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暮らすように働く 2025年更新中!

ネパリスタッフが、日々働きながら感じることを思うままに書いています。

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都会だけでなく地方でもお米がいつでも安く当り前に買える時代ではなくなり、原因は?対策は?等々、連日のようにメディアでも取り上げられています。稲作農家や事情に詳しい専門家の方達はずいぶん前から危機を訴えてこられましたが、それが現実となり日常の生活に影響するようになってやっと広く認識されようとしています。手遅れになる一歩手前で気付けたのを幸いとして、今後に向けて根本的対策を実施しなければなりません。韓国の益山市で毎年開かれるお祭りがあり、お祭りのパレード参加を中心に組まれたツアーにたまたま招待され参加しました。益山市は1400年昔の百済時代に30代・武王の都があり繁栄し、毎年、武王の国境を越えた愛をテーマにお祭りを実施します。百済と深い交流があった日本からの参加者は大歓迎されました。そして、ツアー参加者にいただいたお土産は何とお米!日本でお米が買えないという情報が伝わったのでしょうか。30年前、インドによる国境封鎖でネパールに砂糖が入らず、庶民が毎日何杯も飲む甘いお茶が飲めないと知り、砂糖をたくさん持参したのを思い出しました。(春代)

支援しているネパールの養護施設に2007年に路上生活から8歳で保護されたキラン君の市民権が得られました。昨年、市民権を取得したホーム出身のアシャさん、シムランさんに続く朗報です。いずれもヒカマットさん、ディーパックさんの献身的努力のおかげです。キラン君からも感謝と喜びの動画メッセージが届きました。皆さまの日頃からのご協力の結果と感じています。本当に感謝です。この養護施設は、故ラムチャンドラ理事長がコロナで急逝されて以降、ほとんど使用されず放置された施設ですが、リフォームが始まりました。キラン君や学校のホステルから子ども達が戻れる日も近いかもしれません。ネパールでは、高校を卒業した後、男子であれば、その半数が外国に仕事を求め、女子も外国に行く割合が高く社会問題になっています。日本でも、都市部のみならず、地方の観光地などで目にすることが多くなりました。それに伴い、問題も顕在化しつつあります。親と一緒に来た子ども達で日本語ができない子どもたちを迎える学校で対応に苦慮しています。今後、そのようなケースは増えると予想されます。子ども達がどこにいても健やかに育ち一人ひとりの人権が大切にされる社会システムに一歩でも前へ進んで欲しいですね。(完二)

5月3日に那覇で行われた憲法シンポジウムで、某参院議員が「ひめゆりの塔」の説明書きはひどい歴史の書き換えだ、むちゃくちゃな教育になっていると非難して物議をかもしています。歴史修正主義の人が「自虐的歴史観では子どもたちが日本を愛せなくなる」というたびに、この人たちは子どもが間違ったことをしてしまったら素直に認めて反省して謝罪し次の過ちを犯さないようにすることよりも、認めず否定し自分は何にも悪くないと言い張ることをよしとするのだろうかと疑問に思います。そんな育ち方をした子が本当に自分を愛せるようになるとは思えません。でも、権力やお金にものをいわせて悪事をもみ消している人々を見ると、それが正しい、それができる自分って凄い!と本気で思っているのかもしれません。否定してもなかったことにはできないのですから、しっかりと向き合い、受け止め、忘れない勇気が大切だと思います。(早苗)

「球美の里」の母体「いわき放射能市民測定室たらちね」さんが、3.11後に経験されたことを当事者の視点からまとめられた防災book「Hahaの書―被ばくから こころとからだを守る防災」を発行されました。その中で「救助活動をしながら、気が狂いそうになるほど怖かった」という消防士の方の言葉が心に重く残りました。大人であっても想像を絶する恐怖や喪失感に晒され、その気持ちを誰にも言えずに心の中に閉じ込めてこれまで必死で生きてこられたこと・・・そのような状況で言葉にならない思いをずっしり抱えて生きてきて、傷つき癒えない子どもたちが多くいること・・・忘れてはならないことを教えられました。先日訪ねた「球美の里」は、科学的知見からの放射能被ばくへの対策と共に、一人ひとりの心を包み込み、皆が大事にされる存在だということに立ち返らせてくれる場所です。心に負った傷は簡単には癒えないけれど、きっと、同時に、球美の里で感じられる安心感や大人も子どもも対等に尊重される経験は、きっとその後の人生の支えになると思います。施設長ヒロさんはじめ、何が大切か、原点を見失わずに生きている大人との出会いも、生きる希望につながることと思います。(百合香)

