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暮らすように働く 2025年

ネパリスタッフが、日々働きながら感じることを思うままに書いています。

12月

11月末に奄美大島にあるハンセン病国立療養所、奄美和光園を訪ねました。行きたいと常々思っていた和光園。春先の友人のメールで島唄「ワイド節」の誕生物語を知り、一緒に行く計画を立てました。友人が大ファンだという沖永良部島在住のハシケンさんが唄う徳之島の闘牛をテーマにしたワイド節。その唄は奄美和光園に入所していた人の望郷の想いを癒すためにつくられました。徳之島出身のその人は島で開催される闘牛のために牛を大切に飼っていました。400年の歴史と伝統を引き継ぐ徳之島の闘牛は島人の最大の楽しみ。しかし、一度療養所に入ったら二度と出ることができません。牛は元気か餌を食べているかと思いは募るばかり。どうしても忘れられず闘牛の唄をつくってほしいと療養所で働いていた作詞家でもある中村民郎さんに頼みました。中村さんはいつも海を眺めては寂しそうにしている彼を慰めたいと詞を書きました。中村さんから作曲を依頼された坪山豊さんは見たことのない闘牛に曲が作れず苦しみ、実際の闘牛を見に徳之島に行きました。目の当たりにした闘牛の迫力と熱狂する人々の姿に触発されて生まれた「ワイド節」は徳之島の人々に愛され歌い継がれています。とても明るく、力強い唄ですが背景にハンセン病の終生絶対隔離という悲劇がありました。ハンセン病の特効薬プロミンが日本でも1946年には合成に成功、他の薬もでき60年代には治る病気になっても、隔離を定めた「らい予防法」が廃止されたのは1996年。ワイド節ができた1978年から18年も後のことでした。(春代)

ネパール訪問が近づいてきました。現地とのやり取りをしていると奨学生の卒業後の様子が色々と聞こえてきます。ネパリ・バザーロを起業して数年後、ネパール東部山岳地の紅茶農園と取り引きを始め、現地の厳しい実状が分かってきました。家も土地もなく、生活に困って紹介で紅茶農園に移ってくる家族が多く、仮に土地があっても収入にはつながらず生活が困難であったり、男親を亡くした家族は特に大変な時代でした。せめて子ども達が学べ将来が築けるようにと奨学金制度を立ち上げ、神奈川県内のある高校が学びも兼ねて資金的な応援もしてくださり現地高校卒業まで13年間支援を実施しました。現在は高等教育支援を実施中です。この仕組みによりカレッジまで卒業、その後、自費で大学でも学んだジャルサさんとたまたまメッセージを交換する機会がありました。姉、妹、弟まで支援して頂きとても感謝している、そのお陰で今がありますと言ってくれました。妹のチャンドラカラさんは、紅茶農園より更に北の奥地の政府系病院で看護師として働いています。私達を父のようだ、と表現してくれた子です。皆さまの日頃からの応援に感謝です。(完二)

栗生楽泉園(群馬県)にある重監房資料館に2度目の訪問をしました。ハンセン病の隔離政策で強制的に入れられた園を、回復しても出られないだけでも人権侵害なのに、そこで反抗的だとか素行が悪いなどの理由で、所長の権限で入れられた重監房。二重三重の鍵で逃亡を防止された狭い個室は小さな明かり取りのみで照明もなく、小窓から配られる食事は麦飯と梅干し、薄い汁のみ。冬は零下となる草津で一重の着物に薄い布団。退室の規定もないまま、一年を超えて閉じ込められた人もあり、多くの方が命を落としました。人の命や尊厳をなんと思っていたのか。けれどそれは、昔の酷い話ではなく、今も国内各地の入院病棟には、行き場がない、介護者がいない、近隣に迷惑をかけるなどの「社会的入院」という意味不明の理由で、何年も、中には何十年も長期入院し続けている人が大勢いて、凍死や餓死はなくても人権蹂躙は同じです。長期入院の報酬単価を下げても、社会に受け皿がなければますます行き場を失うだけです。自分の胸に手を当てれば、なんて酷いと他人事のような非難はできず、反省するばかりです。(早苗)

先月ネパールのフェアトレード団体サナ・ハスタカラのマーケティングマネージャー、ロジナさん(37)が来日され事務所にも来られました。サナは小さな生産者をまとめ、マーケットとつなぐ役割を担っています。ロジナさんの父親はサナ創業時のスタッフ。ロジナさんは何度もスタッフに誘われたそうですが、父親と一緒の職場で働くのは気が進まず断り続けていたそうです。しかし一週間だけでもと懇願されて参画してみたところ、日本を始め各国から届いたオーダーを生産者に伝えると大変感謝され、生活が厳しいにも拘わらずお礼を持って来られることもあり、仕事に大きな喜びを感じるようになったそうです。「一週間のつもりだったけど、あっという間に15年たちました」と笑って言われます。仕事を通して自信をつけて自分の意見を言えるようになった女性や、お給料で誰にも気兼ねすることなく口紅を買ったり、子どものために使ったり、自分の意志で選択できるようになった女性たち・・・その変化していく姿にロジナさん自身も励まされこの仕事にのめりこんでいかれたそうです。この1年、日本でも世界でも様々なことが起こり希望を見失いかけてしまうことも正直ありましたが、その度に私自身も一人一人の小さな物語に励まされ力をもらってきました。人と人の確かなつながりの中で生まれる生き方の積み重なりが社会を作り、希望ある未来につながると信じて、今年も年末にネパールに行ってまいります。(百合香)

今年の11月も、直営店ベルダにて冬のイベントを行いました。2023年から定期的にイベントを行ってきている中で、普段事務所にいる私もお客さまと直接お会いしてお話が出来るこの機会を毎回愉しみにしています。数年前のコロナ禍では、人と会うことや自由に出かけること、イベントを開催することが「悪」とされてしまう空気感があり、様々なことを自粛することが正しいとされていた感覚がありました。いま振り返ると、国の制度で国民の健康や命を守ることと、個々で得られる幸福を自由に追求する環境を守ることのバランスはとてつもなく重要であることだと感じています。誰からも制限されることなく、自由に会いたい人に会え、好きなことに時間を費やし「また明日も頑張ろう」と思えることが一日一日を生きていける心と体の健康になるのだと思います。どんな時もこの感覚を忘れずに、人とのつながりを大切にしていきたいです。来年のベルダイベントも、ぜひお越しください!(萌)

11月

60年ほど前に起きた薬害サリドマイド事件で先天性の障がいをおい、苦しんでこられた方達が今、声を上げ始めました。副作用のない夢の薬と言われた鎮静・催眠薬のサリドマイド剤を服用した妊婦から腕のない赤ちゃん、足のない赤ちゃん、内臓に疾患のある赤ちゃんなど重い障がいをもった子が生まれた重大薬害事件。国も製薬会社も因果関係を認めず販売を続け被害が拡大しました。親が国と製薬会社を訴えたおよそ10年に及ぶ裁判で1973年に和解が成立し、障がいの程度により最大4千万円という当時としては画期的な賠償金が支払われましたが、それから50年の月日が経ち、被害者達は経年による二次障害に苦しんでいます。現状を知ってほしいと当事者や専門家によるグループを起ち上げ被害者の声を集めている増山ゆかりさん(62歳)は両腕を欠損していますが足や足指で家事も車の運転も動画作成もされます。増山さんはサリドマイド被害者の多いドイツに視察に行き手厚い保護の実態を知って、自分達もそれに負けない救済を受けられるように頑張ると言うと、ドイツの被害者は「それは違う。救済ではない。これは人権の問題。誰でも尊厳ある人生を送る権利がある」と指摘されました。「私達は人生のどこを切り取っても生きたいように生きたことはありません。生まれてきてよかったと思えるような人生を送りたくて頑張って声を上げました。私達は変わろうとしています。今度はあなた達、社会が変わる番です」。増山さんの訴えは静かに広がっています。(春代)

