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カンチャンジャンガ紅茶農園より verda30

地域開発 人が人らしく生きられるために

農園の暮らしと子どもたち

文・ネパリ・バザーロ会長 土屋 春代

一年振りの農園行きに向け、日本での準備を尽くし、カトマンズに着いて最終打合せも済ませ、 明朝の出発に備えて早めに就寝しようとしていた時、 ディリーさん(注1)から電話が入りました。 「ビラトナガル地域が明日からバンダ(注2)になる。どうする?」というものでした。 とりあえず一日延期して様子を見ることにし、カトマンズでの仕事を先にすませるべく直ちに動きました。 貴重な日程を一日も無駄にはできません。
そして、一日遅らせビラトナガルに着いたものの、今度は農園のある北部がバンダになり、通じる道路の封鎖のため、奨学生の暮らす町、ビルタモードゥでの滞在を延長し、開放を待つことにしました。 昨年もリンブー民族によるバンダがあり、警戒の緩む深夜に車を走らせ強行突破をしましたが、 今回は動いていた車が見つかって焼かれてしまったため、いくら頼んでも誰も車を出そうとはしてくれません。たとえ怪我をしなくても大事な車が焼かれてしまったら生活ができなくなります。 日本のように損害を補償する制度もありません。多少お金を積まれても行きたがらないのも道理です。3日間滞在してもバンダが解かれず、農園行きを諦めるしかありませんでした。
しかし、今回はビルタモードゥに居たからこその出会いに恵まれ、子どもたちとゆっくり話ができ、 その状況をよく知ることができました。ぐっと縮まった子どもたちとの距離、 金銭の支援以上に大切な心の交流が図れたのは大迷惑なバンダの思わぬ副産物。 何という天の配剤か、農園に辿り着けなかった悔しさを充分補ってくれました。

予定より一日遅れた10月28日、飛行機は珍しく定刻に東ネパールのタライ平野の都市ビラトナガルに着きました。空港で出迎えてくれたジャムカさんという、新しい奨学生と少し話し、そこから、車で3時間ほど走り、農園に行くための基地、ビルタモードゥに移動して、2年目のシタさんと今年から支援するゴビンダさん、卒業したアニタさんに会いました。隣接するイタディーという地域がバンダになり、そこで実習しているヘムさんには会いに行かれませんでした。結局、北方に行く道路は封鎖が続き農園に行けずに足止めされる内に、ヘムさんの滞在している地域の封鎖は解かれ、バスで2時間近くかけて会いに来てくれました。さらに、卒業試験の結果を待つ間、農園のあるフィディムに帰っているとばかり思っていたススマさんも、数日前からビラトナガルにお兄さん夫婦と出てきたそうで、4時間もバスに揺られて会いにきてくれました。皆で食事をしながら談笑し再会を楽しみました。ゆっくり時間がとれたので、シタさん、アニタさんが暮らしている部屋も訪ねることができ、普段の生活の様子もよく分かり、安心しました。
それぞれが自分の未来を自分で切り拓こうと一生懸命なのが本当にうれしく、爽やかな若者たちに心洗われる気持ちでした。

≪ススマ・ネパリさん(17歳)≫

ススマさんは試験結果が出るまで、ビラトナガルでコンピューターを学ぼうと思って出てきたそうなので、その費用と本代の支援をし、スニタさん、アニタさんにもコンピューターと英語学習費の支援をしました。医師になるためのコースを目指しているススマさんは懸命に勉強したものの、1科目の試験だけ、その日体調を崩してしまいあまり自信がないそうですが、応援してもらっているので諦めずに頑張れると言いました。ダリット(抑圧された者という意味で、かつて「不可触民」と呼ばれ、カースト制度の最底辺に位置づけられた人々。カーストによる差別は憲法で禁止されているが、根強い偏見と厳しい差別がある)の人たちには政府からの特別枠があり、優先して医科コースにすすめるそうですが、ススマさんはそのような優遇策があることに関心を示しません。でも、方針がコロコロ変わる政府を当てにするよりも、ススマさんのように自分を頼る方が賢明です。

