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暮らすように働く 2020年7月~12月

ネパリスタッフが、日々働きながら感じることを思うままに書いています。

12月

草津温泉近くにあるハンセン病国立療養所・栗生楽泉園に行きました。コロナ感染防止で園内は限られた所しか入れませんが、どうしても行きたかった重監房資料館は見学できました。そこだけでも時間が足りないほどで、衝撃的な内容に圧倒されました。「ハンセン病 重監房の記録・宮坂道夫著」、「とがなくてしす 草津重監房の記録・沢田五郎著」などの本を読み、新憲法下の日本であり得ない人権蹂躙が行われていたということを知っていても、本を読んだだけの薄っぺらな知識など、展示されている事実の一端に触れただけで木端微塵に吹き飛びました。罪とは言えない言動で裁判も受けられず、療養所長の裁量だけで全国の療養所から送られた人々は『特別病室』という周囲を4mの高い塀で囲まれた中の8つの独房に入れられました。天井近くに小さな窓が一つあるだけの4畳ほどの板敷の暗い部屋。真冬は零下20度近くにもなる草津で暖房のない部屋に薄い布団だけ。日に2度の食事は麦飯と梅干だけ。そこに数日から最長500日以上監禁されました。収監中に凍死や自殺で亡くなった方、出られても直ぐに亡くなったり発狂した方が多く、未だ全ては解明されていません。このようなおぞましく恐ろしいことが繰り返されぬよう、誰もが人として大切にされる社会であるように自分にできることを精一杯しなければと思いました。(春代)

ネパールは、長期のお休み、ダサインとティハールが終わり、半年以上も閉鎖になっていた高等教育の新学期も迎えようとしています。カトマンズ近郊の養護施設で高校卒業までを過ごしたアシャさん、シムランさんは、西側にあるパルパという地域で看護学校に入るため、近々出発。幼少の頃から過ごしたホームを出て、学校の宿舎と学校でこれから3年間を過ごします。高等教育を受ける紅茶農園で働くワーカーの子どもたち(奨学生)も、少数民族キサンの奨学生も、これから新しい生活に入ります。良い旅立ちになることを願っています。(完二)

Facebookで写真をご紹介しましたが、段ボールいっぱいに溢れる色とりどりのレッグウォーマーやくつしたは、見ているだけでワクワクしてきます。ネパールの編み手の女性が、忙しい家事やコロナ禍でなかなか外に出られない中、ひとつひとつ色を選んで編んでくれている姿を想像するといとしさが増します。お客様からご注文をいただくと、「どんな色合いがお好みかな」「ご本人が履かれるのかしら、プレゼントかしら」「二つお求めなら違う雰囲気に」と、いろいろ思いを馳せながら選ぶのは、出荷担当の役得の楽しい時間です。(早苗)

11月22日に、養護施設MSCCのアシャさんとシムランさんの自立のための奨学金支援のお願い(右記)をFBにUPさせて頂いたところ、たくさんの方々がお気持ちをお寄せくださいました。ネパールの子どもたちのために力になれたらというお気持ち、そして私たちを信頼してご寄付を託してくださることに、感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、本当にありがとうございます。アシャさんは、2015年のネパール大地震発生当時、肺炎になりしばらく入院していました。ラムさんが親身に看護をされ回復しましたが、精神的に不安定で、いつも心配されていました。あれから数年たち、ずいぶん落ち着き、今は前向きに頑張っています。親身になって応援して下さる方がいること、一人じゃないことが伝われば、これから大変な時もきっと乗り越えて、生きる力になることと思います。旅立つ彼女たちに、心からのエールを送りたいと思います!今年の年末年始はネパールに行けないのが残念ですが、成長した彼女たちとの再会の日が今から楽しみです。これからも共に見守って下さいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。(百合香)

