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きのうの行方 tsuna26 2022w

第18回 『モトシンカカランヌー』の胆力

題字・板絵・文 瀬戸山玄

沖縄が日本に復帰して半世紀になる。通貨も米ドルという植民地扱いを27年も米国から受けてきた沖縄の「アメリカ世」が、1972年5月15日にようやく幕を閉じたのだ。

このアメリカ世の空気を生々しく孕む映像記録に、『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』がある。沖縄方言で「元銭のかからぬ(商売)」というタイトルの通り、登場するのは黒人兵や米軍公認=性病予防のAサイン風俗街で働く娼婦や山原出のヤクザたちだ。それも身内を撮る距離感で描かれ、また内地から来た観光客や革新系労組の買春する男たちの声まで収録され、ナレーションは一切無い。この白黒映画95分からは、ベトナム戦争を挟んだ沖縄と日本との断絶ぶりと、鉄条網が隔てる基地の町のはがゆさがヒリヒリ伝わってくる。なにしろ本土への出稼ぎにまで旅券が求められていたのだから。

「これを撮っていたころは、日本から船で沖縄に渡るにも、総理府が発行する身分証明書がまだ必要でした。ドキュメンタリー撮影は渡航許可がおりないので、しかたなく偽造したんです」
3年前の月夜に催された小さな上映会で密航秘話を明かしたのは、日本ドキュメンタリストユニオン・NDUの最年少要員としてカメラを回していた井上修さんだ。黄ばんだ現物には、「本証明書添付の写真及び説明事項に該当する日本人◯◯は沖縄へ渡航するものであることを証明する」と印刷され、総理大臣印の落款まである。けれど他人名が記されて、顔写真は他ならぬ若き日の井上さんだ。アメリカ世末期のパスポートは、運用がいい加減だったのかもしれない。

学生運動が先鋭化する1968年ごろ、布川徹郎を中心に早大中退者たちが結んだ伝説の映画集団NDUの代表作である。取材チームは1969年半ばから、コザ・現沖縄市の怪しげな吉原界隈に六軒長屋を借り、合宿しながら記録を始めたという。そこから一年半後に「モトシン・・」が完成した。

 唄好きがよぶ幸運

上映後の第一印象は「凄い!」。アンタッチャブルなコザの裏社会を、大和の他所者がよくぞ身内のごとくに肉薄して撮れたものだという驚嘆だった。そこを井上さんに問うと、撮影術に納得した。本土から持ちこんだのは、同時録音ができない旧式な16㎜シネカメラと、音声を収録するオープンリール式の肩かけ録音機。開けっぴろげの同じ長屋に住む娼婦やヤクザはカメラ類に少しの興味も抱かない。ところがプロ用マイクと録音機がなぜか人気のマトに。撮影に使わない日は自分の歌声を入れて聴きたがり、出来ばえを競いあったという。カラオケ屋が無く、小型カセットテレコも出回らない沖縄の、隠れた唄者のノド自慢と慰めに映画人が応えたのである。

こうした録音機材がコザに生きる寄る辺ない人々と学生上がりの映像集団との壁を壊し、飲食を共にするうち撮影の素地が整ったという。後半、地元で流行りだした唄『19の春』を17歳の娼婦アケミが、「みすて心があるならば、早くお知らせ下さいね」を沖縄語でうなる場面には思わず引きこまれる。

でも長期ロケにかかる元銭はどうしたのか。1968年暮れに出た羽仁五郎著『都市の論理』は、サラリーマンだった我が父も買うほど広く読まれた人気ベストセラーとなった。実は学者羽仁が印税の一部を、志ある映画青年たちに資金提供してくれたのだ。

記憶の結び目をプレゼントしてくれた井上氏も今年6月に鬼籍入りし、NDUの面々は誰もいなくなった。正直な話、ボクが二十歳の大学時代、「本当にすごい映画なの。絶対に見なくちゃダメよ」と、親しいヒトから念を押されて46年間果たせず、やっと記憶のトゲがあの晩に抜けたのだった。

「映画と映画を観る人間との間に夥しいスパークを発生させるような映画でありたい」と、宣していた彼ら。沖縄復興のイバラ道をなぞる映像のコラージュは、その目的を十二分に果たしたといっても過言ではない。

板絵キャプション:沖縄戦後史を知りたい方には、本映画と直木賞作品「宝島」真藤順丈著がおススメ

瀬戸山玄(せとやまふかし)
写真家・ノンフィクション作家
1953年鹿児島県生まれ。写真作法を若き日の荒木経惟氏に学び、写真家・ノンフィクション作家として活躍。テーマは風土と人間。食や生活をめぐる取材を続け著書多数。近年は板絵制作に邁進中。芸術家や職人などの現場を撮り続け、ドキュメンタリストを名乗る。東北の取材は20年以上続けている。