虹色の星座 木下共司さん tsuna26 2022w
虹色の星座 ~小さな光を繋ぐ未来へ~
カカオフレンズを訪ねる 連載 第6回
福島の子ども保養プロジェクト 沖縄・球美の里
木下共司さん
取材・文・写真 簑田理香
広大な宇宙に散らばる小さい点のような星でも、線で繋いで結んでいくことで夜空に大きな星座が見えてきます。沖縄カカオプロジェクトは、インド、ネパール、沖縄、東北の生産者さんたちだけではなく、全国各地のカカオフレンズの皆さんお一人おひとりの思いや願いが結ばれて、未来の姿が描かれてゆきます。フレンズの皆さんは、どんな思いで、リサチョコレートを手にしてくださっているのでしょうか。カカオフレンズのお話を伺う連載、第6回をお届けします。
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「僕の手帳のカバーは、ほら、今でも2011年のものなんです」
福島の原発事故を忘れてはいけない。チェルノブイリ原発事故で危険性はわかっていたはずなのに防げなかった僕たち大人の、一市民としての責任を、忘れてはいけない。毎年手帳は更新しても、2011と数字が刻印されたカバーを使い続けているんです。
そう語るのは、沖縄・久米島にある、福島の子どもたちの保養プロジェクト「球美の里」の東京本部スタッフ、木下共司さん。東京電力福島第一原子力発電所の事故当時、埼玉県内の公務員だった木下さんは、公立図書館の司書をしていました。その前は、就学前の心身に障害がある子どもの通園施設の指導員。原発事故に対して「まず、子どもたちに対して申し訳がないという気持ちでいっぱいでした」と振り返ります。
一市民として、孤立を恐れず連帯を求めて
球美の里の保養プロジェクトが立ち上がったことを知り、関わりたいと思いつつも、当時、お父様を介護中でもあった木下さんはすぐには動けず。2017年からボランティアとして参加するようになり、2019年から東京本部スタッフに。
コロナ禍前は、母子保養の応援や学童保養*に行く子どもたちに東京から同行して一緒に久米島へ行くこともありました。コロナ禍の現在はファミリー保養(*)を行なっている球美の里へ、スタッフが足りない時に応援に出向きます。
これまでに木下さんが出会った福島の子どもたちのことも伺いました。学校と家との往復だけの生活、友だちができにくい子、外遊びをしたことがない子、いつも怯えた表情の子・・・。
「この数年は、放射能汚染に加えコロナ禍と、福島の子どもたちが置かれた問題は重層化して複雑になっています。表面的なところだけを見るのではなく、どんな環境の中で、どんな思いをしてそうなっているのか、背景をみてあげないといけないと思います。それには、想像力も共感力も必要。だから僕自身も本を読んだり勉強会に出かけたり、学ぶことを続けています」
木下さんのご両親には、それぞれが十五年戦争時に満州(現・中国東北部)に渡り、敗戦後に北京で出会い結婚、戦後十年の時を経て日本へ帰国されたという歴史がありました。ご両親から語り継がれたいくつもの実体験のエピソードから歴史に興味を持つようになった木下さんは、中学生の頃に教師から言われた言葉に衝撃を受けます。授業のノートに書き留めた「南京大虐殺」の五文字を見た教師が言ったのは「日本の恥になるから書くな」でした。
その一言に発奮し、それまで以上に歴史を学ぶことを決意した木下さんは、大学に進学し、社会思想史を専攻。そこで社会の一員としてどうあるべきか、どう生きていくべきかを示してくれた恩師・湯川和夫先生との出会いがありました。湯川先生は常々ご自身のことを「私は民主主義について考え続けている一市民です」と表現され、学生には「著名な人の本を読むことも大切だが、映画や演劇や、いろんな文化、そして生活のあらゆるところに民主主義のヒントがある」と話されていたそうです。「一市民として民主主義を考え続け、実践する。それが僕の、福島や沖縄、そして子どもたちと関わる時の基本です」と木下さん。
学生当時、共に学んだ仲間たちも同じような思いで今の時代を過ごされているのでしょうか?
「大学時代からの友人の中には保養の活動を理解して応援してくれる方もいれば、『まだ必要なの?』と理解を得にくい方もいます。福島から保養に来る方の中にも、家族や親戚などの理解が得られず内緒で参加する方もいます。いろんな考えがあるのは当たり前のことですが・・・」
なかなか理解は得られないものでしょうか?
「どんなに思想・信条が違っても、必ず繋がることができる部分はあるはず。例えば、チョコレートが好きだとか。僕も大好きです(笑)。沖縄カカオプロジェクトのリサチョコは、いろんな人を繋ぐ大切なツールだと思います。よく『みんなで考えよう』って言いますよね。僕は『みんなが考えよう』と伝えたい。恩師はこうも言っていました。『孤立を恐れず、連帯を求めて』と」。
〝一市民〟として、みんなそれぞれが、考える。まずは、そこから、ですね。
(*)コロナ禍前には、福島県及び近隣の子どもが集まる学童保養や母子が集まる母子保養のプログラムを行っていました。現在は感染リスク低減のため、一度にひと家族だけのファミリー保養を実施しています。
取材・文・写真 簑田理香
栃木県益子町在住。地域編集室簑田理香事務所 主宰。
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