯の肴に、いつでも手軽に美味しく助かります。
2025年の12月に板垣さんに相談してから試作、試食、訪問やオンラインで打合せを繰り返し、5月末頃、目指す味や形態に近づいてきました。輪島の〝奇跡のトマト〟生産者、上田農園の上田拓郎さんと出会い、協力を得て勇気づけられました。秋カタログでの発売が決まり、6月に生産者揃っての撮影のため、輪島に行きました。

タマタニさんで働く仲間たち
タマタニさんではアジア各国から働きにきた人たちが板垣さんの細やかなフォローを受けながらしっかり働いています。
地震の時は恐怖から裸足で宿舎を逃げ出し近所の人に避難所に連れて行ってもらい、足の傷の手当を受けたベトナムのグエン・ティ・ゴック・ミーさんは来日10ヶ月でまだ日本語があまり話せませんでした。避難所で持ち前の明るさと優しさを発揮し、人々の世話をする内にすっかり日本語が上達し、地域にもとけ込みました。フィリピンの横地レジナさんは古川美保さんと共にタマタニ創業の頃から働くベテランです。レジナさんはタマタニのムードメーカーで有難い存在と板垣さんが言われます。昨年10月の交流ツアーの食事会でもズンバダンスを披露し会を盛り上げてくれました。インドネシアのインタン・パンディニさんは2024年元旦に来日する予定でしたが、震災で延期になり12月になりました。早くも1年半が経ち、すっかり仕事にも慣れ頑張っています。

共に生きるために
地震と豪雨で被災し復興が進まず人口流出が激しい能登、常に死と隣り合わせで明日の見えないパレスチナ、格差が広がり若者の不満が蓄積され人材流出が止まらないネパール。他にもウクライナ、イラン、ミャンマー、スーダンなどなど戦争と紛争が続き、毎年何十万という人々が殺し殺され憎しみの連鎖は次の殺戮を生み、難民が溢れ、土地は荒れ、影響は世界中に広がっています。人類は過去の悲惨な歴史から何を学んできたのでしょう。
奪い合い殺し合う社会ではなく、共に生きるために支え合う社会をつくろうと諦めず懸命に努力している人々は世界各地にいます。つながることで支え合い、励まし合いたい。そんな気持ちで私たちも力を合わせ1つの商品を作りました。小さな一歩ですが、これからも諦めず一歩一歩進みます。世の中にはそんな想いで作られた商品と作り手があなたとの出会いを待っています。どうぞ見つけてつながってください。


タマタニさんのすぐ前の海。海岸が隆起して景色が変わったそうです。


いしりを発酵・熟成させているタンク。一つ一つに仕込んだ日付けが書かれています。震災の年のものもありました。美味しくなぁ~れ!


加工場で干物をつくるスタッフの皆さん。アヒージョ製造も始まります。

オリーブオイル from パレスチナ
合同会社パレスチナ・オリーブ 代表 皆川万葉さん(宮城県仙台市)

文・皆川万葉

左:ガザ地区に約200万人、ヨルダン川西岸地区に約330万人、イスラエル領内に約200万人のパレスチナ人が暮らす。ガザ地区、ヨルダン川西岸地区が「パレスチナ自治区」だが、実際にはパレスチナ自治政府の管理下にあるのは一部地域のみ。「アラブ」「48年パレスチナ人」「アラブ・パレスチナ人」と呼ばれるイスラエル領内のパレスチナ人は、イスラエル「建国」後も自分たちの土地に住み続け、法的・制度的にユダヤ人が優位の国家・社会の中でマイノリティーとして暮らしている。
右・皆川万葉さん:パレスチナ・オリーブは、1998年からパレスチナ地域のオリーブオイル、オリーブ石けん、刺繍製品をフェアトレードで輸入、全国で販売しています。毎年生産者団体を訪問し、通信「ぜいとぅーん」やお話会で、生産者の状況や人々の暮らしを伝えています。

