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暮らすように働く 2024年1~9月

ネパリスタッフが、日々働きながら感じることを思うままに書いています。

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令和の米騒動と言われる事態が起きています。スーパーや小売店の商品棚からお米が消え、入荷しても直ぐに完売してしまうとか。このような状況は都市部だけではなく全国的に起きているようです。猛暑の影響で収穫量が減る不安や大地震や台風の備蓄用に、増えた外国人観光客の需要等など、理由がいくつか挙げられています。農水大臣が「逼迫していない、新米が出るから大丈夫」と言っても騒ぎは収まらず、出るそばから新米が高値で売れています。食料自給率の低い日本でも流石に主食のお米は100%でしたが、これからは自給率が低下する要素ばかりで、早く手を打たなければ大変なことになると警告されています。その大変な事態を想起させる騒動だなと思いました。減反政策を推し進め、気候危機のリスクも経済リスクも米農家だけに負わせて経営的に成り立たない産業にしてしまい、後継者が出てこない現状を1日も早く改善しなくてはなりません。政治の問題が大きく、腐敗した政治を政権交代で変えましょう!(春代)

いよいよ9月に入りました。暑い夏と思っていたら台風とともに秋の季節に入りますね。皆様に被害がないことを願っています。今、一番の関心事はネパールの養護施設で育った、身寄りのないアシャさん、シムランさんのことです。昨年12月に看護師学校を卒業しましたが、未だ看護師の国家資格取得の受験すらできないでいます。身寄りがないということは、市民権を保証するものがなく、20年近く生きてきたのに市民権を得られないのです。役所窓口に何度も足を運ぶも、まともに相手にされず数年を過ごしてきました。7月末に、保健、医療、福祉分野で功績のあった人に贈られる若月賞を、ハンセン病回復者の伊波敏男さんが受賞され、私たちもお手伝いで式典に参加させて頂きました。その時に受賞されたもう一人の方がネパール農村医療に貢献された楢戸健次郎医師でした。アシャさん、シムランさんのことを相談させて頂き、楢戸医師の15年来のお付き合いで信頼でき、政府機関にも知人友人が多い方をご紹介頂きました。8月末に、家庭省で高官から役所窓口へ審査の見直しの指示を出して頂き、事態は、かなり好転しています。まだまだ油断できませんが、もうひと頑張りです。保護者(保証人)を裁判所で認めてもらい、その書類がそろえば通りそうです。11月に、最後の機会の国家試験があります。願書は、10月締め切り。間に合うことを願うばかりです。(完二)

映画通ではないのですがまたまた映画のお話。「関心領域」を、ポスターの「アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた」というだけの知識で観ました。所長家族が暮らす、収容所に隣接したプール付きの豪邸。高い塀の向こうから頻繁に聞こえる銃声や叫び声、立ち上る煙を誰も気にしていない。収容所から運ばれた衣服や装飾品を平然と物色する。兄は遺体の金歯をコレクションし、川遊びをしていると遺灰が流れてくる。幼い娘は夢遊病のように夜中に廊下に座り込み、所長は仕事場で突然嘔吐する。それでも家族はこの豊かな暮らしを疑問なく気に入っている。同じものを見ていても、関心をどこに向けているかで見えるものは違う。それは現在も同じで、原発事故・能登半島地震・基地問題・パレスチナ・etc…見たくないものにはフタをして平穏に暮らしていると思い込んでいるけれど、実は大きなひずみ・歪みが社会にも私自身にも生じていることを静かに突き付けてくる映画でした。(早苗)

8月の夏休みを利用して沖縄に行ってきました。今回も、伊江島の反戦平和資料館で館長の謝花悦子さんのお手伝いをさせて頂きました。ご高齢なので熱中症が心配で心配で、拒む謝花さんに、萌さんが何とか首掛けの扇風機をかけると「ああ、涼しいねえ」と言われたものの、「私なんかにはもったいない。こんな便利なものに慣れてしまってはダメだ」と最後は返されてしまいました。いつものやり取りではあるのですが、その度に、どれほどのものを背負われているのだろうと思わされます。戦争で奪われたお父様や大切な人たちの命、壮絶な戦争の体験、一番近くで見て支えてきた阿波根さんの非暴力での土地闘争、命を懸けて共に闘ってきた今は亡き同志たちの願い、常に戦場が近くにあることを感じて暮らさざるを得ない沖縄の人々の恐怖と怒り、いつまた戦争が始まるかもしれないという強烈な危機感…批判にも晒されながら、あまりにも多くのものを一身に背負われ、私には全く想像にも及ばない景色がいつも心にあるのだろうと思います。その背負われているものを、ほんの少しでも共に背負わせて頂きたいと切に思います。(百合香)

