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暮らすように働く 2023年7月~12月

ネパリスタッフが、日々働きながら感じることを思うままに書いています。

12月

年内最後の沖縄訪問は12月2日からの1週間、大阪の方達3名をご案内しての旅でした。沖縄に行くと突きつけられる日本の危機的現状。それは、着々と進む戦争準備であったり、侵される地方自治の権限であったり、もはや全国で広がるPFAS汚染の問題であったり。太平洋戦争の地上戦の被害もまだ生々しい沖縄でガザやウクライナの映像を重ねると、これが他人事ではなくなる日をどうしたらくい止められるのか、焦燥感で息が詰まりそうになります。くい止めるために沖縄で日々必死に闘ってくださっている方達に感謝しつつ、できることを精一杯頑張ろうと思います。来年もお付き合いいただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。(春代)

12月のネパール行きも、いよいよとなり、帰りは、お正月になります。その訪問の中心に、親も親戚にも縁の無いアシャさん、シムランさんの最終学年となる西ネパールにある看護学校訪問がありました。卒業式が12月12日で、実務研修を経て終わりになることがわかりました。看護学校訪問は、今年の6月限りになってしまいました。幼い頃から面倒をみて来た故ラムチャンドラさんの息子、ベンジャミンさんが養護施設MSCCを代表して急遽、卒業式に出席することになりました。「卒業式に来てもらえると思って楽しみにしていました」と言われ、がっかりさせてしまいましたが、ネパールの首都カトマンズでの再会を約束しました。卒業の様子は、年間報告書でお伝えします。(完二)

先月の一言にも書いた関東大震災時の「横浜の虐殺現場を歩く」フィールドワークの第二段にも参加し、神奈川区子安近辺をご案内いただきました。いくつか本も読みましたが、判事の職にある人ですら、朝鮮人を殺してもいいと「肯定も疑問もなく」受けれていたと書き残しています。大地震の混乱時だからとも言えますが、今でも金も名もある人が娯楽のように平然とヘイトを口にし、マイノリティの方は直接自分がその対象ではなくても我が事として命の危険すら感じています。「殺さない人を増やすために」案内を続けていると語る山本すみ子さん。朝鮮人の問題ではなく日本人の問題だという声もありました。自身が「殺す人」にならないよう、歴史にふたをせず、知り、考える場がもっともっと必要だと感じます。(早苗)
今年も1年間、本当にありがとうございました!作り手の方々と共に、心を込めて生み出した商品をご愛用くださり、こうしてつながっていられることに感謝の気持ちでいっぱいです。お寄せくださるあたたかなお言葉、ハッとさせられる問題提起、心の声のつぶやきなど・・・お寄せくださるメッセージに支えられています。2024年は、何と世界70か国以上で大統領選挙や総選挙などの大型選挙が行われる珍しい年だそうです。世界の人口約80億人の25%、20億人が、一票を投じる権利をもつ一年。想像したらゾクゾクします。まさに、未来は一人ひとりの一票の積み重なり。戦争を止めて、戦争の火種もない未来をつくる責任が今を生きる私たちにはあります。きっと大きく動く2024年を、心して迎えようと思います。来年も共に、どうぞよろしくお願いいたします!(百合香)

大学時代の大切な友人に会ったとき、とても苦しくて、だけれども私にとっては社会や歴史を学び続ける意味をより持たせてくれた、彼女の言葉がずっと心に残っています。彼女は妊娠のために休職しており、これまでの生活との差や、子どもを生み育てていく将来を考えた時にとても不安になったそうで、「社会とつながることが出来なくなるのかな…って不安になった時、めぐに相談したいってすごい思ったの」と吐露しました。学生時代から希望していた職場で、新卒からずっと働き続けていた彼女に、母親になることの嬉しさと同じほどの不安が覆い被さっていたんだと知り、私も辛くなりました。それと同時に、女性で母親だからとその不安を受け入れてしまわず、相談したいと思う存在として私を見てくれていたことに、少しの嬉しさと、もっと自分の知識を増やしたいと感じました。社会や歴史、政治のことを自分なりに学んでいると、偉いね、社会的だね、と別枠の人として区別されてしまうことが多いのですが、誰かが何かの構造の中で苦しんでいるとき、あなたのせいじゃないよ、しょうがなくないんだよと言える存在でありたいと思っています。そのために知識と想像力を蓄えて、強くて優しい大人になれるよう学んでいきたいです。(萌)

