暮らすように働く 2022
ネパリスタッフが、日々働きながら感じることを思うままに書いています。
12月
11月10日に福島県双葉郡と飯舘村に行ってきました。事故後、飯舘村や浪江町には何度か行きましたが、東京電力福島第一原子力発電所がある双葉町と大熊町は初めてです。まだ事故の収束の見通しも立たず空間線量が高い地域で、帰還困難区域と一部の来春解除を目指す特定復興再生拠点区域がまだら模様のようになっています。それは、通行禁止と遮断されている道路まで行かないと分からず、道路は封鎖できても、空気には壁を作れないので、つながっているのになぁと横目に見ながら通りました。津波で亡くなった大熊町の当時小学一年生の木村汐凪(ゆうな)さんをずっと探し続ける父親の紀夫さん。津波の後、避難命令が出て、その後も長期間帰還困難区域になり、捜索はなかなか進まず、これまでほんの一部のお骨やランドセルが発見されただけでした。沖縄戦遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんの遺骨収集に昨年4月に同行、具志堅さんとの交流が始まりました。そして、汐凪さんを一緒に探そうと今年の1月1日、具志堅さんは大熊に。そして2日、ほとんど欠けることなく残った大腿骨を発見しました。体で一番大きな骨だそうです。今、この国は原発の稼働年数を延長しようとしています。一番安易で最も危険な選択です。壊れるまで稼働するんだなと思いました。福島第一原発だけでは足りず、何基も事故を起こさせるつもりなのだと思うと、その無責任さに怒りを禁じ得ません。阻止できるのは今を生きている私たちです。(春代)
今年も、とうとう1ヶ月を切りました。コロナが流行する前は、例年、年末から年始にネパールを訪問、生産者の皆さんへのご挨拶や、養護施設や奨学生のホームビジット、学校や仕事場訪問をしていました。久々に、年末にかけて行って参ります。遠方まで足を延ばしたいところですが、時間的制約もあり、少しゆっくりとしたペースで行動をしたいと思います。初日は、クリスマスの日。早朝に、ソマンアカデミーという私立学校の宿舎でお世話になっている養護施設の子どもたちに会いに行きます。その後、生産者の方々を訪問しながら、翌日から東ネパールに飛行機で移動。多くの奨学生が学んでいる地域へ伺います。この時期、霧が発生して飛行機が遅れたり、キャンセルになったりのハプニングが多々起こります。今年は、スムーズに進みますように!詳細は、年間報告書でお伝えできればと思います。いつも支えて頂き有り難うございます。良いお年をお迎え下さい。(完二)
雑誌で紹介されていた「東京原発」という2004年の映画をビデオで観ました(ネット配信で便利になりましたね)。都知事が、都庁の隣の公園に原発を誘致しよう、交付金が得られるし、長い送電線がいらないし、熱を利用できるしと言い出す…実際は危険な原発建設を本気で進めるなら享受している東京に建てるべきだという問題提起なのですが、地震への脆弱さ、放射性廃棄物の処理問題、原発に集中するエネルギー研究開発予算等説明し、国への皮肉もいろいろ。有名俳優陣出演なのに、当時上映館を探すのが大変だったそうです。あれこれ起きた最後に、副知事「こんな事件が起こったんだから原発反対運動は黙っていても起こりますよ」知事「甘いな。こんなことで無関心な東京都民が動くと思うか。人間は過去のことはすぐ忘れる。終わったことには関心がない」…う~、その通りです!福島の事故から10年しか経っていないのに、原発再稼働、期間延長、新規建設が進められようとしているのですから。(早苗)
久々に出展したグリーンマーケット。一人の高校3年生との出会いが印象的でした。「活動している人にこんなことを聞いていいのか分からないのですが」と前置きをされて“フェアトレード ”に対する疑問をぶつけてくださいました。日頃から問題意識、批判精神をもって学ばれていることが伝わってきました。私たちも“フェアトレード”という言葉のみがもてはやされ利用される背景には多いに疑問を感じているので、そこから色々な話になり、「一人ひとりが大事にされて、対等であることは当たり前のことなのに、それを目指すことが特別なことであるのはおかしい。こんな社会にしてしまって本当に申し訳ない。あなたが社会に出るまでに、もう少し良い社会にします。ごめんなさい」と言うと「何でこうなってしまうんだろうと思っています。お願いします」と頭を下げられました。ぶつけようのない怒りを感じました。若者に直接、お願いしますと言われたのは初めてで、今まで自分が言ってきたことがあまりにも軽く感じられてショックでした。誰もが将来に希望を感じられて、活躍できる社会の下地を、私たち一人ひとりの足元から作っていきましょう。2023年こそは、その始まりの年にしましょう。(百合香)
「来年こそはもっと明るい年にできるように…!」と年末には毎年考えているのですが、2022年は2021年と比較してどうだったかな?と振り返っています。防衛費の爆上げ、原発の再稼働・運転期間の延長、反省せず同じ言葉を繰り返す政治家たち…。少し振り返るだけでも明るい1年だったとは言い難いですが、でも、大きな社会よりも自分自身に焦点を当ててみると、「あれ?敵基地攻撃能力を保有することが、本当に(戦争をせず)日本を守ることにつながるのかな?」などと、以前と比べて一度立ち止まって考えられるようになったことは一つ成長したことだと感じています。大きな権力を持った動きは目まぐるしく、時には私たちの知らないうちに水面下で進んでしまいますが、「私たち国民はいつも見ているぞ!」という姿勢を忘れずにいたいです。(萌)
11月
美味しい新米の季節になりました。今年も品質の高いお米を収穫でき、アグリ笹森さんの稲作カレンダーの1年が無事終わります。本当に有り難いことで感謝しながら味わっています。このように毎年、当たり前のごとく美味しくいただいていますが、農家さんとの関係が深まるにつれ、お米だけでなくこの国の農業はどうなってしまうのだろうと危機感がつのります。食料自給率の低さは食の安全保障を脅かし、なんとかしなければと思いますが、農家さんの高齢化と後継者不足という現状は将来の見通しを暗くします。農業をしたいという若者、農業に夢を抱きやり甲斐を感じる若者に出会うととても嬉しくなります。若い人たちが農業を継続できるようにするために何ができるのだろうか。待ったなしです。考えつくどんなことでも、できることから始めましょう!(春代)
年末に久々のネパール訪問を予定しています。コロナの影響もあり、ネパール行きの航空券手配がかなり面倒でしたが、最近、タイ国際航空の姉妹会社がバンコックとカトマンズ間のフライトを再開したようです。次回から航空券の予約が楽になりそうです。ネパールのホーム支援は、2箇所でしていますが、子どもたちは元気とのことです。再会が楽しみです。東ネパールのインド国境に近い養護施設、スワボーダケンドラでは、台所や屋根修復の支援もして来ました。屋上に壁がない状態で危険なので、その修復もすることになりました。奨学生では、目的のコース(電気工事)を終えて、警察官になったとのニュースが入って来ました。電気設備を担当するのだそうです。制服を着て、お父さんと映っている姿、なんと微笑ましいのでしょう。生産者の方では、シリンゲコーヒーの組合代表をしているバドリさんが重体との一報。彼とは長い付き合いになります。当時は、車で行けるところから山を3つ超え、徒歩で8時間前後かかる村でした。欧米の国際協力機関から派遣された人が訪問することがあり、その時に足の怪我を負うという事故がありました。その方を背負って車の所まで運んだことが自慢の一つでした。昨今、彼も70歳を超えてからは、あっちこっちと病気をされて、突然に入院、重体だという情報が入りました。常に厳しい生活環境に置かれた彼の人生、良くなることを願わずにはいられません。(完二)
