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座談会"絆” tsuna23 2022s

座談会 “絆” 

山葡萄プロジェクトからカカオプロジェクトへ

2011年3月11日の東日本大震災発生後、福島県、宮城県、岩手県各地で支援活動を開始し、そのつながりで2014年10月から岩手村の復興支援に入ったネパリ・バザーロは、被災は免れたものの農家の高齢化や販売価格低迷で栽培がどんどん縮小されていた村の特産品の山葡萄に着眼し、その販路拡大により復興支援を図ろうと、これまで委託醸造だった山葡萄ワインを村で醸造しオリジナルワインを造る提案をしました。2015年3月、山葡萄プロジェクトを立ち上げ、ワイナリー開設に向け情報収集、日本のソムリエ界の重鎮に山梨と長野のワイナリーの現地案内を依頼して研修実施、サポート会員制度をつくって会員募集し立ち上げ資金捻出等々に着手しました。

その最中の4月25日、ネパール大地震が発生し、緊急支援準備、5月5日にネパールへ飛び長年のパートナー生産者たちの支援、住む家を失った人々の避難キャンプ支援もずっと並行して実施する事態になり、零細組織であるネパリ・バザーロにとって崖っぷちの5年間となりました。

2017年、沖縄カカオプロジェクトを立ち上げ、共に歩んでいただくカカオフレンズを募集した時、人口約4100人の野田村から6名ものフレンズが名乗りを挙げてくださいました。

2021年7月15日、苫屋」にて6名のフレンズの方々と座談会を行いました!まずはメンバーをご紹介いたします!

進行役:土屋春代69)
(有)ネパリ・バザーロ会長
NPO法人ベルダレルネーヨ共同代表
ネパールの子どもたちの厳しい状況を知り教育支援活動を始めたが、深刻な貧困問題に直面。仕事の場を創ろうと1992年(有)ネパリ・バザーロを設立。国内でも震災後の東北や数々の問題を抱える沖縄支援のために本葬。

小田祐士さん(66)
野田村長 震災以前から務め5期目
「涼海の丘ワイナリー」「のだ塩工房」「観光物産館ぱあぷる」「国民宿舎えぼし荘」を経営する、野田村の第三セクター「株式会社のだむら」の代表取締役も務める。
◆商品「のだ塩」 「山ぶどうピューレ」もご覧ください!

佐藤嘉美さん(69)
山葡萄の「佐藤農園」と養豚会社を経営
(株)涼海の丘代表取締役副社長
山葡萄栽培歴21年。「山葡萄栽培は一番楽しい。嫌なことがあったら畑でぼーっとすると癒される」と言われます。現在、野田村の山葡萄農家は5軒のみ。次世代に継ぐため、若者の育成に力を入れています。
◆商品「佐藤農園の山ぶどうジュース」もご覧ください!

坂本久美子さん(63)坂本充さん(62)
手紙の宿「苫屋」経営

中原郁子さん(74)
「くる美人」代表。地元の鬼グルミを加工販売
◆商品「手むきくるみ」もご覧ください!

山口光司さん(26)
野田村地域おこし協力隊を経て山葡萄農園Lu.cultiver」経営
◆商品「山口さんの山ぶどうジュース」もご覧ください!

座談会の様子をお伝えいたします!

カカオフレンズとなって

土屋 カカオフレンズが野田村に6人。これほど多くの野田村の方がカカオフレンズになってくださったのは山葡萄プロジェクトのご縁だと感謝しています。この絆がどう生まれ、これからどう進んでいくのか、お話をお聞きしていきます。いの一番にフレンズになってくださったのが苫屋さん。どうしてフレンズに手を挙げてくださったのでしょうか。

坂本充 まず原発事故の被害を受けた子どもたちの支援でもあること、方向が定まった春代さんの活動への信頼、そして、野田村が応援してもらったことを沖縄でも同じようにやっているのがわかったからです。

坂本久美子 こんなにしていただいたことへの「ありがとう」を、チョコを買うことだけで伝えられることは喜び。これは入ろう、と。

土屋 お名前を拝見して嬉しくて励まされました。まだ野田村も大変な時だったのに。

坂本久美子 土屋さんがくださった希望に、自分たちも仲間に入れてもらえたことが嬉しかったです。

土屋 3期継続してフレンズになってくださっている佐藤さんは?

