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風来坊便り tsuna26 2022w

文:土屋春代

ネパリ・バザーロを創立して25年懸命に走り続け、代表を譲って5年が経った頃、好奇心にまかせてあちらへこちらへと旅するようになりました。知って嬉しかったこと、知って愕然としたこと、お伝えしたいと思います。

大島ノ統治権ハ島民ニ在リ

島民がつくった 『大島暫定憲法』 のお話

大島暫定憲法との出会い
2011年3月11日の東日本大震災で被災した岩手県陸前髙田市に関わり、地域の伝統的な仕事、椿油製造販売の復活で復興支援をしようと目指しました。市内だけでは椿の実が足りず、どこから集めるか、また、将来に備え椿の植樹も必要と考えた時、椿油で有名な伊豆利島の利島椿研究会の方達と出会い、様々な支援をいただきました。利島で開かれた研究会主催の会合に参加した時、雑談の中で、伊豆大島から来られた椿の専門家が、戦後直ぐに大島が日本から切り離されることになり、先ず、島民のための憲法をつくったと話されたのです。その時は椿油のことで頭がいっぱいの私は聞き流してしまいました。しかし、改憲、特に憲法九条が変更され日本が再び戦争に巻き込まれるのではと強い危機感をもった時、大島の憲法を思いだしました。

憲法はアメリカから押しつけられた憲法だから、変えなければならないという論があります。そうでしょうか?戦後直ぐに、大島という当時11000人ほどの小さな島で憲法の専門家もいない中、すごい憲法がつくられていたことはもっと知られるべきだと思い、大島に行き、詳しく調べたいと思いつつ、時が過ぎてしまいました。

沖縄カカオプロジェクトを応援してくださるカカオフレンズの方と沖縄を巡る旅の2022年3月の参加者、宮内淑子さんは以前からネパリにボランティアで関わられ、現在は大島にお住まいです。ツアー最終日にふと、「大島暫定憲法のことを詳しく知りたいのですが」と話すと、「知り合いの中田保さんはその憲法の研究者です」と言われ、驚きました。すごいご縁!これは行かねば!2022年5月21日、椿油プロジェクト以来、久しぶりに大島を訪ねました。


大島訪問で中田保さんに説明を受けているところ。指差している方向はサイパン、逆が東京。

戦時下の大島
島に着き、中田さんに先ず案内されたのは数ヶ所の戦跡でした。東京湾の入り口に位置する大島は本土決戦に備え重要な防衛拠点で陸軍磯部隊16000人が駐屯していました。米軍が制圧した硫黄島から本土に空爆に向かう線上にあり、何度も空襲を受け、攻撃のためのトーチカ(防御陣地)や避難するための防空壕がたくさんありました。

大島町史などによると島民は自分たちの食料のために種を播く暇も無いほど壕堀りなどにかり出され、戦況の悪化で本土からの海上輸送も絶えがちな中、貴重な食料の供出をしたにもかからわず、敗戦後、帰還する守備隊は残っていた食糧を持ち出しました。軍の命令で木々が伐採され裸になった山と、手入れができず荒廃した耕地が残されました。

島民を襲った敗戦ショックと更なる衝撃
1946年1月29日のGHQの命令は大島を含む伊豆諸島を日本から行政分離するというもので、敗戦に打ちひしがれ茫然自失している島民に更なるショックを与えました。これといった資源も産業もない小さな島でどうやって生きていけばよいのか。

即座に6つの村の代表が集まり話し合いました。1945年12月に元村(現・元町)の村長に就任したばかりの柳瀬善之助さんはこう言いました。米軍の命令には従わなければならなくても、島独自の政治をしたい。そのための憲法をつくろう!柳瀬善之助さんは島民が立ち直るには精神的な支えがいる、自主独立の島をつくるという希望を掲げたいという想いが強くありました。敗戦ショックに次ぎ、更に日本からも切り離されるとわかった時、柳瀬村長の心に火がつき、その火は島民が新しいことに挑戦するための心理的な壁をも崩したのです。

7名の起草委員に法律の専門家はひとりもいませんでしたが、自分たちの理想の島を創ろう、そのための憲法だ!委員達は熱のこもった議論を続けました。その委員の中で、柳瀬村長と共に憲法案づくりをリードしたのは高木久太郎さんと雨宮政次郎さんでした。

三原山の噴火口は自殺の名所。高木久太郎さんは自身も自殺を図った経験から自殺する人を思いとどまらせようと噴火口の近くで御神火茶屋を経営しながら、人々の相談にのっていました。追い詰められた人々に寄り添う強い正義感の人でした。

大工の政さんこと、雨宮政次郎さんは村の若者たちのリーダー格で、島民の生活を圧迫していた高額な電気料金の引き下げを実現するなど、人々の暮らしをよくするために闘い、島民の信頼を得ていました。戦時中は反戦運動に命をかけ、戦争を二度としない国にしなければという強い信念の人でした。


左から、高木久太郎さん、雨宮政次郎さん、柳瀬善之助さん。幼なじみの柳瀬善之助さんと高木久太郎さんはお互いに信頼しあっていました。御神火茶屋の建設に携わった雨宮政次郎さんの誠実な仕事ぶりと人柄にほれこんだ高木久太郎さん。3人の平和な島“大島”への思いと情熱が生み出した大島憲法です。