事務所での日々の会話は、私にとって学びの宝庫です。自分の想像力が試される毎日なのですが、ここ最近で思考回路がぐるぐるしてしまったのは、「結婚をされている女性の呼び方」。女性に対して「女房」「嫁」「妻」「家内」「奥さん」など馴染み深い言葉がありますが、私の中では「女性は家の中にいる人」というイメージを持たせる言葉であり、あまり積極的には使いたくないと思っていました。なのでこれまでは「パートナー」という言葉を意識的に使っていましたが、そもそも日本語ではない!日本には昔から男女を対等に表す言葉がないのか!という議論になり、言葉の成り立ちと社会構造の関係性を強く感じました。英語やスペイン語と比較してみても、一人の人格を表す言葉ではなく、立場や役割で男女を表す言葉がなぜ一般的になってしまったのだろう…と不思議に思います。きっと他にも、様々な社会背景から生まれた言葉を日常的に使っていると思います。私の言葉が誰かに対しての暴力となってしまうのではなく、何かを理解し合えたり、救われたり、喜び合えるきっかけになれるよう、来年も学びの日々です。(萌)

11月

陸前高田で植樹した椿の実を搾った油を初めて販売することができました。大感激です!でも、あまりに僅かな本数なのでお客様優先、とても自分の口には入りません。どなたのところに行くのだろう、喜んでいただけるといいなと願っています。この木、この実から…、そして非加熱、搾りたて!こんな油があるだろうかというこの大変貴重な油はまるでフレッシュジュース!どれほど美味しいだろう。来年はどうぞたくさん実がなりますように!多くのお客様と一緒に私も味わうことができますように! (春代)

ネパールは、日本でいうお正月に相当する大きなお祭り、ダサインが終わり、これから、それに続く大きなお祭りティハールに入ります。このお祭りが終わると、コロナの影響で閉鎖されていた公立の学校も始まります。養護施設の子どもたちは、カレッジが元々秋に始まるので、カレッジ生は、新しい学校に向けての生活が始まります。コロナにより、かなりの混乱があるかと思われますが、私たちの支援も連動して忙しくなります。フェアトレードでは、シナモンを求めて調査をほぼ1年かけて実施して来ましたが、内戦であった頃の反政府の中心地、ピュータンで、その森を管理して村人の収入になっている所と繋がりそうです。私たちの手元に届くまでには、まだ、製造を現在の村人が実施しているものを改善していく必要がありますが、それは十分に可能で、来年の収穫期2月を待っているところです。サンプルでは、良い香りと良い味ですので、期待が持てそうです。楽しみです!(完二)

都鳥伸也監督の「私たちが生まれた島 OKINAWA2018」という映画を観ました。辺野古新基地建設の賛否を問う県民投票を背景に、沖縄の若者たちを追ったドキュメンタリーです。根底にあるテーマは、分断。若者と大人、基地反対を訴える人と反対とは言えない人、沖縄の方々と本土の人間、住民と政府…。「普段は言えないことが話せてストレス発散できた」と涙ぐむ高校生、「大人が言うべきことを言わなかったら、若い人が何も言えなくなる」と村議会議員に立候補した女性。おかしいことをおかしいと言うのにも、相手を選ぶようになってしまった私たち。話してみたら、意見が同じでも違っていても、実りある話に発展するかもしれないのに。生の声が胸に迫り、色々と考えることができました。(早苗)

10月末、高校生のボランティア体験を受け入れいました。新型コロナウィルス感染拡大以降、学校を通しての受入れは初めてです。オリエンテーションは外でしました。高校生の明るい声がご近所に響いて活気が出ました。作業は事務所内で、窓を開けて、外の空気をたっぷり入れながら。手編みのレッグウォーマーにタグをつけて頂いたり、サヌ・バイさんのカトラリーを磨いて頂いたり、短時間でしたが、商品に触れた感覚、顔を合わせての会話、「一歩行動した!」という自信・・・現場で感じたその感覚はとても大事だと思います。社会の宝である、若者たちの社会参加のチャンスは、彼ら自身の成長のためにも、社会のためにも、守っていきたいと思いました。また、以前オンラインでお話しした学生さんのつぶやきが心に残っています。「給食時間、顔を見て話しながら食べられないのが寂しい」と。ネパリの事務所でも、これまでずっと一緒に食べることを大事にしてきました。スタッフとはもちろん、学生さんやボランティアさん、お客様とも。美味しいものを食べながらリラックスして、打ち解けられたり、話が弾んだり、元気になったり、相手の体調も伝わってきたり。食事は、ただ食べ物を食べればいいだけではないはず。一緒に食べるって、とても大事なことだと改めて気づかされました。「コロナだから」の一言で済まさず、全てNGではなく、どうしたら良いか考えて、できることをやっていかないとと思います。(百合香)