ネパールは、ダサイン、ティハールと、日本の盆とお正月を一緒にしたような大きなお祭りが終わり、仕事も通常通り始まりました。先日のSNS規制からの暴動も落ち着き、特にお伝えすることもないのですが、養護施設MSCC理事長バーナバスさんがバイク事故で数日入院して、ご自宅で静養されています。身寄りがなく、路上で救われたアシャさん、ここ数ヶ月、空咳がでて体調が良くなく、自分の働く病院で診断して薬も飲んでいますが、状況が変わらないので、11月第1週の土曜日(休日)に首都カトマンズの大きな病院でも、診断してもらう予定です。そのアシャさん、あるメディアの番組、お父さん、お母さんを探すというものがあり、その番組に出演。沢山の声が寄せられたそうです。話は変わりますが、沖縄カカオプロジェクトでは、沖縄でのカカオ栽培に挑戦中ですが、ネパールでも、シリンゲ協同組合代表のラジクマールさんが、その栽培に挑戦しています。沖縄と同じ緯度で、風があまりないので、可能性は高いかもです。ピュータンのシナモン、シリンゲでも苗を植えて様子をみています。数年後が楽しみです。(完二)

お客様に教えていただいた映画「風のマジム」は沖縄・南大東島でラム酒を製造しようと奮闘する女性の実話に基づいた物語です。ネパリが販売してる伊江島のイエラムは2011年販売開始で、南大東島では2004年に製造販売を始めているので先輩です。まだ上映している映画館があったので観に行ってみました。イエラムを扱うまで知らなかった「アグリコール製法」「テロワール」などの言葉や、樽熟成とステンレス熟成の違いなどラム酒の知識も伝えつつ、美味しそうに味わう姿は何よりラムを飲みたくなります。作るなら「売れる」ではなく思いのある人と思いのあるものを作りたい。素人から始まってもとことん調べ、現地に行き、人に会う。荒唐無稽でできるわけがないと言われても、諦めたら終わってしまうのでとにかく続ける。もうダメかと思っても最後の土壇場で救いの人が現れる…それは単なる偶然ではなく、本気で真摯に取り組んできたからこそ、人が、運が助けてくれる。まっとうなものを作ることへのプライド。ネパリのものづくりや沖縄でお会いした方たちのことが時々想起されました。機会がありましたら是非ご覧ください。そして、ラム酒を飲みましょう!(早苗)

先日、アメリカの退役軍人の方々が中心となり、実体験を基に運動している平和団体「ベテランズフォーピース」のメンバーの方のお話を聞きに横須賀での学習会に参加しました。中でも23歳のジョイ・メツラーさんのお話が衝撃でした。ジョイさんは米空軍士官学校を卒業し、イスラエルによるガザへの虐殺が始まってもあまり関心をもっていなかったそうですが、現役の米空軍兵士がイスラエル大使館前で焼身自殺で抗議されたことに衝撃を受け、自身も加害に加担していることに気付き良心的不服従の道を選び空軍を退役されたそうです。「学校ではプロの殺し屋になるための学びを詰め込まれた。人間を人間と思わない教育を徹底された」「戦争は全てお金儲けのため」との言葉は、目の前にいる若干23歳の女性のものとは到底思えませんでした。こんなことを言わせてしまった事に大人としての責任を感じました。と同時に、戦争屋が一番恐れているのはその真逆のことで、人と人が触れ合い温もりを感じるつながりと、命を育み自然と共生し皆で分かち合うための温かな経済を私たちの手に取り戻ことなのだと改めて思いました。この場を通しての皆さまとの豊かで確かなつながりの中にこそ希望があることを嚙みしめています。(百合香)

フォトジャーナリストの安田菜津紀さんの最新著書「遺骨と祈り」を読みました。福島、沖縄、パレスチナで生きる人々、そして押し付けられた不条理の中で亡くなられた一人ひとりの尊厳のため、これまでの取材で出会われた方々のことが大切に綴られています。安田さんの言葉からは、ご自身の立場に決して驕らず、その不条理を押し付けている「特権階級側の人間」としての発信であることを大切にされている事が伝わってきます。その言葉の節々から、「私も不条理を押し付けてしまっている側なんだ」と、私自身にもこの社会の当事者性を強く感じさせてくれました。はっとするその瞬間は苦しくなるけれど、出会われた方々への大きな尊敬が込められた文章の中にある安田さんの憤りの言葉から、原発や基地のある社会を変えられず、虐殺をとめることの出来ないこの時代に私も生きていること。では、私は何をしなければいけないのか。改めて考えさせられています。(萌)

10月

8月末に発行した秋カタログで「ハンセン病問題を問い続ける」の3回目を発表しました。親がハンセン病患者だった子どもたち、自身が発症した子どもたちがどのような環境におかれたか、学びの機会は?等々を書きました。その中で紹介した「黒髪校事件」とは、熊本県にある国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園に入所した親に伴われて来て、離れた場所で保育されていた健康な子どもたちが地域の公立小学校に入学しようとした時に起きた70年前の「事件」です。在校生の保護者や住民による凄まじい拒絶運動と、それに対抗する人々が長期にわたり繰り広げた“大騒動”。当時、地域に住み目撃していた高校生が後に映画監督となり、初めての作品「あつい壁」でその事件を描きました。11月9日に上映会をします。貴重な鑑賞機会です。上映後に中山節夫監督のトークイベントがあります。昔のことと片付けられない、今もそこここで起きている深刻な問題。ぜひ、この機会にご覧いただき、監督のお話を聴いてください。(春代)

ネパールは、9月末から10月初旬まで、ダサインという日本のお正月の様な大切な日で、家族、親戚が集まり、Tika(赤い粉と米を混ぜたもの)を年長者から額につけてもらい、祝福を受けたり、おいしいごちそうを囲んで、家族の時間を大事にします。そして、1週間もしない内に、ダサインに続く大きなお祭り、ティハールが始まります。事務所にも、その楽しい様子が届いています!6月から9月までの雨期が終わり、乾期に入る時期でもあるので、農村部に伺うには安定した良い天気が期待できる時期でもあり、この直後から良く滞在していました。昨今、温暖化の影響か、この雨期が延びていて、昨年は、この雨期が終わるこの時期に豪雨があり、ゴッティケルという農村部にある大きな町の小さな川周辺の家々が流され、道路が寸断され、その影響は、未だ続いています。今年も、残念ながら、豪雨で災害が発生。首都カドマンズでも河川が増水し、川沿いの住宅地が浸水しているというニュースが流れました。皆さまのご支援で看護師になり、病院勤めを始めた身寄りのないアシャさん、ここ一ヶ月体調が悪く、幼少の頃重篤になった肺炎の影響が心配されています。ダサイン明けと共に精密検査です。(完二)

沖縄を中心としたPFAS問題を扱った映画「ウナイ」を観ました。PFASは、大阪の工場周辺や、神奈川も含む各地で検出されている日本中すべての課題ですが、米軍基地と共に多くを沖縄に押し付けてきました。安全と信じ我が子に飲ませていた水道水に多量のPFASが含まれていたことに驚いた母親たちが詳細を知ろうとするけれど、検査もされず、政府は「被害は確認されていない」と明言。皆に報せなければと町議に立候補して闘う女性たち。市町村という身近な小さな行政から社会を変えていくという実践がそこにありました。印象的だったのは町議に立候補した女性を「余計なことを」と反対していた父親が、実は応援して遠くから手を振ってくれているのを見つけ仲間と抱き合って涙を流して喜ぶ場面。福島原発事故後にも、我が子への放射能汚染を心配する母親と、気にし過ぎだと一蹴して畑で育てた野菜を食べさせようとする祖父との分断など家族の思いが離散してしまった辛さを多く耳にしました。一番身近な家族と想いが異なる苦しさは、私の想像を超えるものだと思います。個々の力は小さくても同じ思いの人々が繋がり連帯する重要性を感じました。(早苗)

2022年1月。3.11の福島第一原発事故当時、幼稚園児から高校生だった福島県の男女7名が立ちあがり、東京電力を訴える裁判「311子ども甲状腺がん訴訟」の原告になりました。今年6月に8人目の原告(瞳さん)が加わられた事を知りました。事故当時小学校6年生だった瞳さんは、高校2年生の時に甲状腺がんが見つかり手術をされました。大学進学後にPTSDで激しく苦しみ、心も体も壊れていったと言われます。意見陳述や記事を直接読んで頂きたいのですが、原発事故を起こした責任のある市民の一人として、これまで13年間声をあげさせなかった大人の一人として、謝っても謝りきれません。瞳さんの尊厳をかけた闘い、その後ろには透明にされたままの大勢の若者たちがいます。応援しなければと思います。一部を抜粋します。「大人に利用されたくないと強く願っていた私は、気づくと国や東電に都合のいい存在になっていました。胃がねじきれそうなほど、悔しいです。私が受けてきたものは構造的暴力です。命より、国や企業の都合を優先する中で、私たちの存在はなかったことにされていると気づきました。私たちは論争の材料でも、統計上の数字でもありません。甲状腺がんで体と人生が傷ついた私たちは、社会から透明にされたまま、日々を生きています。私にとって福島で育つということは、国や社会は守ってくれないと肌で感じることでした。充分すぎるほど諦め、失望しました。でも私は抵抗しようと思います」(百合香)