沖縄・伊江島にある「反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家」に、今年の5月連休も少しだけ滞在させて頂きました。資料館は、阿波根昌鴻さんが戦時中や戦後に収集した伊江島住民と米軍の土地闘争の証拠品や写真などで埋め尽くされています。訪問した時は、分かり易くまとめられている土地闘争の記録を読み込んでみたり、戦禍の中必死に生き延びようとした伊江島住民の擦り切れた衣服、暖をきちんととれるほどの米軍の分厚いコートなどに実際に触れてみたり…という時間を過ごすことが多かったのですが、今回はじめて、「阿波根さんの声」を聴きながら資料館での時間を過ごしてみました。資料館のいくつかの場所にQRコードが掲示されており、生前の阿波根昌鴻さんのお声を聴きながら、資料館を周ることが出来るのです。阿波根さんのお話は動画サイトで聴いたことがあったのですが、資料館の中で、イヤホンをつけて、阿波根さんの優しい言葉を聴いていると本当に側でお話をしてくださっている感覚になります。ただ平和を願うのだけではなく、「なぜ戦争が起きてしまったのか」を阿波根さんと共に考えることが出来る時間と空間は、戦争や虐殺を未だにとめることが出来ていない時代を生きる私たちの、一つの希望や道しるべになると思います。「学びには余りがない、不足が出るだけだ」といつも言われる館長の謝花さんの言葉も胸に、また阿波根さんの著書を読み返そうと思います。(萌)

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南海トラフ巨大地震の30年以内発生確率が80%程度に上昇しました。被害は首都圏にも及ぶとされ、私が住む横浜も想定内です。最も高い34メートルの津波がくると予想される高知県黒潮町の防災対策などを紹介する番組を見て、一番衝撃を受けたのは80年前の南海トラフを震源とするマグニチュード8.2の大地震が隠蔽されていたことです。1944年12月7日に起きた昭和東南海地震は軍部による報道管制で新聞・ラジオで伝えられませんでした。軍需工場、特に愛知県半田市の中島飛行機工場の被害などが連合国に漏れることや国民の戦意喪失をおそれたのです。翌日の各紙1面トップは昭和天皇の大きな肖像写真と一億特攻・米英必殺など戦意高揚の文章で地震と津波に関する情報はわずか数行。和歌山、愛知、静岡などで1200人以上が死亡、約26000棟の家屋が全壊したとされる大災害でありながら被害状況には一切触れていません。孤立無援の被災地で6歳だった男性はインタビューで当時のことを泣きながら語ってました。被災の窮状を誰にも言えず堪えるしかなかった辛さは80年経っても夢に見るなど生々しく甦ってくるのです。戦時下でなければ多くの命が救われたはずです。先月28日に内戦が続くミャンマーで大地震が起き軍事政権の発表でも3千人以上の人々が亡くなっています。戦時下ということで救援活動にも支障が出ています。災害と戦争。人災である戦争はもってのほかです。(春代)

活動を始めて30数年が経ちました。先日、アシャさん、シムランさんが幼少の頃にストリートや児童労働の現場から救済された6歳の頃から成人するまでの困難な様子を記事でご紹介しました。その1年前に同様な状況で救済されたキラン君も、間もなく市民権を取得できそうです。難事業でしたが、皆さまからの応援に感謝です。ネパールでも、地震災害、水害、そして、路上生活者で苦しむ人々がいます。ネパール大地震の支援に同行してくれたジャーナリストのロヒットさんも、弱者支援に奔走しています。そして、3月末に嬉しいニュースが入って来ました。メディアで社会福祉のテーマを扱った人々に贈られるネパール国内のベスト・ジャーナリスト賞を受けられました。「あなたも出来る」という本に続き、路上で生活する人々や精神的障害を負って家族もいない人々と、その支援を行う人々を扱った本の出版を通じて、理解を広げようとされています。市民権取得には、トリブバン大学の准教授で自らもカースト外の女性たちの支援をしているヒカマットさん、ハンセン病回復者で養護施設MSCCの理事をされているディッパクさんなど頑張っていらっしゃいます。体調を崩しやすくなった昨今ですが、できることを一つひとつして行きたいと思います。(完二)