学生時代にネパールに共に行った友人たちと久しぶりに会いました。一人はラオスでのフィールドワークを通じて森林環境や地域開発を研究している友人。もう一人は、お腹に命を授かり、これから母になる友人。当たり前のことなのですが、同じ社会に生きる同世代でも、このコロナの影響で受ける不安、そこから生まれる希望は大きく異なるものだと感じました。考えを巡らせるだけでは、分かりえない、知りえない事ばかり溢れる社会だと改めて感じます。やはり、人と会うことは必要ですね。同じ空間、時間を共にしたときに生まれる感情やあたたかさは電話やオンラインでは感じられません。人とのつながりに感謝です。不安が続く中で、これから出産を迎える友人とパートナーの生活が穏やかになるようにと、クーネとアンクルウォーマー、アソートチョコレートをプレゼント。「身体にやさしそう!!」と満面の笑みで喜んでくれました。人と人をつないでくれる、ネパリの商品にも感謝!!!(萌)

10月

映画「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」太田隆文監督 。日本で唯一地上戦が行われた沖縄。鉄の暴風と形容された、地形も変わるほどの激しい米軍の空爆や艦砲射撃に殺され、逃げまどう人々。守ってくれると信じていた友軍(日本軍)にも裏切られ、食料を強奪されたり、避難した壕から追い出されたり、まだ14,5歳の子ども達が男子は兵士に、女子は看護要員として前線で働かされたり、方言で話すとスパイ容疑で殺害されることもありました。兵士や看護要員として働けない幼い子ども達は疎開させられ、疎開船・対馬丸は攻撃を受け800名近い学童が海に沈みました。沖縄戦で実に住民の4人にひとりが尊い命を奪われました。ありったけの地獄を詰め込んだような、と言われるあの小さな島で起きたこと。映画はその地獄のほんの一部を映像と証言で伝えます。映画では具体的に語られませんが、本土決戦に備え長野県松代に大本営、天皇の御座所を造っていました。その工事のため、沖縄で少しでも長く時間を稼ぐ必要があり、司令官が自決した後も最後のひとりまで屈するなと求められ、追い詰められ集団自死した多くの人々。大嫌いな言葉ですが沖縄は『捨て石』だったとまで言われます。いったい誰のための?何のための?戦後、沖縄は日本から切り離され平和憲法の枠外にいました。やっと実現した悲願の本土復帰は沖縄に何をもたらしたでしょうか…。今も続く沖縄の苦難の歴史を深く知ることは同じ過ちを繰り返さないために必要なことではないでしょうか。(春代)

世間を騒がしているコロナ感染、そのより多くの影響をネパールは受けています。とりわけ、社会的に弱い立場にいる子どもたちは大変です。養護施設では、2月に急逝された理事長ラムさんの後任は見つからず、その後をご家族(息子、娘)が面倒をみてくれていますが、長引く学校閉鎖と再開、進学が重なり、特に、カレッジ生の進学とその費用面を含めた対応に苦慮しています。オンライン授業の試行錯誤も始まり、パソコンの準備などもありました。親も、親戚もない子どもたちは、看護学校の入学試験を考えていましたが、身分を証明するものがなく、その準備にも1年近くかかることがわかり、学校を急遽変更することになりました。大学を卒業して仕事を見つけ、自立できるまでには、あと6年間は必要です。私たちの高等教育支援も、このコロナ禍で将来を考えてか、希望者が殺到しています。必要なファンドも、今までの2倍に膨れ上がり資金不足に陥っています。その希望者は、家も竹でできた粗末な場所、父親は亡くなっていない、母親との2人暮らしなどで、毎晩、現地のコーディネーターと対応策を話し合う毎日です。(完二)

岩手・奥州市のアグリ笹森さんからもうすぐ新米が届きます。とても楽しみです。毎年稲刈り時期に伺い、手刈り体験をさせていただいてきましたが、今年はコンバインで稲刈りをする圃場を訪ねました。大きな機械を操るアグリ笹森の方々、とてもかっこいい!合間に子どもたちをコンバインに乗せてくださいました。子どもたちは真剣な顔でハンドルを握り、満足そう。食育としても、職業体験としても、とても貴重な経験です。お忙しい中、いつもありがとうございます。(早苗)