今年の2月下旬、ネパリ・バザーロの土屋春代さんから「オリーブオイルと輪島のいしりを使ったレトルト食品の開発を進めています!」とメールをいただいて驚きました。昨年12月に仙台でのトークイベントに来ていただいたとき「開発中のレトルト食品にオリーブオイルが使えたらいいね」というお話はありましたが、すぐに具体的な製品になるとは思っていなかったからです。
あっという間に話が進んでいく中で、私もぜひ能登の生産者さんにご挨拶したいと思い、6月に土屋さんと一緒にいしりのタマタニさん、トマトの上田農園さんを訪問することになりました。
訪問してみると勉強になることばかりでした。トマト畑は一目見ただけで、トマト一つ一つに愛情が注がれ丁寧に育てられていることが感じられ、栽培方法を伺って、さらにその細やかさと情熱に感動しました。
タマタニさんでは、このレトルトの作り方、工夫、苦労などを具体的に伺い、いしりの醸造タンクも見せていただきました。製品それぞれの製造方法も、より良い製品・より良い働き方を模索していることなども、何もかもが興味深く、質問攻めにしてしまいました。
地震や豪雨による被害を受けながらも、一つ一つの製品を大事につくっている姿は、パレスチナの生産者さんたちにも重なりました。こんな素敵な生産者さんたちと美味しい製品を作れることをとても光栄に思いました。
私たちのオリーブオイルは生産者団体「ガリラヤのシンディアナ」から輸入しています。イスラエル領内とヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区/被占領地)のパレスチナ農家さんが、農薬も化学肥料も使わず大事に育てたオリーブです。収穫から24時間以内に提携工場で低温圧搾し、生産者団体の加工場で女性たちがボトル詰めし、ラベルを貼ったオリーブオイルです。このオリーブオイルの風味が評価され、世界各地での国際コンペで入賞しています。
「ガリラヤのシンディアナ」は、イスラエル領内に住み、社会変革を求めるアラブ・パレスチナ女性とユダヤ女性が中心の非営利組織です。ナザレに近いアラブ・パレスチナの村、コフル・カナに事務所・加工場があります。
イスラエル政府によって土地を奪われ、水の利用も制限され、農業で十分な収益を出すことが難しいなか、このままではイスラエル領内のパレスチナ人の農業がなくなってしまうという危機感を持った農家さんたちと、アラブ・パレスチナ女性のための仕事づくりが必要だと考えた平和活動家が一緒になって、1996年に団体を立ち上げました。
この30年の間に、生産者団体の活動は充実していきました。みんなで土地を整備し、植樹したオリーブの木はいまや大きく育ち、実をつけています。契約農家さんも増えてきました。
しかし、ガザ地区、ヨルダン川西岸地区、イスラエル領内の全ての地域において、イスラエルの政策はますます苛酷になり、パレスチナの人々の状況は悪化の一途です。

私は、25年以上(コロナ禍を除いて)毎年パレスチナの生産者さんを訪問していますが、毎回簡単ではありません。今年は1月から2月にかけて3週間行ってきました。パレスチナ自治区に行くにもイスラエルに入国しなければなりませんが、空港の入国審査で「安全保障上の事由で」と入国拒否されることも多いので、まずは入国できるかが最初の難関です。
私が訪問する生産者団体、農家さんは、イスラエル領内と、ヨルダン川西岸地区にあります。エルサレムから契約農家さんのひとつ、西岸地区北部のコフル・カドゥーム村農業協同組合への訪問では、バスを乗り継いで5ヶ所以上のイスラエル軍の検問所を通りました。イスラエル軍による道路封鎖もあり、あちこちで遠回りさせられました。
西岸地区には多くのイスラエル入植地が作られ、約100万人のイスラエル人が住んでいます(国際法違反)。その入植地を守り、パレスチナの人々の移動を管理するための検問所です。ヨルダン川西岸地区全域では約1000ヶ所のイスラエル軍検問所があります。どこに行くにも検問所を通らざるを得ませんが、通れない日もあり、回り道を余儀なくされ時間と余分な費用もかかり、パレスチナ経済の大きな障害となっています。
移動のバスの中からは、パレスチナの村々のオリーブ林や野の花が広がっているのが見えましたが、その美しい風景と入植地が交互に現れ続けるので、辛い気持ちになります。

温暖な気候のパレスチナは、本来は豊かな土地で、農業・製造業・観光業が盛んな地域でしたが、イスラエルの占領・政策によって、産業は衰退させられてきました。
オリーブはパレスチナを含む東地中海地域が原産で、何千年も前から栽培されてきました。パレスチナの人々にとって、オリーブの木は永続性や土地とのつながりの象徴であり、大切な木です。
しかし、オリーブを栽培するにも、水の利用は完全にイスラエルに管理されています。深い井戸を掘ったり灌漑施設を作る場合には「許可」が必要ですが、「許可」はほぼ出ないので事実上の禁止です。収穫したオリーブを圧搾工場に運ぶにも、オリーブオイルを生産者団体に運ぶにも、いくつもの検問所、隔離壁を超えなくてはなりません。イスラエル人入植者によるオリーブ林の破壊も頻繁に起きています。