佐藤 やはり山葡萄の時にあれだけ応援してもらったありがたさがありました。震災支援で最初は陸前高田に来られて、塩の関係で野田村に来られて、その時は知らなかった山葡萄のことを人から聞いて、買取単価が安くて育てても育てても農家の収入にならないという話を二人で話している時に、よし、山葡萄を応援する、ワイナリーを作ろう、ときっぱり言われたのが嬉しくて、すごく覚えています。あれだけの人数のワイナリーサポーターを集めてくださり、スタートを盛り上げてくださったご恩は強く心に残っています。応援してもらったから、当然次のプロジェクトを応援したいと思いました。

土屋 いつか皆さんを沖縄にご案内するのが夢。山口さんがフレンズとして応援してくださったのも驚きで嬉しかったです。

山口 野田村と繋げてくださったことへの恩返しを何かできないかと思ったのもありますし、ネパリが沖縄の基地問題や戦争の歴史を、ただ話だけ伝えるよりもチョコレートをツールにして伝えるというのがいいと思いました。農薬を使わないカカオ、丁寧な手作業、こだわりのチョコはどんな味なのかと、甘党の自分には単純においしいチョコが食べたいという期待もありました。

土屋 中原さんもフレンズになってくださりありがとうございます。

中原 くるみをずっと買っていただいて感謝していました。カカオフレンズについては一番惹かれたのはフェアトレードという言葉。企業は生産者からいかに安く買い、いかに高く売るかがすべてだと思うのですが、生産者に優しく、正当な値段で買うという精神が素晴らしい。そうした企業が伸びていかないといけない。搾取する企業は行き詰まると思います。ネパリには伸びていってほしい。

土屋 今年フレンズになってくださった小田さん。野田村の顔でいらっしゃる方が応援してくださるのはなんて光栄かと思いました。

小田 すごくお世話になったこともあるし、貧しい地域、搾取されている地域で物を作ってもらうというネパリの活動がいいなと思ったこともあります。沖縄で新たにカカオを栽培し、チョコレートを作るというのが、支援してもらってきた野田村の山葡萄プロジェクトと重なり、面白いと思いました。様々な地域おこしがありますが、アイディアを出し、後押しをし、そこの人たちの生活の中心にしていくというのが面白い。こうしたことが日本のあちこちで起こり、ここの生産者とあそこの生産者と点を線に繋げ、各地から日本全体に広がっていくと面白い社会ができていく。違った文化が繋がっていくと、商品だけでなく新しい化学反応が起きます。ひとつの種が新しいものを生み出すという感覚。あちこちでいろんなことをやってほしい。ありがたいという気持ちはベースにありますが、それ以上に面白い活動だと。

土屋 沖縄北部は経済的には厳しい地域。基地があればお金が政府から下りる。産業の少ない地域に、お金が貰えるからと基地や原発が持ち込まれ、それがあとあと問題を引き起こす。仕事が必要です。農業や農産物に正当な評価がされたら変わっていくでしょう。沖縄に対して犠牲を強いてきたという申し訳ない気持ちが子どもの頃からありました。沖縄は戦争と向き合ってきました。沖縄の気候でカカオが育つとわかり、カカオプロジェクトをスタートしました。野田村でああしたい、こうしたいを受け入れいただいて、サポート会員制度も創らせていただいて、やりたいようにやらせてもらった経験、ノウハウが自分たちの力になり、沖縄にいきています。お世話になったと言っていただくのは嬉しいですが、私たちこそ貴重な経験をさせていただき感謝しています。

野田村山葡萄プロジェクトを経て

土屋 3.11で被災した時、小田さんのお宅は?