テニスの大阪なおみ選手の優勝に感動しました!私は学生時代テニス一筋だったため、勝手に親しみを感じています。高い技術と精神力の賜物と思いますが、警官に殺された黒人の方々の名前を書いたマスクをされ、黒人への人種差別や警官による暴力に立ち向かうという、想像を遥かに超えるプレッシャーを課し、誰かのために闘ったことが強さとなり、勝利につながったのではと思います。しかし、残念なことに日本での評価は高くありません。「スポンサーを失うかもしれない不安と闘っています。スポンサーのほとんどが日本の企業だから」という彼女の言葉はショックでした。「スポーツと政治は別だ」という声も聞こえてきます。つまりは、日本で生きる私たちが、何を基準に企業や物事を評価するのかが問われています。人は生きていく中で様々なカテゴライズをされますが、その大前提に人であり、生きていくために声をあげているのです。「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」は、日本のメディアでは「黒人の命は大切だ」と訳されることが多いですが、私が受け止めた感覚とのずれを感じていました。ジャーナリストの大矢英代さんが、“より的確な訳は「黒人の命の問題は、私自身の問題だ」だろう”と言われていて、腑に落ちました。私自身が問われています。(百合香)

最近、小学生の頃に感銘を受けた言葉を思い出します。「外交官としてではなく、人間として当然な決断をした」杉原千畝の様な大人になりたい、人間でありたいと思い、自分なりに社会にアンテナをはり疑問を持ち続けていたと、あるハンセン病の本を読むまでは思っていました。「国のある法律(らい予防法)が100年近く続いたのは、国民の無関心という消極的同意があったから。」私のことだと思いました。多くの決断と選択の繰り返しの人生の中で、知らないという理由で多くの人々の苦しみの上で成り立つ生活を私は送っていたのだと思うと、とてもショックで、苦しくなりました。「知らない」「遠い」「無関係」は理由にならず、世界中で起きている問題に私とつながっていない問題はないんだということを、今ようやく学んでいます。どんなに小さな決断でも、同じ人間として人を苦しめることも手を差し出すこともできます。これまでの私は人間として当然な決断ができていたのか、わかりません。これまでのためにも、やはり学び続けるしかないと思います。(萌)

最近、或る作家の著書を全て読もうと

9月

没頭しています。これまでは関心のあるテーマで本を選んできました。さまざまな人の視点を通して多角的に捉え、自分の判断の指針としたいと思うからです。今回もテーマで出会った作家でした。最初に読んだ本は、その作家自身の半生が書かれた本で、あまりに重く深く、魂を揺さぶられるとはこのことかと思いました。他の著書も読まずにはいられなくなり、読むと更に深く重層的に問題を捉えることができ、自分の生き方のヒントが詰まっていて、宝の山!だと思いました。テーマは「ハンセン病」、「沖縄」、作家は伊波敏男さんです。伊波さんの本を何冊も読むことで深く広く思索が形成されるのは、どの著書も壮絶なご自身の体験からの声であるだけでなく、日本の危機の本質を鋭く捉え、心の奥深くへ切り込み、無関心でいることを許さない、真の力を持っているからだと思います。
(春代)

9月になっても、やはり、日々の大きな課題は、新型コロナのこと。ネパールからは物資が入らず、お店も時短しながらの営業。ネパールの都市部を中心としたロックダウン、公共交通の半年にわたる麻痺が早く良くなればと願うばかりです。又、猛暑の夏の影響もあり、草が良く伸びています。草刈りと格闘する夏になってしまいました。とはいえ、東北の陸前高田市では、感染者ゼロのこともあり、人に会うことは極力避けなければなりません。米どころの奥州市では、ついに感染者が出て、これまた人に会うことは難しい社会状況になっています。そんな時だからこそ、弱者にやさしい社会作りを共に考え、進める良い機会にしなければと思っています。幸いにも、沖縄では、皆様からの応援を背景に、カカオ栽培、カカオに関わる仕事作りが進んでいます。これからも、応援、宜しくお願い致します。(完二)