≪シタ・バスコタさん(19歳)≫

2年目のシタさん。毎朝3時半に起きて、勉強しているそうです。大学は午前10時から午後3時まで、下宿に帰宅後はまた勉強をし、ルームメイトのプシュパさんと交代でご飯を作って、空いた時間はとにかく勉強しているそうです。学校まで歩いて数分の、小さな農家の一階に部屋を借りています。4畳半ぐらいの部屋にベッドが2つ、小さな机を挟んで置かれていて、ベッドが椅子の役目も果たします。台の上に小さな調理台がありますが、調理器具や食材は見えません。きっとベッドの下に入れてあるのでしょう。ベッドはきちんと片付き、壁に小さなカバンがそれぞれ一つずつ掛かっています。水は井戸から汲み、トイレも外にあります。2年目で難しくなってきたので、いくら勉強しても足りないといい、「あんなに勉強する子は見たことがない」とデヴィさんが舌を巻くシタさんは、今この時も、懸命に励んでいることでしょう。

≪アニタ・シュレスタさん(18歳)≫

アニタさんは看護学校に入学後、慣れない環境と勉強の難しさに自信を失い挫折しそうな時がありましたが、その後懸命に努力し最後は優秀な成績で卒業しました。そして更に正看護師になるため上級学校への進学を目指しています。進学に有利となる経験を1、2年積むために今、准看護師としての就職活動中で、会った翌日も病院の就職面接ででかけました。卒業後、ビルタモードゥの私立病院で半年間ボランティア看護師をし、学校だけでは学べないたくさんのことを学んだとうれしそうに話してくれました。1、2年働いて資金を貯め、フィディムに暮らす母親に仕送りもしたいそうです。昨年はまだ幼さを感じるアニタさんでしたが、今年はすっかり大人の女性となり、落ち着いてしっかりした物腰に驚きました。

≪スニタ・トゥンバポさん(17歳)≫

フィディムに戻っているスニタさんには今回は会えませんでした。アニタさんと同じ学校で学んだスニタさんは卒業後、難関と言われる正看護師になるための学校の入学試験にチャレンジしましたが不合格となりました。来年の試験に再度挑戦するため、現在フィディムに帰り、受験勉強をしています。その傍ら、経験のためにボランティア看護師としての仕事もしています。勝気で、いつもはっきりと意志を表明するスニタさんに会えなくて、とても残念でした。

≪ヘム・プラサド・リンブーさん(22歳)≫

ヘムさんに卒業後の進路を聞くと「就職したい」と迷わず答えます。さらに上級の資格を取るための進学より、就職して収入を得、早く家族をたすけ、自立したいそうです。一番うれしいのはKTEで技術者として職を得ることですが、給与を払う余裕のないKTEでは直ちにとはいかないようで、就職機会のほとんどないフィディムに帰れず、ビルタモードゥやビラトナガルなど都市で働くことになるかもしれません。村で働く意思のある若者を留めておくことができるような農園に早くなってほしいと思います。

≪ジャムカ・アディカリさん(17歳)≫

今月から支援開始のジャムカさんは3ヶ月の実習を含め18ヶ月コースでアユルヴェーダによる保健法を学びます。ビラトナガルの空港に会いにきてくれたジャムカさんについてきた、下宿も同室でクラスメートのソバさんは、近くの町から来て、ビラトナガルにも慣れているのか、何を聞いても即座にシャキシャキ話すのに比べて、山奥から初めて大都会に出てきたジャムカさんは気後れ気味に、時々言葉に詰まりながら、たくさん勉強します!頑張ります!と決意を語ってくれました。「毎日3時間の睡眠で勉強します!」と張り切っていましたが、ディリーさんに「からだを壊すから、ちゃんと7時間は寝なさい」と言われている様子が微笑ましい、ぴっかぴかの一年生です。

≪ゴビンダ・バスコタさん(21歳)≫

やはり今月から開始の、ビルタモードゥから3キロほど離れた町で牧畜を学ぶゴビンダさん。実習3ヶ月を含め15ヶ月間のコースの中で手術も体験するそうです。子どもの頃から一緒に暮らす山羊や牛など動物が大好きだった彼は、知識や技術を習得し農園の牛プロジェクトの担当になるのだと張り切っていました。このプロジェクトが軌道に乗れば農園で働く人々の収入は増え、暮らしが安定します。やがて奨学支援の必要がなくなる日もくるでしょう。痩せて幼顔のゴビンダさんがとても頼もしく見えてきました。

