1. ホーム
  2. > 特集
  3. > カンチャンジャンガ紅茶農園より tsuna10

カンチャンジャンガ紅茶農園より tsuna10

地域開発 人が人らしく生きられるために

紅茶農園の子どもたちへの奨学金支援~始めた思いとこれまでのこと、これからのこと~

≪土屋春代 ネパリ・バザーロ会長≫
中学時代に知ったネパールの子どもたちの厳しい状況と、その20 数年後に聞いた状況が殆ど変わっていないことに強い衝撃を受け、教育支援活動を始めた。しかし横たわる深刻な貧困問題に直面し、仕事の機会創出のため1992 年ネパリ・バザーロを創立した。

≪丑久保完二  ネパリ・バザーロ副会長≫
コンピューターの開発を経て現職。国際語エスペラント&アマチュア無線の太平洋エスペラントグラブ技術相談員。40 歳でバドミントン神奈川県大会で優勝。会長と協力してネパリ・バザーロを設立し、強靭な体力・気力で支える。

聞き手:高橋百合香

なぜ教育や子どもたちへの支援にフォーカスを?

春代  ネパールの子は貧しくて学校に行けずに働いていると、子どもの頃に岩村昇医師から聞いて、教育の支援をしたかった。学校建設だと思いました。
完二  ネパールへ行って、学校の不足ではなく家庭の貧困問題だという根本原因にたどり着いたことで今のネパリ・バザーロの活動が生まれたし、奨学金支援活動につながりました。
百合香  本格的な奨学金支援は東ネパールのカンチャンジャンガ紅茶農園(KTE)が最初ですよね。
春代  K T Eの紅茶を扱うようになり、1999年に完二さんが初めて訪問しました。
完二  あの頃は車で行ける道が通じておらず大変でした。農園の宿舎に泊まると、農園が提供する小屋に暮らすワーカーの困窮した生活ぶりが見えます。働きながら娘を育てるタラポーデルさんのお宅の厳しさは特に印象的でした。KTEは家族の一人分だけ学校に行く費用の半額を支援していましたが、他の子は学校に行けませんでした。もともと自分たちは子どもたちの教育への思いで始めていましたので、何とかしたいと思いました。
百合香  KTEの教育支援が一人分だと、男の子優先でしたか?
春代  そう、子どもの数も多かったし。
完二  教育を受けさせるという意識も低かったです。学費支援があっても、家の手伝いをさせたほうがいいという意識の時代。
春代  最初にネパールに行った頃はカトマンズと地方の格差が大きかったし、カトマンズでも女子に教育はいらないという風潮もありました。
完二  識字率も低かった、特に女子は。
春代  KTE代表のディーパックさんから奨学金支援をしてほしいと相談されました。全員への基礎教育か、優秀な子へのリーダー教育か、どちらが必要かと聞いたら、全員に基礎教育を受けさせたいと言われました。村の教育関係者を集めて第三者としてコミッティをつくってもらい、KTEとコミッティとネパリの三者で話しあい、2002年に開始しました。KTEでの奨学金支援が軌道に乗ってくると、農園で働く人の定着率やKTEへの帰属意識も上がり、いい効果が出ました。
完二  1996年から10 年間内戦があり、反政府武装勢力マオイストにより各地で生産が止められた時も、KTEは奨学金が評価され、阻止されずに生産を続けられました。
春代  奨学金支援で生産者を大切にしていると有名で、完二さんが行くと、マオイストも花輪をかけて歓迎してくれました。貧しい人が優遇されているというのが庶民の味方とみられたのです。
完二  ネパール東部はマオイストにもそうした論理が息づいていました。西部は戦うことが目的となり、そうした倫理感がなくなっていましたが。
春代  それでも東部でもトラックが地雷を踏んで運転手が亡くなる事件もありました。
完二  村に行くには、マオイストからの検問、政府軍からの検問、渋滞、徒歩移動で倍の時間がかかりました。マオイストは外国人には手を出さないと言われていましたが、ライフルを構えて、車を降りろと言われたこともあります。
春代  KTEカトマンズ事務所長のディリーさんが私にいつ農園に来るんだと何度も言い、「道路がつながったら」と言っていたのが、できたぞと言われようやく行ったのは、2008年11 月。内戦後、虐げられてきた民族が自分たちの権利を勝ち取ろうと実力行使していた混乱の頃でした。ストライキで道路が封鎖され、誰も車を出してくれず、お金をつんでドライバーを見つけて、警察が県境まで送ってくれました。警官は完全武装でした。
完二  夜7時以降は車を走らせてはいけないのですが、深夜なら検問を通過できるからと夜遅くに出発しました。
春代  真っ暗な山道をヘッドライトも消してよく走れたと思います。検問で見つかって追いかけられ大変でした。
完二  向こうはこちらを敵だと思っているから撃たれる危険もありました。

専門教育支援はどのように始まったのですか?