11月

ウクライナとロシアの戦争終結の見通しもたたない中、新たな戦争が起きました。ガザを実効支配している集団・ハマスが囲まれた高い壁を越えてイスラエルに攻撃をしかけ、イスラエルの報復が始まりました。圧倒的な軍事力の差やこれまでのパレスチナの人々に対する容赦ない残酷な仕打ちを考えても結果は分かっていたはずです。それでも壁を越えたのは座して死を待つよりという深い絶望だったのかと思います。武力では何も解決できません。より深い絶望を生むだけです。イスラエルの行為を黙視してきた私たち“国際社会”も問われています。国境なき医師団の署名よびかけも始まっています。今、日本でも人々を追い詰める恐ろしいことが行われています。沖縄県の辺野古新基地建設に対し、度重なる選挙や県民投票で民意は圧倒的に建設反対であるにもかかわらず、工事を強行している日本政府。周辺に多くの民家や学校がある世界一危険な普天間飛行場を撤去するには辺野古に新基地を建設し移設することが唯一無二の手段と言い、マヨネーズ状と言われる大浦湾側の軟弱地盤、震度1でも崩れると地質学者が指摘する活断層の存在、国民の税金を湯水のように注ぎ込む天井知らずの建設費、しかも、いつできるか分からない基地を建設することが唯一無二の手段というなら移設など不可能で、政治家の思考停止、責任放棄ではないでしょうか。沖縄県だけでなく国民を苦しめる工事を止めようとする沖縄県の抗議は理に適っています。代執行を実行させてはなりません。主権在民、地方自治の尊重を謳うこの国の憲法の精神を守らねば。(春代)

12月のネパール行きに向けて、準備が始まりました。今回は、東ネパールの奨学生のホームビジットを例年通り行いますが、西ネパール中心の忙しい過密スケジュールになりそうです。身寄りのないアシャさん、シムランさんの看護師学校の卒業間近ですが、まだ、就職に必要とされる市民権が取れず、10月の大きなお祭りの前にも政府機関に呼び出され、又、そのお祭りが終わってからも行かなければなりません。養護施設の理事長と、そのことでやりとりしていますが、グルミのコーヒー協同組合を訪問する途中で、看護師学校にも寄ろうとしています。グルミから更に西側でもプロジェクトを展開しているので、そこも訪問したいと思っています。山岳地域の移動は、とても時間がかかります。計画を練っているなか、11月3日、更に西側(極西ネパール)で大きな地震が起きました。2015年のカトマンズ近郊の大地震被害に似ています。交通手段が限られているので、地方自治体を通じた支援を中心にするように通達が出ています。関係した生産者はいませんが、支援が早く届くことを願うばかりです。(完二)
映画「福田村事件」に刺激され、関東大震災時に朝鮮人虐殺の一番酷かったのが自分の住む横浜だったことを知り、今年出版された「神奈川県関東大震災朝鮮人虐殺関係書類」の編者・山本すみ子さんのご案内で「横浜の虐殺現場を歩く」というフィールドワークに参加させていただきました。20年ほど前に働いていた神奈川区の、通勤で朝夕通っていた道、職場のすぐ横の公園、出張で歩き回っていた場所で理不尽な虐殺が行われていたことを何も知らずにいたことがショックであり、恥ずかしくもあります。横浜市はこの事実から目を背けているようです。なぜ「天下晴れての人殺し」だと罪悪感を消し去れたのか。小学生の子供まで一緒になって「私も突いてやったら死んでしまいました」と平然と言えたのか。過去をきちんと検証せず、学ばずにきたことが、また大きな悲劇が生むことになると恐ろしさを感じます。(早苗)

