暮らすように働く 2026年 更新中です!
ネパリスタッフが、日々働きながら感じることを思うままに書いています。
8月
10年前の7月26日に神奈川県相模原市の県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」で凄惨な事件が起きました。刃物を持って侵入した元職員は園で暮らしていた障がいの重い19人を殺害、26人に重軽傷を負わせました。「意思疎通のできない重度障がい者は不幸しかもたらさない」と殺害した事件に対して「殺人は許されないが背景は理解できる」
「犯人に共感する」という声がSNSに多くあがり、障がいのある人に対する偏見と差別がいかに根深いかを浮き彫りにしました。国も県も共に生きる社会をつくるという目標をかかげ対策を講じましたが“生産性”などの物差しで人を判断し“生きる価値”を値踏みするかのような社会は10年で変わったのでしょうか。報道番組でインタビューを受けた障がいのある人は「強い恐怖を感じたあの事件はまだ終わっていない。また、他の場所でも起こりうる」と言いました。障害者手帳を持つ人が家族にも周囲にもいる私からは“障がい者”は決してただの弱者ではありません。障がい者の意思、声を奪えば強者の論理に支配され共に生きる社会から遠ざかります。人はいつ障がい者になるかも分かりません。その意見が当り前に反映される社会に変えていかなければ真の平和は実現しません。この事件を忘れてはならないと思います。(春代)
年々暑さが増す夏がくると思っていたら、もう8月。ネパリは決算期、ネパールでは、高等教育の奨学生が決まってくる季節でもあります。今年は、ある奨学生の嬉しい出来事がありました。その学生が住む農村部の小さな町は一昨年秋の豪雨で近隣の川が氾濫して津波のような大きな被害が発生しました。奨学生とその母親が間借りしていた家は半壊。行く当てもなく、今も、そこに住み続けています。さらに、通っていた大学は学生数が減り、彼女のクラスは閉じることになりました。そんな厳しい環境にも負けず2年生、3年生と自学自習して試験だけを受ける道を選んで勉強を続けてきた甲斐あって、成績はけっして良くはありませんが、3年も合格し進級することができました。最終学年の1年間も大変だと思いますが、最後まで続けてくれることを願っています。(完二)
4月から始めた「ボランティアオープンデイ」をこれまでで3回実施しました。初めましての方や長くお世話になっている方に事務所までおいでいただき、タグ付け、開梱、リーフレット作りなどいろいろな作業をお手伝いいただく中、私は主に服や雑貨のお直しを数名の方とチクチクしています。皆さん熱心かつ楽しそうに取り組んでくださり、終了後のお茶会も和やかで、自分自身がとてもリフレッシュして心爽やかになっているのを感じます。気になっていたお直し品が解消していくスッキリ感や、気持ちの良い方々と過ごす安心感もありますが、針を手に無心にチクチクすることも良い癒しだと思います。手仕事は完成する達成感だけでなく、そのプロセスも、気持ちをリセットしたり、内省したり、セルフケアの役割があるようですね。これからもチクチク楽しみたいと思います。(スケジュールはホームページでご案内しています。ご参加お待ちしております!)(早苗)
14人の元日本軍戦犯の方が中国への侵略戦争での加害体験を赤裸々に語るドキュメンタリー映画「Japanese Devils / 日本鬼子 / Riben Guizi~日中15年戦争・元皇軍兵士の告白~」を見ました。戦場ではただ殺すのでは飽き足らず、残虐さを競い合う、まさに鬼に変貌していく狂気の過程を当時の生々しい感情も含めながらも淡々と語る姿には、耳を塞ぐこと、目をそむけることは許されない静かな迫力がありました。彼らは敗戦後シベリアに抑留され、1950年に中国の撫順戦犯管理所へ移管されました。そこでは「戦犯といえども人間である。人格は尊重しなければならない」という中華人民共和国政府の方針の基、反省を促されました。職員の多くが、日本軍に肉親を殺され怒りや憎しみを抱えているにも拘わらず、人として接することにどれほど力を尽くしていたかは、安心した表情で食事をし、風呂で仲間と足を伸ばし、運動に熱中している元戦犯たちの姿から伝わってきて感動しました。そのような日々を経て自らの罪に向き合うようになった元戦犯たちは、帰国後、加害行為を日本国内で語る平和活動を積極的に行いました。人間はどこまで残虐なのかと絶望に突き落とされると同時に、人らしさを取り戻し生き直すことができるという人間への希望を感じました。(百合香)
「意味を語らない」という選択について考えることが最近多々ありました。SNSを見ていると、戦争準備が着々と進む社会の中で「〇〇(著名人)には声を上げてほしい」「〇〇に反戦歌を歌ってほしい」という声をよく目にしました。気持ちはとても分かります。著名な方の影響力が、社会のために使われてほしいと願うことは私もあります。ですが、これだけ様々な情報の伝達が早くなってしまっている社会では、発信した一言が、写真が、曲が、映画が、受け取った側の解釈によって勝手に意味づけられ、最終的に発信した方の人格までも作り上げてしまうことがあるとも感じています。逆も然りで、SNS上である事を語らない(発信)しないというだけで、「この事に関してはダンマリなの?」「何も発信してくれないの?」という声が多く上がっている場面もありました。発信していることだけがその人の思想でないはずなのに、発信をしてもしなくてもその部分だけで勝手に意味を持ってしまう、そんな社会はあまりにも窮屈で、逆に自由が縛られてしまうなと思っています。SNSが当たり前にあり人工知能も発展してくこれからの世の中で、他に意味を求め過ぎず、ゆっくりと自分で考え呼吸ができる距離感を保っていけるようにしたいと思いました。(萌)
