1. ホーム
  2. > 特集
  3. > 虹色の星座 平林麻美さん tsuna29 2023a

虹色の星座 平林麻美さん tsuna29 2023a

虹色の星座 小さな光を繋ぐ未来へ

カカオフレンズを訪ねる 連載 第9

小学校教員

平林麻美さん

取材・文・写真 簑田理香

広大な宇宙に散らばる小さい点のような星でも、線で繋いで結んでいくことで夜空に大きな星座が見えてきます。沖縄カカオプロジェクトは、インド、ネパール、沖縄、東北の生産者さんたちだけではなく、全国各地のカカオフレンズの皆さんお一人おひとりの思いや願いが結ばれて、未来の姿が描かれてゆきます。フレンズの皆さんは、どんな思いで、リサチョコレートを手にしてくださっているのでしょうか。カカオフレンズのお話を伺う連載、第9回をお届けします。

———————————————-

 子どもたちの側でも、先生たちの側でも、教育の現場は、年々「厳しさ」を増していると認識せざるを得ないニュースや統計の報道が増えています。
 その日は都内の気温が高いところで37度まで上がったという夏の日、教師という職業の大変さを思いながら、都内の神保町に平林麻美さんを訪ねました。「今日は、ネパリさんの服の中でも特にお気に入りを着てきました」と笑顔で迎えてくださいました。

 

 

 

 

 

20年来のお気に入り、ネパールのワンピース。沖縄のジュゴンをモチーフにした洋銀の新作ブローチなど。ネパリ製品を組み合わせて素敵にコーディネートされています。

耕し、種を撒き、未来へ繋ぐ

 平林さんは主に大田区や品川区などで教壇に立ち、総合の時間などを使い、その地域の資源や歴史的な特性を学ぶ授業を独自に組み立て実践されてきました。例えば、海苔の生産の歴史を通して品川という地域を学ぶ授業。江戸時代、品川の猟師町(古地図表記による)で、漁業者は採ってきた魚を生簀に放し、江戸城から注文が来ると即座に納められるようにしていたそうです。その生簀に海苔がつくのを発見したのが、海苔の養殖法の発見に繋がり、海苔を大量生産できるようになった。和紙を作る技術を板海苔作りに使うようになってからは、板海苔が日本各地に伝わった、そんな歴史があるそうです。
「そこにはさまざまな技術や工夫があって、調べれば調べるほど面白い。博物館での板海苔づくりの体験を盛り込みながら授業を行なっていました」

 東京大空襲や広島への原爆投下、沖縄戦などを通しての平和学習にも取り組まれています。現地へ学びに出かけるたびに絵本を購入し、まずは、教室で読み聞かせをしてから学級文庫に並べているとのこと。保護者会に参加したお父さんお母さんたちの目にもとまり、例えば「なぜ、沖縄や広島の絵本が多いんですか?」などの会話から始まり、借りていく方も少なくはないそうです。

 沖縄との関わりも、もう30年になるという平林さん。1993年に、思い立って伊江島の阿波根昌鴻さんに会いにいったことがあるそうです。阿波根さんは沖縄のガンジーとも評された平和運動家。本誌でも何回か紹介しています。
「突然訪ねた私に、2週間後なら時間が取れますと言ってくださいました。それで、どうしたと思います?」 

 夏休み中でもあったので、それから西表島へ移動したそうです。
「転んでもただでは起きない性格なので(笑)、そこでスキューバダイビングの免許を取って、それから伊江島に戻り、阿波根さんのお話を聞くことができました。沖縄戦、米軍基地、そして、強制的な土地接収に対し、平和的に粘り強く反対していく運動のこと。それはもう人生の最大の転機という出会いでした」

 沖縄から戻った平林さんは、教職員組合の青年部に沖縄スタディツアーを提案。1年目は、沖縄島南部の沖縄戦や現在の基地問題のことを学び、2年目から伊江島へ阿波根さんを訪ねるようになったそうです。スタディツアーが終わるごとに参加者の記録や感想を集め、文集を作り、それがもう30冊近くにも! 

福島の原発事故や、水俣病の学習会などにも参加しているという平林さん。もともとご自身が学生の頃から、社会の不条理や歪みのようなところに関心をお持ちだったのでしょうか?
「そんなことは無いんです。子どもたちに教えるという立場になって、社会の現実をちゃんと伝えていこうと思って。学び始めたのはそれからです」

 ネパリ・バザーロとの出会いも、最初のきっかけを思い出せないくらい昔のことだそうですが、フェアトレードという公正で公平な仕組みを、子どもたちに伝えたい!という思いがあったとのこと。
「ただ商品を販売するだけではなくて、現地の人たちが自立できるように技術を教える。素晴らしいことです」

 沖縄、福島、広島、水俣。平林さんの中では、どう繋がっているのでしょう。
「みんな根っ子の部分が、似ている、相似形ですよね。国策としてのお金のバラマキがあって、分断を生んで、弱い立場の人たちが長い間、放置されて。ハンセン病の問題も同じですね。決して許してはいけないことです。振り返れば、ずっと、弱い立場に寄り添う学びを続けてきたのかなと思います」

 子どもたちと真摯に向き合い、子どもを取り巻く土壌を耕し、そして、いろんな種を蒔いていく。年々、厳しさをます教育の現場で奮闘されている平林さんの目の輝きに、こちらもエンパワメントされた思いでした。耕し、種をまく。その行為は、私たちもできることから、それぞれの持ち場で続けたいですね。

 

取材・文・写真 簑田理香
栃木県益子町在住。地域編集室簑田理香事務所 主宰。