関東大震災の朝鮮人虐殺は、半数以上が横浜で行われたと初めて知って驚きました。足元のことに無知でした。10月末に現場を歩くフィールドワークがあり、早苗さん、萌さんと参加し、現場を案内してもらいました。凄惨な虐殺が、こんなに身近な場所で、そして今立っているこの場所で起こっていたとは・・・ショックでした。そして、救援で入ったはずの軍隊が、率先して虐殺しているということ、警察が流言を拡大し、自警団を組織し、虐殺の先頭に立ったということを資料を読み解き教えて頂きました。日本の植民地主義と人々の朝鮮人蔑視の延長にあったジェノサイド。同じ人間なのに、共に生きる隣人なのに・・・。権力者によって差別感情が植え付けられ、利用されてきたのでしょうか・・・。私たちはそれを乗り越えていかなければと思います。現在の、イスラエルのガザへの侵攻、即時停止を願います。民族差別により迫害され続けたユダヤ人。ナチスによるホロコースト。そして今、ガザのパレスチナ人へのジェノサイド。民族差別は、政治や一部の都合のいい人々に利用され続け、苦しむのは私たち市民です。ガザへのジェノサイドを止めるためにも、足元を学んでいかなければと思います。(百合香)

直営店のあるあーすぷらざには、中国残留邦人帰国者家族の方々や外国につながる方々を支援されている「ユッカの会」が運営される「ともしびカフェぽけっと」があります。そちらで開かれた、中国帰国者の方々と本場の肉まんを作り、お話をする会に早苗さんと百合香さんと参加してきました。中国語が飛び交う中で、帰国者の皆さんに肉まんの作り方を楽しく教わり、お一人お一人の人生を一部分ではありますがお聴きしました。満州への開拓、ソ連軍侵攻による壮絶な逃避行と引き揚げ。ご家族を亡くされ残留孤児として生きられ、文化大革命で暮らしが一変し、何十年も中国で生き延びてこられた後に自らが日本人であることを知られ、日中国交正常化と日本での肉親探し。そして祖国でありながら知らない土地での再びの戦後開拓や、言葉も通じない日本社会での暮らし…。ネットでも知れる歴史ですが、その歴史全てに人生を翻弄された方々が目の前にいらっしゃいました。歴史の一つとして学べば簡単に“知った”気になれるのですが、でもそこには生きた人の数だけの人生が存在していて、その複雑さをしっかり学び想像し続けていく事で、少しでも日本の誤りと向き合えることにもつながるのだと思います。世代は違えど、今の時代を共に生きている日本人として、私は無関係ではないはず。「それでも日本が好き」と言ってくださった皆さんと、またお話がしたいです。(萌)

10月

作家で人権教育研究家の伊波敏男さんが中学校に招かれての特別授業に立ち会わせていただきました。中学1年から3年までの合同授業。途中で休憩をはさみながらも90分の間、やんちゃざかりの子ども達が真剣にお話に聴き入りました。沖縄生まれの伊波さんは中学2年生でハンセン病を発症し、沖縄島北部の屋我地島にあるハンセン病国立療養所沖縄愛楽園に隔離されました。突然、親や家族から引き離され5歳から15歳までの子ども達が暮らす寮に入れられてからの波乱の人生。いくつかのエピソードを交え差別や偏見の恐ろしさ、信頼できる友人の大切さ、自分を大事にすることなどを語られました。質疑応答の最後に皆へのメッセージをと請われ、伊波さんはこう言われました。「特効薬が見つかって治る病気と分かってからも続いた日本の隔離政策。終生隔離という過ちがなぜ90年近くも続いてしまったのか。患者がどんなに助けを求め続けても世間の無知、無関心が人権を踏みにじる政策を助長してしまった。ハンセン病に限らず、こういうことを許してはならない。声をあげなければならない」子ども達はその後の授業に移りましたが、伊波さんが帰られる時、玄関まで見送りにきて次々に握手を交わしていました。車が動き出すと外まで走り出て手を振りながら、口々に「ありがとうございました!」と叫ぶ子ども達の顔は輝いて見えました。(春代)