春代  基礎教育を修了しても高等教育を受けないと仕事に就けないという話に納得し、卒業後の子どもたちの教育支援も2007年から始めました。基礎教育支援は5年間の約束で始め、KTEが自分たちで資金作りをして引き継ぐことになっていましたが、なかなか始動せず、ずるずる続いていました。限られた資金の中で充実した専門教育支援を継続させていくために、2015年にようやく基礎教育支援をKTEにゆだねることができました。
百合香  KTEとしても効果があると思うから、基礎教育支援を引き受けて進めていますね。最初の学生は?
春代  KTEに人選してもらいました。家庭環境が厳しいワーカーの子をと。ススマさんはワーカーの娘ではありませんでしたが、必要と判断して支援しました。ダリット(不可触民)のハンディがありながらよく頑張りました。今は結婚しましたが、正看護師になりましたし、自分で自分を養えます。結婚しても仕事を続けてくれると嬉しいです。
百合香 結婚前に少しでも仕事の経験を積んでほしいですね。
完二  そこは厳しく伝えたい。
春代  強制はできませんが。
完二  山の奥地から平野部へ出て学ぶ彼らを支援していると、その平野部にも生活の大変な人がいる、というので出会ったのがキサン民族。
春代  ビルタモードで奨学生の世話を頼んでいたデビさんから、キサンの子どもたちをサポートしてもらえないかと言われました。
完二  SLC(高校卒業資格)をパスできた子を支援しました。
春代  最初は地域の学校事情が分かりませんでした。その後バラットさんに奨学金の現地コーディネーターをお願いすることになり、調べてくれていい学校が見つかりました。バラットさんがフォローしてくれるのは大きいです。
完二  いないととてもできません。
春代  学費や生活費の相場もわからないし、子どもたちのその後も追えません。バラットさんは誠実で安心できます。子どもたちからも信頼されています。
百合香  教育システムも複雑でわかりにくい。支援することでキサンの若者たちも変わりました。
完二  男子はバイトしながらでも進学するというパワーがありますが、女子は難しい。百合香さんや裕里香さんのようなネパリスタッフなどがモニタリングに行くことも女子の刺激になっています。
百合香  進学するという選択肢がなかったので、最初は何を学びたいか考えたこともなかったのに、医療を学びたいなど希望がはっきりしてきています。
春代  村の子はハンディがあります。
完二  カトマンズの中流家庭が自分の子に使っている教育費と比べると、村の子は厳しい。その日暮らしで、卒業後も何か事業を始める資金もありません。
百合香  それなのに自分で事業を起こした子もいてすごいですね。
春代  アーユルヴェーダを学び、薬局を始めたジャヌカさんが起業の最初。一期生のアニタさんは看護師として働いています。スニタさんも頑張って働いていました。アニタさんたちは一期生だからモデルとなる先輩もいなくて、親元を離れて辛かったと思います。田舎から出て勉強に追いつくのも大変で泣いていると、KTEのディリーさんに叱られていました。卒業して仕事をしてよく頑張っています。
百合香 先輩がいる今の子とは異なります。働いてからも差別、パワハラ、セクハラもあるでしょう。
春代 農園でも農民は下に見られます。教育を受けた次の世代が変えていくのが楽しみ。ゴビンダさんは支援金で揃えた部屋の備品を卒業後持って帰ったり、ラクシュミさんは自転車を勝手に買って請求してきたり。
百合香 はちゃめちゃだった子の方が仕事を生み出し、すごいとも思います。
春代 ジャヌカさんも要求が強くて苦労しましたが、自己主張しつつ、いろいろ考えて意欲的でした。
完二 卒業後ジャヌカさんはとても感謝してくれています。
春代 仕事をして、初めて理解できることもあるでしょう。
百合香 奨学金支援での日本の若者との関わりは?
完二 支援を長続きさせるためにも、一緒にやる仲間が日本側にいた方が客観的に見られてよいという思いもありました。神奈川総合高校がワンコインコンサートという活動をしていて、収益金を寄付する支援先を紹介してほしいと言われ、奨学金に関わってもらうことになりました。2002年のワンコインコンサートから収益金をKTE奨学金に寄付。2004年3月には、神奈川総合高校の学生もネパールを訪問しました。

奨学金の今後の展望、課題は?