7月
6月21日に開催した劇映画「新・あつい壁」上映と監督のアフタートークの会は参加された皆さんと共にハンセン病問題について深く考える集いになりました。映画は熊本で1951年と52年に起きた「菊池事件」と言われる事件と裁判、そして結果を記録に忠実に映画化したものです。殺人犯として逮捕されたFさんはハンセン病と疑われ一般の法廷ではなく医療刑務所内の“特別法廷”と言われる非公開の場で裁かれ、死刑判決を受けました。Fさんは徹頭徹尾、無罪を主張し3度も再審請求を出しましたが認められず処刑されました。中山節夫監督は事件が起きた熊本県合志市に生まれ育ち中学・高校時代にハンセン病患者や家族が迫害されるのを間近に見て育ち、持ち前の正義感から受けた衝撃を後年、監督となって映画化しました。デビュー作はハンセン病療養所で暮らす親と離れた場所で育てられた子ども達が感染していないにも拘わらず地域の学校に通うことをPTAや住民たちに大反対された事件を映画化した「あつい壁」で昨年11月に上映しました。今回と2度にわたって開催した上映会後の中山監督のお話は現地現場の空気を知る目撃者として90歳近くなられた今も怒りを帯び説得力があります。参加者の皆さんはひと言も聞き漏らすまいと真剣に聴いていらっしゃいました。今、Fさんの裁判は5度目の再審請求中です。署名運動にぜひ参加し、無罪を勝ち取りFさんの尊厳を取り戻しましょう。署名用紙はこちらからダウンロードできます。(春代)
https://Kikuchi-Saishin.short.gy/syomei-highcourt-ver2
腎臓機能が低下して入院となってしまいましたが、順調に回復して、この言葉が皆さまに届く頃までには退院していることと思います。少しハンディを負いましたが、もう一度、理想の人生をデザインして挑戦して行きたいと思います。ネパールでは、カトマンズ近郊の養護施設を終えた男の子2名が、自立への道を歩き始めました。カレッジを卒業して、働きながらも大学に通いたい、との希望があり、この言葉を書いている正に今日、奨学金コーディネーターのバラットさんと、アシャさん、シムランさんの市民権取得に、この人なくして不可能であったトリブバン大学教育学部の助教教授が、相談にのってくれています。その他、スパイスの収穫シーズンであり、クミン、ブラックペッパー、ガーリックと入荷が続いています。シナモンも、この季節です。暑い夏、是非、スパイスカレーも食べて頂けたら嬉しいです。(完二)
ドラマ「銀河の一票」が話題でした。杉並・岸本区長の一期目の選挙戦を描いた「映画 〇月〇日 区長になる女。」にも刺激を受け、選挙戦を描こうと作られたそうです。ちょうど次の杉並区長選と重なり、公平性に欠くメディア操作だとの批判もあったようですが、大政党ではなく草の根の小さな候補者が市民とともに作り上げていく選挙戦のあれこれが興味深かったです。選挙チラシを配るのを少しだけ手伝ったことがありますが、膨大な掲示板に公示日当日にポスターをすべて貼ることがどれほど大変か。昨年上映された「ウナイ」での沖縄地方議会選での女性たちの奮闘とも重なり、選挙は政治家たちの遠いことではなく、市民ひとりひとりが選び、応援し、行動し、候補者を導いて、一緒に作り上げなければいけないと感じさせられました。選挙に関心を持つ人が増えるといいなぁと思います。(早苗)
事務所の庭に大きな梅の木があります。今年は豊作でした!大きな梅の実がたわわに実っていて、何を作ろうかソワソワ&ワクワクの日々。実り具合とお天気と仕事の合間を見計らい、6月初旬に収穫、仕込みをしました。桃のような甘くてフルーティーな香りに癒されながら、「ハチミツ・ルディロの梅シロップ」「イエラムとハチミツ・チウリの梅酒」「のだ塩梅干し」「西平さん黒糖の梅ジャム」「梅ペースト(椿油と混ぜたドレッシング最高でした♪)」を作りました。毎日漬けた瓶を見ては、ニヤッとしています。最近はまっているのは沢庵。窓辺に大根を干して、屋我地島の塩と西平さんの黒糖と酢につけて数日。我ながら美味しい!皆が喜んで食べてくれるので張り切って作っています(笑)。又事務所の入り口には守り神のような立派な松の木があります。松葉をたっぷり収穫し(爽やかな香り!)、西平さんの黒糖とお水に漬けてしばらく置くと自然発酵し、りんごのような爽やかな味の微炭酸ジュースができます。美味しくデトックス。まさに松竹梅を堪能しています(竹はタケノコと竹布の服で^^)。後は、ちょっと疲れたな~と思ったら、コンポストを覗いて土と微生物のバランスを観察するのも楽しい。私のNepali Lifeはこんな感じです。(百合香)
