虹色の星座 丸地智恵子.さん tsuna38 2025w
虹色の星座 小さな光を繋ぐ未来へ
カカオフレンズを訪ねる 連載 第20回
丸地智恵子さん
取材・文・写真 高橋百合香
広大な宇宙に散らばる小さい点のような星でも、線で繋いで結んでいくことで夜空に大きな星座が見えてきます。沖縄カカオプロジェクトは、インド、ネパール、沖縄、東北の生産者さんたちだけではなく、全国各地のカカオフレンズの皆さんお一人おひとりの思いや願いが結ばれて、未来の姿が描かれてゆきます。フレンズの皆さんは、どんな思いで、リサチョコレートを手にしてくださっているのでしょうか。カカオフレンズのお話を伺う連載、第20回をお届けします。
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丸地智恵子さんが全幅の信頼を置かれているこだわりの食料品店「渥美フーズ」さんが、愛知県豊橋市にある一店舗で「食の伝統と食材を知る勉強会」のゲストにネパリ・バザーロの土屋春代をお招き下さったのは2023年2月。20年来ネパリを応援して下さっていた丸地さんは、思い切ってご参加下さいました。「ネパリの活動を知ってから、ずっと気にかけていたっていうか、好きだったんですよ、土屋さんね」。穏やかに、淀みなく言われる丸地さんの言葉から、ずっと伴走して下さっていたお気持ちに私たちの活動が守られてきたことを感じました。

大好きな弦楽器、二胡とウクレレと一緒に。ご愛用の竹布パンツもお似合いです。
つながりの中に灯る希望の光
丸地さんの母親は女手一つで三姉妹を育てました。長女だった丸地さんは自活するため教師の道を志しました。小学校で教えていましたが「教師の仕事、私の性格には合わなかったよね。ぎちぎちと押し込められて」と振り返られます。関心がある事が話せない息苦しい環境だったので、仲間を求めて名古屋にある「第9条の会なごや」に参加するようになりました。
そんな時に本屋でネパリ・バザーロのカタログと出会いフェアトレードを知りました。同じ頃、安いジーンズを大量生産する中国の縫製工場で、過酷な労働を強いられている10代の少女を追った映画「女工哀史」を見ました。それまで安い物を選ぶことに嬉しさこそあれ罪の意識は全くなかったと自らを省みる丸地さん。安さの背景には人権が無視された労働があった事を知り、その上、自宅にお仕立て代無料の激安カーテンがあった事で、まさに自分の日常的行為そのものが搾取だったと悟り、烈しい衝撃を受けたそうです。
第9条の会では沖縄の米軍基地問題や爆音被害についても学びました。居ても立っても居られず沖縄に行き、米軍基地に反対する包囲活動「人間の鎖」にも参加しました。「このような運動は活動家がする特別な事だと思っていましたが、沖縄では杖をついたおじいちゃんが孫の手を引いて、サンダル履きで参加していました」。沖縄では日常の中に抵抗運動があり続けてきた事に目が開かれたそうです。
2006年、第一次安倍内閣は教育基本法を〝改正〟します。さらに第二次で2014年に教科書検定基準を改定し、政府見解に基づいた記述を強く求めるようになりました。「教育基本法が変えられすごく息苦しくて、ますます周囲では話ができなくなりました。沖縄の問題を知りながら納得できない教科書で子どもたちに教えなければならない事は、私には耐えられませんでした」と言われる丸地さんは、早期退職の道を選びます。しかし「これからだ!」と張り切っていた時に体調を崩されてしまいました。「悲しくて泣いていましたが、泣いているとつまらない人生が待っている事になってしまう。それは嫌だなと思って、幸せになろうと決めたんです」。
渥美フーズさんで土屋の話を直接聞いたのはそんな時。沖縄カカオプロジェクトに共鳴し、沖縄カカオフレンズになって下さいました。「病気で不安な時、沖縄カカオフレンズに支えられました。自分にもまだできる事があるということが、大きな心の支えになりました」。
現在はご自宅でリハビリに励まれながら療養されています。楽しみの一つは週に一度の農家さんの訪問です。近所のオーガニックマルシェで野菜を販売していた農家さんが丸地さんの事情を知り、自宅に野菜を届けて下さるようになりました。硬い野菜は台所で切り分けて下さる事も。南瓜を切った時は出来栄えに納得できず交換品を持って来られたそうです。「そこまで気を遣われなくてもと思いますが、自分が納得するまでやりたいようにできる仕事っていいなと思います。農業も子育ても一生懸命で尊敬しています」。人生を分かち合いながら支え合う、温かなつながりを大切にされていることが伝わってきます。
年に一度小学生に環境問題について話をされています。プラスチックごみが自然界や動物、人体に与えている影響について知った上で、考えながら使う事が大切だと言われます。「お金さえ払えば何でもぽんっと目の前に出てきてしまうから、私たちにはその先の大事な事が見えなくなってしまっているのかもしれません。幸せは、自分の周りにあるんだって、私は病気になってから気付きました。歩ける事、色んな事が自分でできる事、生活を続けていける事は幸せだなって」。目には見えない大切な事に想いを馳せて、これからも共に希望の光を灯していきましょう。

インタビュー終了後、土屋春代と。ありがとうございました!