今年の夏も、多くの学生さんたちが事務所に来てくれました。ネパリと出会ってくれた理由は様々ですが、数年後には共に社会を創っていく仲間としてとても頼もしく、存在とエネルギーは希望だなと感じながら学生さんとの時間を楽しませて頂いています。実は私は、大学生の頃に初めてフェアトレード(大企業のコーヒー商品を通して)を知った時は、「良いように謳っているけれど、大企業のほんの一部の商品だけだし、本当に良いことなの?」ととても懐疑的に捉えていました。それでもネパリとご縁があり、仕事や政治について楽しそうに話す百合香さんを見て、「こんなに楽しく仕事の話をする大人がいるんだ!一緒に働けたら、社会を良くする一員に私もなれるかもしれない」と感じ、今こうして働くことが出来ています。学生の頃は、フェアトレードという手段で私が働くとは考えてもいませんでした。だからこそ、事務所に来てくれた学生さんには、様々な大人に出会って、生き方や働き方を見て感じて、自分自身の選択肢や可能性を広げていって欲しいと思っています。(萌)

8月

7月23、24日に輪島に行きました。4月から毎月の訪問で4回目になります。相変わらず復旧が進んでいない状態だろうと思いつつ行ってみると、進んでいないどころか悪化しているようにさえ感じました。上下水道や道路はいくらか復旧したようですが、倒壊した建物や電柱などはほとんど手つかずで風雨にさらされ、傾きが増し、そばを通ると今にも頭上に崩れ落ちてくるかと恐くなります。市街地では両側の建物が潰れて道路にせり出した屋根が道を塞ぎ、通行できなくなったところが増えています。せめて子ども達の通学路だけでも早く片付け安全を確保してほしいという声を聞きました。業者が忙しくなかなか来てくれない、危険箇所に近寄りたがらないなど理由は様々あるでしょうが、このまま放置して取り返しのつかない事故が起きてしまったらどうするのでしょう。災害関連死が増え続けています。7ヶ月経ち認められた死者数は110人になり、申請中の方たちは150人を超えています。地震による直接死を上回る関連死は何を意味しているのか、責任ある立場の人々は答えを出さなければならないと思います。(春代)

ネパールは、雨季に入りました。合い間の天気の良い日を待って近々、グルミからコーヒーがカトマンズに届けられます。ネパールもインフレとエネルギー価格の高騰でコーヒーが値上がりしています。毎月ご報告している天涯孤独の身で養護施設で育ったアシャさん、シムランさんは、なかなか市民権が得られず、先月から弁護士がついて、解決を図っています。先月末、長野県佐久市の佐久総合病院で保健、医療、福祉分野で功績のあった人に贈られる若月賞の授賞式があり、今年はハンセン病回復者で作家の伊波敏男さんとネパールの農村医療に貢献されている医師の樽戸健次郎さんが受賞されました。樽戸さんも、ネパールの医療に尽くされた故岩村昇医師を通じたご縁で、アシャさん、シムランさんが学んだタンセン病院併設の看護学校校長と親しくされていることを知りました。つながるご縁に感謝です。アシャさん、シムランさんが1日も早く市民権が得られることを願い支援は続いています。(完二)

7月の連休にネパリのスタッフと共に、山梨、長野、岐阜のカカオフレンズのお客様やお店様にお会いしました。皆様それぞれが、自分らしく大切に作り上げたお家で、自分の好きなものを大事にして、生き生きのびのびと暮らしていらっしゃいました。丁寧な暮らしってこういうことだなぁと、荒れ果てた我が家を反省し、整理整頓と掃除をしなければ…と帰宅したら、水をやり忘れた鉢植えのコーヒーが干からびてパリッパリになっていました…あ~あ。(早苗)