6月23日は沖縄慰霊の日でした。当日の12時に私も黙祷をしようと考えていたのですが、気がつけば黙祷ができずに時間が過ぎてしまっていて、結局私は忘れることのできるポジショナリテイを持つ側なんだなと、気持ちがあまり落ちかない1日でした。私たちの活動でもとてもお世話になっている奥間政則さんが、式典で高市首相と会場参加者に向けて「戦争反対」「ウチナーンチュは声を上げろ」と何度も何度も叫ばれました。奥間さんの叫びは、高市首相へだけではなくこの構造を生み出し沖縄に押し付けている本土に住む私にも向けられている言葉だと思っています。奥間さんは毎年の式典で、3〜4人がかりで排除されてしまうまでお一人で声を上げ続けてくださっていますが、今年は10名ほどの方が、それぞれの意思で声を上げられていました。それほど沖縄の軍事化が深刻な状況になっていることが改めて伝わってきました。奥間さんがなぜ慰霊の日に声を上げ続けられているのか、大袈裟太郎さんの記事からお読みいただけます。(萌)
https://togoinomata.com/rudenews/posts/fXwv_RmR
6月
沖縄・伊江島の阿波根昌鴻さんと学生時代から長年にわたり親交のあった写真家の張ヶ谷弘司さんに阿波根さんのことを伺い、夏カタログに掲載しました。阿波根さんの普段の何気ないひと言や行動など、エピソードをたくさん教えていただきました。読まれた方からの感想「張ヶ谷弘司さんと土屋さんの対談は、素顔の阿波根さんを知る素敵なエピソードが満載で、阿波根さんを一層身近に感じました。すごいけど普通の人、家族を愛し、普通の生活を愛していたから、あんなすごいことができたんだと改めて感じました」。この感想を張ヶ谷さんにお伝えしたら「本当に此の方がおっしゃる事なんだと私も思います。普通の考え方、言葉、難しい意味ではないのでしょう。例えば茶椀を手にして、王様の手でも畏れ多いとも思わない、乞食の手でも汚いとも思わないと、阿波根さんが話していました。阿波根さんは一生つくし、不平も言いません」。また素敵なお話を伺えました。阿波根さんの言葉や思想に触れに、ぜひ、伊江島のわびあいの里にいらしてください。(春代)
日本も6月に入り梅雨入りして、急に寒くなった昨今です。ネパールでも、6月も中旬から下旬に入ると雨期には入ります。特に山岳部のコーヒー産地シリンゲでは、崖崩れは常にあります。その前に昨年から今年初めに収穫したコーヒーの最終工程、乾燥したパーチメントからグリービーンを取り出して選別する工程の作業を急いでいます。又、養護施設MSCCから2名がカレッジを卒業して施設を出ました。これから自立に向けての試行錯誤が始まります。身寄りは母親だけ、しかし、経済的困窮度が高く、ホームで育ちました。今は亡き前理事長との約束で、その後の学びも希望されているので、支援を検討中です。いつも、目の前の支援に追われているようですが、時代が変わって来ていること、次の世代が活躍する流れを感じる昨今です。(完二)
世界のあちこちで暴力が蔓延し、それを誰も止められずにいる今、ジーン・シャープの説く「戦略的非暴力闘争論」を学びたいと思い、解説本を読んでいます。「非暴力を勧めるのは道徳的だからではない。むしろ戦略を練った徹底した非暴力闘争こそ勝算がある」とはいいつつ、理想はそうだろうけれど本当に非暴力で暴力に対抗できるのか?と納得しきれないところもありました。でも、考えてみたら阿波根昌鴻さんの闘争はまさしくその実践。特別な勇者や聖人ではなく普通の農民たちが力を合わせる。武器となるものを持たないだけでなく暴力ととられないよう手を耳より上にあげることもしない。報道規制された米軍の横暴を写真に残し、乞食行進で島民に知らせ仲間を増やす。反米的にならず、生産者である農民は軍人より勝っていると自覚し教え導く。ベトナム戦に送られる米兵に自国へ戻って家族と暮らすことを勧め、足元から崩していく…。私も無力感に陥らずに、日々の生活の中で今何ができるのか、阿波根さんの著書をまた読み返して、学び、考え、実践していかなければいけないと痛感します。(早苗)
5月末に春代さんと能登に行ってきました。輪島、門前、珠洲と回り素敵な方々にお会いし、最後に珠洲の高屋地区で原発建設反対運動のリーダーだった圓龍寺の住職、塚本真如さんにお会いしてお話を聞かせて頂きました。国はここまで汚い手を使って攻撃をしてくるのかと、ほんの一部ではありますが生々しい内容に衝撃を受けました。住民同士が分裂させられる厳しい状況でしたが、塚本さんは「推進派の人を悪く言ってはいけない」と徹底されたそうです。そのため計画凍結が決まったら分断されていた住民もすぐに仲良く元に戻られたと知り、人として大切な事を貫くことが闘いの中心にあったからこそ勝ち取れたものだったのではと思いました。活動の源には「平等な国に生きる」「坊主は弱い者の味方をしろ」「困難な道を選べ」という父からの教えがあったそうで、今こそ私たちもその闘いに続かなくてはと思いました。(百合香)
2023年10月以降、イスラエルによるガザ地区への軍事侵攻が過激化してから、この虐殺をとめるために自分は何ができるのかと出来ることを探し、まずは検索エンジンを大手グローバル企業のものから替えることにしました(もっと前から勉強して、行動しておけば良かったと今では反省しています)。色々と検索エンジンを探していると、前々から気にはなっていた「個人情報を広告主に販売しない」という検索エンジンが少ないことに驚き、最終的に辿り着いたのはドイツの企業「Ecosia」の検索エンジンでした。私自身の個人情報が売られないのはもちろんのこと、検索広告の利益は世界の植林支援や再生可能エネルギーに活用されています。収益や支出も毎月公開されていて、植林や気候変動対策、再生型農業などにいくら充てられているかがわかるようなサイトのつくりになっておりとても面白いです。先日いつものようにEcosiaで検索をしていると、トップに“Supporting trees, not billionaires”というメッセージが。私たちの日々の経済活動がどのような思想の企業に流れつき、どんな社会を形作っているのか。私のお金が資本家に流れ戦争に加担してしまっていないか。よりベターな選択ができるように経済と社会の構造を学んでいきたいです。(萌)