完二 成果も見えるようになり、やりがいは感じますが、現地に行くとやはりいまだに厳しい状況。自力で行ける人は自力で、行けない人に手をさしのべ、始めたときの目的を続けたい。
春代 モニタリングに行くことで学生たちもモチベーションを保て、日本から支援してくれているたくさんの人たちの気持ちも伝わります。
完二 一人でやっていると方向を間違うこともあるので、モニタリングは大事です。現地コーディネーターもモチベーションが高まります。
春代 卒業生たちが互助会のようなしくみを作ってくれると嬉しい。連携して支援の母体を作ってそこに我々がサポートできるような。
完二 互助会は卒業生同士が近くに暮らしていないと続かないし、人を雇うほどの力もありません。ファンドを作るのは大変なこと。キサンファンデーションがそれに近く、彼ら自身で奨学金運営できるといいのですが、原資が少なくて、今はそこまではできていません。互助会的に名簿を作ったり、ネパリの奨学金制度を伝えたりしています。
春代 キサンは少数民族で、出会う前からNGOを作っていましたが、KTEのフィディムの子たちもまとまってくれるといい。同じ時期に学んだ子同士は顔が見えているが、年代が違うとつながりがありません。何に苦労し、どんなサポートを受けたかを伝えるとか、次の世代を支えていってほしい。
百合香 私たちが訪問すると、何人か集まってくれて同窓会のようになります。そうした場が私たちの行かないときにもあるといいですね。
完二 コーディネーターのバラットさんがつなぐ役割を担ってくれています。
百合香 想像していなかった動きが生まれてくるかも。
完二 人づくりと、開始時から変わらない目的があるので、どういう形で続けていくか常に考えながら、できることをやっていきたいと思います。

≪専門教育の奨学金支援を共に支えてくださっている大切な仲間たち≫

●NPO法人WE21ジャパン厚木
アトレード商品を販売し、その収益を途上国の人たちの生活向上や国内の被災地等に支援する活動を続けています。2008 年以降、ネパリの奨学金支援に毎年多額のご寄付を下さり、さらに2013 年以降は倍近くに増やし、ご支援を継続して下さっています。一人でも多くの子どもたちに教育の機会を、夢のある未来をと願って下さる強力なご支援のお陰で、多くの奨学生が夢を諦めることなく、自立の機会を得ることができるようになりました。毎年企画して頂く報告会で現地の状況を伝え、メンバーの方々とも交流し、共に支援する仲間としての親交が深まっています。

●鎌倉女学院中学校・高等学校
神奈川県鎌倉市にある私立中高一貫校。活動に共感して下さり、2012 年以降、ネパリ・バザーロの商品を文化祭で販売し、その収益金やオーケストラの演奏での寄付金を奨学金支援にご寄付下さっています。また、毎年10 名以上の学生がインターンやボランティアとしてネパリに来て現場を体験し、私たちが目指す社会について想いを共有してきました。講演やネパール文化紹介などの形でも交流を重ねています。最近は卒業生が関わってくれたり、保護者の方ともつながりが生まれたりと嬉しいこともあり、これからが楽しみです。

●公文国際学園 国際理解委員会
神奈川県横浜市にある私立中高一貫校。2007年より、国際理解委員会のメンバーが体育祭や文化祭でネパリの商品を販売し、その収益を奨学金支援にご寄付下さっています。ネパリ・バザーロの活動や生産者の様子、フェトレードについて理解を深めようと、毎年新しいメンバーを連れて事務所を訪問したり、ボランティア作業にも参加したりと、学生一人ひとりとも関係が深まっています。

●フェリス女学院大学 フェリス・フェアトレード
神奈川県横浜市にあるフェリス女学院大学の有志学生による活動。10 年以上前から大学祭や「フェリス・フェアトレード週間」などでネパリの商品を販売し、その収益を奨学金支援にご寄付下さっています。授業で活動紹介をさせて頂く機会もあり、またフェリス女学院中学高・高等学校の有志生徒がフェアトレードに興味を持ち自ら学び始めるなど、輪が広がっています。

(つなぐつながる2018冬 vol.11より)