少し前に、辺野古で闘う方々を揶揄する映像を某有名人がSNSに流し物議を醸しました。気持ち悪くなりそうで見ることができず、「反論の場に同席したがあちらの土俵に乗ってしまった」等々こちらの方々の口惜し気な振り返りを見るばかり。見てないものを言う資格はないので、ここからは一般論です。本当の大物は驕ることなく、歳下や部下の言葉も敬意を持って聴き、間違いがあれば臆せず謝れるものかと思います。自分より立場の弱い人を叩いて傷つけて(パンチダウンというのですね)得意げにする人は、どんなコンプレックスで、何に蓋をして自身を飾り立てようとしているのか。安易に「いいね」をする人もそのカッコ悪さに気づいてくれるといいのですが。(早苗)
10月の一言で、横浜市内の小学校で、フェアトレードを通して世界の問題を自分事として学ぼうと地道に活動されている先生がいらっしゃることをお伝えしましたが、またまた嬉しいことがありました。先生は別の学校に移動されたのですが、小学6年生の十数名が自ら学びを続け、横浜市のイベントで発表する機会を得たのです。発表の場にご招待頂き、参加してきました(ありがとうございました!)。厳しい環境で生きている世界の子どもたちに、自分の家族や友人のように心を痛め、自分たちにできることをしようと一生懸命訴える姿に感動しました。発表から「フェアトレードとは、一人ひとりが力を発揮できる場所をつくること」というメッセージを受け取りました。緊張の舞台で、自分自身にチャレンジしたみなさんが社会に出るまでに、多様な個性や力が発揮できる、生きやすい日本社会にしなければと心に誓いました。(百合香)
福岡県の太宰府すぐ近く、二日市保養所跡地に行きました。祖父母の家の近くにずっとあったけれど、大人になってからも知らなかった場所。春代さんから、鈴木政子さんの「語らなかった女たち」という本をお借りしてから、いつか行きたいと思っていました。二日市保養所は、満州からの壮絶な引き揚げをされた方たちの中で、ソ連軍からのレイプ、自らの開拓団を守るための性接待などによって望まぬ子どもを授かった女性たちのために、当時は違法だった中絶手術が行われていた場所です。命からがらやっと日本に帰れる引き揚げ船の中で、この身体では祖国に帰れないと海に飛び込みまれる女性もいらっしゃったといいます。無事に帰国をされても差別を受けられ、何十年もその史実はタブーとされてきました。何層にも重なる被害と差別の構造に、本当に悲しくなります。教科書では教えてくれませんでした。そもそも日本がはじめた戦争。日本が中国から奪った土地。満蒙開拓団の方たちを盾として国境沿いに移住させた国策。日本の国策は、過去も今も、誰を守るためのものなのかが本当にわかりません。被害者にならないために、加害者にならない。そのために歴史と共に、史実も学ばなねばと思います。保養所跡地の水子地蔵を目の前にどう気持ちを寄せればよかったのか、そう簡単にはわからず、ただ座って時間を過ごしました。(萌)
10月
沖縄の辺野古新基地建設に反対する市民が、米軍キャンプシュワブのゲート前で座り込みを続けて9月22日で3,000日になり、普段に増して集まった140人が9時、12時、15時と3回の土砂搬入の阻止行動をしました。市民に倍する機動隊に阻まれ退けられても座り込む市民たち。翌早朝、友人から送られた新聞記事の『本土復帰して50年。いまでも県民が闘い続けている。このことに本土側が応えないと現状は何も変えられない。子どもたちに沖縄の実状を伝え続けたい』大阪から駆けつけた中学教師のこの言葉が突き刺さりました。先日の知事選でも辺野古新基地建設反対を訴え続ける玉城デニー知事が再選され、沖縄県民の民意は明らか。感情論ではなく、軟弱地盤の上に専門家も警告する震度1でも崩れるおそれのある活断層が通る辺野古新基地予定地は、計算できないほど莫大な税金を投入しても完成は不可能です。他の場所ならよいわけではありませんが、なぜこの場所にここまでこだわるのか。「聞く耳」を全く持たぬ市民弾圧は沖縄だけの問題ではなく、抵抗を沖縄だけに押しつけ続けている現状を変えないと次は我が身です。(春代)
ネパールは、10月5日からダサインという日本のお正月のような重要なお祭り(祝日)が始まります。温暖化で、以前だと秋晴れの良い天気になる頃ですが、まだ雨模様の日が多い昨今です。明日からダサインが始まるという時に、突然、シリンゲコーヒー生産者の一人、ユブラジ君から連絡が入りました。なにやらセミの鳴き声はするし、人々の話し声がします。2年ほど前に、コロナ禍で彼のお姉さんが泥酔した夫に殺されるという悲劇が起きました。その1年ぐらい前には、お母さんが心臓を悪くしていて、治療の甲斐無く他界されています。お父さんも病気がちです。嫁いだ一番上のお姉さんが、娘さんを連れて実家に戻っていました。夫に殺されたお姉さんの一人息子は、ユブラジ君家族(ユブラジ君とそのお父さん)と暮らしています。和やかに笑顔で話している姿をみて、私たちも嬉しくなりました。良い1年になりますように!(完二)
半数以上の反対があっても止められないまま国葬(儀?)が行われました。民主主義っていったい…?友人代表の弔辞は、なんて薄っぺらな!と思ったのに、野党まで絶賛してるって、ホント?!「ボク、こんなにやりましたよ、ワンワン」っていう身内向けの自慢話としか思えないのに…。曲がりなりにも国税で行うのだから、「丁寧な説明をしていきたい」といいながらしてこなかった実施の理由が伝わるような、反対している人も「そういうことなら国葬の意味もあるか」と思えるような、そんな弔辞を(できるものなら)してほしかったと思ったのですが。やったもの勝ちで終わらない
よう、忘れずに今後も注目していきたいです。(早苗)
とても嬉しい再会がありました!横浜市内の小学校で、子どもたちが、世界の問題を自分事に感じられるようにと、フェアトレードを通した活動を長年地道に取り組まれている先生がいらっしゃるのですが、教え子が高校生になり、学校のプログラムを通して事務所にいらしてくださいました!なぜずっと気にかけてくれていたのか伺うと、「自分が知っていたら、一人の人には伝えられるかなと思って」と。素直な言葉にはっとしました。たった一人でも、出会った人に伝わるあたたかな言葉と気持ちを大事にして、みんなが一人に伝えて、輪を1mmずつでも広げていくことが大事だなと思いました。蒔いた種は、確実に芽が出て、これからぐんぐん成長していくんだなと嬉しい気持ちになりました。(百合香)
「被害者にならないために、加害者にならない」。沖縄で平和学習講師をされている22歳の仲本和さんの言葉がとても心に残っています。9月25日に沖縄県が主催した「若者と考える米軍基地と沖縄の未来」というシンポジウムに登壇されていた仲本さんは、沖縄外から来られる修学旅行生対象に「沖縄戦跡や基地のガイド」や平和学習を企画されています。「平和な社会に生きたい」と願う気持ちは誰であっても同じだと想像するのですが、戦前であるかのような政権の動き、そして沖縄への変わりのない構造的暴力がなめらかに続いている現実をみると、平和を望む気持ちとなぜここまで乖離してしまうのだろう…と思ってしまいます。そんな時に、仲本さんが言われた言葉がアジア太平洋戦争をとても端的に表していて、はっとさせられます。戦争を体験された方々から直接お話を聴くことも難しくなり、両義性のある戦争を被害側しか伝えない教科書が”知識”としてより主軸になってしまうのではと不安になりますが、仲本さんが言われた言葉は、まずは歴史を学ぶこと、その上で被害者にならないために、自分たちの暮らしの中でどんな選択を積み重ねていくべきなのか、その軸になってくれる言葉だと感じました。(萌)