5月
構想を温めてきた「かりゆしウエア」の取り扱い。今年、出会いがあり急に実現に向けて動き出しました。それまで何も手がかりがなかったのですが、或る日突然道が開けました。やはり人との出会いは大きいですね。そして、進めてきた新製品「かりゆしウエア」のシャツが5月連休明け、沖縄の工房で縫製が完了しました。それから紅型作家さんのところでシャツの右身頃の下と後身頃に小さく、1枚1枚丁寧に型染めを施され、仕上げ工程を経て6月頃、横浜事務所に届きます。長年の夢が叶ったかりゆしのシャツです。沖縄に行かれた方はよくご覧になっていると思いますが、今回ご紹介するのは沖縄で縫製し、伝統的な柄の正真正銘のかりゆしですが、ネパリ・バザーロ風のかりゆしシャツです。男女兼用です。ぜひ、着ていただき今年も酷暑と予想される夏を気持ちよく乗り切っていただきたいと思います。 (春代)
ネパールコーヒー輸入は、約30年前に、夜行バスで西ネパールのグルミを訪問してから、多くの出会いとドラマがあり、その経験を活かして、シリンゲのコーヒー開発に乗り出しました。当時、15歳位で、私達の村訪問に興味を持ち、どこに行くにもついて来た村の若者も、30歳を過ぎ、先月4月には、目出度くご結婚されました。時代が変わって行くことを感じています。私達の取り組みも、今までとは視点を変えて、取り組んで行けたらと思います。日本は、といえば、再審制度の見直し真っ最中。一度決定した裁判は、それが間違いとしても、再度審査はされない開かずの扉という間違いを間違いと認めない法の信頼を損なう制度への見直しです。個人個人の人間の尊厳を守るためにも、その不当な法制度が改められるように注目して行きたいです。(完二)
今年もGWを利用して沖縄を再訪しました。伊江島のわびあいの里にも伺い、倉庫や書類の整理をさせていただきました。夏カタログでご紹介している張ヶ谷弘司さんが語られた阿波根さんのご様子や、観せていただいた映像の中の日常の穏やかな阿波根さんのお姿を重ねながら過ごしました。世界中で暴力が肯定され、各地で起こる戦争を誰も止められず、日本も確実にその渦に巻き込まれ、自国を守るには武力に予算を注ぎ込み軍事力強化をするしかないという流れに押されがちな今だからこそ、阿波根さんの思想と実践を学び、自ら考え、受け継いでいかなければならないという思いを強くします。(早苗)
4月に閣議決定で殺傷力のある武器の輸出が可能となりました。信じられないことです。日本製の武器が他国の人々を殺してしまうことは絶対に避けなければならないことですが、「愛する子どもを育てるため」「食っていくためには仕方ない」と世界のどこかで戦争が起きることを願う空気が市民の心の奥底を支配し出し、日本を覆うようになってしまうかもしれない近未来も恐ろしくてたまりません。そんな気持ちを抱えて訪ねた伊江島のヌチドゥタカラの家 反戦平和資料館。これまで以上に阿波根昌鴻さんの非暴力の闘いの重みが伝わってきました。武器を持たず、対話で平和をつくるという徹底した闘いの節々からは、どんな状況にあっても、人を信じる揺るぎない心が伝わってきました。自分と異なる背景がある人も同じ人間。話し合えばきっと分かり合える。相手の立場や考えを尊重し、何度でも話し合う。そういう大人の姿があちこちで見られる社会だったら、子どもたちも若者も非武装による平和という選択を自然に受け入れることができるのだろうと思います。この局面において問われているのは、私たち大人の生き方。阿波根昌鴻さんの生き方から、もっともっと学びたいと思いました。(百合香)
今年の5月も伊江島を訪問しました。戦争の愚かさ、命を育む土地の大切さ、なによりも命の尊さを伝えるために阿波根昌鴻さんがつくられた「ヌチドゥタカラの家」の中には、「武器を必要とし戦争を作りだす人々にもこの服を着てもらいたい」というメッセージとともに、戦時中に島民、米軍の方々が着ていた衣服がそのまま展示されています。血や汚れがつき、破れ、戦争の悲惨さを突き刺さしてくる衣服たち。以前訪問した際にも何度も衣服とこのメッセージは目に入っていましたが、武力を全面に押し出した今の日本の外交・政治状況の中、「あぁ、このメッセージは私たちが生きる日本に向けられているんだ」ととても怖くなりました。日本国憲法第9条を改正し、殺傷能力のある武器を輸出し儲け、人を殺すための国内技術を高めていく。日本国家情報会議を設置し国民を監視する。そんな国になってしまったんだなと日々暗い気持ちでいた中での、阿波根さんからのメッセージでした。大学生の時に福島菊次郎さんの本を手に取り、日本は平和国家ではないんだと初めて知りました。そして大人になり阿波根昌鴻さんの思想を知り、戦争がなぜ起こるのか、戦争を起こした日本をもっと知らなければ権力に抗うことができないことを知りました。平和は願うのではなく学び、つくっていくものだと大人になってから学び直しています。「ゲンバクを落とした国より落とさせた国の罪は重い」この阿波根昌鴻さんの言葉も忘れずに今の社会で生きていきたいです。(萌)
4月