アジア太平洋戦争中の1942年、山口県宇部市にある長生炭鉱で水非常が起こり、183名の労働者の方々が亡くなりました。そのうち約7割の136人は当時日本が植民地支配をしていた朝鮮の方々で、強制連行された方もいらっしゃいます。事故直後、亡くなった方々は救助されることなく坑口が閉じられ、1945年に閉山しました。日本の国策により多くの方が命を落とし、故郷にも、地上にも帰ることが出来ないご遺骨が83年も深くに眠っていること、私はこの歴史をここ最近まで知らずにいてしまったことをとても恥じました。今年の8月、犠牲者のために30年も活動をされている市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の方々の長年の活動と、日韓のダイバーの方々の努力により人骨が発見され、現地取材を続けて来られた方々の記事や写真を見たとき、心がぐっと重くなり、涙が出てしまって、何も言葉になりませんでした。世界各国のダイバーを招請しより多くの方のご遺骨を救出するため、11月末迄を期限とし現在もクラウドファンディングをされています。一人でも多くの方が地上に戻って来られるよう願っています。(萌)

9月

毎年7月、8月はアジア太平洋戦争やそれから発生した問題を風化させないようにと様々な角度から描いた映画が各地で上映されます。今年は特に多いようです。いくつか観に行きました。アフタートークで平和がいかに尊いか、敗戦の総括がされていないので反省を戦後に生かすことができていない等々、制作者の作品に込めた思いを聞き共感しました。しかし、共感で終わってはいけない、何ができるか。なぜなら世界をみても、日本にしても恐ろしい事態になっています。日本を取りまく状況の深刻さを日常のニュースからしばしば感じます。先日、東京新聞他に掲載された記事によると、警戒監視中の海上自衛隊の護衛艦「すずつき」が昨年7月、中国浙江省沖の中国領海に誤って侵入。中国は進路変更するよう何度も求めたが侵入され警告射撃として少なくとも2発の砲弾を発射。砲弾は当たらず、被害はなかったがすずつきの航行用電子海図に公海と他国領海の境界を表示させるスイッチが入っていなかったため気づかず警告射撃を受けながら20分間航行した。中国が他国の艦船に警告射撃を行うのは極めて異例で大変危険な事態。自衛隊の操作ミスが招いた一触即発の危機だったそうです。もし、攻撃の応酬になっていたらと思うとゾッとします。(春代)

ネパールは、まだ雨期。前半はかなりの豪雨でしたが、今は落ち着いているようです。以前であれば乾期に入った9月から10月、昨今は、豪雨もあり得るので、災害のないことを願っています。ハンセン病回復者が暮らすキャンプ支援を毎年、継続していますが、今年は、トイレットのドアや手洗いの水、シャワー室などの整備を実施中です。養護施設MSCCの建物が古くなり、その修理整備を今年の3月から始め、それが落ち着いた6月頃から、キャンプの整備に入りました。シャワールームなど、まだ作業が残っていますが、とても綺麗になっています!12月に伺って、見るのが楽しみです。昨年10月、無事に看護師資格を得て病院に勤めている身寄りのないシムランさんが、突然の胃の感染症にかかり、抗生物質による治療を余儀なくされました。今は、回復されています。このような活動も継続できていること、日頃からの皆さまのご協力あればこそ、です。養護施設、キャンプ、シムランさんから感謝されていること、お伝え致します。(完二)

「摩文仁」という映画を観ました。沖縄各地に建てられた慰霊碑にどんな人たちがどんな思いで手を合わせにきているのかを描いていますが、特に印象に残ったのは日本軍司令官牛島満中将を祀る黎明之塔。反対する市民を横に制服で参拝する自衛官はここ数年見られなくなったとのことですが、代わりに集まるようになったのは、SNSで集まったという普通の旅行者のような若い人たち。碑の前で軍歌を合唱し、「信じたい歴史をこの子に伝えたい」という母親は、幼い娘に沖縄戦の何を伝えるのでしょう。新たに沖縄に配属された米軍の兵士は黎明之塔の前で「牛島満率いる日本軍により、大勢の米兵が命を落とした」と説明を受ける。それだけの犠牲を払って手に入れた沖縄の米軍基地の正当性になりこそすれ、「有事には米軍が日本を守ってくれる」と思っている日本人はその乖離をどうとらえるのでしょう。もやもやと考えさせられる映画でした。(早苗)

今年も8月に訪問した阿波根昌鴻さんの魂が生きるわびあいの里、やすらぎの家は、平和の根っこを考える場所。汗水流して皆で働き、土が育んだ食物を共に頂き、支えあって暮らすこと。学び続けること。その1日1日が平和をつくるという大切なことに、いつも向き合わさせてくれます。阿波根昌鴻さんに若い時に出会い、通い続けられた写真家の張ヶ谷弘司さんからお話を聞く機会を春代さんが作ってくださいました。活動家としての阿波根昌鴻さんではなく、一人の人として向き合い心を通わせてこられました。張ヶ谷さんの「写真も文字も、形あるものはいつか必ずなくなる。永遠に残るのは、心に刻まれたことだけ」との言葉が心に響きました。心で感じること、そして誰かの心に届くように言葉を磨いていくことを大事にしようと思いました。そんなことを考えていた時に、ネパールの生産者から突然メッセージが。ネパール政府が未登録のソーシャルメディアを一斉規制するとのこと。背景はまだよく分かりませんが、あり得ることと思いました。政府や戦争屋である大企業の情報合戦やお金もうけに惑わされないよう、心で感じ、心で仲間とつながっていきたいと思います。(百合香)

秋カタログ(vol.37)にて、クーネでフェイシャルトリートメントをしてくださっているKakaraの大山カオルさんのご紹介をさせて頂きました。カオルさんとお話をさせて頂くと、自分の心の在り方や思考がやわらかくなる感覚があり、いつもお会いするのが楽しみになっています。カタログでもご紹介したのですが、今回お会いした時に「やっぱり自分が何が好きなのかというのをずっと突き詰めていた」と仰られていてたのがとても印象的でした。きっとご自身と向き合われながら生き方の道を耕してこられ、そして今、「働くって良いですよね!」と言われるカオルさんの姿は、「やりたい道に進んで良いんだ!」と私たちを勇気づけてくれます。今回はじめてフェイシャルを受け、全身が不思議とあたたかくなり体も軽くなり、背中を押されるような感覚になりました。仕事にはその人の生き方が表れると良く言われますが、とても納得です!一人ひとりの心や体の癒し、そして平和が、社会の平和につながるということも感じさせて頂いています。(萌)

8月

沖縄の伊江島を舞台にした映画「木の上の軍隊」を観てきました。激しい地上戦で県民の4人に1人が亡くなったと言われる沖縄戦。中でも沖縄戦の縮図と言われたほどの伊江島の悲惨な戦争。そこで生き残った日本兵2人が敗戦を知らずガジュマルの木の上で2年間潜んでいた実話を元にした映画です。伊江島では有名な話で本も読み知っていましたが、映像で観ると、より強く想像力が刺激されます。2年間もの間、木の上に隠れてどうやって生き抜いたのか。
2人を守ったガジュマルの木は「命を救った神木」として大事にされていましたが、2023年の台風で倒れてしまいました。しかし、島の人々の手によって再建され、再び力強く根を張っているそうです。スクリーンが8室もある映画館は夏休みで子どもがたくさん来ていましたが、残念ながら別の映画が目的で、木の上の軍隊は観客が少なくもったいないなと思いました。「命こそ宝」命の大切さ、生きてさえいれば明日がくるという希望を感じさせる映画です。ぜひ親子で観てほしいと思います。(春代)

完二さんの今月の一言は、長野へ風来坊中のためお休みです。また来月号をお愉しみに~!