春代さんと輪島に行ってきました。街の様子は、春代さんの一言にある通りで、想像していたとはいえ衝撃でした。お会いした方がさらっとこう言われていました。「私たちのことはいいから、輪島の様子を見て、自分事と思ってほしい。何かあったら、見棄てられますよ」別の方は、「多分、皆思っていますよ。見棄てられた、見放されたって。私でさえ思っていますから」と。「自分の力以上に声をあげているつもりだけれど、何も変わらない。そんな中でも、ここで、前向きにやっていくしかない。せめて、せめて、瓦礫だけでも何とかしてもらいたい。そしたら、後は皆で力を合わせて頑張りますよ」「復興まで、10年、20年、覚悟しています」と。あまりにも重たい言葉です。未だに体育館の避難所暮らしの方もいらっしゃいます。どんな理由にせよ、なぜ、ここまで放置されているのでしょうか。国とは、何のためにあるのでしょう?善意のボランティア頼みで何とかなる状況ではありません。私たちが声をあげていかないとと思います。(百合香)

先日ネパールからコーヒーやはちみつなどが入荷しました。はちみつは2.5kgの容器に入っていて、6本入りの段ボールが更に木箱に入っている状態で入荷します。その木箱を毎回捨ててしまうのも惜しく、自宅に持ち帰らせて頂いて、本棚へと生まれ変わっています…!しっかりとした作りの木箱ですが色々なものが飛び出してしまっているので、出ている釘は引っこ抜き、棘は紙やすりでせっせと磨き、ちょっとした力仕事なのですが、ネパールから届いた木箱を自宅のベランダで整えている時間は楽しくて、なんだかちょっとしたセラピーのようでした。いつまでも手元に置いておきたい小説、何が私たちを本当に自由にしてくれるのかを教えてくれた社会学の本、私たちに警鐘をならしてくれている沖縄戦やハンセン病、満蒙開拓についての事実が書かれている大切な本たち。はちみつの木箱に綺麗に収まっている姿を眺めることがとても好きです(本は読むもの、と思いつついつも眺めています)。土地や時世、自然や人の人生が交差しているような本棚は、私の家の中で一番好きな空間になっています。(萌)

7月

6月15日に「マリヤの賛歌」という日本軍慰安婦をテーマにした芝居を上演しました。日本軍の慰安婦にされた日本女性は多かったはずですが、隠し通し、告白した人は僅かです。その数少ない日本女性のひとりが城田すず子さん。台湾や南方戦線で中国、台湾、朝鮮半島や沖縄の女性たちと共に尊厳を踏みにじられ慰安婦として利用されました。爆撃や病気で死んでもまともに弔われることもなく、屍を野にさらし、動物の餌食になったたくさんの女性たちを見てきた城田さんは、晩年を過ごした千葉・館山のかにた婦人の村に女性たちの鎮魂碑を建てたいと強く願い実現しました。城田さんの人生が詰まった「マリヤの賛歌」を読みながら自問自答する女性と城田さんを一人で見事に演じた金子順子さんによって、人は誰もが尊厳を守られるべきものを売春婦だから何をされてもよい女性と守られる女性、ふたつに分けるなというメッセージが突き刺さりました。分ける、分断する。沖縄でも原発立地でも、被災地でも、どこでも人々は分断され真の敵から目を背けさせられてしまいます。苦しみを当事者だけに負わせるのではなく、みんなのためにみんなで声を挙げましょう。(春代)

ネパールは、7月に入り、毎日のように激しい雨が降る季節に入りました。暫くは、遠隔の農産物(コーヒーやスパイスなど)を首都カトマンズに運ぶのは難しくなります。そんな昨今ですが、コーヒーが有機栽培で育てることが普通のことになりましたが、スパイスも、有機栽培で進めて行こうとする気運がでて来ています。森林が多いピュータンで地方政府が、その栽培促進に予算をつけようとしています。具体的な活動はこれからになりますが、私たちも関わって行くことになると思います。朗報の一方で、市民権を得られないアシャさん、シムランさんの現実に直面しています。まだ暫く時間がかかりそうです。年末に訪問したハンセン病回復者のラキシマンさん、クスムさんご夫妻のご自宅の雨漏りが激しかったので、支援させて頂きました。お陰様で、雨季に入りましたが快適に暮らしているとの一報をもらっています。日頃からご支援を頂いている皆さまに感謝です。(完二)