年末に毎年数人で、ネパールの高等教育の奨学生の様子、そのホームビジットや面談を中心に、支援している養護施設の子ども達や、その後継続して支援が必要な子ども達、そして、農村部の協同組合や農家を訪問しています。又、今までお付き合いのある生産者とお会いすることも重要です。活動が各地の農村部に広がり、又、昨年訪問出来なかったハンセン病回復者のご家族が住むキャンプも、皆さん楽しみにされているので行かねばと思っていますので、全てを回ることは不可能です。ネパールも女性の地位が低く、農村部に行くほどに顕著です。厳しい生活をされている方々に少しでも寄り添い、共に支える関係を作って行きたいと思います。今から訪問が楽しみです。日々、応援頂き、有難うございます。(完二)

6月の学習会でお話をいただいたくるみざわしんさんの芝居「同郷同年」を観に行きました。幼い頃から共に育った3人が、放射能廃棄物の最終処分場の誘致をめぐり、賛成し、反対し、立場を変えて揺れ動く。それぞれに村を思い、自分たちの暮らしを守りたいと思いながら、違う道を歩み、責め立て合い、それでも思い合っている姿。国策や交付金依存の怖さと根深さを感じました。「事故は首相が収束宣言を出したから収束したんだ」「また事故があっても首相がまた収束宣言する。時間がたてばなんでもおさまる」という皮肉。アフタートークでは最終処分場の文献調査に応じた寿都町での住民分断の話があり、沖縄での基地反対をめぐる分断も想起されました。代々その土地に暮らし、これからも暮らしていく人々を、国が札束で翻弄している理不尽さを感じます。(早苗)

有難いことに、使命に心を熱く燃やし、命懸けといっても大袈裟ではないほど精力的に活動されている80代の大先輩方との出会いが続いています。伊江島で阿波根昌鴻さんの非暴力の精神を引き継がれている“命どぅ宝の家”の謝花悦子さん。作家で人権教育研究家の伊波敏男さん。14歳でハンセン病を発症され、壮絶な人生を力強く切り拓いてこられました。在日コリアン3世の宋富子(ソンプジャ)さん。差別され、生まれてきた命を呪いながら、立派な“日本人”になることを目指して必死に生きてこられたそうです。31歳の時に日本の侵略の歴史を初めて知り、衝撃を受けられたそうです。それから歴史を猛勉強され、民族の誇りと人間の尊厳を取り戻し、現在は川崎の桜本に在日コリアンの歴史を伝え、多文化共生を目指す歴史ミュージアム建設のために奮闘されています。他にもお伝えしたい方がたくさんいらっしゃいます。敗戦間際に生を受け、差別や偏見、貧困に苦しみながら生き抜いてこられた先輩方は、まっすぐと、あたたかく迎えてくださいます。この宝のような出会いから生き様を学ばせて頂き、差別や偏見のない社会にしていかなければと強く思います。(百合香)

近頃、いかに私たちがメディアの報道やSNS上での言論に思想や感情、人格を形成されているかを痛感しています。つい先日は、ある一つの告発報道によって、世論に養護されていた側と批判されいて側の立場が一夜で逆転したことがありました。新たな事実によって世論が変化することは必然ですが、SNS上での感情の転換の早さに怖さを覚えた出来事でした。また現在は様々なSNSが生まれ、必要な情報や答えがとても短い動画でまとめられ、考える時間すら与えないようなものも多くあります。そういった時代の転換もあり、「Z世代は自らで考えない」「指示待ちが多い」と言われてしまうのだと思います。一つのネットニュースや動画などで短時間で物事が分かり“便利”である一方、自らで情報を集め追及し、疑念を持ちながらも深めていく力は必要なくなる時代となってしまいます。その先は、デマを信じヘイトとなり、虐殺や戦争にまでつながることもあると私は思います。想像力を持ち、時間をかけて様々な情報を均等に集めていくことは暴力に抗する一つの作業です。私はどのようにしてメディアと付き合い、自らの思想を形成しているのか、改めていきたいと思います。(萌)