主権島民、世界の平和を目指す画期的な憲法案
度重なる空襲に敵の侵攻が迫り来るのを間近に感じ恐怖に怯える日々、軍の支配による労働と食料などの搾取に心身ともに追い詰められた島の人々は戦争の悲惨さを嫌というほど味わいました。戦争は二度としてはならない、平和が一番なのだと痛切に感じていました。それを実現するために権力の暴走を許さず、統治権は島民にあるのだと第1章1条ではっきりと示しています。選挙で選ぶだけでなく、議会と行政を島民がしっかり監視する仕組みをつくり、リコールのハードルも低く設定しました。司法に関しても加える予定が、その前に日本に復帰したので未完ですが、三権分立、主権島民、世界の平和に寄与することを目指す画期的な憲法をつくろうとしていたのです。なんと素晴らしい憲法案でしょう。明治の帝国憲法と根本的に違う、現憲法を先取りしたような民主的な憲法を島の人々自身で考えたのです!島の人々が今でも誇りに思うのは当然です。

戦争のない平和な世界はみんなの願い
素人がなぜこのようなすごい憲法をつくることができたのでしょう?素人だからではないでしょうか。戦争になると真っ先に被害を受けるのは庶民です。国が滅びたアジア太平洋戦争。77年経っても、受けた深い傷は癒えず、いまだ苦しみ続けているのは庶民です。草の根の人々が心の底から欲したのは戦争のない平和な社会。それを強く望んだからこそ、わずか3週間という短い期間に、最も大事なことを根本に据えた憲法案をつくることができたのです。世襲議員がやたら増え、生活に困らない特権階級の政治家ばかりの昨今、彼らがいくら考えてもこの大島暫定憲法以上の憲法をつくれるとは思えません。

中田保さんのこと
素敵な出会いでした。案内してくださった中田保さんは元小学校教師。今は放課後子ども教室で子ども達を見守りつつ、「平和と憲法を語る大島の会」という、誰でも思ったことを率直に語れる会を主宰されています。

分かり易く丁寧に、時に冗談も交えた案内と説明は大島暫定憲法の生まれたわけ、魅力を伝える名ガイドです。中田さんの父、中田正一さんは農林省で農業改良普及事業に携わり、ユネスコの農業技術指導者としてアフガニスタンに派遣され、退官後は民間国際協力組織「風の学校」を設立、バングラデシュやフィリピンなどで井戸掘りや学校建設など、80歳を超えるまで精力的に活動されました。世襲議員はいやですが、よきDNAを引き継がれているのは素晴らしいですね!

中田さんは大島憲法のことをひとりでも多くの方に知っていただきたいと言われます。日程が合えば島内を案内してくださいます。ご希望の方はネパリ・バザーロにお問合せください。椿の花と温泉、憲法の精神、伊豆大島の魅力にふれる旅はいかがでしょうか?

◇参考文献&資料
・ 幻の憲法 大島憲章のはなし(絵本) /中田 保
・ 幻の大島憲法草案 53日間の大島共和国/古橋研一/みんな新聞社
・ 憲法「押しつけ」論の幻/小西豊治/講談社現代新書
・ 東京都・大島町史 通史編/大島町史編さん委員会
・ 大工の政さんとそのあとつぎたち/松田解子/伊豆大島文学・紀行集:小説編 東京都大島町
・ 国際協力の新しい風 パワフルじいさん奮戦記/中田正一/岩波新書
・ 伊豆大島独立構想と1946年暫定憲法/榎澤幸広/名古屋学院大学論集 社会科 学篇第49巻第4号pp.125-150
・ 東京新聞記事 2013.8.14

◇カタログ発行後、中田保さんからお手紙を頂きました。ご紹介させて頂きます。
先日はカタログをたくさん送っていただき、ありがとうございました。ふつうの商品カタログとは全く違って、とても読み応えがありますね。作り手(生産者)と読者(消費者)がしっかりつながっているところがすばらしいと思います。すてきなカタログに大島憲章の紹介を加えていただき、大島の住民の一人としてとてもうれしく思っています。11月9日に神津島で「南海トラフ」を想定した防災訓練が行われます。防衛省と都は、防災を口実に「戦闘演習」をしようとしています。自衛隊に加えて米軍が参加し、オスプレイを始めとして米軍の戦闘ヘリ、輸送ヘリを島々の上空に飛ばすという計画です。平和な島々にキナ臭い米軍ヘリを飛ばすことのないよう、国や都に働きかけているところです。沖縄の島々と同じように、伊豆の島々も自衛隊や米軍がいろいろと口実を設けて狙いをつけている地域です。かつては、新島の射爆場問題、三宅島のNLP(離発着訓練基地)問題などがあり、その都度、島々が心を一つにしてたたかい、押し返して実現させませんでした。今回も他島の人たちと力を合わせていこうと呼びかけています。(本当は、大好きな夜釣りや自然薯掘りに出かけたいのですが、思うようにはいきませんね。)送っていただいたカタログは、知り合いに配っています。これからも、ネパリ・バザーロのみなさんが「笑顔でゆっくり小さく」すてきな活動を続けていかれるよう、海のむこう、大島の地から祈っています。2022年11月3日 伊豆大島にて(「平和と憲法を語る大島の会」中田保様)

(つなぐつながる 2022冬 vol.26より。カタログをお手に取ってご覧ください。無料でお届けいたします。お申し込みはこちらから。