4月は大阪万博の開幕ですね。皆様は関心お持ちですか?私は結構注目しています。4年前にカジノ反対を大きなテーマとした市長選があった横浜市民としては、カジノ(IR)のインフラを整えるための万博での税金投入への疑問を始めとして、メタンガス爆発とその状況隠し、軟弱地盤、能登大地震後も止めることなく、そうでなくても不足している建築土木の人材や資材・重機を投じて進める(進んでいないようですが)工事、膨れ上がる建設費、企業ノルマ以外売れない前売り券、学校招待のごり押し、チケット購入時の過度な個人情報収集、開催前から浸食されて崩れる護岸、目玉だった空飛ぶクルマはデモ飛行のみ、落ちてこないか心配な休憩所頭上の石、公式ガイドブックのイラスト間違い…日々目が離せません。2021年の五輪でも問題視されましたが、こうした大規模イベントはいったい誰のためのものなのでしょう。(早苗)

3月30日、「福島原発事故14年展~この国の姿を問う~」の展示を見に行きました。3.11の福島第一原発事故で、先祖から代々受け継いできた土地、戦後必死に開拓してきた土地、営んできた暮らし、人と人のつながり、人が生きる上で大切なものを国に無惨に奪われて14年・・・。それから私たちの国の姿はどう変わったのか、変わらないのか、突き付けられました。その足で、全国の農家さんの思いを背負って窮状を訴え、農ある未来を守っていかねばと強い気持ちで集まり、渋谷の町をトラクターで走る農家さんに連帯の気持ちを伝えたいと「令和の百姓一揆」の応援に萌さんと行きました。実行委員長の菅野芳秀さんはご著書の中で、離農する農家のことを「墓仕舞い」ならぬ「農仕舞い(のうじまい)」と表現されていましたが、さらに「農仕舞いは国仕舞い」とあり衝撃と共に納得でした。ああ、この国は、私たちは今、国仕舞いに向かっているんだ・・・まるで静かな戦時下。そんな国、あるのでしょうか。私たちは何と戦えばいいのでしょうか。国の農政もエネルギー政策も変えなければと思いますが、それを支えてきたのはお金と効率ばかりを追い求めてきた私たち一人一人。効率優先ではなく、種から芽がでるのをじっくり待つ自然の歩みに合わせて、消費するだけではなく生み出す側に想いを馳せて、何のために生きるのか、命とは?豊かさとは?一人ひとりがじっくり考え連帯することが、私たちの「たたかい」だと、いつも時間に追われている自分自身に言い聞かせながら帰宅しました。(百合香)

哲学というものが日常の中でどのように私たちに作用するのかが気になり、私でも愉しく学べそうな研究者や本を色々と調べていた頃、劇作家の平田オリザさんのお名前をよく目にしていました。なぜ演劇?と思っていたのですが、彼の本を読むと一気に理解が深まりました。古代ギリシヤで民主制が生まれたとき、共に「哲学」と「演劇」が生まれ、多様な人々の「概念」をすり合わせていくのが「哲学」、「感性」をすり合わせていくものが「演劇」であったと言われていました。
6/14(土)に再上演をする「マリヤの賛歌」の作家、くるみざわしんさんも関わられている長野県の満蒙開拓平和記念館では、以前小学生向けに、開拓団の逃避行の絵を見ながらセリフやタイトルを考えてみるというワークショップをしたというお話を聞きました。その時は素敵なアイディアだなと感じたぐらいだったのですが、今思うと、命がけの逃避行をされた「他者」という存在へ、自分の感性を広げながら近づき、そして演じるということは、資料や本から一方的に知ることよりもより他者に近づけてくれる方法なのかもしれないと思いました。コロナ禍では演劇や音楽ライブなどが「不要不急」とされてしまいましたが、人が文化的な生活を営むことは憲法で守られているものであり、多様な人々との違いを認めあったり、共感しあったり、ある文化を育むことは、人と人が共に生きることにもつながるのだと改めて感じました。(萌)