2016年7月26日の津久井やまゆり園の事件と、昨年7月に起きた長生村事件が、この時期地元新聞で大きく取り上げられ、集会も開かれています。前者の犯人がやまゆり園の職員だったことは、共に過ごせば理解が深まり差別偏見がなくなるわけではないとインクルージョンが否定された思いでした。後者は重度の障害のある息子を介護の限界から殺害した「献身的な」父親への執行猶予判決。障害者の命の軽さは変わらないのかと障害の方々を暗澹とさせています。軍事予算は簡単に増やせても福祉予算は平気で削られ、受け皿も人員もさらに厳しくなる中、自分ファースト、排他主義、自助、自己責任を、政治の世界が公然と、むしろ煽るように叫び、それにより市民もそれが公認されていると思い、ますます許容のない社会になっていくようです。100人目を排除したら、次は99人目が排除される。今排除されているのが自分と無縁の人たちでも、それがいつか自分にも降りかかり、自分も排除される側になるかもしれません。すべての人が尊重し合って生活できる社会は自分にも心地よい社会になるはずです。(早苗)

カタログの「虹色の星座」のコーナーで、カカオフレンズさんのご紹介記事を書かせて頂くメンバーに加わってから9名の方をご紹介させて頂きました。(うち2名の方は秋カタログでご紹介予定です!)毎回思うのですが、お一人お一人の人生にドラマがあって豊かだなぁと。信頼して頂き、その一部を共有させて頂けるなんて、何て有難く幸せなことでしょう。ご縁が長い方でもじっくりお話をするのは初めての方がほとんどです。お会いできる嬉しさにドキドキしながら、僅かな時間でお聞きできるのは人生のほんの一コマですが、原稿にまとめる段階で、どんな気持ちだったんだろう?どういう意味だろう?どんな社会背景だったんだろう?等と未熟な頭で私なりにぐるぐる考える時間はとても有意義で、勝手に人生を追体験させて頂いているような気持ちになります。そして、フレンズさんの感性、生き方に刺激と気付きを頂き、力も頂いています。本当に有難いです。この輪をさざ波のように広げていきたいと思います。(百合香)

経済と人権。政治の文脈では別の争点として話されることが多いと感じていますが、経済は人権の話であって、人権は経済の話でもあると今回の参議院選挙で改めて感じました。差別や排除がない社会、ジェンダー平等な社会などは絶対に必要です。私も強く希望します。でもそういった市民の声が上がる時、経済政策について同時に、同じ熱量で語られることがとても少ないと感じます。悔しいですが、一人ひとりが持てるお金の量で生きやすさは変わってきます。為政者に私たちの経済を握られ、生活が苦しいままだと、目の前の不安でいっぱいになり、自分よりも弱い立場の他者を排除して心の安定を保つ人も出てきてしまうと思います。今回の選挙でも、経済政策が争点と言われていたのに私たちの目に見えない「不安」が利用され、いつの間にか「人権政策」だけに争点がシフトしてしまっていた気がします。一人ひとりに安定した仕事が生まれ、先を見据えられる程の経済的な余裕を持てると、多くの命が守られると思うのです。心も穏やかになり、平和な思想も生まれてくると思うのです。そんな経済が豊かな日本で一度は生きてみたいです。そのためにもネパリとして出来ること、役割があるのが有難いです。未来に希望が持てるよう、頑張ります!(萌)

7月

7月1日、陸前高田の工房に行く途中で宮城県登米市のハンセン病国立療養所・東北新生園を訪ねました。全国の療養所で暮らす義務教育修了後の若者を対象に1955年、初めてできた高等学校、岡山県立邑久高校新良田教室(長島愛生園内)について調べている中でとても心を打たれたエピソードがあり、東北新生園の2代目園長・上川豊さんのことを詳しく知りたくて訪問しました。新良田教室の野球部が他の療養所の野球部と交流試合をするため規則を破って愛生園を飛び出し、岡山駅から電車で北上し新生園を訪れました。その訪問をとても喜んだ上川園長は入所者で新良田教室野球部OBの城正さんに皆を松島観光に連れて行くようにと言い、皆は園の車で出かけました。松島近辺には美味しい寿司屋がたくさんあり、野球部全員にご馳走する持ち合わせがなく城青年が困っていると運転手に「皆にお寿司をご馳走するようにと園長からお金を預かっているから大丈夫です」と言われ感激したそうです。当時、ハンセン病患者は一般社会だけでなく療養所内でさえ厳しい差別を受けました。新良田教室校長の長島愛生園園長・光田健輔氏は絶対隔離主義の厳しい管理を主導した人物。野球部員皆の喜びを想像すると胸が熱くなります。(春代)

ネパールでの大きな動きはないのですが、カトマンズ近郊の養護施設MSCCの建物改装がかなり進んでいます。故ラムチャンドラ理事長の急逝で、ホームの建物での子どもたちのケアができなくなり、暫く、私立の学校のホステルに間借りしていましたが、間もなく戻れることになると思います。ホームを卒業して行った子ども達も、長期休みなどにホームに戻ることができるようになります。この施設で育ち、身寄りのないアシャさん、シムランさん、キラン君の市民権を取得できた奇跡的な出会いの切っ掛けとなった昨年7月のハンセン病回復者で作家の伊波敏男さんの若月賞受賞と楢戸健次郎医師との出会い。今年は、7月始めに、鈴木幹雄写真展「命の記憶-沖縄愛楽園1975」に合わせた伊波敏男さんの講演会をお手伝いして来ました。 (完二)

今年は沖縄をテーマとする映画が多いようです。大田知事と翁長知事を描いたドキュメンタリー「太陽の運命」は、歴代の沖縄知事についてもっと勉強していたらより深く観られたのに、と反省。7月にいよいよ上映される、伊江島での史実に基づいた「木の上の軍隊」は撮影時に約20人のご遺骨が発見されてニュースになりました。8月には、対馬丸事件の真相に迫るという「満天の星」、多くの慰霊塔が建ち並ぶ摩文仁の丘から矛盾や分断をみつめるという「摩文仁」、沖縄だけでなく各地で問題になっているPFASについての「ウナイ 透明な闇PFAS汚染に立ち向かう」の3本のドキュメンタリーが公開です。直木賞を受賞した「宝島」は9月上映までに原作を再読できるでしょうか。沖縄ではありませんが、満蒙開拓団の女性たちに強いられた性暴力を取り上げたドキュメンタリー「黒川の女たち」も必見です。映画を通して多くの人が様々な問題にアプローチしやすくなるのはとてもいいことだと思います。知ることで、もっと学びたくなったり、周囲の人と話題にしたり・・・我が事となるきっかけになればと思います。(早苗)

「否戦の心と人間愛の眼 阿波根昌鴻写真展」(川崎)に行ってきました。阿波根昌鴻さんが当時高価なカメラを購入してまで撮影した非暴力の土地闘争の記録と共に、島の人々の日常の様子も垣間見ることができます。阿波根昌鴻さんの徹底した非暴力の生き方は、「平和」「戦争のない」という言葉で思考停止になるのではなく、「どんな社会が平和なのか?」「どのように戦争を防ぐのか?」という具体的な方法や状態について考えることが大切だということを私たちに示しているように思います。武器や核武装で相手の攻撃を抑止することを期待し“戦争のない”社会を実現しようとするのか、武力を放棄し、世界の問題の仲介を積極的に担い、対話・交流し、非武装の市民を攻撃することを世界が許さない状況を作る不断の努力をして平和を実現するのか。「戦争のない社会」という言葉だけ共有していたつもりになっていても、あまりにも大きな乖離があります。同じように「差別のない社会」「人権が守られる社会」という言葉も、一部の人を守るために他の人が傷つき排除されてもやむを得ないとする主張も散見され、目指す社会は天と地ほどの違いがあります。キャッチコピーだけで理解しあったつもりになっているのは恐ろしく、勇気をもって踏み込んだ対話をしなければ…と熱い選挙戦の最中、切に思います。(百合香)

5月、一人芝居「マリヤの賛歌―石の叫び」の劇作家で精神科医でもある胡桃沢伸さんが関わられいる映画「医の倫理と戦争」を観てきました。かつて日本の関東軍に存在していた731部隊の存在、主導者たちは戦争犯罪に問われずエリート医師として戦後の日本医療の世界へと戻っていたことなどを医療の教育現場では行っておらず、加害の歴史の上で日本医療が発展してきたことを理解している若者がとても少ないということを映画内で言われていました。医療従事者による戦争犯罪への加担と、その事実を隠蔽してきた日本の歴史を知る必要があり、そして着々と戦争準備を進める現代の日本に対して、医療従事者は戦争を起こさないことに全力をあげるべきだと頑固たる意思表示をされ集まられた、「安全保障関連法に反対する医療介護・福祉関係者の会」の方々の力強い抗いの映画です。加害の歴史をきちんと見つめ直し、戦争を進めるものにきちんと抗う、その努力の必要性は医療だけでなく私たちのそれぞれの足元にも絶対にある。そう感じさせてくれる、そう問われる映画でした。(萌)