友人から送られた新聞記事には群馬県のハンセン病国立療養所楽泉園を昨年退所され、故郷の大阪に戻られたハンセン病回復者の北野貞晴さん(102歳)のことが書かれていました。1996年にハンセン病患者の隔離を定めた「らい予防法」が廃止され、隔離の必要がなくなったものの社会復帰は進みませんでした。未成年、それも幼少年期での入所が多かったため社会経験もなく、療養所以外を知らない方達がいきなり社会復帰してよいと言われてもそう簡単にできるものではありません。復帰に向けた訓練も支援もなく、ましてや肉親との縁を切って入所された方が多いので戻る場所がありません。長期に亘る隔離で人権を奪われた回復者の方達が国を訴えた裁判で、2001年、熊本地裁は国による隔離政策は憲法違反だったと断じました。勝訴し、過ちを認めた国から多少の賠償金を得ても社会に根付いてしまった偏見と差別は社会復帰に立ちはだかる高く厚い壁となっていました。大阪府生まれの北野さんは「故郷の大阪で死にたい」と昨年、80年以上暮らした楽泉園を退所され「ハンセン病回復者支援センター」の職員たちのサポートを受けつつ、一人暮らしをされています。近所の人と世間話をし、スーパーで品物を見ながら献立を考えて自分で調理をし日常生活を楽しまれています。支える方たちも望まれない手出しはせず温かく見守ります。北野さん、ようやく、この日がきたのですね。深い感動をいただきました。(春代)
早くも、4月に入ってしまいました。国際情勢をみると、アメリカ、イスラエルのイラン攻撃により、石油関係のエネルギー危機で諸物価は更に高騰。私たちも大変ですが、ネパールのような開発途上国といわれる国々は、更に大変そうです。コーヒーの生産地シリンゲからも、食料品が高騰していて大変との情報が来ています。農村部なので、食料は大丈夫と思えそうですが、塩など日々の生活に必要な物は、影響を大きく受けています。一方で、学生は、年度末の試験で忙しくしています。養護施設MSCCでは、新たに10名の子ども達の受け入れが決まったそうです。その子ども達は、支援者がいるそうで、私たちは、現在の子ども達が無事自立することが当面の使命です。2名は、カレッジの最終卒業試験が間もなく終わり、進路相談をその後にする予定です。先ずは、早く紛争が終わって欲しいと願っています。 (完二)
3月のショップベルダでのイベントで、初企画「ちくちくフェルトの会」を開きました。可愛くて人気のコロコロわんこ、ことりのブローチ、羊のコースターを、ミランガーメントの皆さんに特別に真っ白で作っていただき、そこに参加者がお好きな色の羊毛を専用針でくっつけてカラフルに仕上げていきます。皆さん、フェルト手芸は初めて!と言いながら、短時間デザインを考えた後は迷いなく集中してチクチクチクチク。どれも個性あふれる作品に仕上がり、アイディアの豊富さにビックリしました。楽しそうな様子、インスタでぜひご覧ください!(早苗)
何をやっていても心の中が現在進行形の戦争や暴力で占められていて、どうしようもない気持ちで過ごしていらっしゃる方、多いのではないでしょうか。ウクライナ、パレスチナ、ベネズエラ、イラン・・・終わらないうちに新しい戦争が始まり、これだけ市民が反対しているのに止められていない現実、本当に辛いです。他にも世界各地で争いが続いていて、知れば知るほど、体に力が入り、毎日ガチガチで過ごしている気がします。これだけの暴力を見せつけられていて、きっと誰もが気付かぬうちに大きなストレスを受けているのではないかと思います。たまには深呼吸して、ぐーーと体を伸ばして私たち一人一人が内側からの平和を保ち、お互いがケアをしあうことも大事だなと思います。4月18日には「ボランティア・オープンデイ」を開催します。フェアトレードといわれる私たちの活動は、戦争が終わらない経済構造を変革するための大きな挑戦でもあります。一緒に手を動かしながら、仲間と出会い、希望をもって共に活動ができたらと思います。ぜひご一緒に活動を支えて頂けますととても嬉しいです。ぜひ、お気軽にご参加してみてくださいね!お待ちしています。(百合香)
今、国会前や新宿、各地で戦争に反対するデモが行われています。映像を見てみると若い方も多く、DJの音楽にのりながらシュプレヒコールで盛り上がっていたり、参加された方々が自宅から持ってきたペンライト(好きなアーティストのライブグッズでキラキラ光るスティック。韓国の若者たちがデモで使っていたことから日本でもデモで使われるようになった)を振っていたり、デモ参加者に配布できるよう可愛いバッジを作成していたりと、参加しやすそうな雰囲気の現場が多くありました。2015年の7月、私がまだ大学3年生だった頃に初めてデモに行ったときのことを思い出しました。私にとって、とても衝撃的な時間でした。それは主に安全保障関連法の危険性に声をあげていた学生団体 SEALDsのデモで、日本の政治に対してあれだけ怒り、不安を抱いて泣き、自分たちの行動で未来を掴み取ろうと大人までも巻き込んでいく同世代の存在を知ったあの日のことは今でも良く覚えています。「デモでは何も変わらない」と思われる方も多いとは思うのですが、私は変わったと思います。海外の支援にしか興味がなかった私でしたが、国内の政治をウォッチしなければいけないと気づかせてくれた存在でした。今は中々足を運べていませんが、声をあげてくれている人たちに連帯していたいと思います。(萌)
3月