9月

東日本大震災の被災各地を回り支援を続けてきました。ひんぱんに通った宮城県石巻市、児童74人と教職員10人が津波に流され震災遺構となった大川小学校に7月、行きました。最初に行った時から、何故裏山に逃げなかったのかとの疑問が頭から離れませんでした。現地に行ったなら多くの人がもつ疑問だと思います。遺族の方達が真相究明に取り組まれても埒があかず裁判に訴えた、その経過を伝えるドキュメンタリー「生きる」を観て、何冊かの本も読みました。今回はガイドをお願いし、ご遺族の方に詳しい説明を伺い、数々の疑問もぶつけて、根底にあるものが見えてきました。この事件が大災害で起きた不幸な事件ではなく人災であること。真相を究明し、責任を明らかにして反省し、再発防止に努めるより、管理する側の人間が情報の隠蔽、改ざんをしてまで保身に汲々としていたこと。このような問題はどこにでもあり、いつでもどこでも起こりうると感じました。逃げる時間はあったのに、教師の指示をひたすら待ち犠牲になった子ども達、裏山に逃げようと言いつつも結果的に一緒に亡くなった教職員達の無念を考えると教訓として生かさなければと思います。(春代)

8月末、久々に陸前高田で椿を植樹した土地の草刈りを、百合香さんと実施しました。横浜からだとなかなか草刈りに行けずですが、年3回は最低限必要です。草が伸び始める5月から6月、暑くなり勢いづく7月から8月と秋という具合です。今年は、特に暑く、盛岡から来てくれたボランティアさんが6月、お米農家さんを中心とするアグリ笹森さんが7月に応援してくれました。そして私たちで8月でしたが、葛のつるが伸びる、伸びるで、なんとか最低限のことしかできませんでした。搾油とチョコ製造の工房の土地を貸して頂いている松野さんも、周辺の草刈りのお手伝いをしてくれたお陰で、なんとか体裁を保っている感じです。来年は、もう1回は必要と思います。昨年は、途中で雨が降り、車がスリップ(4駆でないとダメですね)して宿泊先から助けてもらいました。今年は、百合香さんが指に怪我を負ったりして、宿泊先や工房のスタッフから、草刈りの応援するよ、とか、温泉、特別に入って汗ながしてから横浜に戻ったらと温かい声をかけて頂きました。お陰様で、椿の木も元気に育っています。(完二)

沖縄・伊江島のわびあいの里にお手伝いに伺うと、樹木の枝切りを頼まれることがよくあります。え〜!こんなに青々と元気に茂っている枝を切るなんてもったいない!と思いながら、バッサバッサと切り落としていると、毎回連想するのは原稿を短くする編集作業です。例えば今号・秋カタログの対談は、若者3人の生き生きとしたやりとりが10500字もあったのに、割愛して4700字ほどに縮めました。手をつける前は「一体どこを削れというのだろう」と途方に暮れるのですが、心を鬼にして整理していくとアラ不思議、無造作に伸び放題だった枝葉がスッキリして、幹の向きや枝ぶりが見え、風通しも良くなり、スリムになっただけでなく、ここから新たな芽吹きが始まる予感すらしてくるのです。剪定って大事ですね。とはいえ、闇雲に切ればいいわけではないので、成長を促し、見栄えもいい剪定(編集)ができるよう、心して精進してまいります。(早苗)