6月

6月23日は沖縄戦の慰霊の日です。太平洋戦争末期の沖縄での壮絶な地上戦で日米、軍人も民間人も合わせて20万人以上の尊い命が失われました。亡くなられた方々のお名前が糸満市摩文仁の「平和の礎」に刻まれています。今年の追加刻銘342人、総数24万2567人。その一人ひとりのお名前と戦没時年齢を読み上げるようになって4年目です。6月1日に伊江島(伊江村)で玉城デニー知事が最初の読み上げ者となった集会を皮切りに慰霊の日までに各地で大勢の方達がリレー式に読み上げます。そして、確かにこの世に在った人々を偲びます。摩文仁の平和記念公園で行われる追悼式には毎年、首相も参列し霊を慰め平和を誓う言葉を述べます。5月3日に自民党西田議員がひめゆりの塔の説明文を歴史書き換えと発言し、同調する政治家もいて怒りが込み上げました。沖縄県民はもとより、今も続く沖縄への理不尽な仕打ちに心をいためる人々、戦争を二度と起こしてはならないと思う人々の怒りに迎えられる石破首相は何と述べるのでしょう。官僚の作文を読むのではなく、石破首相自らの言葉で心に響くように語ってほしいと思います。(春代)

ネパールは、今年も雨期に入りました。昨年同様、入りが早いようです。何もないと良いのですが、昨年10月の豪雨では、シリンゲに近いゴッティケルでは、河川氾濫と土砂災害の被害が甚大でした。その影響が残るなか、先日の大雨で再び被害が出てしまいました。温暖化の影響は、農産物にも影響を与えています。今年は、コーヒーの生産量も落ちて、価格が高騰しています。円安と諸物価の高騰で生活が厳しい私たちですが、ネパールのコーヒーが国内市場も含めて広がっていることは、この活動の30年の成果として、嬉しく思います。ここまで支えて頂いた皆さまに感謝です。(完二)

内田樹さんの造語「パワークラシー」が紹介されている本を読みました。民意によるデモクラシーでも、王政でもなく、今権力を持っているという事実だけが権力を持つ正当な根拠となるという為政者の選ばれ方です。その論理では、国民のために身を粉にする誠実な政治家は軽視され、国民に負担や犠牲を強いて理不尽な悪政を強行する傲慢な政治家の方が「偉そう」「頼もしそう」に見え、逆らっても無駄だという無力感と従順さ、依存心を植え付け、「こんな酷いことができるのはそれだけ権力があるからだ」とさらに支持され、票を集める。そんなバカな、と思うけれど、あちこちの選挙を見ていると、そうでなければ説明のつかない結果が沢山あります。そして、そんな日本人を生み出している一つは学校教育だと。管理主義的に理不尽で無意味な命令や校則に従わせ、不愉快なタスクをこなせば褒められることで感受性を鈍麻させ、「不快耐性」と「無意味耐性」を高めた子が、疑問があっても黙って従う社会人となっていく…。国政選挙も迫ってきました。思考停止に陥らず、本当の意味で国民と共に国を創っていける人を選ばなければ!(早苗)

いよいよ来週に迫った「マリヤの賛歌ー石の叫び」再演を控え書いています。これまで私は従軍慰安婦の問題に向き合ってきませんでした。言葉だけで知った気分になっているだけでした。昨年は初めての芝居の主催で、「マリヤの賛歌を上演する会」の皆さまを大阪からお迎えし、大勢の参加者の方々と共に、信頼しあい、舞台に集中できる場を作ることに必死でした。それから再演を決めたこの1年は、作者のくるみざわしんさんが選び抜いた言葉と、金子順子さんが魂を込めて演じられた城田すず子さんの声や表情にずっと語りかけられ、投げかけられているような感覚で過ごしてきました。人間の尊厳とは何なのか、尊厳が守られる社会を本当に私たちは実現できるのか。なぜできないのか。それを阻むものは何なのか。全く答えは出ないどころか、戦時性暴力の問題を知れば知るほど、恐ろしい現実になぎ倒されそうな気持ちになります。80年たっても戦争で傷つき苦しんだ経験が世代を超えて伝播し、被害と加害が織り交じり声も上げられず、他の国の戦争にも加担している今の日本は「戦後」とはいえないように思います。そんな状況でも様々な形で声を上げる人や連帯をする方々の存在を知り、その言葉一つひとつに勇気づけられてきました。来週の公演、楽しみです。(百合香)

徳田靖之弁護士の講演会に春代さん、百合香さんと参加しました。徳田弁護士はハンセン病家族訴訟弁護団の共同代表を務められるなど、ハンセン病や薬害エイズ、そして冤罪事件など、人権にかかわる裁判に多く取り組まれて来られた方です。今回はハンセン病差別が生んだ冤罪「菊池事件」のお話を伺うことが出来、その中でも「公共の福祉論といかに決別できるか」という問いが、とても強く私に残っています。今年で81歳になられる徳田弁護士、1時間以上のお話の間ずっと立ち続け、力強く話されていました。国や大勢の利益のために命や人権を奪われ続けてきた方々と伴走された方が最後に言われた、「一人ひとりの名のない闘いが歴史を前に進めてきたのです」という言葉を前に、私がハンセン病の歴史を学ばない理由、学んだ上で動かない理由などどこにもないと改めて感じました。(萌)

5月

都会だけでなく地方でもお米がいつでも安く当り前に買える時代ではなくなり、原因は?対策は?等々、連日のようにメディアでも取り上げられています。稲作農家や事情に詳しい専門家の方達はずいぶん前から危機を訴えてこられましたが、それが現実となり日常の生活に影響するようになってやっと広く認識されようとしています。手遅れになる一歩手前で気付けたのを幸いとして、今後に向けて根本的対策を実施しなければなりません。韓国の益山市で毎年開かれるお祭りがあり、お祭りのパレード参加を中心に組まれたツアーにたまたま招待され参加しました。益山市は1400年昔の百済時代に30代・武王の都があり繁栄し、毎年、武王の国境を越えた愛をテーマにお祭りを実施します。百済と深い交流があった日本からの参加者は大歓迎されました。そして、ツアー参加者にいただいたお土産は何とお米!日本でお米が買えないという情報が伝わったのでしょうか。30年前、インドによる国境封鎖でネパールに砂糖が入らず、庶民が毎日何杯も飲む甘いお茶が飲めないと知り、砂糖をたくさん持参したのを思い出しました。(春代)

支援しているネパールの養護施設に2007年に路上生活から8歳で保護されたキラン君の市民権が得られました。昨年、市民権を取得したホーム出身のアシャさん、シムランさんに続く朗報です。いずれもヒカマットさん、ディーパックさんの献身的努力のおかげです。キラン君からも感謝と喜びの動画メッセージが届きました。皆さまの日頃からのご協力の結果と感じています。本当に感謝です。この養護施設は、故ラムチャンドラ理事長がコロナで急逝されて以降、ほとんど使用されず放置された施設ですが、リフォームが始まりました。キラン君や学校のホステルから子ども達が戻れる日も近いかもしれません。ネパールでは、高校を卒業した後、男子であれば、その半数が外国に仕事を求め、女子も外国に行く割合が高く社会問題になっています。日本でも、都市部のみならず、地方の観光地などで目にすることが多くなりました。それに伴い、問題も顕在化しつつあります。親と一緒に来た子ども達で日本語ができない子どもたちを迎える学校で対応に苦慮しています。今後、そのようなケースは増えると予想されます。子ども達がどこにいても健やかに育ち一人ひとりの人権が大切にされる社会システムに一歩でも前へ進んで欲しいですね。(完二)

5月3日に那覇で行われた憲法シンポジウムで、某参院議員が「ひめゆりの塔」の説明書きはひどい歴史の書き換えだ、むちゃくちゃな教育になっていると非難して物議をかもしています。歴史修正主義の人が「自虐的歴史観では子どもたちが日本を愛せなくなる」というたびに、この人たちは子どもが間違ったことをしてしまったら素直に認めて反省して謝罪し次の過ちを犯さないようにすることよりも、認めず否定し自分は何にも悪くないと言い張ることをよしとするのだろうかと疑問に思います。そんな育ち方をした子が本当に自分を愛せるようになるとは思えません。でも、権力やお金にものをいわせて悪事をもみ消している人々を見ると、それが正しい、それができる自分って凄い!と本気で思っているのかもしれません。否定してもなかったことにはできないのですから、しっかりと向き合い、受け止め、忘れない勇気が大切だと思います。(早苗)