9月
明治維新からアジア太平洋戦争敗戦まで77年。敗戦から今年で77年。同じ年月ですが、前期は戦争につぐ戦争。神国日本は負けないはずが最後は一億総玉砕を叫び、避けられたはずの多くの犠牲をだし、傷を深めるだけ深めてようやく終わりました。それからの77年は、その犠牲の上につくられた平和憲法に守られ(矛盾は沖縄に押しつけて)、一億総中流と言われた時期があるほど戦前とは比較にならない豊かで自由な社会を享受してきました。77年経った今、戦争の悲惨さを骨身に染みて知る世代が次々に退場し、戦争を知らない世代がほとんどです。強い不安を抱くのは私だけでしょうか。政治の世界でも、教育の世界でも、戦争だけは絶対に二度としてはいけないと強くけん制してきた世代が減るにつれ、戦争準備は着々と進んでいます。これまでのように自分のこと、目前のことだけを考えていてもなんとなく生きられる時代と違うはずですが、私を含め戦争を知らない世代の危うさは自分が何かしなくても平和はあると思い、戦争なんて“馬鹿げたこと”が起きるはずがないと安易に信じていることではないでしょうか?教えてくれる先輩たちがいなくなったら自分で考えるしかありません。どうしたら戦争をしない国にできるかを。(春代)
9月になると、奨学金候補生の声が聞こえてきます。私たちの奨学金は、ネパールで、生活がより厳しい家庭環境にありながら学びの希望がある子どもたちに優先して出しています。その中心は、遠隔の地であるカンチャンジャンガ紅茶農園の子どもたちですが、その子どもたちが高等教育を受けるために、可能であれば都市部で住み通います。そこにも、より厳しい家庭環境の少数民族が住んでいて、私たちが、この高等教育支援を始める前は、高校に進学したのは、その民族の歴史上1名という状態でした。その子どもたちへの支援も続けています。昨年は、11名、今年は9名の候補生が予定されています。年末は、そのご家庭を訪問もすることにしています。フェアトレードを続けているからできることに感謝でいっぱいです。(完二)
8月に伺った沖縄・伊江島のわびあいの里で購入した本「戦場が見える島 沖縄」(嬉野京子著)を、寝て帰るつもりだった飛行機の中で一気に読みました。アメリカ統治下の沖縄の惨状を伝えようにもジャーナリストには渡航許可が下りず、渡航できても「カメラを持ち込んだら命の保証はない」と税関窓口で言われる異様さ。目をつけられて伊江島で拘束されそうになり隠れて漁船で島を脱出、多くの人の助けを受けて那覇空港を飛び立て、自分は逃げ帰ればいいが、沖縄で闘う人たちには逃げ場がないと涙。島の人が伝えるのとは違う視点からその壮絶さが伝わってきました。阿波根昌鴻さんも重視していた「写真に残すこと」の意味、危険な地域に入り命を懸けて情報を伝えるジャーナリストの存在がどれだけ重要かを改めて感じました。(早苗)
私は国葬に反対です。只でさえ不平等・不公平で生きにくいのに、命尽きてもなお、その人の功績(国にとっての)に優劣をつけられるのは、何て悲しい社会なんでしょうか。国葬、という言葉を聞く度に、ハンセン病療養所・沖縄愛楽園内にある納骨堂を思い出します。国がとった強制隔離政策のため、らい予防法が廃止されてもご遺族が引き取りに来られないご遺骨がたくさんありました。映像で見た、満州からの引き揚げの途中に命尽きた方を土葬した、盛り上がった土も思い出します。国が始めた戦争によって、大切な命を失いご遺骨も拾われていない無数の命があります。さらに国は、ご遺骨が混じった土を辺野古新基地建設のための埋め立てに使おうとしています。国策で進めた原子力政策により福島原発事故が起こりましたが、行方不明者を捜索できず、未だ見つからない方も多くいらっしゃいます。どの方の命も平等に尊いのではないでしょうか。私たちの命は国のためにあるのではなく、その瞬間、瞬間を、その人らしく生き抜くためにあるのだと思います。(百合香)
「便利になる」とはどういう事なんだろうと近頃よく考えます。電子決済の種類が豊富になったり、年に何度も新型のスマートフォンが発表されたり、ソーシャルログインが一般的になったり。その「便利さ」を知らずとも生きていられた時があるというのに、「便利さ」を知ってしまった後は元の機能を「不便」であったと思い込んでしまいます。色々な場面での物事が便利になり、人の動作や思考はシンプル化しているとも思います。でも、便利になる過程や構造には様々なシステムや企業などが入り組んで複雑だと想像しますし、私個人の情報の所在はどこなんだろう、便利過ぎる世の中はどんな社会を目指しているんだろう、とも想像します。ぐるぐると考える中で、沖縄・伊江島のわびあいの里の謝花悦子さんが言われた言葉をいつも思い出します。「乾燥機付き洗濯機は、身体が不自由で、車椅子生活をしている私のためにあるんだと嬉しかった!」。私にとって必要ではない「便利さ」であっても、誰かの生活の中のが障がいが取り除かれたり、心から生きやすくなったりする方がいることも忘れてはいけないと教えてくれました。(萌)
8月
ネパリ・バザーロはこの8月から31年目に入ります。1992年8月に創業してから30年も経ったとは。それほどの長い年月が経ったという実感がありません。それは、充実していたことの証しでしょうか。活動仲間に恵まれ、お客様とも価値観を共有する同志のように感じられる環境で、やりたいことが次々と現れ、あっと言う間に時が過ぎたようです。もう、若い時のような体力はありませんから、どれだけ動けるか限界は感じますが、知りたいことが山のようにあるので、動ける間はどんどん出かけて行こうと思います。そして、若い人たちの応援をしたいと思います。長い間、ご支援をいただき本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。(春代)
驚異的な円安のなか、コーヒー、カカオが間もなく入って来ます。まだまだコロナの影響で、物流も以前のように円滑ではありませんが、少しは改善の兆しがあります。生産者の暮らしはどうかと言えば、かなりの疲弊が垣間見れて、物流が滞った分、暮らしは大変そうです。シリンゲ協同組合の代表をされていたバドリさんは、高血圧と高血糖で体調が悪く、お連れ合いは、気管支が弱く、息子さんも病気がち、薬を買うのも大変な状況になっています。そのようななか、組合メンバーの女性たちが集まり作業をして、コーヒーを首都カトマンズまで送ってくれました。その分、現金化も早まり、お互いに助かっています。その期待に応えられるように、これからも頑張らねばと思う昨今です。(完二)
新型コロナ流行も3年半となり、今年も各地でイベント再開に悩んでいるようですね。8月初めの横浜の花火大会は開催され大勢の人出だったようですが、同じ県内でもコロナ第7波で急遽中止となったイベントもあるようです。大きなイベントも地域の小さなお祭りも3年開催しないと再度開催するハードルはかなり上がるような気がします。地域のコミュニティや継承してきた文化が変化してしまうようで残念です。(早苗)