6月21日に上映会を開く「新・あつい壁」はハンセン病患者を裁く「特別法廷」で証拠らしい証拠もなく国選弁護士は弁護もせず、死刑が宣告され、一貫して無実を訴え3度も再審請求をしたものの処刑された「菊池事件」を描いた映画です。遺族が求めた4度目の再審請求も今年1月28日、熊本地方裁判所は「特別法廷」が違憲と認めながら「公開法廷でやり直しても結論は変わらない」として棄却しました。予断と偏見に満ちた裁判で人権を全く認められず死刑になってしまった冤罪事件です。弁護団は福岡高等裁判所に即時抗告しました。1984年に滋賀県日野町で起きた強盗殺人事件「日野町事件」の犯人とされ、公判で無罪を主張するも無期懲役が確定し服役した阪原弘さんは2011年、再審請求中に病死されました。2012年に遺族は再審を請求。今年2月24日に最高裁は開始を認め、検察側の特別抗告を棄却しました。再審で無罪となることが想定されます。本人の死亡後に再審が認められるのは極めて珍しく「開かずの扉」と言われています。死後再審は無理と言われていた“あつい壁”にようやく風穴が空いた今、菊池事件も死後再審を勝ち取るためにこれまで以上の署名を集めこの流れを定着させましょう。(春代)
昨年9月8日~9日、首都カトマンズ(ネパール)の街頭を若者たちが埋め尽くし、腐敗政治を象徴する政府機関、政 治家の官邸が炎に包まれました。数十人の死者を乗り越えて全国で燃え上がった若者たちの大規模な腐敗政治への抗議行動は首相を退陣に追い込み(ジャルジャラだより10月号、石田龍吉医師発行)、今年3月始めの選挙で、新首相が 選ばれました。国内に仕事が充分にはなく、多くの若者が海外に出稼ぎに出る昨今、少しでも改善が進むことを願わずにはいられません。高校卒業資格(日本の高校1年終了)を経て、2年間のカレッジを卒業した若者は、この4月に全 国統一の卒業試験を控えています。カトマンズ近郊の養護施設MSCCからも2名が受験します。カレッジを卒業すると、養護施設を出る仕組みです。残念ながら、これで自立するのは、親の保護がないので厳しい。仕事を探して収入を幾らかでも得ながら、大学にも進学したいと希望しています。自立に向けてあと少し、応援して参ります。(完二)
「続・日本軍兵士 ―帝国陸海軍の現実(吉田裕著)」を読みました。戦没者の6割以上が病死者といわれるアジア太平洋戦争で、兵士たちがどれほど命を軽視され、無理な環境を強いられていたかが医療・衛生・給養(食料被服の供給)の面から示されています。兵力不足から徴集の基準が引き下げられ、体格体力の劣るもの、高齢者、軍隊経験のないもの、障害者も徴集。ガソリン輸入が閉ざされ、木炭等による代用燃料車が増加し、馬や牛に依存。兵士は数千キロを徒歩で行軍し栄養失調と疲労で前線に到着する前に自滅。食料・衣料品等の補給の軽視と途絶により、兵士は各自炊飯方式で食材・燃料を探し出し(住民から略奪し)調理。冬用軍服は輸入できなくなった羊毛から保温性のない粗悪な綿製へ。軍靴が供給できず、草履(!)や中国人から奪った布靴を使用。粗悪な雨外套による凍死。マラリヤ予防は蚊を追い払うためにと、うちわ(!)を推奨。体重の40%までとされる携帯荷物の重量が「日本人は持久力がある」と50%、60%を強要。・・・国力を無視した無統制な軍拡と精神主義的根性論は、現政権が声高に叫ぶ「強い日本」にも重なって空恐ろしくなります。(早苗)
2月の連休に、春代さん、早苗さん、萌さんと国立ハンセン病療養所長島愛生園と邑久光明園を訪ねてきました。ハンセン病問題を深く学ぶようになり、ずっと訪ねたかった場所です。長島という島にあり、深い海峡が島と本州を隔てています。わずか30mの距離が、国の誤った政策と私たち一人ひとりの差別や偏見、無関心によって、どれほど当事者の方々やご家族を絶望の淵に追い込んでしまったのか・・・当事者の方々の長い闘いによって1998年にようやくかけられた邑久長島大橋を渡りました。断絶された世界と社会をつなぐ「人間回復の橋」といわれる橋は、隔離されてきた方々にとって、どれほどの喜びで尊厳を取り戻すものであったことか、当時の映像から強く伝わってきます。その橋を渡りようやく長島の地に立ったと思う一方で、ハンセン病を宣告された当事者の方々にとっては、突然日常も人間関係も剥奪され、強制的に収容されて一生隔離される、絶対に行きたくない場所、死んだ方がましともいえるほどであったと思うと、知りたい、学ばなければ、現地に行きたい、という私の思いと、元ハンセン病の方々やご家族のお気持ちに限りなく大きな隔たりがあることを認識せざるを得ません。この隔たりをどう埋めていくのか・・・あらためて大きな問いを受け取った訪問でした。(百合香)
寺尾紗穂さんというシンガーソングライターの方の音楽が好きで、その中でも「魔法みたいに」という曲が特別好きでよく聴いています。彼女のファンでよくライブにも来られるというというカップルから、この曲を結婚式で2人で歌ったという報告を直接受けたというエピソードを話していたライブがありました。そのMC後に曲を歌われたのですが「もしも2人が笑えるのなら みにくい嘘や偏見なんて 砂の城のように崩してしまえ 遥かな海に」という歌詞の途中で寺尾さんの歌とピアノを弾く手が止まってしまい、涙で歌えなくなってしまいました。そのカップルの女性は在日の方。なんとか歌い終わった後、「今もこの曲を歌わなきゃいけない世の中のために、10年以上も前にこの曲を作ったんじゃない…」ととても悔しそうに沢山の涙を流していました。きっとそのライブ会場にいた誰もが、誰にも縛られることのない2人の幸せを願っていたと思います。寺尾さんは文筆家でもあり、日本統治下の南洋で生きられた日本人や原発労働者の方々を取材した本も書かれています。国立ハンセン病療養所長島愛生園内にある喫茶「さざなみハウス」でのライブ映像もとても良いので、ぜひ見られてみてください。(萌)