先月末、完二さんと陸前高田の椿畑の草刈に行ってきました。カンカン照りの太陽の下、汗まみれになり、ビショビショに。ツルがからまった木の中に入り込みながら刈り、草土まみれに。完全防備のつもりでも、虫にあちこち刺され、痛かったり、痒かったり、むずむずしたり。フラフラになりながらも、ガーっと作業して、その後のシャワーの爽快なこと!!ごはんの美味しいこと!!しかし、同時に頭をよぎります。「汗水垂らして、鍬一本で開墾し」「戦禍を逃れて、山の中を逃げまどい」という、昔の厳しい生活を語る常套句のような言葉たち。伊江島の反戦平和資料館で触れた、土や血が着いたままの当時の衣服たち。飲み水も十分ではない中、体の汚れを落とすことなく、色んなものにまみれたまま、空腹に耐えながら、着のみ着のままむしろで寝る日常に、真夏の草刈後の、体にまとわりついた気持ち悪い感覚が重なりました。迫りくる「恐怖」や「不安」に晒されていない中での感覚ですし、実体験の数千分の1にも及ばないとは思いますが、それでも、学ぶことによって、色んな場面で少しでも想像力を働かせて、言葉にならない身体的感覚を身に刻んでいきたいと思いました。(百合香)

脚本家の宮藤官九郎がつくるドラマが好きで、「離婚しようよ」というドラマを観ました。離婚をしたい女優と政治家の夫婦の話なのですが、もう一つのテーマが選挙!!制作の上で、政治記者や選挙ライターの方々からも詳しく聞き取りをされたとのことで、地方での国政選挙はこんな感じなんだ~、これはあの元首相が元ネタになってるな?と思えるくらい、現実に基づきながらコミカルに描かれていてとても愉しく観れました。ドラマを観ながら選挙や政治の存在が自然と近くなる感覚があると、友人にもおすすめしやすいです。様々な媒体が政治を面白く、日常に溶け込ませる形で世に放ってくれることは大切だなと改めて感じました。(萌)

8月

7月末、悲しい知らせが届きました。カカオフレンズツアー参加者にいつも戦争中の体験を話してくださった沖縄県大宜味村の平良啓子さんのご逝去の報です。多い時は年に4回くらいお会いし、今年も2、3、5月にお会いしたばかりです。88歳とは信じられないくらいお元気で、ご家族の中での自分の役割とテキパキ家事をこなされていました。平良さんは9歳の時に学童疎開で乗船した対馬丸が米軍の潜水艦の魚雷に撃破され海に放り出されました。数日間、海上を漂い奄美大島に流れ着いた数少ない生存者です。身元が分かり、半年後に戻った沖縄で沖縄戦を体験されました。戦後、小学校の教員となり、子ども達に戦争の恐ろしさ、平和の尊さを体験を通してずっと語られてきました。今年の5月連休には9歳の孫娘を伴いお話を伺いました。机から身を乗り出し2時間近く、じっとお話を聴いていた孫は強い衝撃を受けたようで感想を聞くと「言葉にならない」と言いました。大宜味村憲法九条を守る会の代表でもある平良さんは「この頃はまたおかしな状況だから、何かしないといけない」と、沖縄が再び戦場になるのではと危惧されていました。平良啓子さんは平和を守るために最期まで闘われました。どうぞ安らかにお眠りください。啓子さんにお会いできてよかった。ありがとうございました。(春代)

今年も、中等教育統一試験SEEの成績(10年生卒業)が発表されました。同時に、その後の高等教育支援の奨学候補生が、カンチャンジャンガ紅茶農園、そして、東ネパール平野部に住むキサン民族の子どもたちから届きました。入学試験の準備もあるので、奨学金を出せるか否かの判断も時間との勝負です。ひとりでも多くの子どもたちが自立への道を歩むことを願っています。それでも、厳しいご家庭の子どもが多く、何度受けても、学校の卒業試験が通らない子どももいます。今回は、貧困故に、両親が早くなくなり、妹2人と共に残された子がそうでした。現地コーディネーターと共に、なんとか仕事の機会をと頭を悩ませています。(完二)
少し前に耳にした「怒りは敵を煽り、敵にも力を与える」という言葉が印象に残っています。確かに怒りや憎しみは自身の闘う力になりますが、相手にも対抗する感情が生まれ、抑えつける口実を作ります。そしてそれぞれが自分こそ正義だと思い込み、暴力を正当化するのでしょう。なぜ非暴力で闘う必要があるかを一言で伝えてくれているようです。沖縄で基地反対を訴える若者が、「争うよりも愛しなさい」を平和集会のスローガンとしたのもそんな気持ちからでしょうか。そう考えると、戦後すぐから「相手の悪口を言わない」「武器と思わせるものを持たない」「大声を出さない」
を陳情規定としてきた阿波根昌鴻さんの哲学と行動は本当にすごく、今私たちは改めて学ばなければならないと思います。(早苗)