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厳しい乾燥の続くこの冬、山林火災が各地で発生しました。椿油&チョコレート工房「椿のみち」がある岩手県陸前高田市でも発生しましたが、幸いにも早く消火できました。ご心配いただいた皆さま、ありがとうございます。しかし、隣の大船渡市では3度も続けて山林火災がおき、2月26日に起きた3回目の火災は延焼が止まらず、今日、3月5日にようやく待望の雨が降り鎮火が期待されています。この1週間で2900ヘクタール、大船渡市の約9%に当たる広大な面積を焼失し、住宅も80棟以上が燃えてしまいました。市民生活にも産業にも大きな影響が出ています。避難生活を強いられている方々は不安の中で過ごされ、3.11から14年、あの時のことを思うコメントがたくさん聞かれます。日本海側の豪雪も深刻で、自然災害の激甚化がどんどん進んでいます。安心して暮らせる対策を国レベルでも個人レベルでも本当に真剣に考え実行しなければと思います。(春代)

先月は、アシャさん、シムランさんの市民権取得という奇跡がおきたことをお伝えしました。そして、もう1名、キラン君が市民権がなく生活に困窮していることが判り、現地理事会で支援を決定しました。もう一度、奇跡が起こることを願い活動に入ります。そうこうしているなか、世界の動きに目が離せませんが、私達の製造拠点である岩手県陸前高田市とお隣の大船渡市の森林火災があり、長野県上田を含む他県でも森林火災があり、心配しています。同じ陸前高田でお付き合いのある宿泊施設玉乃湯さんが、被災された方々の無料宿泊、無料入浴の支援を始めました。市からの支援がないなかなので、私達も小さな支援ですが、お米などを送り応援を始めるところです。昨年3月に講演をして、同年7月に若月賞を受賞された伊波敏男さんが、沖縄での講演が決まりました。5月11日、北谷のニライカナイ・ホールです。私達も、講演のお手伝いをしています。若月賞の時は、アシャさん、シムランさんの市民権取得という奇跡的な解決への出会いがありました。感謝の気持ちを込めてお手伝いさせて頂きたいと思います。(完二)

年に何回か直営店でイベントを開催していて、そのお知らせを休日に徒歩圏内のお宅へポスティングさせていただいています。洒落たカフェを見つけたり、建物やお庭を眺めて楽しんだりのいい運動です。普段は目的地までの最短の道を歩くだけなので、道を一つそれると知らない世界で面白いのですが、住宅地は時々どこを歩いているのかわからなくなり、スマホの地図アプリが必須です。「チラシお断り」と書いた郵便受けには入れないのですが「え?いいの?こんな素敵なお知らせなのに?」。後日、お店で新規登録された方のご住所が、配ったエリアの方だとニンマリ。地元の駅前の公の施設に、こんな素敵なお店があることを知って、ちょっと覗いてみようかなと思っていただけたら嬉しいです。
(早苗)

先日、公文国際学園の先生が担任されていた高校3年生の卒業式のひとコマをSNSにUPされていて「あっ!」と思いました。卒業生代表の答辞が、“教職員への感謝・・・とかではなく、『社会に対する無関心こそが最大の敵です』という力強すぎる言葉”だったそうです。何て格好いい答辞でしょう!卒業生の皆さんは、昨年の3月に、ハンセン病回復者の伊波敏男さんの講演を聞かれました。先生方の日々の教えに加えて、伊波さんが、ご自身の体験と、ポーランドの社会学者ブルーノ・ヤセンスキーの「無関心の人びとを恐れよ。彼らは殺しも裏切りもしない。だが、無関心な人々の同意があればこそ、地球上には裏切りと殺戮が存在するのだ」という言葉を引用して伝えられた渾身のメッセージが心に届いたのだと嬉しく思いました。と同時に、他者の痛みへの想像力や共感がないとしか思えないほど様々な暴力が連鎖しているこの社会をつくってきた大人の一人として、私自身にも問いかけられているのだと思いました。改めて胸に刻み、若者たちと共に、社会を希望あるものに変えていきたいと思います。ご卒業、おめでとうございます!(百合香)