沖縄島南部で遺骨収集を続けていらっしゃる具志堅隆松さんの映画「骨を掘る男」を観ました。終戦から80年近く経ってもガマに残る遺骨を、手袋もせず素手で探し続ける具志堅さんの、死者の尊厳を守ろうとする謙虚な姿。県庁前でハンガーストライキをする具志堅さんが県庁舎に向けて「デニーさん、助けてぃくみそーれー」と呼びかける場面は涙が出ました。その沖縄では、6月16日の県議選の2日後に、辺野古の大浦湾側の埋め立て工事に関する協議を打ち切り8月から本格工事に着手すると防衛省が通知。翌週25日には在沖縄米兵による少女暴行事件が隠蔽されていたことが発覚。選挙への影響を意識したとしか思えないタイミングに憤りを感じます。沖縄に不条理を強いているヤマトの人間として、ヤマトでできることをしていかなければと思います。(早苗)

東京都知事選での選挙ポスターについて、様々な問題点が浮き彫りになったと思いますが、ほぼ全裸の女性の写真が写っているポスターに、私は恐怖を感じました。尊厳がずたずたに傷つけられました。在日コリアンの方々へのヘイトを煽るポスターもありました。私たちの社会では、貶めてもよい人たちとそうでない人たちが分けられていること、その分断に国や公の機関がお墨付きを与えている状況であることを、まざまざと感じさせられました。その延長線上には、暴力をふるってもよい人たちとそうでない人たち、殺してもよい人とそうでない人たちという分断が進み、ヘイトクライムからジェノサイドにつながるということは、100年前の関東大震災での朝鮮人・中国人虐殺の歴史からも私たちは学んでいるはずです。沖縄の民意を蹂躙し続けていることも、入管法改悪による難民の方々への対応も、人権を無視してよい人たちとそうでない人たちと、国によって明らかに線がひかれて分断されています。民主主義の基本である選挙権も被選挙権も守りながら、当事者が感じている、この国で生きる恐怖を安心に変えていかないとと痛感しています。(百合香)

東京都知事選が開票され、様々な方が分析を始めた中で一つ改めて私の学びになったことは、日々の暮らしの中で政治の話をすることがどれだけ大切か、ということでした。今回、投票率が伸びたことは今後の民主主義を考える上ではとても希望になったと思います。関東で一人街宣をされる方の存在も、とても格好良くて、一つの希望でした。その様な大きな動きの中で、これからの社会を創っていく私たち20代や10代の投票先を決める媒体として、YoutubeやTickTokなどのショート動画の力が大きく影響していたと言われています。動画を通じてある政治家や選挙、政治について興味を持つようになることは、無党派層の投票率が伸びることにもつながると思います。でもそれと同時に、短い動画だけではインパクトを与えるだけで、本質までをも知れることは出来ないのではないかなと思います。政治とどんな出会い方をしたとしても、教育現場や周りの友人、職場や家族、日々の暮らしの中で政治の話がフランクに出来て、様々な視点が持てるようになれていたら、権力やメディア、ある一定層の企業の戦略にのせられることなく自らで考え、その状態で選択出来たものが「自分で選択したんだ!」という内発的なものになるのではと感じました。選挙も日常も、一つひとつを積み重ねて希望ある社会を創っていきたいです。(萌)

 

6月

6月4日と5日に輪島市と珠洲市に行ってきました。4月5月に続き3回目の訪問です。具体的な支援内容が決まり、冬カタログでご紹介するための撮影と取材が目的です。発災から半年近くが経つというのに本当に被災地?と思うような相変わらずの状況に、今回が初めての訪問のスタッフも驚き、怒りをあらわにしていました。報道も減り、支援に入る人たちも減っています。人気のない静かな被災地。何故か小声で話してしまいます。東日本大震災の直後から東北各地に支援に入り、現在も関わっていて、能登の状況があまりにも違うので不安が募ります。今後も余震が続き、雨の多い時期を迎えることを考えると被害が拡大するのではと心配です。能登支援、始めます。頑張りますので応援よろしくお願いいたします!(春代)