小田 家を流されました。

土屋 村長として陣頭指揮を取らないといけないのに大変でしたね。

佐藤 村のトップが家を流されて意気消沈していたらどうしようと心配しました。

小田 むしろ気持ちの切り替えができました。流されていなかったら復興の思い切りもつかなかったでしょう。被災した人と対等に進められて、かえってよかったです。

土屋 野田村は復興が早かった印象があります。

小田 行方不明者が3月中に全員見つかったことで、流された家々を壊させてくれました。家の形がなくなっても残った家財で誰の家か分かるので、連絡して理解を得て、壊す許可をもらいました。壊されなかった人、被害のなかった人の方が苦しかった面もあったでしょう。家族が亡くなった人は大変な思いを今もしていますが、どこかで切り替えて前に進むしかない。されていない人はどう声をかけていいかわからない。

佐藤 声掛けが難しいのは本当に感じました。半壊した友だちに大変だったなと言ったら「大変なのはこれからだ」と言われました。言葉を選ばないといけない。だから言えなくなってしまう。

小田 「プレッシャーになるから頑張れと言うな」とマスコミは言いますが、頑張るしかないから頑張れと言ってほしいと自分は思いました。被災者は、被災証明を持っている物質的な被害を受けた人だけではありません。復旧、復興ははみんな同じです。

土屋 苫屋さんもいろんな支援活動をしてきましたね。

坂本久美子 私たちは何も失くさず、申し訳なかった。誰に何をしてあげたらいいのかわからず、何もできませんでした。

坂本充 何もできない自分を思い知りました。

小田 震災後は、支援者がたくさん来てくれ、大阪弁、津軽弁と方言の入り混じりが当たり前でした。

坂本久美子 震災以降、外の人と繋がることに慣れ、受け入れられるようになりました。山口さんもそれで野田村に来られたし。

山口 震災がなければ野田村には来ていなかったですね。

小田 津波がなければ100年先まで安泰だったかもしれないが、変わることもできず、変化のないまま人口減少していったでしょう。どこかでプラスにしていくのが残った人間の役割。ただ残念だと思っていてもしかたない。残された時間にいろんな新しいことをやっていかねばと思います。

土屋 山口さんのような若者の活躍で刺激を受ける人が村の中に出てくるでしょうね。

小田 もっと広げていってほしい。山口さんがブログを通して山葡萄農園のボランティアを集めたのに驚きました。お土産で山葡萄をあげるくらいでボランティアが来るなんて。若者同士の仲間をもっと増やしてほしいですね。

土屋 野田村に化学反応が起きて広がっていくでしょう。

小田 若者に頑張ってほしい。発想の違いを出してほしい。我々に必要なのはそれを受け入れる許容性です。

佐藤 許容性を持っている人は少ないのでは?

小田 少ないですね。押さえつけまでする人は減りましたが、距離をもっている。変わっていかないと。いずれ変わっていくでしょうが。

土屋 山口さんが入った時は大変でした?

山口 最初は自分のやっていることがどれくらい役立っているのか、正しいのか間違っているのかの基準が分からず手探りでした。そうこうしているうちに自分を見てくれている人がサポートしてくださり、徐々にこうやればいいと分かってきました。

土屋 山口さんは大学卒業後の進路に悩んでいて、最初に陸前高田の水産加工会社でインターンをしていて大変そうでした。むしろ農業の方が向いているのではと思い、野田村の地域おこし協力隊の情報を伝えたら、取り立ての自動車免許ですぐに陸前高田から野田村へ見に行っていました。本人は見学のつもりでしたが内定のように歓迎されていました。3年間の給料が出る間だけで終わるなら行かない方がいい、その後も残るつもりならと伝えましたが、そうは言ってもいろいろと大変そうで、とんでもないことを言っちゃったなとも思いました。若い人の一生を縛ってもいけないと思いましたが、バイクを譲ってもらったり、農家さんが協力してくれたり、皆に大事にされています。

小田 とりあえずやろうという人はいるのですが、協力隊で残っているのは山口さんだけ。地域おこしにはいろんなやり方がある。自由にやってもらうことが大事。山葡萄を作る人を引き継いでいかないと。

佐藤 リタイアしてやめてしまう農家もあり、自分も年齢的にそう長くはできない。山口入ってくれ、理想的に活動できていると勝手に思って、期待しています。半日は豚の世話、薪割り、残りは山葡萄の作業をするという、時間の融通をつけて、狩猟の鉄砲とか楽しみも覚えながら、現金収入はそう多くないが、時間も自由に使え、そこそこ食べていければ、自分なりに計画を立てて、いい案配に暮らせていくと思う。

坂本充 もう少し仲間がいるといいですね。 

山口 個人ではなくチームでやりたいです。

土屋 今の若者は給料の額よりも自由や人との関わり合いを求める人も多い。知らないだけで、こうした生き方があると知ったらやりたい人はいると思う。若者はどう生きるか選択肢があるようで分かっていない。リクルートスーツの就活イメージばかり。