皆さま、体調はいかがですか?強い日差しや、クーラーの冷んやりした空気にさらされて、疲れがたまってくる頃ですね。食欲も落ちてしまいますよね(←私は最近食欲UPで困っていますが^^)。そんな時におすすめなのが、「はちみつイオン水」!ご存知ですか?私は初めて作ってみたのですが、とっても簡単で美味しくて、感動しました。その上、材料は全てネパリの商品にあるではないですか・・・☆!レシピはとっても簡単。お水約350mlに、はちみつ大さじ1、お塩小さじ1/4に、お好みで柑橘果汁を混ぜるだけ。もちろん、栄養豊富なチウリはちみつに、ミネラルたっぷりの屋我地島の海塩、シークヮーサー果汁で作りましたよ。体が欲する美味しさです◎はちみつは胃腸に負担をかけずに素早くエネルギーに代わり、お塩で塩分も補給できて、疲労も回復。まさに天然の栄養剤。自然の恵みに感謝して、健やかに夏を乗り切りましょうね!(百合香)

9月23日(土)に開催するつなぐつながる学びの会のゲスト、杉山春さんの著書「児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか」を読みました。家庭内での児童虐待事件が起こると、どれだけ残酷な親であるかが繰り返し報道されることが多いと感じますが、“加害者”である親に共通しているのは「生真面目さ」であると杉山春さんは言われていました。選択的夫婦別姓を巡る論争や、子ども家庭庁の新名称問題からも考えられる通り、「こうあるべき」という家族や母親、父親象がこの社会にはあり、その社会規範から外れぬよう必死に「良い親」であり続けようとする生真面目さ。そしてその「良い親」でいられなくなってしまった時に逃げる場所もなく、助けを求める先も分からず…。とても苦しい社会に今生きているんだと感じました。児童虐待の問題に関わらず、「自分が苦しいのは自分のせいだ」という息苦しさを社会全体から少しでもなくせるよう、社会が何を強いているのか、その社会づくりに加担してしまっていないか、学んでいきたいです。(萌)

7月

先月も秋田県大館市の「花岡事件」のことを書きました。アジア太平洋戦争末期、日本国内の労働力不足を補うために閣議決定で、中国から4万人近い人々を強制連行し奴隷労働をさせ、多くの人々を凄惨な死に追いやりました。その労働現場の一つ、花岡鉱山での労工達の一斉蜂起が花岡事件です。毎年6月30日に大館市主催で中国人殉難者慰霊式が行われます。6月23日の沖縄慰霊の日に向けたイベントや7月2日に秋冬カタログの撮影もあり、長い移動距離や自分の体力を考えると今年の参加は難しいと諦めていましたが、コロナ禍で4年間、中国からご遺族をお招きできなかったが今年はお迎えできると聞き、やはり、どうしても参加したくなりました。29日にはNPO花岡平和記念会と2023.6.30実行委員会によるフォーラムがあり、林伯耀氏の基調講演やご遺族の方々の証言もお聴きできました。大館市は事件40周年の1985年から6月30日、中国人労工たちが蜂起した日に、その日以外に亡くなった方たちも合わせて419名のお名前を刻んだ碑の前で慰霊式をしています。追われて山に逃げこんだ労工たちを山狩りして鎮圧した警察など、およそ2万人の中には地元の消防団や自警団、一般市民もいました。殺害にも加担しています。そのことへ深い反省とこれからの平和のため日中友好のため、大館市はこの事件を風化させてはいけないと、加害の事実と真摯に向き合い続けています。(春代)