今後に向けて

今年は、他に6人が地元のフィディムキャンパスで学び始めています。奨学支援を始めてから8年、学ぶ環境が整い、子どもたちの学力もあがり、SLC(注3)に合格する子どもたちが増えています。しかし、資金の限界もあり、全員をビラトナガルやビルタモードゥなどの都会に出すわけには行かず、地元で学ぶことも選択肢の内です。
KTEのフェーズ1(注4)は後2年で10年になります。農園で働く人の子どもたち全てが学校に行かれ、基礎教育を受けられるようにと開始した支援は期待以上の成果を挙げてきました。しかし、農園に隣接する地域や奥地にはまだまだ厳しい環境の子どもたちが大勢います。農園の中と外のギャップを広げるのではなく、外の環境を中に近づけるような支援のあり方を検討する時期が来たと思います。この奨学金支援があるために優秀な人材の確保と定着率向上につながった農園としてもこれを続けたい気持ちが強くあります。いきなり終了や質の低下とはせず、しかし、限られた資金をフェーズ2(注5)や近隣地域にどう配分するか、話し合いをスタートさせなければなりません。
カトマンズとフィディムを結ぶ、中継地点のビルタモードゥ。そこに暮らす少数民族で土地の人もその貧しさに驚くというほど生活の困窮しているキサン民族や、ネパリ・バザーロと協働プロジェクトでオーガニックコットン栽培をしようとしている、フィディムの南のリンブー民族の子どもたちの教育支援も始まるでしょう。財源はそちらにも回さなければなりません。ボランティアでネパリの教育プログラムをサポートしてくださるデヴィさんとの再会、ビルタモードゥに駐在するKTEのサポートスタッフ、バラットさんとの交流、リンブーグループのリーダー、ディペンドラさんとの出会い。質の高いブラックペッパーを栽培する農家の方たちとの出会い。今回の滞在もとても充実したものとなりました。次回からはここ、ビルタモードゥも活動地域として重要な地点に加わります。今回はそこをベースキャンプとしてのネットワーク構築の滞在になりました。

牛プロジェクトと奨学生

KTEで牛プロジェクトが始まったのは2004年。きっかけはプラマナンダ・カフレさん(50歳)という10年前から農園で働いている男性でした。彼は事業に失敗し、多額の負債を抱え、追い詰められていた時、農園のことを知り頼ってきました。ただ働くだけでは家族5人が生活するのさえやっと、その借金を返すことなど無理と判断した農園は、彼に資金を提供し、牛ややぎ、鶏を飼い、別に収入を得ることを勧めました。プラマナンダさんはその計らいに応え、身を粉にして働き、抱えていた借金も返し、生活を改善していきました。それを知ったオランダの支援家が、他の人も家畜を飼えば収入を向上させることができるのではないかと考え、最初の資金を出すことにしました。そして、2004年、35頭の牛からこのプロジェクトはスタートしました。2007年、農園の奥の地域、更に生活の厳しい家々にも65頭の牛を農園が提供しプロジェクトを拡大しました。牛を借りた農家は仔が生まれるとメスなら1頭だけ返し、オスならもらえます。そして、農園は返ってきた仔牛をまた他の希望者に貸与します。現在は農園と拡大地域合わせて150頭、ほとんどの農家に配られました。農家は毎日乳を搾ってバザールで売り、牛糞は自分の畑の肥やしにし、余った牛糞は農園が買い取ってくれます。こうして少しずつですが、収入が増え生活が改善されてきました。2009年の奨学生、ゴビンダさんはこの牛プロジェクトをさらに進めるために自ら志願して学び始めました。専門知識を身につけて意気揚々と帰ってくる日がとても楽しみです

(注1)カンチャンジャンガ紅茶農園(KTE)のカトマンズ事務所長。
(注2)ストライキのこと。外を歩くことは問題ないが、車の走行は禁止。 店や工場、事務所も営業できない。
(注3)10年間の基礎教育を修了したことを証明する国家試験。
(注4)神奈川県立神奈川総合高校のワンコインコンサートメンバーとKTE、ネパリ・バザーロの3者で取り組む奨学金支援プログラム。農園で働くワーカーの子どもたち全員が10年間の基礎教育を受けられるように2002年から取り組んでいる。
(注5)SLCを合格した子どもたちの中で、家庭の経済状況が厳しく自力では進学できず、しかし強い勉学意欲のある子どもたちの職業教育を支援するプログラム。2007年開始。主な財源はネパリ・バザーロのサポート会員の会費。

(verda 2010春 vol.30より)