7月の野田村訪問では、山葡萄農家の渡辺正敏さんから、満州引き揚げの壮絶な体験を聴かせて頂きました。本を読んだり、春代さんから話を聴いたりしてきましたが、直接聴かせて頂いた言葉はとても重たく、どう受け止め、どう継いでいくのか、その責任をずっしりと感じています。「平和であってほしいんだ」「武器を捨てて、憎しみの連鎖をたちきらなければ」と言われる正敏さんの、心の底からの願いを託されました。「山葡萄の栽培は続けられなくなってしまって、ご縁がなくなってしまうかと思ったけど、こうして会えて、嬉しいねぇ」と言ってくださった時のお顔も忘れられません。お話を聴いた後に見た山葡萄畑は、今までとは全く違った光景に見えました。(百合香)
7月は、私にとって3度目の期末でした。食品から衣類、雑貨まで、全ての商品の数をカウントしていく棚卸の時期でもあります。今年の棚卸の日にはボランティアの学生さんにも来てもらい、商品一つひとつを数えてもらいました。忙しい日ではありましたが、初めて触れる商品たちに「可愛い!可愛い!」と言いながらも、真剣に作業をしてくれてとても助かりました。私はネパリで働き始めてまだまだ3年ですが、データ上の在庫数とカウント数に差異があると、この商品は今年倉庫から久しぶりに動かしたからなぁ…、この商品はあの商品と似ているから何か間違ったか…!?と、少しずつですが原因を推測できるようになりました。少量多品種の商品たちの動きを、この1年少しでも感じられていたかなと思います。毎年あっという間に時が過ぎていきますが、積み重ねていけるように頑張りたいと思います。(萌)
7月
気になっていた映画を観に行きました。「PLAN75」は近未来の日本にこういうことが起こるかもしれないという恐い映画。急速に進む高齢化と少子化で若者にしわ寄せがいき、不満が爆発。長生きは社会の迷惑なのか?若者の夢を奪うのか?国は75歳以上の安楽死を合法化し支援する。すると、経済効果も現れ、さらに対象年齢を65歳まで引き下げようという案も浮上する。全く、有り得ない話でしょうか?一人世帯や身寄りのない人も増えています。年金支給開始年齢は遅くなるし、高齢者に働き場はなかなかない。血縁(けちえん)ではなく結縁(けちえん)。世代を超えて人と人のつながりを結び直す、市民による地域の受皿づくりが急がれるのではないでしょうか。(春代)
コロナの脅威がなくなったわけではありませんが、今年は、久々にネパール訪問をする予定です。カトマンズ近郊の養護施設、生産者、奨学生の皆さんと直接お会いすることも久々です。入荷の方は落ち着きをみせていて、順調です。季節にあわせて、紅茶、コーヒーも入荷、カカオも間もなく入荷します。円安の影響を大きく受けているので、そろそろ落ちついて欲しいところです(厳しい!)。今月は、養護施設の子どもたち支援の7月から12月の定例分を送ります。子どもたちは、元気に暮らしているとのことです。応援を日頃から有難うございます。(完二)
このお手紙を読まれる頃はどんな気候になっているか分かりませんが、書いている今、7月初めは早くに梅雨が明け、この時期とは思えない高温の日が続き、暑さに体が追いつかず、外を歩くだけで疲労困憊です。まだまだ夏は長いのにどうなることやら。こんな時はスパイス料理で栄養を摂りましょう!ネパールカレーのスパイスは、一パック使ってカレーにするのもいいですが、小瓶に入れて炒め物やスープにパパッと振って香り付けするのが最近のお気に入りです。一振りで香りが立って食欲増進です。(早苗)
夏カタログのナチュラルセラピーカカラさんの「触れることやリラックスすることを通して、一人一人の中に争いのない平和な社会が作れると思っています」という言葉は心に響き、お客様からもたくさんの共感の言葉を頂きました。そんな時に長くお世話になっている石川県のお店「al(のっぽくん内)」にお声がけ頂き、萌さんと、お客様にツバキオイルのハンドマッサージをさせて頂くことになりました。早速カカラさんのレクチャーを受け、事務所では春代さん、完二さん、早苗さんに練習台となってもらい、毎日のようにハンドマッサージ。する方も気持ちよく、癒しの時間となりました。そしてのっぽくんでは、素敵なスタッフの皆さまに迎えて頂き(ありがとうございました!)、お客様にドキドキのハンドマッサージ。カカラさんに教わったように、手のひらの広い面で、しっかりお肌に密着させることを意識しました。そして、自分自身がリラックスをすること。こんなにたくさんの人の手に触れたのは初めてですが、相手を信頼し、心を開き、自分をゆるめるその延長に、平和な社会があるんだろうなと思いました。恐怖や不安、憎しみではなく、愛や平穏な心で満たされた社会になるようにと心から願います。これからもハンドマッサージ続けていきたいので、練習台になってくださる方、大募集です(^^)(百合香)
みなさまのお手元に7月のお便りが届く頃には、参議院選挙の結果が出ていると思います。今回私は、人生で初めて期日前投票をして来ました。ただ良い社会にしたいだけ、生きにくいと思うときに、政治が私たちを助けてくれる存在になって欲しい、そのために「一票一揆〜!」と念を送りながら投じて来ました。ネパリの事務所には、2005年に映像文化協会さんがつくられた「命こそ宝 阿波根昌鴻から平和のメッセージ」というカレンダーが飾られています。(伊江島・ヌチドゥタカラの家の館長、謝花さんから春代さんが譲り受けたものなのですが、なんと今年と同じ暦だったのです…!)カレンダーには阿波根さんの大切な言葉と共に、世界や日本、沖縄の歴史の出来事が、1日1日の枠に書かれています。7月11日の枠には「2004年参議院選挙、沖縄選挙区で革新統一候補の糸数慶子氏初当選」と。おお、阿波根さんが、2022年の大事な参議院選挙に向けて私たちにメッセージをくれたんだと勝手に嬉しくなりました。私たち一人ひとりの狼煙、永田町に届きますように!(萌)
6月
アグリ笹森さんの田植えが天候に恵まれ5月下旬、順調に終わりました。これから草取りが大変ですが、特に草が生えやすく手のかかる無農薬米の栽培面積をこれまでより増やしてくださいました。アグリさんとお付き合いを始めて10年近くなります。省農薬米は田植え後にたった1回薬を使うだけで残留農薬の心配も全くなく、安全安心だからそれでと何度も言われるのを、無理にお願いしてなんとか一部栽培していただきました。あれから10年経つということは、アグリの皆さんも10歳年をとられたということです。それなのに、負担の多い無農薬米を増やしてくださるのは…お体、大丈夫でしょうか?精魂込めたお米がお客様に直接届き、美味しいと喜んでいただけてとても嬉しいといつも言ってくださるアグリの皆さん。有難いけれど、細く長く続けてくださいね!皆さま、アグリさんの心意気のうん米、ぜひよろしくお願いします!(春代)
コロナ禍で大変なここ数年のネパールでしたが、それも落ちついて来ています。生産者、奨学金を出している子どもたち、ホームの子どもたち、それぞれに元気にしているそうです。ホームの子どもたちの様子は近々、詳細に様子が届くことになっていますが、環境も大きく変わり、運営の仕方を変えるとの連絡が入っています。奨学金の現地コーディネーターのバラットさんは、大家族で暮らされていますが、先日、お婆さんが101歳でお亡くなりになり、13日間喪に服されたそうです。ホームの面倒をみて頂いている方々、特に、カトマンズ近郊の故ラムチャンドラさんのお連れ合いシャラダさん、そして娘のアニシュマさんは、コロナ感染以後、体調が悪く、通院されていらっしゃいます。息子のベンジャミンさんは、交通事故で大怪我をしましたが、その後、お子さんも生まれ、元気にされています。奨学生を含めた子どもたちは、ホームのアシャさん(看護学校在学中)や、聾唖のご両親の元で生まれたチャンダニさん(商業関係の大学に在学中)等、何人か感染しましたが、ほとんどのケースは、症状もなく、元気にされています。今年はネパールにと思っていますが、以前同様の気軽さまでは、まだ時間が必要なようです。インドで協力をして頂いている有機証明の検査官ジャイさんは、コロナ下でもベトナムなど海外を飛び回っています。(完二)