このような状況でも、生産者さんたちは仕事があることが経済的な支えだけでなく心の支えにもなっていると言い、より「いいモノ」を作ろうと日々頑張っています。
コフル・カドゥーム村の農家さんたちは「困難な状況をみんなで乗り越えるためにこそ農業協同組合を作ったのだ」と言い、協力し合ってオリーブの栽培を続けています。
「ガリラヤのシンディアナ」のスタッフたちは「自分たちは希望を失わない、平等な共存に向けた活動を続けていく」と言っています。
今回の商品の開発は、オリーブオイルの生産者さんたちにも喜んでもらえるいいニュースになります。次回のパレスチナ訪問時にはこのレトルトをみんなに持っていくつもりです。
素材それぞれの美味しさ、それぞれの生産者さんたちの想いが調和した商品ができたことを、私自身とても嬉しく思い、声をかけてくださったネパリ・バザーロさんに感謝しています。
多くの皆さんの手に渡り、美味しく召し上がっていただき、想い・喜びを共有できたらと願っています。


(写真はパレスチナ・オリーブさんより)


左:日本向けラベルが貼られた商品を持つシュリーンさん。©高橋美香
右:国内外からの訪問客に応対する運営スタッフのパレスチナ女性、ナディアさん(右)と。©高橋美香


皆で協力して収穫します。(写真はパレスチナ・オリーブさんより)


ボトル詰めなどを行うスタッフ。チーフのワフィーエさん(右)は「信頼し合える結束の固いチーム」と言います。

 

トマト from 奥能登・輪島
上田農園 代表 上田拓郎さん

文・土屋春代

能登半島地震と奥能登豪雨の二重災害を乗り越え、世界の名だたるシェフを魅了するトマトなど70種もの野菜づくりをされている上田農園さん。
地震で住まいやハウスが全半壊。ようやく復旧の目途が立った半年後に情け容赦ない豪雨。近くの川が氾濫し、畑にもハウスにも泥流が押し寄せ深刻な被害が発生。地震以上の衝撃を受け心が折れそうになった上田さん。しかし、駆けつけたボランティアや頑張る仲間たちに励まされ畑に残された多数の流木を片付け、水没した圃場の土壌改良を行うなど懸命に作業し、〝奇跡のトマト〟は復活しました。けれども地域は未だ復興が進まず、その状況に上田さんは胸を痛めています。

現在、20棟のハウスと畑で3000本のトマトや珍しい西洋野菜などをご夫婦で栽培されています。「アジアベストレストラン50」にランクインしているお店にも選ばれ、全国の50店近くに上田さんはトマトや野菜を直送しています。一軒一軒のレストランのメニュ―に合わせて最適な時期、色やサイズを提供できるよう、不断の努力で期待に応えています。
そんな凄い農家の上田さんは「僕も〝ハウス育ち〟です」と笑います。両親が働くハウスの隅で箱に入れられ野菜と一緒に育ったので野菜のことがよく分かると言われる上田さんは独自の栽培方法でトマトを育てています。与える水分を極限まで抑えてトマトが自力で空気中の水分を取り込み必要な水分を保つようにします。それは枯れるかどうかの瀬戸際で毎日の観察と細やかな対応が必要です。野菜の声が聞こえるかのようです。こうして甘みと酸味を最大限引き出されたトマトを食べた瞬間「えっ!これがトマト?」と驚きました。美味しすぎます!
それにしても赤やオレンジや黄色に色づき、たわわに実ったトマトがハウスの端から端まで美しく並び収穫を待つ様はあの地震と豪雨の激甚災害から1年半とは信じられません。何事もなくずっとこの状態が続いていたかのようで、2度に亘る大災害で中断されたようにはとても思えません。回復するためにどれほど時間と情熱と心血を注がれたのかと想像するとシェフたちから〝日本一の農家〟と評されるのも納得です。

父・義正さんが始めた上田農園はトマト苗や一般の野菜をつくり販売し、地域で信頼され安定した収入を得ていました。ところが、農園をついだ拓郎さんはレストランに提供する野菜づくりをしたいと告げました。安定を捨て、リスクのある新規分野に乗り出そうとする息子を父は理解し応援しました。
楽しそうに話される上田さんになぜそういう販路を目指されたのかと伺うと「僕は料理が好きで、料理関係の本をたくさん読み、掲載されているシェフに憧れていました。そんなシェフが信頼して使ってくれる野菜をつくりたい、ずっとそう思っていました。今、本で見て憧れたシェフたちに選ばれ喜ばれています!」と、嬉しそうに言われました。「僕はずっとハウスの中に居ますがここから世界とつながっています」。自分の野菜が届かないとシェフたちが困る、だから健康でいなくてはならない。おかげで風邪もひかず元気です!と、心身ともに健康そのもの。笑顔がまぶしく輝いていました。
上田さんの奇跡のトマトは今回、ネパールやパレスチナともつながりました。このレトルトが輪島の宝の1つとなって復興に貢献したいとタマタニの板垣さんと誓い合われていました。