よく聴くラジオで、「大好きな祖父母の難聴が進み昔の様に会話が出来なくなり、辛くて会いにいくのも話すのも少なくなってしまった」というリスナーからのお悩みがありました。聴いていて私は、大好きだから辛いよね、優しいんだね、とリスナー側に立っていたのですが、パーソナリティーからは「その辛さは自分が感じるべきじゃないと思った方がいいと思う」と言われていました。誰かを大切に思うからこそ苦しさを感じることは誰から見ても妥当な感情だと思っていたのですが、その辛さをすでに相手が持っていたのだとしたら、辛さが伝わらないよう笑ってごまかしてくれていたのだとしたら、”自分が感じるべきではない”辛さや感情もあるのかとその別の優しさを知りました。深夜放送の時間は様々な年代、境遇の人たちが電波を通して集まっているような感覚で、たとえ一人イヤホンで聴いている人がいたとしても、この時間だけは誰も孤独ではないと思える場面も多く、テレビやSNSとはまた違った場所だと感じています。対面をしなくても、人が集える様々な媒体や場所が残ってほしいと改めて思います。(萌)

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2月2日にフェアトレードタウン金沢推進委員会主催のフェアトレード塾に招かれてお話をしました。能登半島地震で金沢市も大きく揺れ、能登半島から避難されている方もたくさんいらっしゃるので、フェアトレードは遠い外国だけでなく国内で災害や人権侵害などにより困難を抱える人々との連帯も含め、みんなで生きるための手段であることをお伝えしました。災害支援は2011年の東日本大震災の緊急支援から始まり、現地での仕事づくりの中心として工房を建設し、椿油やチョコレート製造など、今日ではネパリ・バザーロの製造部門としてなくてはならない存在になっています。能登半島地震の支援にもその経験が活きています。人権問題や環境問題としては「沖縄カカオプロジェクト」を開始したこと、その目指すもの、多くの仲間が増えているなど途中経過をお伝えしました。ネパールでの活動ももっと詳しくお伝えしたかったのですが、それにはいくら時間があっても足りません。春カタログと夏カタログで最新情報をご紹介しますので、ぜひ、ご覧ください。(春代)

間もなく、「つなぐつながる春号」をお送りすることができると思います。「人が人らしく生きるために」では、ストリート、児童労働から看護師への自立の道をご紹介します。ネパリ創設のきっかけとなった故岩村昇医師との出会いが、ネパール養護施設の子どもたちの成長に伴い、節目節目で岩村さんと関係する不思議なご縁を感じて頂けると思います。時間の積み重ねを歴史というとすれば、それは、初めから計画されていたかのような偶然の連続です。宿題は、まだ残されています。既に計画されているかもしれない先のことは分かりませんが、これからも挑戦して参ります。
(完二)

市場独占の巨大食品企業や農業問題を扱うドキュメンタリー映画「フード・インク・ポスト・コロナ」を正月休みに観ました。工業製品である「超加工食品」による健康被害(特に子どもたちの)、低賃金労働者に支えられた巨大企業の農産物に押される個人農家の衰退が主なテーマで、身近に見かける有名「超加工食品」が何を意味するのか改めて考えさせられました。以前、ネパリのお客様もメッセージに書かれていましたが、安全な食品は高価なぜいたく品で、経済的に厳しい家庭は安価な「超加工食品」を買うしかないのは悲しいこと。食生活の基礎となる米、スタンダードな野菜・肉・魚・調味料くらいは安全なものが無理のない価格で売られ、生産者も見合った収入が安定して得られるよう公的支援が入ってもいいのではないかと思います。第一次産業を本気で守らないと日本の環境問題、食糧問題に未来はないですよね。(早苗)