斉加尚代監督の「教育と愛国」を観ました。教育への政治圧力に焦点を当てたテレビドキュメンタリーの映画化です。始まって間もなく、某元総理大臣が「首長が教育委員会のメンバーを変えることで、あの横浜でも育鵬社の教科書が採用できた」と、私の住む横浜を口にしてビックリ。そういえば以前そんなニュースを聞いた気もするけれど、聞き流していた自分の無関心を反省。それにしても、「従軍慰安婦」や「集団自決」への国の関与を教科書に載せることを、自虐だの、反日だの、子どもが日本を愛せなくなる、自信をなくすだのというのがどうにも理解できません。それは、「だから日本人はだめだ」ということではなく、人間はどうしてそう考えてしまうのか、それを許してしまうのかという、未来のために学ぶべき心理学であり、社会学であり、己の誤りを認め、謝り、次に生かせることこそが本当の強さであり、自分に自信を持ち、自身を愛せることなのに。(早苗)
みなさま、夏カタログはいかがでしたでしょうか?あたたかいお声やご感想をお伝えくださって、本当にありがとうございます。励まされています。今月は秋カタログの撮影、編集が本格的に始まります。商品開発も大詰め!ニットや雑貨は、生産者の方々と最終のやりとり中。ハンディクラフトは常に新しいモノを期待されがちですが、作り手にとっても、私たちにとっても、世に生み出すからにはできるだけ長~~く愛される10年選手になってほしいので、厳選しながら一つひとつ愛情こめて開発しています。この2年半、ネパールに渡航できずにいますが、その分、サンプルの写真を送ってもらって、フィードバックをして、再度サンプルを作ってもらって・・・というやりとりが積極的に進むようになりました。生産者の方々も、私たちも、コロナ禍で簡単に会えないという大前提が共有でき、仕事を得るために必死で何とかしようという前向きな仕事の仕方につながったことは良い成果です。ミランガーメントのフェルトのブローチや、サヌ・バイさんの新アイテムなどなど、来週最終サンプルが届きます。写真では、「おォ!うまくできてる!」ものや、思わず2度見してしまう愛嬌ある表情とか、いい感じのところまできましたが、手元に届くまではドキドキです・・・可愛い雑貨たちが、どこかで誰かに寄り添い、生きる力につながりますように!(百合香)
今月もたくさんの学生さんたちが、ボランティアをしに事務所に来てくれました。「これまでは消費者側でしかなかったけれど、現場の仕事を知りたいと思った」「何か自分に出来ることはないかと思って、2年生からボランティア部に入った」という彼らの声を聞き、とても能動的な学生さんが多い!!と感激。そしてその様な学生さんたちがネパリにつながってくれたことに喜びを感じました。商品に触れてもらう作業はもちろん、お客様へのお手紙のメッセージを書いてもらうこともあります。「どんなことを書けばいいんですか…?」とはじめは不安そうにしていても、みんなで書きはじめると「どんな事書いてる~??」「私部活のこと書いてる!」「(終わりの時間になり)○○さんまで書きたかったー!」と愉しそうに話している姿を見て、書いてもらってよかったなといつも思います。(皆が帰った後に、書いてくれたメッセージを読むのが私の個人的な愉しみです^^笑)「フェアトレード」や「国際協力」に興味を持って来てくれる学生さんが多いのですが、やはり一番共有したいことは、どんなふうに生きていきたい?どんな社会をつくりたい?ということ。生産者の方々やお客様とのつながりを事務所で感じてもらいながら、自然と皆で語り合い、想いや理想、夢を共有できるような時間をつくれるように、私も頑張らねばと思います!(萌)
5月
伊江島のわびあいの里でお手伝いした後、秋カタログ特集でご紹介する久米島の「カカオ」と「戦争」のための撮影に行きました。私は度々の訪問でカカオの成長を見ていますが、久米島は久しぶりのみんなは、阿嘉さんのカカオハウスに入って、背丈をゆうに超えたカカオたちの成長に驚いていました。ちょうど、白い可憐な花もポチポチ咲き始めたところで、感激もひとしおだったようです。沖縄島で大事に育てているカカオから取り木した苗を贈るために来島された久保さんと、カカオのことを話し込んでいる阿嘉さん。真剣なおふたりの背中が眩しく見えました。そして、今年から栽培者の仲間になったリナさんが、久保さんからプレゼントされたカカオ苗を愛おしそうに大事に抱える姿に、これからの展開がますます楽しみになりました。以前、震災復興支援で陸前高田に椿苗を植樹した時、指導いただいた専門家の「植物は自分では移動できない。1度植えたからにはきちんと世話をするように」という言葉を思い出しました。想いを込めて受け継がれた苗はリナさんの愛情を受け、新しい土と環境にきっと慣れ、大きく育つだろうなと思います。(春代)
4月末から5月初めにかけて沖縄の伊江島と久米島を訪問しました。伊江島では、一般社団法人わびあいの里理事長、謝花悦子さんを訪ねました。春代さんが何度も訪ねての信頼から、家族のように歓待して頂き、充実した時間を過ごすことができました。草刈り、サトウキビ刈り、核模擬爆弾の再塗装、5メートルを超えるボードの作成と陳情書貼り、掲示、阿波根さんの彫刻のお掃除、入り口の表札磨きや枝木の伐採、電気の不具合調査と改善などを、園児、小学生の子どもたちも参加して作業を行いました。子どもたちにできる作業はないだろうから、船で渡り、近くの水族館を考えてもいましたが、適度にできる作業もあり、反戦平和資料館前では、関連した本を読み、核模擬爆弾のペンキ塗り、ギビ刈りにも参加。草刈りは、コロナの影響下、暫く援農の人たちがグループでは来れず、伸びた草をできる範囲で刈りました。草むしりは、早朝から夕食を食べるまで続けていましたが、私は、草刈り機で行い、入り口付近の太くなった枝はチェーンソーで切りました。高く長く伸びた木の枝は、脚立に登り、孫娘に切ってもらいました。春代さんは、阿波根さんの彫刻を磨いていましたが、なんと言っても、今回は、歴史上も重要な陳情書の掲示でした。このような貴重な仕事をさせて頂き、そのお気持ちに応えていかねばと思っています。謝花さんも、今後のわびあいの里の役割を再認識されたとお元気そうな姿をされていたのが嬉しくもありました。滞在中、食事を作り、出して下さったスタッフの方々、私たちの仕事の準備から指示、アドバイスして下さったボランティアの大城さんにも、大変お世話になりました。久米島は、また機会があったらとしますね。(完二)
昨年末に引き続き、伊江島のヌチドゥタカラの家に3泊させていただき、草刈り、門の表札磨き、核模擬爆弾の再塗装、陳情書の展示など貴重なお手伝いをさせていただきました。ウクライナ侵攻が長引くこの時期に、改めて反戦平和資料館で時間を過ごせたことは、大きなことと思います。「基地をもつ国は基地で亡び、核を持つ国は核で滅ぶ」。阿波根さんの残された言葉がさらにリアリティをもって迫ってきました。「平和の最大の敵は無関心。戦争の最大の友も無関心。」無関心ではないつもりでいても、あきらめて、声に出さずにいたら同じこと。戦後、大切な農地を軍用地として強制的に奪った米軍と闘うために阿波根さんが作られた陳情規定には、「反米的にならない。嘘や悪口は言わない。生産者である農民の人間性が優れていることを自覚し、誠意をもって、道理を通して、子どもに話すように破壊者である軍人を教え導く心構えが大切」と書かれています。今、国連などでロシアからの発言が始まると抗議として離席するのは正しいのか?ロシア外交官を国外追放にするのは正しいのか?「ウクライナに来る者はケーキの手土産ではなく欲しいのは武器だ」と公言する大統領に武器を流し続けるのか?日本を含む欧米諸国のロシアやウクライナへの対応を、阿波根さんなら何とおっしゃるのかと何度も思い出していました。GW中の伊江島はちょうどゆり祭りを開催していて、観光客が反戦平和資料館に「ここはどういうところですか?」と立ち寄っていらっしゃいました。連日のニュースで、攻められたらどうする、軍備は必要、という方向に流れていきがちな今だからこそ、阿波根さんの平和への想いを皆が知り、学ばなければと思います。(早苗)