「球美の里」の母体「いわき放射能市民測定室たらちね」さんが、3.11後に経験されたことを当事者の視点からまとめられた防災book「Hahaの書―被ばくから こころとからだを守る防災」を発行されました。その中で「救助活動をしながら、気が狂いそうになるほど怖かった」という消防士の方の言葉が心に重く残りました。大人であっても想像を絶する恐怖や喪失感に晒され、その気持ちを誰にも言えずに心の中に閉じ込めてこれまで必死で生きてこられたこと・・・そのような状況で言葉にならない思いをずっしり抱えて生きてきて、傷つき癒えない子どもたちが多くいること・・・忘れてはならないことを教えられました。先日訪ねた「球美の里」は、科学的知見からの放射能被ばくへの対策と共に、一人ひとりの心を包み込み、皆が大事にされる存在だということに立ち返らせてくれる場所です。心に負った傷は簡単には癒えないけれど、きっと、同時に、球美の里で感じられる安心感や大人も子どもも対等に尊重される経験は、きっとその後の人生の支えになると思います。施設長ヒロさんはじめ、何が大切か、原点を見失わずに生きている大人との出会いも、生きる希望につながることと思います。(百合香)

沖縄・伊江島にある「反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家」に、今年の5月連休も少しだけ滞在させて頂きました。資料館は、阿波根昌鴻さんが戦時中や戦後に収集した伊江島住民と米軍の土地闘争の証拠品や写真などで埋め尽くされています。訪問した時は、分かり易くまとめられている土地闘争の記録を読み込んでみたり、戦禍の中必死に生き延びようとした伊江島住民の擦り切れた衣服、暖をきちんととれるほどの米軍の分厚いコートなどに実際に触れてみたり…という時間を過ごすことが多かったのですが、今回はじめて、「阿波根さんの声」を聴きながら資料館での時間を過ごしてみました。資料館のいくつかの場所にQRコードが掲示されており、生前の阿波根昌鴻さんのお声を聴きながら、資料館を周ることが出来るのです。阿波根さんのお話は動画サイトで聴いたことがあったのですが、資料館の中で、イヤホンをつけて、阿波根さんの優しい言葉を聴いていると本当に側でお話をしてくださっている感覚になります。ただ平和を願うのだけではなく、「なぜ戦争が起きてしまったのか」を阿波根さんと共に考えることが出来る時間と空間は、戦争や虐殺を未だにとめることが出来ていない時代を生きる私たちの、一つの希望や道しるべになると思います。「学びには余りがない、不足が出るだけだ」といつも言われる館長の謝花さんの言葉も胸に、また阿波根さんの著書を読み返そうと思います。(萌)

4月

南海トラフ巨大地震の30年以内発生確率が80%程度に上昇しました。被害は首都圏にも及ぶとされ、私が住む横浜も想定内です。最も高い34メートルの津波がくると予想される高知県黒潮町の防災対策などを紹介する番組を見て、一番衝撃を受けたのは80年前の南海トラフを震源とするマグニチュード8.2の大地震が隠蔽されていたことです。1944年12月7日に起きた昭和東南海地震は軍部による報道管制で新聞・ラジオで伝えられませんでした。軍需工場、特に愛知県半田市の中島飛行機工場の被害などが連合国に漏れることや国民の戦意喪失をおそれたのです。翌日の各紙1面トップは昭和天皇の大きな肖像写真と一億特攻・米英必殺など戦意高揚の文章で地震と津波に関する情報はわずか数行。和歌山、愛知、静岡などで1200人以上が死亡、約26000棟の家屋が全壊したとされる大災害でありながら被害状況には一切触れていません。孤立無援の被災地で6歳だった男性はインタビューで当時のことを泣きながら語ってました。被災の窮状を誰にも言えず堪えるしかなかった辛さは80年経っても夢に見るなど生々しく甦ってくるのです。戦時下でなければ多くの命が救われたはずです。先月28日に内戦が続くミャンマーで大地震が起き軍事政権の発表でも3千人以上の人々が亡くなっています。戦時下ということで救援活動にも支障が出ています。災害と戦争。人災である戦争はもってのほかです。(春代)

活動を始めて30数年が経ちました。先日、アシャさん、シムランさんが幼少の頃にストリートや児童労働の現場から救済された6歳の頃から成人するまでの困難な様子を記事でご紹介しました。その1年前に同様な状況で救済されたキラン君も、間もなく市民権を取得できそうです。難事業でしたが、皆さまからの応援に感謝です。ネパールでも、地震災害、水害、そして、路上生活者で苦しむ人々がいます。ネパール大地震の支援に同行してくれたジャーナリストのロヒットさんも、弱者支援に奔走しています。そして、3月末に嬉しいニュースが入って来ました。メディアで社会福祉のテーマを扱った人々に贈られるネパール国内のベスト・ジャーナリスト賞を受けられました。「あなたも出来る」という本に続き、路上で生活する人々や精神的障害を負って家族もいない人々と、その支援を行う人々を扱った本の出版を通じて、理解を広げようとされています。市民権取得には、トリブバン大学の准教授で自らもカースト外の女性たちの支援をしているヒカマットさん、ハンセン病回復者で養護施設MSCCの理事をされているディッパクさんなど頑張っていらっしゃいます。体調を崩しやすくなった昨今ですが、できることを一つひとつして行きたいと思います。(完二)

4月は大阪万博の開幕ですね。皆様は関心お持ちですか?私は結構注目しています。4年前にカジノ反対を大きなテーマとした市長選があった横浜市民としては、カジノ(IR)のインフラを整えるための万博での税金投入への疑問を始めとして、メタンガス爆発とその状況隠し、軟弱地盤、能登大地震後も止めることなく、そうでなくても不足している建築土木の人材や資材・重機を投じて進める(進んでいないようですが)工事、膨れ上がる建設費、企業ノルマ以外売れない前売り券、学校招待のごり押し、チケット購入時の過度な個人情報収集、開催前から浸食されて崩れる護岸、目玉だった空飛ぶクルマはデモ飛行のみ、落ちてこないか心配な休憩所頭上の石、公式ガイドブックのイラスト間違い…日々目が離せません。2021年の五輪でも問題視されましたが、こうした大規模イベントはいったい誰のためのものなのでしょう。(早苗)

3月30日、「福島原発事故14年展~この国の姿を問う~」の展示を見に行きました。3.11の福島第一原発事故で、先祖から代々受け継いできた土地、戦後必死に開拓してきた土地、営んできた暮らし、人と人のつながり、人が生きる上で大切なものを国に無惨に奪われて14年・・・。それから私たちの国の姿はどう変わったのか、変わらないのか、突き付けられました。その足で、全国の農家さんの思いを背負って窮状を訴え、農ある未来を守っていかねばと強い気持ちで集まり、渋谷の町をトラクターで走る農家さんに連帯の気持ちを伝えたいと「令和の百姓一揆」の応援に萌さんと行きました。実行委員長の菅野芳秀さんはご著書の中で、離農する農家のことを「墓仕舞い」ならぬ「農仕舞い(のうじまい)」と表現されていましたが、さらに「農仕舞いは国仕舞い」とあり衝撃と共に納得でした。ああ、この国は、私たちは今、国仕舞いに向かっているんだ・・・まるで静かな戦時下。そんな国、あるのでしょうか。私たちは何と戦えばいいのでしょうか。国の農政もエネルギー政策も変えなければと思いますが、それを支えてきたのはお金と効率ばかりを追い求めてきた私たち一人一人。効率優先ではなく、種から芽がでるのをじっくり待つ自然の歩みに合わせて、消費するだけではなく生み出す側に想いを馳せて、何のために生きるのか、命とは?豊かさとは?一人ひとりがじっくり考え連帯することが、私たちの「たたかい」だと、いつも時間に追われている自分自身に言い聞かせながら帰宅しました。(百合香)