2月
春カタログ、年間報告書、カカオフレンズニュースレターなど発行物の準備が重なる1月は毎年外出を控えほとんど室内で仕事をしています。原稿を書くのは苦しく、他の方の原稿を読むのは楽しい。そして、掲載の確認のためのやり取りでは嬉しいメッセージに励まされることが多く、次に向かう背中を押していただきます。その中のおひとりで輪島の方からのご返信にこのような一文がありました。「私達、能登の人は、まだ何もお返し出来ていない事がもどかしいのですが、毎日、心を尽くした仕事をして、いつかご恩をお返し出来るよう、やわやわ頑張りますね」。思わず涙がでました。被災されて復旧が進まない状況で毎日の生活はどれほど困難で辛いものでしょう。そんな中でボランティアに感謝され、いつか恩返ししたいとまで思われる。一瞬で生活が変わっても他人への感謝を忘れない、そのお気持ちは尊く素晴らしく、でも、自分が同じ立場なら言えるだろうかと突きつけられました。「能登はやさしや土までも」と言われるお人柄に接する場面が多々あります。毎日のように流れるビッグニュースに掻き消されてしまいがちですが、被災地に想いを馳せ、何かできることがあればたとえわずかでも、或いは心に留めて応援するだけでも、そう思います。 (春代)
2月8日(日)、国政選挙が入りましたね。その日は、沖縄県主催で第2回沖縄県ハンセン病問題シンポジウムが 開催されました。皆さまには、お知らせの時間がなく、FaceBookでご紹介はしたのですがどうだったでしょうか? ハンセン病回復者で作家の伊波敏男さんの基調講演とその後シンポジウムが見所でした。土屋と私でお手伝いさせて 頂きました。3月には、伊波さんの講演が、わびあいの里(反戦平和資料館)で行われる予定です。(完二)
今回の衆院選の公約でも「日本が好きになる歴史教育を」と歴史改ざんを大っぴらに掲げている政党がいました。以前も書きましたが、この人たちは子どもが間違ったことをしてしまった時に、間違っていると言ったらこの子は自分を好きでなくなるからと事実を曲げて「キミは悪くない」「悪いのはお友だちだ」「お宅のお子さんが嘘を言ってる」と言いはるのでしょうか。まるで、自己肯定感の低い人が承認欲求を満たすために、逆に自分は優れているんだと攻撃的に他人(国)をおとしめ、有力者(国)には媚びて傘下に入り、無謀なマウントを取りたがるという、ありがちなパターンと重なってみえます。誤りも含めて事実を認め、ではこれからどうすればよいのかを考えるのがあるべき教育ですし、本当の意味で自分(日本)を好きになれる方法ではないでしょうか。これを書いているのは投開票日前。国民はどの道を選んだのでしょうか・・・。(早苗)
今日は2月5日。春カタログと年間報告書の目途がようやくついて、明日の入稿予定です!後一息!毎日バタバタと追われていますが、日々の楽しみは、事務所での食事タイム。うん米を食べながら、政治や選挙、社会問題など、ついつい時間を忘れてしまうほど白熱して話しています。最近は大学生の若者が定期的にボランティアに来てくれて、さらに白熱(笑)。若者視点の問いかけは刺激があります。もっともっと多くの若者と語る機会が欲しいなと思います。そんなこんなで賑やかな事務所なのですが、目の前のことに追われていて、気が付いたら一ケ月近くSNSを更新していません・・・楽しみにして下さっている方、申し訳ありません・・・同じ空間で食事をし、対話をし、仕事をすることに全力投球すればするほど、SNSからは遠のいてしまい、そうすると活動も存在さえもないことになってしまいそうな現代・・・どう付き合っていくのか悩ましいところです。カタログには日々の事務所の熱量をたっぷり込めて作っていますので、楽しみにお待ちくださいね!(百合香)
突然の国政選挙が近づいてきて、事務所では(いつにも増して)あーだこーだと政治の話で盛り上がっています。思い返すと、大学生の頃は選挙に一度しか行った記憶がありません。地元の栃木に住民票を残してきたというのもあるかもしれませんが、政治に無関心でした。「世界で起こっている戦争や貧困」「原爆を落とされた日本」などの不条理が存在する社会に対して何か行動ができる人でありたいと思い大学に進み、実際に途上国とよばれる国に行きボランティアができる団体にも所属していました。ですが実際に、過去の日本が主にアジアに対して何を行ってきて、今の政府はその歴史をどう捉え、未来に残そうとしているのか、知ろうとしたことはありませんでした。そして実家を出て一人暮らしをしながらアルバイトを掛け持ちして、決して安くない教材やバスの定期券を買いながら嘆いていたとしても、政治には無関心でした。世界の不条理も自分の暮らしも誰につくられたものなのか、想像するまでに至れていなかった過去の自分に大反省していますが、政治に無関心な国民をつくる日本の教育システムの中にどっぷり浸からされていたなとも感じます。学ぶに遅いことはないと思うのですが、今の若者たちと日々の暮らしと政治のつながり、お金の流れであったり、平和をつくるとはどういうこと?武器は必要?などなど、話すことができる環境を大人がつくっていくことは未来への投資でもあるなと思います。(萌)