つなぐつながる春号でご紹介したクミンを通した有機栽培の習得と取り組み、夏号でご紹介したシナモン栽培の様子、如何でしたでしょうか。私たちの商品の背景に、多くの生産者とその生活があることを感じていただけたでしょうか。その人々との出会いには、余りに生活が厳しかったり、社会の不公平にさらされていたりということを目の当たりにすることがあります。例えば、夫が出て行ってしまい、生活が立ちゆかなくなった親子とか。生活費の一部補助と学費を出していましたが、遠隔の地で、生徒数が減り、学校へ行く機会も奪われることが最近おきました。幼少の頃に路上で救済された女の子2人は、昨年末、好成績で看護学校を卒業して、病院で働き、自立した生活ができる明るい未来を描いていました。しかし、未だ、市民権が得られず、看護師資格の受験すらできないでいます。日本も、シングルマザーなど生活が大変な人々は、政治権力を手にしようとする人々から無視され続けています。弱者に優しい社会の創造に向けて、これからもコツコツと挑戦しなければ、と思います。(完二)

6月15日上演の「マリヤの賛歌」紹介記事を載せてくださった神奈川新聞を久しぶりに購入しました。日は5月29日。新聞の1面トップは大きく横浜大空襲の記事でした。恥ずかしながら横浜市に何十年と暮らしていながらこの日が横浜大空襲の日だったとはまったく意識していませんでした。小中高校で教えたりメディアで扱ったりしていなかったのか、私のアンテナが折れていたのか・・・。たぶん両方でしょう。ネットで検索したら、攻撃目標には聞き慣れた地名が並び、横浜が原爆投下候補地の一つであり、候補から外された翌日に大空襲が実施されたことなどが分かりました。関東大震災後の横浜での朝鮮人大虐殺もそうですが、地元のことを知らなさすぎる自分に反省しきりです。地元新聞に目を通すのも大切ですね。これからはもっと購入するようにしたいと思います。(早苗)

先日、ようやく能登を訪ねることができました。春代さん、ヒロさんと、輪島市と珠洲市に行ってきました。半年間、時が止まっていたかのように、多くの倒壊した家々が、そのまま手つかずの状態であることに唖然としました。「遅れている」というよりも「手を付けられていない」というように感じるほどでした。私たちが訪ねた地域では、重機も人も、ほとんど目にしませんでした。とても静かで、たまにブンブン音がするなと思ったら、数台のドローンが上空を飛んでいました。輪島市の朝市通りの火災跡もそのままでした。お椀やお湯のみを、どなたかが焼け跡から拾ってまとめて置かれていました。ここには脈々と続いてきた営みがあって、たくさん方々の、思い出がつまった場所であることを思わされました。だからこそ、次に進めるように、地元の方々が未来を描けるように、復興が進められてほしいと思います。私たちも長く関わっていきたいと思います!(百合香)

先日地元の益子町に帰省した時に、「ましこ、てつがくたいわ」という小さなイベントに参加しました。哲学対話は一度してみたいなと思っていたところ、益子町出身で、大学院で哲学を専攻している青年と幼馴染たちと企画をすると聞き参加してみました。テーマは“暮らしの中の「丁寧さ」って何だろう?”。「無になれる時間がとれたとき」「餃子のタレを必要な分だけお皿に出すようなこと」「こうありたいと思える自分で生活が出来たとき」「じゃあ買いたかった高級車を買えることは『丁寧』?」「いや、『欲』と『丁寧』はまた別な気がする…」「でも自分の欲に対して正直なのは自分に丁寧じゃない?」などと、誰の意見も否定せず、自分の経験だけで言葉や思考をゆっくりと交わし、みんなで哲学していく空間はとても尊いものでした。今の時代は手のひらにインターネットやSNSがあり、1スクロールするだけで問いも答えも簡単に現れて、考えなくても「分かった」気になれます。他者の文脈を紐解こうとしてみたり、分からないことや不思議に思うことを人に問うてみたりしなくても生きていける世の中で、やはり私は誰かと考えたり、話したり、深めたりすることが好きだなと感じました。そういった空間を大切にしていきたいです。(萌)