もう2月半ば、毎日あっという間ですね。事務所は年末のネパール訪問から怒涛の日々が過ぎ、昨日で春カタログ、年間報告書、その他印刷物の入稿がほぼ終わり、ようやくほ~~っとしたところです。ちょこっと体を休めようかなとうん米のお粥を作ったのですが、あまりの美味しさに感動・・・!!重湯も味わいがあってこんなに美味しいとは知りませんでした。寿さんのお味噌汁も体にじわぁ~っと染み入ります。うまい・・・!!うん米やお味噌(もちろんその他の商品も!)がすごいなぁと思うのは、毎回脳が記憶している美味しさよりも、体が感じる美味しさの方が勝っていて、食べる度に感動するということ。手間暇かけて生まれた味わいは、私の脳の記憶可能レベルを遥かにこえているようです。そんな有難い日々を生産者の方々の働きのお陰で送らせて頂いていますが、今年もすでに米不足の傾向が出ているとか。稲作農家さんの時給は10円(農水省営農累計経営統計稲作 2022年)。何をすべきかは明らかなはずです。皆で日本の農業を守っていかなければ。今年は正念場と感じています。(百合香)

2年ほど前から、SNSのプロフィール上で自分が呼ばれたいジェンダー代名詞を使われる方が増えてきました。「he/his」「she/her」あるいは「they/their」などです。それまで私は、日本で多様されている人への代名詞の在り方や、人格がそこに囚われてしまう不自由さを代名詞に感じていた部分がありました。家族内での「お母さん」「お父さん」「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」は最たるものですが、20代で見かけ女性の私が道を歩いていて、交通規制をしている工事現場の方が私に声をかける時は、決まって「お姉さん(ちゃん)」や「お嬢さん(ちゃん)」。その後に続く声掛けはタメ口の時がとても多かったです。不快な思いをしたわけではないのですが、もし私が見かけ男性で、年齢ももっと重ねていたらどんな代名詞で声を掛けられていたんだろう?敬語を使われていたのでは?と考えてしまいました。日本にはあまりにも、身体的(見かけ)な性別と、年齢と、立場を当てはめるような代名詞が多い気がします。もっと誰にでも、尊敬を込めて使える代名詞があれば、一人ひとりを白黒つけず、もっとグレーな部分を大切に出来るんじゃないのかなと考えています。でも、ジェンダー代名詞が使われはじめた流れを見ていて、ジェンダーが当てはめられている代名詞があるからこそ、プロフィールに添えるだけで自らの強い意思を伝えることが出来るということも素敵だな、連帯していたいなと思いました。(萌)

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昨年の幕開けは能登半島の地震でした。送られる映像を見て、なかなか進まない救援活動にハラハラしながら2011年の震災を思い出していました。直後から支援に入り、緊急支援、慰労の温泉招待、仕事の機会創出と、時間の経過と共に活動内容を変えつつ今も関わり続けています。あの災害から10年以上も経ち加齢で体力も落ちてしまい、とても支援活動ができるとは思わなかったのですが、カカオフレンズさんをお見舞いに4月に現地に入った途端、できることがあるはずと思案を巡らせました。有難いことに私たちは製品の背景を理解し価値を認めて購入してくださるお客さまとつながっています。被災した生産者の方にお会いして、見たこと感じたことをお伝えしつながっていただければ、生活再建へのお気持ちを少しでも後押しできるのではないかと思いました。地震と豪雨という二重被災に打ちのめされた能登の復興は容易ではありません。食品や器などの購入で日常を通してつながり、長く応援したいと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。(春代)

新年が明けてしまいました。今年も宜しくお願い致します。ネパールでは、バイラワ空港を経由してピュータンの中心、ビジュリまで年末に移動して、新年は、そこから更に車で2時間奥に入り、シナモンの村で新年を迎えました。
お父さん、お祖父さんの時代には、「ドコ」というカゴにシナモンを積み、徒歩で(ときに馬で)4、5日かけてバイラワまで塩と交換に行ったそうです。昨年、市民権が取得できない看護学生のことをお伝えしてから1年、協力な助け人、ヒカマットさんのご協力を得て、市民権取得がかない、看護師試験にも合格、仕事を始めました。予定より1年遅れましたが、自立の道を歩み始めました。日頃からのご協力、有り難うございます。そのヒカマットさんとは、ハンセン病回復者46世帯が住むキャンプで初めてお会いしました。冬季支援と交流の場にお付き合い頂き、その後、市民権を取得できたアシャさん、シムランさんと会い、養護施設MSCCの子どもたちとの交流の場にもお付き合いして頂きました。小学低学年の頃にホームを脱出し、最近、生活に困窮して、故養護施設理事長チャンドラさんの奥様に連絡が入り、現在使っていないホームの家に寝泊まりしているキラン君という子がいます。彼も、市民権がなく、それ故に生活が困窮したようです。今年は、キラン君の市民権取得を頑張ろうと話し合いました。ご報告できていないことがまだまだありますが、今年も挑戦して参ります。(完二)