コロナ禍で生活の仕方が一変しましたね。ネパリも、いつもならカタログ発送の時などに学生さんやボランティアさんが集まり、狭い中ひしめき合いながら作業を一緒に行い、終わってからは映像を見たりお話をお聞きしたりといったミニ勉強会をし、ネパリカフェ&バーと称して食事を楽しみながら語り合ってきましたが、春以降そうした機会が持てずに半年が経ってしまいました。皆さん元気にされているかなぁ、昨今の社会情勢どんな風に感じていらっしゃるのかなぁ、と顔を合わせて気軽に語れるのはとても貴重なことなのだと感じています。(早苗)

今年は事務所がある自治会でお役目が回ってくる年で、防災部になりました。東日本大震災やネパール大地震の後、被災地を回り支援活動をしてきましたが、地元でのネットワークがなく、もっとつながりたい、いざという時に備えたいと思っていました。自治会に参加すると、複合災害の発生に危機感を持ち、真剣に考え策を練っている方々と出会い、心強く思いました。東北の避難所や仮設住宅、ネパールの避難キャンプを回り、出会った方々を思い出しました。ご自身やご家族が被災されながらも、皆のことを考えて動かれ、必死に生きられていた姿が忘れられません。また、福祉作業所「ライフ湘南」さんの販売会を、毎月第3金曜日にネパリ事務所前で行っていますが、ご近所さんにポスティングしたところたくさんいらして下さいました!販売している利用者さんも張り切って楽しそう!新入りな私たちですが、平時から顔をみて声を掛け合い、困り事があった時に気軽に頼ってもらえるようになれたらなと思っています。高齢化の進む地域で、より住みやすい福祉の町になったらな~と、足下でできることも大事にしていきます!(百合香)

とっても個人的な嬉しいニュースなのですが、沖縄について同年代とも学びたい気持ちが高ぶりすぎてしまい、突発的にSNSで声をかけたところ、17人もの友人が賛同してくれました。沖縄にルーツがありこれまで学ぶことをなんとなく避けてきた友人、日本人よりも日本の歴史に詳しい留学生たちに沖縄の真実を伝えたい日本語教師の友人、母になる前に自国の歴史を学びなおしたい友人。多くは、学生時代に国際協力を共に学び、アルバイトで必死に貯めたお金で海外に行きボランティアをしてきた仲間です。それそれが社会に出て仕事を持ち、日々忙しくしている中で、「社会人になったらあの頃の様に共に学べないのかな…」と一人寂しく思っていたのですが、それは違いました。社会を良くしたい、学びたいと思う仲間はいつでも周りにたくさんいました。どんなに小さな一言だったとしても、声をかけて良かったなと心の底から思っています。一人ひとりが無理なく、学びたいことを学べるように、Slack(スラック)というツールを使って興味のあるコンテンツの部屋をつくり、自由にチャットをしながら学んでいます。ゆくゆくは、一人でも二人でも多くの仲間と沖縄ツアーに一緒に行きたいな…と妄想しつつ、学ぶことをやめずに頑張りたいと思います。(萌)

8月

今年の2月末に出た「ふくしま原発作業員日誌」を読んでいます。東京新聞に連載されていた収束・廃炉作業を行う作業員の視点から見た原発事故後の記録です。現場のことを語りたがらない(語ってはいけない)作業員たちに寄り添い、信頼関係を築いてきた片山夏子記者だからこそ聞くことができた本音が綴られています。梅雨も明け、暑さ本番のこの頃、マスクをつけての外出は厳しく感じます。熱中症になるから不必要な時はマスクを外すように注意喚起されます。一方、コロナ禍にあっても休めない廃炉作業に従事する人たちの環境はどうでしょう。エアコンなどない現場。風を通さない防護服と全面マスク。毎年熱中症で何人も倒れるそうですが、熱中症だと報告すれば所属会社が管理責任を追及され仕事がこなくなるので申告しない人が多いとか。長く仕事をするために被曝線量を過少申告していることはよく知られています。コロナ感染者が急増しても政府に国民を守る熱意と真剣さを感じません。人命があまりに軽く扱われ、あらゆるところで棄民政策が進んでいます。自己防衛を強要されるから自己責任論が強まります。抵抗せねば!(春代)