陳情書が展示できた時、謝花さんが涙を流されていました。壮絶な戦争体験、その後の非道残忍な米軍占領下、そこからの要求は「一日も早く日本国民として日本国憲法の下で、安心して生活ができるようにわれわれを引きとってもらいたい」という祖国復帰を願うもの。しかし今、その願いは果たされているのでしょうか。「命がけで本土復帰運動をしたことを後悔している。何故、あの時独立運動をしなかったのか」と謝花さんは言われました。陳情されていることは、読めば読むほど、今を生きる私たち、一人一人に向けられているもののように感じました。非道残忍な米軍占領下よりもひどいかとも思える、憲法も守られていない、そしてそれを許している今の在り方は何なのか。阿波根昌鴻さんをはじめ、被害地主代表の方々の怒りと願いにこたえるため、私たちはどう生きるべきなのか・・・。消化しきれない思いを抱えつつ、後半は久米島へ。私たちの訪問に合わせて、沖縄島のやんばるから、久保さんが大事に育てたカカオの苗を持って来られ、リナさんにプレゼントして下さいました。「はじける農業」がキャッチコピーのリナさんはカカオを嬉しそうに受け取り「可愛い!可愛い!」を連発しながら愛情込めて植えられました。元気いっぱいの若者です。プロジェクトを支えて下さっている皆さまのお気持ちも、しっかり受け取られたことと思います!阿嘉さんのカカオ
はハウスの天井に届くほど立派に育っていて感動しました!久保さんが「ここまで来たら大丈夫」と言われていました。「大切な仕事をしている農民こそ、もっと誇りをもち、人間らしい生活をするためにも、農業だけでなく、社会のこと、生きるために必要なことが学べるように」と阿波根さんがつくりたかった農民学校と、沖縄カカオプロジェクトが交差しました。共に学び、日々の暮らしの中から平和な未来を紡いでいく、その道筋と私たちの役割を再認識した沖縄でした。皆さまのご支援、本当にありがとうございます!(百合香)
カタログの特集で今まで沖縄の記事を読んでいましたが実際に今回沖縄へカメラ係として同行させて頂き、特集に書いてあったことへの理解が増した旅でした。伊江島の反戦平和資料館では、戦争が今自分の隣にあるように感じました。謝花さんが毎日紡いでくださる場への感謝と、ネパリの皆さんが今まで作ってくださった関係性の中で今回は私も子どもたちも貴重なお仕事のお手伝いをさせていただき温かく迎えていただき、感謝ばかりです。久米島でも戦争で亡くなった方の碑のお参りに同行させていただき沖縄の戦争という側面についても知らないことがたくさんあることを知りました。また、久米島ではカカオの苗を植える場に立ち合わせていただき(詳しくは特集をお楽しみに)、農家の素敵な方々と素敵な畑に出会い、とても刺激を受けました。子どもたちの感じたこともまたじっくり聞いて話してみたいと思っています。改めてチョコレートを味わいたいと思いました。(ひろ)
安倍元首相の判断、言動が全く納得いかなかったので安倍さんの在職中、せっせと、おかしなところをSNSなどに投稿していたころ友人に「巨人の肩に乗っていることを忘れない方がよい」といわれて違和感を感じながらも「払ってる税金分文句を言ってる」とその場を濁したことがありました。僕の中で、どうも納得いかない言葉だったのですが、伊江島に行って自分の中で、はっきりと理解した部分がありました。それは「今の日本、僕自身は、巨人の肩に乗っているのではない。伊江島の農家さんのような人たち、自然と共にくらし、それでも戦わなければいかなかった人たち、戦い続けてくれた人たち、一人一人の延長に僕がある」ということです。どれだけ有名で功績を残したといわれる政治家たちの働きがあったのか僕は詳しくは知りませんが、その人たちによって、切り捨てられ、裏切られてきた中で諦めずに戦い続けてくださった、ひとりひとりの行動や思いの先に僕たちの自由や平和への希望があるのだと、はっきりと自覚できた旅になりました。阿波根さん、謝花さんに感謝でいっぱいです。もっと学び、深く関わっていきたいとおもいました。春代さん、ネパリのみなさん、すてきなご縁をいただき、ありがとうございます。(よし)
謝花悦子さんは、阿波根昌鴻さんが大切にされていたいくつもの言葉を私たちに教えてくれます。その中でも、謝花さんが何度も言われる「実学」とは、阿波根さんと過ごされた約50年の中で、謝花さんご自身の言葉として私たちに、子どもたちに教えてくれていることがわかった5月の訪問でした。3歳の時に発病され、戦争がなければ飲み薬で治ったはずの病や戦争に対しての怒り。痛みがなく、人に頼らずに働けることへの喜び。戦後、不自由なお身体で東京へ3年間学びに行かれた時の覚悟と強い想い。地上戦が終わった後も米軍と日本政府に土地と尊厳を奪われ続けることへの怒り。平和を学習し闘い続けた阿波根さんへの尊敬と生き方への学び…。自分自身が体感したことは、いくつになっても自分の学びとして残ると言われていました。5月15日で沖縄“復帰(返還)”50年。謝花さんの傍で過ごさせて頂いて、戦時中、そして戦後の伊江島のお話を聴くと、今の沖縄は誰の元へ復帰したのかより分からなくなります。本やネットで学べる知識だけではなく、謝花さんの言葉や生き方を私の実学としてじっくりと学んで、「お互い感謝の気持ちで平等に分け合える社会」を願った阿波根さんの想いを無駄にしないように今の社会を生きていかないとと改めて強く思います。(萌)
4月
ロシアがウクライナに侵攻して始まった戦争の収束が見えません。第二次世界大戦後も今年まで、戦争が行われていなかった年などなく、日本もいくつもの戦争に関わってきました。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争・・・どれほどの犠牲を払えば人は学ぶのでしょう。戦争は始まってしまったらなかなか終わらず、どんどん残酷になっていきます。戦闘が終わっても、破壊された街並みが再生されても、失われた命、壊わされた心は元に戻りません。始めないこと。絶対に始めないこと。戦争を憎み、戦争につながる可能性のあることやものは徹底的に排除していく、一人ひとりの意識と行動しか平和をもたらすことはできないと思います。平和は守るより壊す方が簡単なのだから。(春代)
2019年春号で「グルミ村物語コーヒー」の記事を書かせて頂きました。東西ドイツを隔てていた壁が壊され、民主化の波がネパールにも押し寄せて来た頃の話です。しかし、ウクライナへのロシアによる侵略をみると、まだ、それ(冷戦)は終わっていなかったのだと気付かされます。ウクライナの隣国には、ポーランド、ルーマニアがあります。ポーランド人でザメンホフという人が考え出したエスペラント語を勉強していたのは50余年前のこと。習いたての言葉で文通したのがウクライナ。黒海は綺麗だと。若かったので、その置かれた民族の葛藤まで想いやることはできませんでした。ルーマニア人の方とも文通しましたし、日本にいらっしゃる方にお会いした体験もあります。誰かに追われていて命が危ない、カーテンの陰から外を度々覗くその姿に、その人の置かれた厳しさ、弾圧の深さまで思い遣ることができませんでした。アジアでも、いまだ、バングラデシュの軍弾圧による暴力が横行しています。弱者の視点で行動する大切さを持って、これからもフェアトレードの概念を大切に進みたいと思います。(完二)