1月
沖縄の辺野古の米軍新基地建設に反対する海上行動の抗議船の船長・大畑豊さんから海上抗議・阻止行動のドキュメンタリー「水平へ漕ぎだす 辺野古海上行動と裁判闘争」上映の連絡を受け新宿に観に行きました。非暴力で抗議する千葉和夫さんのカヌーに海上保安庁の頑丈なボートが左から衝突、海に没した千葉さんにさらに右側からもう1隻が衝突して千葉さんが重症を負い意識不明で救急搬送された2021年4月の事件が生々しく映し出されています。千葉さんは事件後に国に損害賠償を求める裁判を起こしましたが、軽微な怪我で海保に責任なしと地裁で棄却されました。上映後の舞台挨拶で千葉さんは「沖縄という地方の問題ではなく、日本全体の問題だと知ってほしい。高尾山を削り甲州街道をダンプカーが列を成し、東京湾を埋め立てると想像してほしい」と静かに訴えられました。12月10日の高裁判決も却下され、裁判長はコソコソと小声で短い判決文読み上げると直ぐに逃げるように去ったと聞き唖然としました。このようなことが罷り通っている現実を多くの人に知ってほしいと想います。(春代)
今年も、ネパールに出かけて、生産者、農民、紅茶農園を訪問しました。訪問した年末の時期は、とても寒く、寒さで眠れないほどでした。今年は、長年続けて来た奨学金の評価という立場から、家庭訪問に職場訪問を加えて、時間制限があるなかで伺って来ました。支援を始めた頃は、可愛い幼少の子どもたちが、働き盛りの年代になり、風貌も家庭の大黒柱という存在になりました。地域で農業栽培の指導をしたり、家畜の健康を支える仕事に従事、更には、遠方の医療を支える一員であったりと、地域を支える一員である一方、家庭では、経済的な支えの担い手になり、不自由になった母を経済的にも支えるなど、なくてはならない存在に成長されていました。今年からは、小さいけれど、新しい動きも始まりそうです。奨学生が受けたメリットをそれぞれが感じていて、少しでも、私達の活動を支えたいと、ネットワーク作りも始まりそうです。私達を応援する皆さまの存在も伝わっています。日頃からの応援、有り難うございます。 (完二)
今冬も年末に沖縄に行きました。伊江島訪問の前日、工事が軟弱地盤の大浦湾側に移ったという辺野古に行ってみました。車が東海岸に近づくといきなり杭打ちの機械が何本もそびえていて異様な光景でした。7万本以上の砂杭を打ち込むそうですが、この一年で5%進んだだけで、計算上は杭打ちだけであと20年!それなのに事業費総予算の7割が既に支出済みだとか。税金での予算追加を私たちは許すのか?つぎ込む税金は誰の懐を潤わすのか?今からでも断念しようという勇気を持てないのは日本人の特性なのでしょうか?1月末には名護市長選ですが、名護だけの、沖縄だけの問題ではなく、日本中が目を向けて声にしていかなければと改めて思います。(早苗)
タライ平野からジープに揺られて5、6時間。完二さんと7年ぶりにカンチャンジャンガ紅茶農園に行ってきました!寒さを覚悟して訪問したのは、元奨学生の仕事場を訪ねたかったからです。いつかは村に戻って貢献してほしいと願って始めた専門教育支援ですが、一人一人の選択を尊重し見守ってきました。支援を始めて17年がたち、それぞれの人生に紆余曲折ありながらも、村に戻り、農業、獣医、医療、銀行、地方の政府機関などで働く若者が増えてきました。活躍の様子を聞くにつけ、会いに行きたい思いが募っていました。 今回ようやく実現し、いきいきと働く様子に感動しました。そして、自分の仕事を完二さんに説明する姿の誇らしそうなこと!! 初期の奨学生は30代半ばとなり、社会の中核となりつつあることを実感しました。小さかった子どもたちが(基礎教養支援もしてきたので)、頼もしく成長しています。 「奨学金のお陰でここまで来れたので、自分も次世代をサポートしたい」と言ってくれる若者もいて、とても嬉しかったです。その気持ちを大事にしながら、一人一人の成長と共に新しいステージに進んでいけたらと思っています。焦らずゆっくりと。 様々な形でいつもご支援くださっている皆さまに、心から感謝申し上げます!一人一人の様子は、2月末発行の報告書でご紹介させて頂きます。楽しみにお待ち頂けましたら幸いです。 心からの感謝の気持ちをこめて。 (百合香)
年末に、読めていなかった311子ども甲状腺がん裁判のレポートを読んでいました。当時6歳から16歳であった原告の方々が声をあげられて東京電力を訴えています。私と同世代の方々も多く、「私たちの存在がなかったことにされている」という言葉の重みや、私が学生から現在の仕事につくまでに自分の意志で選択できたことは、甲状腺がんによって彼らが諦めなければいけなかったことでもあることが痛い程に伝わってきて、苦しくて、命と人権がまもられる全うな判決が出ることを願っています。その裁判が続く中、昨年の11月と12月に新潟県の柏崎刈羽原子力発電所と、北海道電力の泊原子力発電所の再稼働が地元同意されたとのニュースがありました。確実に原発回帰に向かっていることにやるせなさを感じています。また世の中で「便利」で「必要」とされているAIはとても電力を使い、2024年から2030年の間に世界の電気使用量は5倍に膨らむとも言われており、世論としても政策としても、原発再稼働への動きが各地で進むことが考えられます。誰かの命や人生を踏み台としない社会にいつかなってくれることを願いつつ、今年も学びながら仕事と自分の生き方に反映できるよう頑張りたいと思います!(萌)