佐藤 興味のある人を受け入れられる体制が必要。

小田 住む場所と畑だけはある、というようにしたい。野田村を好きになってもらい、足りない部分を教えてもらいたい。

坂本充 山口さんがいい聞き役になれる。地元の人よりも言いやすい。自分も来て29年。最初は大変だった。

小田 黒いトラックで髭をはやしてやってきて、怪しかったですよ。

土屋 今や苫屋と言えば全国区。

小田 いや、世界中に知られています。

土屋 中原さんは若い山口さんが定住してくれそうなことをどう思いますか?

中原 大丈夫かなぁと心配しながら見ています。他人と思えない。村のために、次に続く人のために頑張ってほしい。かといって無理はしないで、自分の思い通りにやってほしい。義理人情に縛られるのも可哀そう。

佐藤 山口さんは、物静かな雰囲気なのに、自分からあちこちに行って交流しているのがいいところで、そこで可愛がられているのが凄い。地域おこし協力隊を卒業する時の成果発表に行ったら、頼まれたらできないと思ってもとりあえず何でも引き受けると言っていたが、それが愛される一番の要因。くるみ作業をしているところにもすっと入っていって可愛がられている。

山口 心配してくれる人がたくさんいてありがたいです。

中原 そばにいるだけでおばちゃんたちは喜んでいるんですよ。

佐藤 だんだん動き方が慣れて、体の使い方、時間の使い方を覚えてくると、もっと効率よく仕事ができるようになる。すごい面積を一人でやっていると驚かれるが、少しずつ面積を増やして知識と経験をつかんで慣れればできる。

土屋 今年の収穫が山口さんの畑の初収穫。畑の看板も作ったりして楽しみ。

佐藤 収穫は一気に採らないといけなくて自分一人ではできないから手伝ってくれる人を見つけないと。

土屋 コロナ禍でワイナリーは大変かと心配しましたが。

小田 補助金のおかげで黒字でしたが、なければ赤字でした。

佐藤 3月の新酒発表会は、券をいっぱい売ったのに直前に緊急事態宣言発令でおじゃんになりました。世界中どこのワイナリーもバタバタつぶれています。

小田 補助金でなんとかやっているが厳しい。えぼし荘の宿泊も全部キャンセル。今年の秋から少し動くだろうから頑張るしかない。

これからに向けて

土屋 これから大事にしたいこと、ネパリのプロジェクトに期待することは?

坂本久美子 震災後、外の人に「ありがとう」の声掛けをしてきたが、それが減ってきています。

土屋 あの時はいろんな人が来て交流したのが薄れてきていますね。

坂本久美子 以前に戻るのではなく、当時を忘れずに外の人を受け入れていきたい。そのきっかけをネパリがくれました。

土屋 人が出会って、物語が生まれて、またさらに先に行くというのが描けたら面白いですね。

坂本久美子 そうなれば村がキラキラしますね。野田村の空気が吸いたいけれど、コロナ禍で訪問してもいいかと気遣ってくださるお客様もいますが、そんな人にこそ野田村の空気をいっぱい吸って元気になって帰ってと答えています。そう言ってもらえるところに住んでいるのは幸せです。

土屋 この関係をこれからも大事にしたい。皆さんのおかげで元気をもらったので。福島の子どもたちのこと、沖縄のことももっと知ってほしい。知ってもらえたら小さなことでも何かが生まれるでしょう。自分たちの商品開発は伝えたい人がいて、そのための商品。山葡萄もそう。屋我地の塩も、塩を売りたかったのではなく、ハンセン病を伝えたかった。商品は後からついてくる。2021年春カタログで山口さんの山ぶどうジュースを紹介した時もすごい反響でした。

坂本充 若い人が次に繋げていくのが大事。土屋さんから聞いた話を自分のことに繋げていくのが大事。

山口 自分の感性を育てていきたい。山葡萄もそうですが、震災後に行われた取り組みがいっぱいあって、どうしたらうまくいい方向に行けるのか。とにかくまず自分が一つでも新しいことをやり、挑戦する中でできるようにしたい。でも、自分一人では難しいので、チームになるように新しい人を巻き込む仕掛けを作っていきたい。