ネパリの事務所は鎌倉市との境の住宅地にある普通の民家で、出荷作業をしている部屋の窓は庭に面しています。その庭にリスが訪れているのをこの春何度も目撃。これまで全然見ることはなかったのに・・・とふと考えたら、少し前からの大規模な道路建設で、工事現場近くの雑木林は伐採され、小山が切り崩され、掘削の地響きがしています。そこから追い出され、逃げ出したリスだったら、人間の都合で住まいを奪ってしまったということで、「かわいい〜!」とばかりは言っていられない、申し訳ない気持ちです。(早苗)
先日「ナチュラルセラピーカカラ」の大山カオルさん、「こだま食堂」の児玉陽子さんにインタビューをさせて頂いたのですが、お二人とも自然に、将来の夢の話をしてくださいました。生き方、暮らしかた、根っこがつながっていて、盛り上がりました。また、伊江島の「命どぅ宝の家」の謝花悦子さん、元「ちえのわハウス」の和田美恵子さんからは「70代は最高の年齢よ!充実してるわよ!」と、力強いお言葉を。私は何と恵まれた環境にいるんだろうと思いました。夢を語り、年を重ねた先に心身ともに充実した時間があることをキラキラとした目で語ってくださる大先輩方がいます。年々生きることがしんどくなってしまうような厳しい社会情勢ですが、だからこそ、夢を描くこと、希望を語ること、どんなにささやかでもそのビジョンを仲間と共に目に見える形にすることが大事なんだなと、自分のやるべきことを感じています。(百合香)
大阪を拠点に、生活困窮を抱える子どもたちと母親の生活をサポートしている認定NPO法人CPAOさんの、2021年度総会をオンラインで視聴しました。現在は大阪の繁華街だけではなく、東京の歌舞伎町でも、月に一度10代向けの炊き出しなどをされています。そのご活動の範囲の広さと芯の強さにいつも「すごいなぁ…」と敬服するような思いでいました。今のデフレ社会では、子どもや若者たちが何らかの方法で少し稼いだら深夜バスで東京の繁華街にも簡単に行けてしまうこと。そんな時代であっても、外に出たくても家庭から出ることができない子どもたちの方が多く、その様な支援の手が届きにくい子どもの存在がコロナ禍でより深刻になったこと。子どもたちにも“自己責任”の社会が染み渡ってしまっていること。薄氷を踏む思いで言葉を選び、一人一人と向き合われてこられたCPAOさんのお話で、今の日本の状況に、そして社会を知った気になっていた自分にショックを受けました。「関わってくれてさえいたら、できることはなんでもやる」「外に出てきてくれて、出会えた子たちだから全力でやってきた」と力強く言われていたのがとても印象的で、人のために毎日、毎秒動かれている方々の強さとやさしさに鼓舞されている気がしています。(萌)
3月
沖縄カカオプロジェクトで沖縄に通うようになり、たくさんのハルサー(農家)に出会いました。有機農業を目指す若いハルサーたちが増えていることに希望を感じます。軽やかに、楽しげに、臆せず挑戦している様子にわくわくします。やりたいことがあればクラウドファンディングで資金を集めてスタートし、SNSで情報や仲間を求める。現代ならではの手段を駆使しますが、農法は意外と伝統的。土台である土を大事にし、命を育む農業だから薬を使わず身近な環境にあるもので循環型農業を目指します。すると昔の人の知恵が理に適っているようです。まるで友達のように作物に声を掛け、成長を喜ぶ若いハルサーたちの活動をいつか詳しくご紹介したいと思います。(春代)
2月下旬に始まったロシアによるウクライナ侵攻、様々な理由があるにせよ、一般市民を巻き込んで、多くの生活を破壊し、犠牲者を出し続けているその姿勢は、許されるものではないと、怒りを覚えながら、毎日ハラハラとしています。オミクロンの感染がなかなか止まらず、国境を超えた移動がなかなか難しい日々が続いています。フェアトレード活動を続けるなかで、電子帳簿保存法の改正(特に、電子取引による手続)や、インボイス制度の導入が予定され、税に絡む手続きも、一方的にどんどん複雑化しています。ネパールでは、看護学校に行っているアシャさん、シムランさんを初めカレッジ生は、学年末の統一試験が間もなく行われます。このような情勢のなか、今月は、非営利活動部門の総会が行われます。活動成果が感じられることでしょう。厳しい生活を余儀なくされている人々への支援、これからも、皆さまと共に挑戦していけること、嬉しく思います。(完二)
少し前にお客様から「ネパリの買い物は消費ではなく繋がり」だというお声をいただき、なるほど!と納得しました。考えてみれば、生産者の方々から届く「産み、生んで」くれたものを「費やし消す」消費って何?「大量消費」という使い方にはぴったりですが、ネパリの商品は、擦り切れても繕って長く着たい衣服やニット、食べてしまっても体中にしみわたって血や肉となる食べ物…と消え去らないものばかり。本当にネパリのお客様は「消費者」ではなく「つながる」方々だと思います…という話を、先日スタッフと「うん米」の昼食をいただきながら話していました。皆様、ありがとうございます。(早苗)
先日、高校1年生4名がボランティアにいらしてくださいました!何と、試験が終わったその日、一番遊びたい日(?)に来てくれた若者たち!!ニコニコ楽しそうに作業をしていて、事務所は明るく賑やかな1日でした。私たちの場所が、共感できる場所、ワクワクする場所として伝わっていたら、こんな嬉しいことはありません!!ワクワク感、仲間、語り、食べること、希望・・・そんな要素が作用してはじめて、学びも肥えて実になっていくのだと感じます。長引くコロナ禍で人らしさが失われた制限ばかりの生活、3.11から11年たって加速している原発推進政策や今なお避難生活をしいられている方々、甲状腺がんを患い勇気を振り絞って東電を訴えた若者たちのことを想うと、私は何をしていたんだろうと落ち込みますが、「そんな暇はない!!」と若者たちに渇を入れられた気分です。若者たちがワクワク生きられるような土壌作りが大人の責任。矛盾のない仕事を通してよりよく生きること、平和な社会の構築は可能だと信じて、希望をもって生きる姿を見せていきたいと思います。春休み、高校生、中学生にもできるボランティア作業、たくさんありますよ!ぜひご連絡くださいね!(百合香)
沖縄で少女たちの聞き取り調査などをされている上間陽子さんと、臨床心理士の信田さよ子さんの対談をまとめた「言葉を失ったあとで」という本を読んでいて、“加害の普通さ”という言葉に衝撃を得ました。「アルコール依存症の女性のカウンセリングをしながら、自分との共通点の多さに驚く」と言われていました。何が人を加害と被害に分けてしまうのか、正常か異常かという話ではない、事の起こりと構造を学ばなければ、と改めて思いました。現在の世界の大きな動きはもちろん、沖縄、そして福島などの足元の構造も然りです。いま、毎日世界のニュースで溢れ、今月で11年になる東日本大震災の話はあまり流れてきません。月日が経ったとしても構造を学び、声をあげ、心を寄せる先は、いつも足元にもあるんだということを自らに投げかけています。(萌)
2月