以前から行きたかった珠洲市の宿が4月に再開すると知り予約していました。桜が見事に咲く能登路に行き、大きな被災を免れた宿に泊まりながら、元旦におきた能登半島地震の被災状況を知ろうと珠洲市内、輪島市内を回りました。倒壊家屋が目立ち、道路が崩れて下の道路に土砂や岩石が落ち、半ば塞いでいる所、山の斜面が大きく崩れていたり、地すべりで家屋を何軒も押し潰した所、道路の激しい陥没や段差など、破壊は想像以上でした。買い物したくともお店もほとんど営業していません。輪島市で再開したばかりという土産物店を見つけ、買い物しました。高台の避難所での生活、インフルエンザにかかり、隔離されることになり、それなら自宅に帰ろうと戻り、グチャグチャの店内を片付けたり、毎日の水を得るためにどのようなご苦労をされたかなど店主に教えていただきました。復旧が遅く、特に断水がいまだに続くことは衝撃でした。珠洲市はまだ2割ほどしか水道が復旧していないそうです。水道管の老朽化や耐震化率が低かったことが大きな原因のようですが、全国的にみても耐震化率は低く、老朽化も進んでいるので平時の時に対策すべきだと思います。耐震化率が一番高い東京ですらやっと5割を超えるくらいだそうです。水がない、排水できないというのはどういうことか、南海トラフ巨大地震が起きる可能性が高いと言われる昨今、今から備えて対策を進めなければならないことがたくさんあると思います。国は個人ではできないことをする、災害列島の国土強靱化とはそういうことではないでしょうか。(春代)

身寄りのないアシャさん、シムランさん、4月23日まで公告して待つように政府の市民権付与を行う担当機関から言われ、待機をしていますが、まだ、特に新しい進展はなく、次の指示を待っている状態です。1日も早く、看護師資格試験が受けられることを願っています。今は、コーヒー収穫がほぼ終わり(ほとんどは3月までに収穫)、本日、4月27日、西ネパールのグルミから首都カトマンズに届きました。その更に西側のピュータンからは、ターメリックやシナモンが間もなく届きます。市民生活は、物価高騰で厳しさが増していますが、できるだけ、その影響を抑えられるようにと模索しています。(完二)

三上智恵監督の映画「戦雲」を観ました。沖縄島、宮古島、石垣島、与那国島の日常や文化、生業を描くとともに、そこに入り込む自衛隊や米軍の基地やミサイルに反対する島民を映しています。内容を咀嚼するために再度観ねばとも思うのですが、初回で特に印象に残ったのは沖縄に配属された自衛隊員とその家族でした。島の祭りハーリーに参加し感動する隊員。「この島が大好き!」と満面の笑顔の隊員の子どもたち。「島外避難にかかる意見交換会」では、壇上ではなく住民側の席に座る隊員が不安を語る住民に「島民を守ると約束します。沖縄戦のようなことにはしません」と語りかけます。住民からも慕われている隊員のようですが、あなたが今本気でそう思っていても、自衛隊員は上の命令を聞かざるをえないし、その「上」は某大国の意のままです。ミサイル配備を阻止しようとする島民が「自分たちは象の前の蟻だ」と嘆くのですが、島民の前に立ちはだかり象の側にいると見えている隊員も、有事には小さな蟻として最前線に立たされます。戦争で利を得る誰かに加担するために自衛隊員になったわけではない彼らの命を守るためにも軍事要塞化は阻止しなければと改めて感じるのでした。(早苗)