土屋 山口さんにはその力がある。楽しみ。期待されて大変だけど、期待されるのはありがたいこと。

小田 自分は地元に根を張って、野田村をどうするかという意識で育ってきたが、役場に入るとは、ましてや村長になるとは思っていませんでした。村長は今5期目。震災時は2期目でしたが、村長でいることを大変とは思わなかった。誰かがやらないといけない時にたまたま自分だっただけ。そんな感覚。村が好きだし、いろんな人と交流をもっとしていきたい。仲間を、コミュニティを作っていきたい。それが産業にも繋がると面白い。

佐藤 震災後、村でワイナリーの話が進みそうと分かって喜びました。葛巻に山葡萄を持って行ってワインを作ってもらっても利益が出ませんでした。でもワイナリーは農家個人ではできません。

小田 山葡萄の買い取り価格は最初キロ400円でしたが、230円になり、相手次第。原料供給だけではだめでした。農家も以前からワイナリーを作りたいと言っていた。震災後、いろんな応援があった中で、このままではどうにもならない、勝負してみようと腹を決めた。震災の混乱の中だったが、逆に津波被害がなければワイナリーは会からも村からも反対されていたと思う。皆が何かしなければという思いだった。

坂本充 外からの動きに慣れてきたのもあるでしょう。春代さんの原動力が大きかったです。

小田 悪い意味で新しい挑戦に慎重でした。そこまでしなくても何とかなると。地元の人だけではいざとなると石橋を叩いて壊してしまい、なかなか踏み出せません。

土屋 それが津波で何とかしなきゃとなったのですね。

小田 ワイナリーは小さな村の大きな挑戦。津波にあった人も流されなかった人も何かひとつやってみよう、何かやらねばと思い切りました。周りも危ないことをするなぁと思いながらも、やるならやってみろということだったのでしょう。震災もありますが、外からの力があって初めてできることが多くあります。それがいろんな形で繋がっています。

佐藤 復興支援という形で酒造免許も今なら取りやすいというチャンスの時でもありました。

土屋 サポート会員という買い手がすでに大勢いたことも免許早期取得につながったと聞いてとても嬉しかったです。

小田 どんどん地域が疲弊しているのを何とかしないと、と思っている時にワイナリーの話が出て、応援もある。自分からはやろうとしなかったが、もしかしたらやれるかもしれないと現実的にボヤッと見えてきた。坂下さん(ワイナリー醸造所長)とも失敗したら二人で腹を切るぞと話しました。今やらなかったらもうできないと思いました。

坂本久美子 ワイナリー建設が皆の励みでした。本当においしいし、だんだん口が肥えて、味の違いもわかってきました。

小田 さらに復旧を進めながら、皆が元気になっていくよう、村全体のコミュニティを再構築していきたい。

土屋 これだけ質の良い山葡萄は日本の宝です。絶やしてはいけません。佐藤さんたち農家さんの努力の山葡萄を引き継いでいかないといけませんね。本日はお集まりいただき貴重なお話をありがとうございました!

座談会を終えて

震災当時”絆”という言葉がやたらと叫ばれました。一過性の絆ではなくずっとつながり続ける絆は簡単には築けません。そういう強く確かな絆が築けたことを、皆さんとお話していて確信でき、誇りに思いました。山葡萄プロジェクトとしてはワイナリーという基盤ができ、販売ルートもできたところで終了しましたが、佐藤さんと山口さんの山ぶどうジュースの販売は今後も継続しますし、時々の野田村訪問で苫屋さんに泊まり、皆さんとお会いして、おしゃべりすることがとても楽しみです。

沖縄と福島という大きな問題を抱える地域を一緒に応援していただける仲間としてこれからも末永くよろしくお願いします!

 

「苫屋」(〒028-8201 岩手県九戸郡野田村大字野田第5地割22)
築160年以上の南部曲り家を改築した民宿&カフェ。電話がないので、予約は手紙でどうぞ。食事は泊り客全員一緒。経営する坂本夫婦も一緒。囲炉裏端を囲んで初対面でも話が盛り上がり、なつかしいふるさとのよう。リピーターが多いのも頷けます。ぜひ、野田村に遊びにいらしてください!

(つなぐつながる2022春 vol.23より)