2024年9月21日の10時頃、自宅2階から上田さんが撮影。大雨で自宅待機されていたところ、川が氾濫するのが見えたそうです。(写真は上田農園さんより)


納得いくまで土づくりや苗づくりにこだわる上田さん。説明に聴き入り情熱に驚く板垣さんと皆川さん。強い刺激を受けモチベーションがあがりました。

スパイス from ネパール
ガーリックは西ネパール グルミ郡より
ブラックペッパー東ネパール ジャパ郡より

文・丑久保完二(ネパリ・バザーロ副会長)

ネパリ・バザーロがスパイスの取り引きを始めたのは、コーヒーや紅茶だけでは栽培開始から収入を得るまで何年もかかるため、小規模の貧しい農家には小さな土地でも直ぐに取り組め種類によっては年に数回の収穫も可能なスパイスが適していると考えたからです。
スパイスはNTFPs (Non Timber Forest Products・非木材森林産物)に属しています。スパイスは成長が早いため短期間で現金収入を得られ環境保護、森林保全につながる植物として国際協力機関が重要視している作物です。
スパイスを販売するには多品種を必要とするため、栽培地域が広く分散しています。暑く湿気のある土地でなければ採れないスパイスもあれば、寒冷地や乾燥した場所が適したスパイスもあるからです。
私たちのスパイス生産者は、ネパールの西と東に分かれます。西はコーヒー、東は紅茶が代表的な農産物です。ガーリックは西、ブラックペッパーは東が生産地です。
スパイス生産者は小規模農家が多く、遠隔地に点在しています。遠隔地になればなるほど有機スパイスの生産に適した場所が増えてはいきますが、流通の不便さから近隣の小さな市場での販売に限られ、遠方の大きな市場へのアクセスが難しく人々の生活は厳しくなります。この活動を始めてから30数年が経ち、ネパールの流通も大分改善されてきましたが、多品種少量のためコストがかからないよう基本的には、コーヒーや紅茶を運ぶ仕組みを使っています。

ガーリック

西ネパールのグルミ協同組合を通じてカトマンズに送られスパイス工房で加工処理しています。グルミは、コーヒー生産地として有名な遠隔の地で、ネパールで初めてコーヒーの木を栽培した場所でもあります。出会いは1996年に遡ります。当時は内戦下で、反政府勢力の中心地に近く、危険が伴う訪問でした。ネパールで初めての輸出、初めての国際有機証明申請、検査などを通じて、スパイスの取り引きも始まりました。

ブラックペッパー
東ネパールのジャパという地域で栽培されています。その一帯や北側は紅茶で有名な生産地で国境を越えればインドのダージリンです。
インド国境近くの暑い湿気の多い平野部で栽培されているブラックペッパーは10mから30mにも成長するヤシ科の木・ビンロウジュ、現地でスパリと呼ばれる木に巻き付き成長します。出会いは、北側のカンチャンジャンガ紅茶農園で、ネパールで初めてのJAS認証を取得して紅茶の取り引きを開始。その後、カルダモン、ジンジャーなどのスパイスも始まり、ここのブラックペッパーにも繋がりました。
ネパール内戦下、この紅茶農園で、子どもたち全員が小学校、中学校に通える奨学金制度を、私たちと農園、そして神奈川の高校の自主活動の協力も得て作り、反政府勢力からも歓迎され、紅茶農園の稼働妨害を逃れたことがありました。現在は、奨学金は高等教育支援に形を変え、農園の子ども達が、この平野部で高等教育を受けています。この奨学金制度のコーディネーターであるネパリ現地スタッフのバラットさんは制度開始からずっと奨学生たちの親や兄のように細やかにフォローし、ブラックペッパーの生産者とも私たちをつないでくれています。ブラックペッパーはカトマンズに送られ、スパイス工房で加工処理され日本に届いています。


グルミ村のガーリック生産者の畑で、生産量や収穫時期、出荷方法などの打ち合わせ。


僻地の村で、手作業で収穫に励む農家の皆さん。約1か月乾燥させて、カトマンズに輸送します。


ブラックペッパー。

左端がバラットさん、4人目が丑久保。奨学生、元奨学生と一緒に。

レトルト・鰤のアヒージョ(ご注文はこちらをクリックしてください)