今年も、ネパールの中等教育修了試験SEEの発表時期となりました。現地コーディネーターが進学希望者とその結果の確認作業に入りました。円安と物価高で高等教育支援の奨学金財源も大変厳しくなっています。実質的には、円安により例年の2割減です。一方で、生活の厳しいご家庭の支援が増えているのも事実です。明るい材料も幾つかあります。
コーヒー村のシリンゲ協同組合が若者中心に若返りそうです。まだまだリーダーシップを取るには経験が必要ですが、これから徐々に一つひとつ課題をクリアしながら共に歩めたらと思います。又、服作り、ハンディクラフトでお世話になったマヌシとは、小規模ローンを通じて、女性たちの経済的自立をする活動があるので、その女性たちとスパイス生産の分野で協働することができないか、を目的に、スモールプロジェクトを始めました。これにも、シリンゲの若者が協力してくれています。これからも、応援、宜しくお願いします!(完二)

翻訳家・平野卿子さん著『女ことばってなんなのかしら?「性別の美学」の日本語』という本を読みました。その中の、そもそも日本語とは?の章で、日本語は主語がない(誰がやったのか言わない)、主観的(事実より感じたことを語る)、遠回しに断る(はっきりいわない)、自動詞を好む(「ランチにコーヒーをつけない」ではなく「ランチにコーヒーがつかない」というように、自分がやったのではなく自然にそうなったかのようにいう)、受け身を好む(自分ではなく相手のせいにする)。おや、これはまさに、戦争責任も原発事故責任も軍事力強化の根拠もうやむやにして、仕方がなかったことにする過去から現在の私たち日本人の特性をあらわしているではありませんか。著者も、西洋語と日本語は、「男性的」「女性的」(といわれる)言い回しの対比に似ていて、女ことばをつかわない日本の男性たちもこの「女性的な」言い回しを使って国を牛耳っている、「女性的な」言い回しをやめてきちんと自己主張しないと、と言っています。日本人の特性が日本語をこうさせたのか、日本語で思考するから日本人がこうなったのか、鶏と卵のようですが、興味深いです。(早苗)

一人デモを続けられている、元原発技術者・小倉志郎さんから送られてきたメールに唖然としました。6月26日、東京高裁で開かれた「女の会」の「安保法制違憲訴訟」で、Tシャツに「NO WAR」という文字が入っていることを理由に傍聴希望者が入廷を禁止されるという事態が起きたそうです。警備員が、Tシャツを脱ぐか、裏返しに着るかしないと傍聴できないと言ったそうです。理由は、「メッセージ性があるから」「裁判長の判断だ」と。さらに、虹色の靴下や、「忘れない」の文字が入ったTシャツも止められるなど、他の裁判でも同様のケースが頻発しているそうです。信じられますか・・・?ごく当たり前に、平和を願う言葉ですよ?平和を表す緑の服もNGになるのでしょうか?何の根拠もなく、ここまで言論と表現の自由が侵害されていることに怒りと恐怖を感じましたが、それほど、私たちが自分たちの考えを表現することを、国は恐れているんだということに気付かされました。私たちが思う以上に、私たち一人一人の自由な表現には力がある!私たちの力を信じて、どんどん表現していきましょう!(百合香)

年末から通いはじめた自動車学校を無事に卒業し、自動車免許を取得することができました!働きはじめて5年目にして、私も自動車を運転できる立場になれたことがとても嬉しいです。きっと私は運転が得意な方ではないと思うのですが、働く上で自らの世界が変わりました。働きはじめてからすぐにコーヒーの焙煎発注の担当をさせてもらいましたが、発注のタイミングにあわせて、生豆を倉庫から事務所に自分で運ぶことが出来ず、スタッフ間で依頼をしていたものが、生豆を運ぶところから自分の仕事ができるようになる。陸前高田や野田村、カタログ撮影のための軽井沢への移動も、ただ乗っているだけではなく自分も運転する立場としてその場にいられる。運転をするという立場は責任重大ですが、できることが増えた今はとても嬉しいです。安全運転でがんばりたいと思います!(萌)