他のスタッフがネパールへ発った年末に、私は例年通り沖縄へ行ってきました。今回は同行者がおらず一人だったので少々緊張。伊江島には2泊して、ヌチドゥタカラの家でお世話になりました。新しいスタッフが加わり、3月の学習会準備や団体の見学者への対応などで謝花さんも忙しくされていました。今年は伊江島を舞台にした映画が2本上映されます。2月には「かなさんどー」という家族愛のドラマ、7月には敗戦を知らずガジュマルの木の上で2年間隠れ暮らした2名の兵士の物語「木の上の軍隊」。「かなさんどー」は現地ロケもしていたはずなのになぜか皆さんご存じなかったのですが、ガジュマルの木の上で生き延びた伊江島出身の兵士は阿波根さんと親しかったと謝花さんが話してくださいました。横浜でも上映してくれるといいのですが。(早苗)

昨日ネパールから帰国しました。今回も出会った一人ひとりからネパールが抱える問題を重層的に突き付けられた訪問でした。極貧地域故に内戦時代は反政府軍の拠点と隣接していた西ネパール・ピュータンで出会ったシナモン生産者のビシュヌさん(35)は、14歳で結婚、15歳で出産。夫(44)は15歳の時から約20年インドや中東に出稼ぎに。苛酷な日々を過ごされたことでしょう。また、身寄りのないアシャさん、シムランさんの市民権取得を懸命に支援して下さったヒカマットさんとディーパックさんは、担当の役人から人身売買の斡旋業者と疑われたそうです。市民権を取得させて、インドや中東に少女を売るケースが後を断たないという社会的背景が、市民権取得の困難な理由の一つでもあったようです。人身売買も出稼ぎも、資本主義社会の一大奴隷産業です。資源のないネパールでは、人が消費されるモノとして売買され、そこには人権なんてかけらもなく、一部の人のお金儲けのために搾取されています。同じ人なのに、どうしてそのようなことができるのでしょうか…悲しくなりますが、私たちの暮らしも、気付かぬうちにその上に成り立っているのが残酷な現実です…市民権取得に際して、ヒカマットさんが「これでようやく二人は“人として”生きていける」と言われていたのがとても印象的でした。人が人として幸せに生きられる社会への道のりは、何と険しいものかと思いしらされましたが、希望の光もありました!(別途ご報告いたします!)諦めずにいれば、きっといつかひっくり返るはず。私たち一人ひとりにできることはたくさんあります。今年も地道に活動して参ります。(百合香)

1月4日に無事にネパールから帰国し、まだ少し気持ちが落ち着かないまま1月のお便りを作成しています。生産者の方々、奨学生や自立し始めた養護施設出身の子どもたち、タクシー運転手さん、ホテルのコックさん、出会う人との会話の中でこれでもかと「出稼ぎ」が話題となり、以前にも増して「生きる選択肢」として、そして「仕事」として通常化していると感じました。ネパールの方は他国の方と比べて給料が半分程であると、出稼ぎに行かれたタクシーの運転手さんが言われていました。世界的大規模イベントの建設現場では、1日に何人もの方が亡くなってしまうこともあったそうです。「仕事」というのは、生きるためのものではないのでしょうか?時に自分らしさや、人や社会とつながる喜びを感じられるものではないでしょうか?人の尊厳が踏みにじられた上で成り立つビジネスや社会に怒りと、悔しさを感じながら、その恩恵を受けている日本に住む私がいます。この構造を変えたい気持ちをより強く持ちました。仕事を生み出す仕事の大切さを再認識しながら、今年も日々頑張りたいと思います。(萌)