哲学というものが日常の中でどのように私たちに作用するのかが気になり、私でも愉しく学べそうな研究者や本を色々と調べていた頃、劇作家の平田オリザさんのお名前をよく目にしていました。なぜ演劇?と思っていたのですが、彼の本を読むと一気に理解が深まりました。古代ギリシヤで民主制が生まれたとき、共に「哲学」と「演劇」が生まれ、多様な人々の「概念」をすり合わせていくのが「哲学」、「感性」をすり合わせていくものが「演劇」であったと言われていました。
6/14(土)に再上演をする「マリヤの賛歌」の作家、くるみざわしんさんも関わられている長野県の満蒙開拓平和記念館では、以前小学生向けに、開拓団の逃避行の絵を見ながらセリフやタイトルを考えてみるというワークショップをしたというお話を聞きました。その時は素敵なアイディアだなと感じたぐらいだったのですが、今思うと、命がけの逃避行をされた「他者」という存在へ、自分の感性を広げながら近づき、そして演じるということは、資料や本から一方的に知ることよりもより他者に近づけてくれる方法なのかもしれないと思いました。コロナ禍では演劇や音楽ライブなどが「不要不急」とされてしまいましたが、人が文化的な生活を営むことは憲法で守られているものであり、多様な人々との違いを認めあったり、共感しあったり、ある文化を育むことは、人と人が共に生きることにもつながるのだと改めて感じました。(萌)

3月

厳しい乾燥の続くこの冬、山林火災が各地で発生しました。椿油&チョコレート工房「椿のみち」がある岩手県陸前高田市でも発生しましたが、幸いにも早く消火できました。ご心配いただいた皆さま、ありがとうございます。しかし、隣の大船渡市では3度も続けて山林火災がおき、2月26日に起きた3回目の火災は延焼が止まらず、今日、3月5日にようやく待望の雨が降り鎮火が期待されています。この1週間で2900ヘクタール、大船渡市の約9%に当たる広大な面積を焼失し、住宅も80棟以上が燃えてしまいました。市民生活にも産業にも大きな影響が出ています。避難生活を強いられている方々は不安の中で過ごされ、3.11から14年、あの時のことを思うコメントがたくさん聞かれます。日本海側の豪雪も深刻で、自然災害の激甚化がどんどん進んでいます。安心して暮らせる対策を国レベルでも個人レベルでも本当に真剣に考え実行しなければと思います。(春代)

先月は、アシャさん、シムランさんの市民権取得という奇跡がおきたことをお伝えしました。そして、もう1名、キラン君が市民権がなく生活に困窮していることが判り、現地理事会で支援を決定しました。もう一度、奇跡が起こることを願い活動に入ります。そうこうしているなか、世界の動きに目が離せませんが、私達の製造拠点である岩手県陸前高田市とお隣の大船渡市の森林火災があり、長野県上田を含む他県でも森林火災があり、心配しています。同じ陸前高田でお付き合いのある宿泊施設玉乃湯さんが、被災された方々の無料宿泊、無料入浴の支援を始めました。市からの支援がないなかなので、私達も小さな支援ですが、お米などを送り応援を始めるところです。昨年3月に講演をして、同年7月に若月賞を受賞された伊波敏男さんが、沖縄での講演が決まりました。5月11日、北谷のニライカナイ・ホールです。私達も、講演のお手伝いをしています。若月賞の時は、アシャさん、シムランさんの市民権取得という奇跡的な解決への出会いがありました。感謝の気持ちを込めてお手伝いさせて頂きたいと思います。(完二)

年に何回か直営店でイベントを開催していて、そのお知らせを休日に徒歩圏内のお宅へポスティングさせていただいています。洒落たカフェを見つけたり、建物やお庭を眺めて楽しんだりのいい運動です。普段は目的地までの最短の道を歩くだけなので、道を一つそれると知らない世界で面白いのですが、住宅地は時々どこを歩いているのかわからなくなり、スマホの地図アプリが必須です。「チラシお断り」と書いた郵便受けには入れないのですが「え?いいの?こんな素敵なお知らせなのに?」。後日、お店で新規登録された方のご住所が、配ったエリアの方だとニンマリ。地元の駅前の公の施設に、こんな素敵なお店があることを知って、ちょっと覗いてみようかなと思っていただけたら嬉しいです。
(早苗)

先日、公文国際学園の先生が担任されていた高校3年生の卒業式のひとコマをSNSにUPされていて「あっ!」と思いました。卒業生代表の答辞が、“教職員への感謝・・・とかではなく、『社会に対する無関心こそが最大の敵です』という力強すぎる言葉”だったそうです。何て格好いい答辞でしょう!卒業生の皆さんは、昨年の3月に、ハンセン病回復者の伊波敏男さんの講演を聞かれました。先生方の日々の教えに加えて、伊波さんが、ご自身の体験と、ポーランドの社会学者ブルーノ・ヤセンスキーの「無関心の人びとを恐れよ。彼らは殺しも裏切りもしない。だが、無関心な人々の同意があればこそ、地球上には裏切りと殺戮が存在するのだ」という言葉を引用して伝えられた渾身のメッセージが心に届いたのだと嬉しく思いました。と同時に、他者の痛みへの想像力や共感がないとしか思えないほど様々な暴力が連鎖しているこの社会をつくってきた大人の一人として、私自身にも問いかけられているのだと思いました。改めて胸に刻み、若者たちと共に、社会を希望あるものに変えていきたいと思います。ご卒業、おめでとうございます!(百合香)

よく聴くラジオで、「大好きな祖父母の難聴が進み昔の様に会話が出来なくなり、辛くて会いにいくのも話すのも少なくなってしまった」というリスナーからのお悩みがありました。聴いていて私は、大好きだから辛いよね、優しいんだね、とリスナー側に立っていたのですが、パーソナリティーからは「その辛さは自分が感じるべきじゃないと思った方がいいと思う」と言われていました。誰かを大切に思うからこそ苦しさを感じることは誰から見ても妥当な感情だと思っていたのですが、その辛さをすでに相手が持っていたのだとしたら、辛さが伝わらないよう笑ってごまかしてくれていたのだとしたら、”自分が感じるべきではない”辛さや感情もあるのかとその別の優しさを知りました。深夜放送の時間は様々な年代、境遇の人たちが電波を通して集まっているような感覚で、たとえ一人イヤホンで聴いている人がいたとしても、この時間だけは誰も孤独ではないと思える場面も多く、テレビやSNSとはまた違った場所だと感じています。対面をしなくても、人が集える様々な媒体や場所が残ってほしいと改めて思います。(萌)

2月

2月2日にフェアトレードタウン金沢推進委員会主催のフェアトレード塾に招かれてお話をしました。能登半島地震で金沢市も大きく揺れ、能登半島から避難されている方もたくさんいらっしゃるので、フェアトレードは遠い外国だけでなく国内で災害や人権侵害などにより困難を抱える人々との連帯も含め、みんなで生きるための手段であることをお伝えしました。災害支援は2011年の東日本大震災の緊急支援から始まり、現地での仕事づくりの中心として工房を建設し、椿油やチョコレート製造など、今日ではネパリ・バザーロの製造部門としてなくてはならない存在になっています。能登半島地震の支援にもその経験が活きています。人権問題や環境問題としては「沖縄カカオプロジェクト」を開始したこと、その目指すもの、多くの仲間が増えているなど途中経過をお伝えしました。ネパールでの活動ももっと詳しくお伝えしたかったのですが、それにはいくら時間があっても足りません。春カタログと夏カタログで最新情報をご紹介しますので、ぜひ、ご覧ください。(春代)

間もなく、「つなぐつながる春号」をお送りすることができると思います。「人が人らしく生きるために」では、ストリート、児童労働から看護師への自立の道をご紹介します。ネパリ創設のきっかけとなった故岩村昇医師との出会いが、ネパール養護施設の子どもたちの成長に伴い、節目節目で岩村さんと関係する不思議なご縁を感じて頂けると思います。時間の積み重ねを歴史というとすれば、それは、初めから計画されていたかのような偶然の連続です。宿題は、まだ残されています。既に計画されているかもしれない先のことは分かりませんが、これからも挑戦して参ります。
(完二)

市場独占の巨大食品企業や農業問題を扱うドキュメンタリー映画「フード・インク・ポスト・コロナ」を正月休みに観ました。工業製品である「超加工食品」による健康被害(特に子どもたちの)、低賃金労働者に支えられた巨大企業の農産物に押される個人農家の衰退が主なテーマで、身近に見かける有名「超加工食品」が何を意味するのか改めて考えさせられました。以前、ネパリのお客様もメッセージに書かれていましたが、安全な食品は高価なぜいたく品で、経済的に厳しい家庭は安価な「超加工食品」を買うしかないのは悲しいこと。食生活の基礎となる米、スタンダードな野菜・肉・魚・調味料くらいは安全なものが無理のない価格で売られ、生産者も見合った収入が安定して得られるよう公的支援が入ってもいいのではないかと思います。第一次産業を本気で守らないと日本の環境問題、食糧問題に未来はないですよね。(早苗)