恐れていたコロナ感染が拡大の兆候。沖縄の離島からも、この状況下、遠慮して欲しいと連絡が。それもそのはず、緊急事態宣言を出してから、医療的には何の対策もとられていない現状なのだから当然の結果。日本の技術大国イメージはどこに行ってしまったのか、そして、敗戦を招いた経緯も、間違っている、と知りつつ変更をぜずに突き進んだことと、どこか一致すると強く感じる昨今です。技術と見識がありながら、それが働かない、私たちの負の部分はそこにあるのかもしれない。それは多くの人々を犠牲にする、けっして国民主権として機能していない。コロナ感染の処置とともに、この面も民主的になって欲しいですね。ネパールも、なかなか感染が落ち着かないでいますが、養護施設の子どもたちは元気にしています。奨学生たちも、この状況を見守もることができています。皆様の日頃の応援の結果です。感謝です。(完二)

ネパリのジンジャーエールマサラを知るまでは、ジンジャーエールといえば市販の、ジンジャーの所以がわからないような、ちょっと甘味が少ないだけの炭酸飲料としか認識していませんでした。ネパリのスパイスでジンジャーエールを飲んでみたら、ガツンと生姜‼ ネパリの濃厚なはちみつとのベストマッチで、夏の疲れが一気に吹き飛びます。…そんなわけで、皆様からのご注文に「ジンジャーエールマサラ」があると、棚から商品を取り出しながら、「あ~、ジンジャーエール飲みたいっ!!」とその都度つぶやいて、あののどごしを妄想している私です…。(早苗)

ネパールからようやく届いた春摘み紅茶は、爽やかでと~~っても美味しかったです!ヒマラヤの春の味、最高の美味しさで、感動でした!ネパールから届いたどの商品も、可愛くて可愛くて。生産者の方々のお顔が浮かびました。「大変な中作ってくれたんだなぁ」「収入が入って少しほっとしているかなぁ」「でもまだまだ先は不安だよなぁ」…色々な想いが巡りました。商品のバトンを受けて、今度は私たちが頑張らないと!気合も入りました。世界中でロックダウンが起こり、人の行き来が止められ、国際輸送が麻痺し、これまで当たり前だったことが、あっという間に根底から覆されました。日本に生きる私たちは、1次産業をもっと大事にして、この国に生きる人々の“食”と“職”を守り、自給率を高めることが命を守ることと痛感しました。しかし、それと同時に、人間が作った国境線で隔てられた他の国々で暮らす人々と、私たちは無関係ではありません。同じ地球に、同じ時代に生きています。彼らが抱える問題は、私たちの問題でもあり、共に解決していかなければなりません。どんな状況であっても、彼らの痛みを想像し、共にと願う気持ちは、足元の社会が豊かになる道しるべでもあると思います。(百合香)

保育園生の頃は母の音楽の趣味の影響もあり、ローリングストーンズやフーファイターズなど、「ザ・ロック」な音楽を聴きながら通園していたのですが、現在は「切腹ピストルズ」という和楽器パンクロックバンドにはまっています。「日本を江戸にせよ!」を合言葉に、野良着をまといながらなかなかハードなパンクロックを和楽器で演奏している彼らなのですが、東日本大震災の大停電をきっかけに、電気を使わなくても演奏ができる和楽器にシフト。そんな彼ら、福島原発手前20キロの山道で、「放射能ばかやろー!」と叫びながら演奏をしたのが初公演だったそうです。それからメンバーや活動拠点を増やし、近代化前の日本を取り戻そうと声をあげ、音楽を奏でています。彼らは音楽で、ネパリは商品で、他にも映画やファッションやお笑いを通して、様々なフィールドで未来のために社会を動かす人々がいることは、より多くの人を巻き込める力があり、希望です。そんなことを思いながら彼らの新曲、「日本列島やり直し音頭二〇二〇」
を聴く日々であります。ぜひ皆さまも、彼らの音楽を一度お聴きください!(萌)

7月

陸前高田の工房「椿のみち」に、昨年11月末の訪問から半年以上も経った6月末、ようやく行くことができました。昨年8月から本格化したチョコレート製造のために月に2回程度は通っていたのでこの空白は打撃でした。しかし、行きたくても行かれない分、これまで以上にお互いを信頼して仕事ができ、久々の再会の喜びは大きく、結びつきはより強まりました。これで収束が見えてくればどんなに良いかと思いますが、6月から再開した宿もレストランも感染防止対策を徹底しているのに客の姿はほとんどなく、東京の新規感染者数も連日100名を超え、他の地域もじわじわと増えている状況には束の間の安息さえ与えてくれないのかと恨めしくなります。今後もなかなか物理的距離は縮められないかもしれませんが、信頼や思いやりの上に築かれたつながりはより大切になると実感しました。(春代)