沖縄が日本に返還されて50年になる今年。沖縄の方たちの期待に応える50年だったのでしょうか。沖縄県最北端の辺戸岬に建つ「祖国復帰闘争碑」を、かつて一番近い日本だった与論島を正面に望みつつ読むと複雑な想いに駆られます。切なる願いだった「核抜き本土並」は破られ、平和憲法の下、2度と戦争をしない国になるんだ!という望みも危うくなり、返還50年を心から祝えるでしょうか。でも、本土のあちこちに米軍の求めるミサイル迎撃基地が造られようとしている今、“本土も沖縄並” は実現するかもしれません。(春代)
先月は、非営利活動の1年を振り返り、報告書を作成するという作業がありました。養護施設支援の始まりでもあり、次年度の学費納入期限が迫るなど、忙しい時期です。なんとか乗り切って2月を迎えました。感染の方は落ちついていたネパールも、日本の動きに同期するかのように、オミクロンの感染が広がっています。養護施設MSCC出身で、西ネパールで看護学校に通っているアシャさんも陽性で、隔離されてしまいました。そんななかコーヒー産地シリンゲの村では、シナモンを栽培したいという人が出て来ました。ネパール蜂蜜の産地ピュータンにも良質なシナモンがありますが、新しい挑戦は、ワクワクしますね。(完二)
反戦や平和について伝える施設や書物、テレビ番組で第二次世界大戦当時の一市民の生の声を見聞きすると、人が報道や公報や周囲の雰囲気で簡単に気持ちが流されていくのがわかり、現代を生きる自分たちもどこからどんな情報を入手し、それを自分自身がどう解釈するのか、とても大切で「怖い」ことだと実感します。私の両親はすでに他界しましたが、海軍兵学校に通っていたという父と、引揚港の街に住んでいた母は終戦当時は多感なる十代後半で、戦争をどう見ていたのか、戦後の生き方にどう影響したのか、生きているうちに聞いておくべきだったと後悔する昨今です。(早苗)
日々の暮らしの中で、「人に迷惑をかけないように」ということに、何だかモヤっと感じる日々だったのですが、たまたまSNSに流れてきた投稿に、思わず膝を打ちました。「日本の親は『人に迷惑をかけてはいけない』って教えるけど、インドの親は『お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい』って教えるらしい」
と。そう!それそれ!そうだよなぁ・・・と心がふ~っと軽くなりました。人への迷惑を忖度しすぎて窮屈な社会より、迷惑かけあって、許し合って、支え合う社会の方がいいなぁ・・・と思いました。ということで・・・皆さま、ご迷惑をおかけした際はどうかお許しください(*^^*)(百合香)
2月14日バレンタイン当日まで、渋谷・ヒカリエの催事でチョコレートを販売しています。久しぶりのイベントに緊張しながらも、東京のど真ん中で沖縄や福島の話ができる!と愉しみながら出店しています。新しいつながりにドキドキしながら、LISAチョコの美味しさから興味を持ってもらうのか!?いやいや、こだわりの原料と製造工程でお客さんを惹きつけるのだ、、、やっぱり沖縄や福島の話をするべきよ!と自分で一人てんやわんやしています。1つの商品で、これだけ伝えられることがあるのはとても有り難いことで、いくら時間があっても説明しきれない!と思ってしまいますが、ポイントを抑えながら説明する訓練が必要だと感じています。LISAチョコも含めて、皆さんがチョコレートを買われる時に、決定打!となるのはどんな要素なのか、とても知りたいです!!(萌)
1月
年が明けると直ぐ新型コロナのオミクロン株の感染が猛烈な勢いで拡大し、おめでたい気分は一気に吹き飛びました。ああぁ、またかぁ・・・ 政府は厳しい水際対策で侵入を1ヶ月近くくい止めたと言いますが、感染防止フリーパスの米軍基地を抱える沖縄県や山口県は基地からしみ出たウイルスで瞬く間に感染が広がりました。新型コロナ感染が始まってからの2年間で大きなダメージを受けた人々やお店、事業所などが昨秋からの小康状態で元気を取り戻しつつあったのに、またかと思うと、これまで耐えてきた我慢の糸が切れてしまうのではないかと不安になります。前首相は先ず自助、そして共助、それでだめなら公助と言われました。個人の努力、NPOなどボランティア団体の努力も限界に近づきつつある今、どんな公助を見せてくれるのでしょう。 (春代)
新年あけまして、おめでとうございます。寒波のなかの寒いお正月でしたが、皆さまは如何でしたでしょうか。今年は、大晦日より雪で、元旦まで雪が降り続き、雪国を真似て、かまくらを造って遊びました。毎年ネパールで過ごしていた年末、年始でしたが、昨年、今年と日本でお正月を迎えました。テレビを見ていると、日中戦争から世界大戦、そして敗戦に至る特集番組を放映していました。多くの国民を巻き込み、多くの犠牲を出した戦争が何故起きたのか、を教えてくれるかのようでした。一人ひとりの人権が尊重される社会に一歩でも近づけるように、そして、子どもたちの個性がのびのびと育まれる社会であって欲しいと思います。今年一番のニュースは、シリンゲコーヒーが現地カトマンズに到着です!今年も小さな積み重ねをして参ります。(完二)
年末に沖縄に伺いました。伊江島のヌチドゥタカラの家にも愛楽園にも、何度伺っても新たな発見があり、自分の知識の浅さと物覚えの悪さに少々凹みながら、長くひたむきに孤独な闘いを続けていらっしゃる方々を思い、自分にできることを地道に取り組んでいかねばと改めて痛感する日々でした。地味でも地に足をつけて進んでいきたいと思います。(早苗)
年末年始の休暇は、春代さんから色々な本の話を聞きつつ、積読状態だった本をやっと読むことができました。『隔離を生きてハンセン病回復者の愛楽園ガイド(平良仁雄)』『生まれてはならない子として(宮里良子)』『語らなかった女たち引揚者・七十年の歩(鈴木政子)』『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち(上間陽子)』。どれも心の襞に触れる、魂の叫びが聴こえてくるような内容で衝撃を受けました。どれほどの困難の中生き抜かれてきたのだろう・・・しばらく反芻する中で、これは、どれも私の話なのではないか?という、今まで感じたことのない不思議な感覚がしました。恵まれた環境で生きてきた私がそのように感じるのは、おこがましいことかもしれません。でも、もし、私が戦時中に生きていたら?もし、満蒙開拓団の一員だったら?もし、暴力にさらされていたら?もし、恐れられている病気にかかったら?もし、もし・・・?そして、それらはどれもこれから自分の身に起こるかもしれないことです。病気になったり、被災したり、人生何があるか分かりません。何があっても心配しないでいい社会にするために、今何をすべきなのか。問われていると思いました。ご自身の貴重な経験を身を切る想いで書いたり話をしたりしてくださった御本の方々との出会いに心から感謝して、共に生きる気持ちで、今年も1年過ごしたいと思います。(百合香)
年末の約1週間の沖縄訪問から戻り、今も心と頭が落ち着かない状態でいるような気がします。沖縄戦や米軍による強制土地接収、米軍統治下であった沖縄と日本国憲法下のヤマトの間でハンセン病患者とご家族の方々の奪われた人生、民意に反して米軍基地を押しつけ続ける中央政府と私たち。どれも歴史の教科書で学ぶことですが、沖縄に行くと、闘いは続いていること、そして誰がその闘いを押し付けているのかを毎回痛感しては、沖縄に暮らす方々の前で言葉が上手く出なくなってしまいます。ただ平和を願い想像するのではなく、戦争や様々な社会的圧力、排除、差別の構造を知り、無意識のうちに自らが加害側にならいように学びを深めたいです。(萌)