もう2月半ば、毎日あっという間ですね。事務所は年末のネパール訪問から怒涛の日々が過ぎ、昨日で春カタログ、年間報告書、その他印刷物の入稿がほぼ終わり、ようやくほ~~っとしたところです。ちょこっと体を休めようかなとうん米のお粥を作ったのですが、あまりの美味しさに感動・・・!!重湯も味わいがあってこんなに美味しいとは知りませんでした。寿さんのお味噌汁も体にじわぁ~っと染み入ります。うまい・・・!!うん米やお味噌(もちろんその他の商品も!)がすごいなぁと思うのは、毎回脳が記憶している美味しさよりも、体が感じる美味しさの方が勝っていて、食べる度に感動するということ。手間暇かけて生まれた味わいは、私の脳の記憶可能レベルを遥かにこえているようです。そんな有難い日々を生産者の方々の働きのお陰で送らせて頂いていますが、今年もすでに米不足の傾向が出ているとか。稲作農家さんの時給は10円(農水省営農累計経営統計稲作 2022年)。何をすべきかは明らかなはずです。皆で日本の農業を守っていかなければ。今年は正念場と感じています。(百合香)

2年ほど前から、SNSのプロフィール上で自分が呼ばれたいジェンダー代名詞を使われる方が増えてきました。「he/his」「she/her」あるいは「they/their」などです。それまで私は、日本で多様されている人への代名詞の在り方や、人格がそこに囚われてしまう不自由さを代名詞に感じていた部分がありました。家族内での「お母さん」「お父さん」「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」は最たるものですが、20代で見かけ女性の私が道を歩いていて、交通規制をしている工事現場の方が私に声をかける時は、決まって「お姉さん(ちゃん)」や「お嬢さん(ちゃん)」。その後に続く声掛けはタメ口の時がとても多かったです。不快な思いをしたわけではないのですが、もし私が見かけ男性で、年齢ももっと重ねていたらどんな代名詞で声を掛けられていたんだろう?敬語を使われていたのでは?と考えてしまいました。日本にはあまりにも、身体的(見かけ)な性別と、年齢と、立場を当てはめるような代名詞が多い気がします。もっと誰にでも、尊敬を込めて使える代名詞があれば、一人ひとりを白黒つけず、もっとグレーな部分を大切に出来るんじゃないのかなと考えています。でも、ジェンダー代名詞が使われはじめた流れを見ていて、ジェンダーが当てはめられている代名詞があるからこそ、プロフィールに添えるだけで自らの強い意思を伝えることが出来るということも素敵だな、連帯していたいなと思いました。(萌)

1月

昨年の幕開けは能登半島の地震でした。送られる映像を見て、なかなか進まない救援活動にハラハラしながら2011年の震災を思い出していました。直後から支援に入り、緊急支援、慰労の温泉招待、仕事の機会創出と、時間の経過と共に活動内容を変えつつ今も関わり続けています。あの災害から10年以上も経ち加齢で体力も落ちてしまい、とても支援活動ができるとは思わなかったのですが、カカオフレンズさんをお見舞いに4月に現地に入った途端、できることがあるはずと思案を巡らせました。有難いことに私たちは製品の背景を理解し価値を認めて購入してくださるお客さまとつながっています。被災した生産者の方にお会いして、見たこと感じたことをお伝えしつながっていただければ、生活再建へのお気持ちを少しでも後押しできるのではないかと思いました。地震と豪雨という二重被災に打ちのめされた能登の復興は容易ではありません。食品や器などの購入で日常を通してつながり、長く応援したいと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。(春代)

新年が明けてしまいました。今年も宜しくお願い致します。ネパールでは、バイラワ空港を経由してピュータンの中心、ビジュリまで年末に移動して、新年は、そこから更に車で2時間奥に入り、シナモンの村で新年を迎えました。
お父さん、お祖父さんの時代には、「ドコ」というカゴにシナモンを積み、徒歩で(ときに馬で)4、5日かけてバイラワまで塩と交換に行ったそうです。昨年、市民権が取得できない看護学生のことをお伝えしてから1年、協力な助け人、ヒカマットさんのご協力を得て、市民権取得がかない、看護師試験にも合格、仕事を始めました。予定より1年遅れましたが、自立の道を歩み始めました。日頃からのご協力、有り難うございます。そのヒカマットさんとは、ハンセン病回復者46世帯が住むキャンプで初めてお会いしました。冬季支援と交流の場にお付き合い頂き、その後、市民権を取得できたアシャさん、シムランさんと会い、養護施設MSCCの子どもたちとの交流の場にもお付き合いして頂きました。小学低学年の頃にホームを脱出し、最近、生活に困窮して、故養護施設理事長チャンドラさんの奥様に連絡が入り、現在使っていないホームの家に寝泊まりしているキラン君という子がいます。彼も、市民権がなく、それ故に生活が困窮したようです。今年は、キラン君の市民権取得を頑張ろうと話し合いました。ご報告できていないことがまだまだありますが、今年も挑戦して参ります。(完二)

他のスタッフがネパールへ発った年末に、私は例年通り沖縄へ行ってきました。今回は同行者がおらず一人だったので少々緊張。伊江島には2泊して、ヌチドゥタカラの家でお世話になりました。新しいスタッフが加わり、3月の学習会準備や団体の見学者への対応などで謝花さんも忙しくされていました。今年は伊江島を舞台にした映画が2本上映されます。2月には「かなさんどー」という家族愛のドラマ、7月には敗戦を知らずガジュマルの木の上で2年間隠れ暮らした2名の兵士の物語「木の上の軍隊」。「かなさんどー」は現地ロケもしていたはずなのになぜか皆さんご存じなかったのですが、ガジュマルの木の上で生き延びた伊江島出身の兵士は阿波根さんと親しかったと謝花さんが話してくださいました。横浜でも上映してくれるといいのですが。(早苗)

昨日ネパールから帰国しました。今回も出会った一人ひとりからネパールが抱える問題を重層的に突き付けられた訪問でした。極貧地域故に内戦時代は反政府軍の拠点と隣接していた西ネパール・ピュータンで出会ったシナモン生産者のビシュヌさん(35)は、14歳で結婚、15歳で出産。夫(44)は15歳の時から約20年インドや中東に出稼ぎに。苛酷な日々を過ごされたことでしょう。また、身寄りのないアシャさん、シムランさんの市民権取得を懸命に支援して下さったヒカマットさんとディーパックさんは、担当の役人から人身売買の斡旋業者と疑われたそうです。市民権を取得させて、インドや中東に少女を売るケースが後を断たないという社会的背景が、市民権取得の困難な理由の一つでもあったようです。人身売買も出稼ぎも、資本主義社会の一大奴隷産業です。資源のないネパールでは、人が消費されるモノとして売買され、そこには人権なんてかけらもなく、一部の人のお金儲けのために搾取されています。同じ人なのに、どうしてそのようなことができるのでしょうか…悲しくなりますが、私たちの暮らしも、気付かぬうちにその上に成り立っているのが残酷な現実です…市民権取得に際して、ヒカマットさんが「これでようやく二人は“人として”生きていける」と言われていたのがとても印象的でした。人が人として幸せに生きられる社会への道のりは、何と険しいものかと思いしらされましたが、希望の光もありました!(別途ご報告いたします!)諦めずにいれば、きっといつかひっくり返るはず。私たち一人ひとりにできることはたくさんあります。今年も地道に活動して参ります。(百合香)

1月4日に無事にネパールから帰国し、まだ少し気持ちが落ち着かないまま1月のお便りを作成しています。生産者の方々、奨学生や自立し始めた養護施設出身の子どもたち、タクシー運転手さん、ホテルのコックさん、出会う人との会話の中でこれでもかと「出稼ぎ」が話題となり、以前にも増して「生きる選択肢」として、そして「仕事」として通常化していると感じました。ネパールの方は他国の方と比べて給料が半分程であると、出稼ぎに行かれたタクシーの運転手さんが言われていました。世界的大規模イベントの建設現場では、1日に何人もの方が亡くなってしまうこともあったそうです。「仕事」というのは、生きるためのものではないのでしょうか?時に自分らしさや、人や社会とつながる喜びを感じられるものではないでしょうか?人の尊厳が踏みにじられた上で成り立つビジネスや社会に怒りと、悔しさを感じながら、その恩恵を受けている日本に住む私がいます。この構造を変えたい気持ちをより強く持ちました。仕事を生み出す仕事の大切さを再認識しながら、今年も日々頑張りたいと思います。(萌)