ネパールでのニューコロナ感染は、首都カトマンズでは落ち着きをみせていて、間もなく国際空港も開かれそうですが、インド国境付近では、まだ感染が広がりをみせていて予断を許さない状況です。このような状況下では、養護施設の子どもたちや生活環境の厳しいご家庭は、尚一層厳しい生活を余儀なくされています。カトマンズ近郊の養護施設では、今年2月に理事長のラムさんが亡くなり、この厳しい環境下で、彼に代わって子どもたちの面倒をみる人はなく、ネパール政府は、親戚でもなんでもいれば返せと言って来ます。子どもたちは行き場を失っています。親も親戚もいない子どもたちは、金銭的負担は倍増しますが、近隣のホステルのある学校にお世話になることにしました。高校を卒業する子どもたちは、東ネパールの奨学金を出している子どもたちと共に学ぶ予定にしていましたが、このコロナ騒ぎで危険も伴うので諦め、暫く、カトマンズで学ぶことにしました。お父さんは亡くなり、お母さんは行方不明、叔母さんがいるのでホームを出なくてはならない幼い姉妹は、その叔母さんにも幼い子どもが3人いて、とても経済的には面倒をみれないだろうと確信しますが、先の方針があるので、様子をみながらサポートして行く方向で進めることにしました。皆様とご一緒に、子どもたちが夢を持って進めるように見守りたいと思います。(完二)

ネパリの服はもちろん冬も快適なのですが、蒸し暑い夏になると本領発揮!と感じます。べたべたしたり妙にひんやりする化繊と違って、竹布も薄手綿も素肌にサラリとして幸せな気分です。レース織もちょっと地厚なようですが、通気性・吸水性がいいのでタオル地のような気持の良さ。同じ型のTブラウスを、織違い・色違いで何枚も揃え、日替わりで楽しんでいます。次第に色あせてきた服もありますが、それはそれで楽しんだり、染め直してみたりして、長く愛用していきたいと思っています。(早苗)

ZOOMは、皆さんすでにお使いでしょうか。ついに(恐れていた)ZOOMでの大学講義の依頼があり、話す側になってしまいました。顔が見えない、反応が分からない中で、予定していたこと以外は話さず、話せず、でした。場を共有していると、一歩踏み込んだことも相手の表情を見ながら話したくなったりしますが、顔が見えないことの不安は大きく、淡々と終わらせてしまったかなと、学生さんに申し訳なくも思いました。にも拘わらず、「ZOOM退出」した瞬間、現実の空間に引き戻され、「ここはどこ?」「あれ?皆がいない?私一人?」のような不思議な感覚になりました。まるでドラえもんの世界。打ち合わせが効率よく行えたり、距離のハンディがなくなる便利な部分と、直接会うからこそ起こる人と人の化学変化や、現場だからこそ感じ取れることなど、非効率でも大切な部分を、バランスよくしていかなければと思います。これから長くお付き合いしていかなければならない時代になってしまいました。とほほ。(百合香)

私の最近のホットな話題は、東京都知事選です。多くの人が「時代の転換期」だと感じる今、命を預ける東京都のトップに誰を選ぶのか、私自身は都民ではないのにワクワク、緊張しています。一人で盛り上がるのもつまらないので、自らのSNSを使って自分の考えや応援したい候補者、20代の同世代にもわかりやすく楽しく政治に関われるようなメディアをシェアしていました。少しずつですが友人たちもSNSで反応をしてくれて、いつの日かは候補者討論や開票特番などをお酒を飲みながら、あーだこーだ自分たちの未来について語れる日が来てほしいと思っています。ですが、いまだにメディアは「若者の政治離れ」という言葉を簡単に、無責任に使用します。国民レベルの話をしてくれない政治家たちが多い中、どちらが離れていっているんだ!なぜいつも「若者」が悪者なんだ!と感じてしまいます。テレビはもちろんツイッターやフェイスブック、YouTubeなどで流れる情報は、意識をしていなくても個々のアイデンティティの一つに自然となり得ると私は思います。手軽に情報を得られる時代だからこそ、メディアの媒体は慎重に選びたいです。(萌)