3月と4月、原爆の図・丸木美術館に行きました。人間が人間に対して行った暴力をこれでもかというほど目の前に突き付けられ、その果ての悲惨さは地獄としかいいようがありません。目をそむけたくなるほどですが、それ以上に強烈なショックを毎回受けるのは第14部「からす」。このような文章が添えられています。「韓国・朝鮮人も日本人も同じ顔をしています。被爆したむざんな姿はどこで見分けることができましょう。『原爆がおっちゃげたあと、一番あとまで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ。日本人はたくさん生き残ったが、朝鮮人はちっとしか生き残らんじゃったけん。どがんもこがんもできん。からすは空から飛んでくるけん、うんときたばい。朝鮮人たちの死骸の頭の目ん玉ば、からすがきて食うとよ。からすが目ん玉食らいよる』(石牟礼道子さんの文章より)以下略」壮絶な被害を受けた原爆の被災者の方々が、死骸にまで差別をする。なぜ?なぜ…?あらゆる暴力の連鎖の根底にあるものは…?私自身の問題として、考え続けたいと思います。(百合香)

離婚後の共同親権が衆議院で可決されてしまいました。憲法学者の木村草太さんが、以前からSNS等で「人の命に関わる法案」と強く言及していたのですが、ここまでスピード可決されるとは思わず驚きました。DVなどから命を守るために離婚をした家族であっても、家庭裁判所によって共同親権を強制されてしまうケースが出てしまうこの法案は、既に離婚した家族にも効力があります。今後どれだけの人々の暮らしと命が脅かされるのだろう…と苦しくなります。またこの法案が可決される前から、私のSNS上では共同親権の話題が飛び交っており「さすがにみんな注目しているよね」と思っていたのですが、地上波などでは全く取り上げられておらず、一般的に周知されていなかったことを後に知りました。私はテレビを持っておらず、SNSやラジオ、ネット等が主な情報源であり、「自ら情報を取りに行っている」という感覚でしたが、良い意味でも悪い意味でも、私の興味のある世界を作り出していた怖さを実感しました。世の中の知りたいこと、知らなければいけなかったこと、隠されて知ることが出来ないこと…、全てに出会うことは出来ないけれど、私が得られた情報だけで世界は作られていないということを頭に入れておかないとと思います。(萌)

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ハンセン病回復者で作家、人権教育家の伊波敏男さんを沖縄からお招きし、3月16日に講演会を開催しました。昨年9月にお会いした時に断られる覚悟で思い切ってお願いしたところ、ご快諾いただき嬉しくて張り切って帰宅しました。ところが、伊波さんからメールでこう告げられました。「僕はこれまで600回近く講演してきましたが、年齢的にも体力的にも横浜の講演が人生最後の講演になると思います。だから、全てを出し尽くし、これまでに実現できなかった講演スタイルでやりたいと思います。協力してください」と。ご期待に応えられるだろうかと不安が押し寄せました。頻繁なメールのやりとりとオンラインでの打合せを重ね、1月に会場を借りてリハーサルを行いました。照明を工夫し、静止画と動画、伊波さんの朗読と、動画での音声を組み合わせた朗読劇のような講演は参加者を惹きつけ、2時間半という時間の長さを感じさせず大好評でした。伊波さんが生まれて直ぐの沖縄戦、高校進学を目指しての療養所脱走、受けた様々な差別、正面から差別と向き合ったための最愛の家族との別離、国賠訴訟の賠償金を基金にしたフィリピンの貧しい家庭の若者たちへの奨学金支援等など、辛く困難な道程と折々に出会う素晴らしい人々。参加した老若男女、皆が伊波さんの人生に寄り添うような感動と重要なメッセージを受けました。これからもつなぐつながる学びの会を続け、あらゆる差別を許さない、尊厳が守られる社会の実現に向けて努力を続けます。ぜひ、ご参加ください。(春代)

ネパール訪問から帰国したのがお正月、それから伊波敏男さんの講演、気が付いてみれば、4月と、今年はとても早く感じています。伊波さんと言えば、沖縄、そしてハンセン病、そして、その偏見との闘いです。その闘いのなかで、多くの心ある人々の応援、助けがあったことが伝わって来て、多くの感動と学びがありました。ネパールでは、ハンセン病回復者の集落での人々の生活は、とても厳しいですし、身寄りのいないアシャさん、シムランさんは、昨年12月に無事、看護師養成の学校を優秀な成績で卒業できましたが、市民権がまだ得られず、看護師の国家試験すら受験できないでいます。3月19日に、大手新聞に二人の身寄りがいないか、それは確実かを調べる広告を出しました。今月23日まで問題ないかを待つことになります。その後、全国の警察署にその情報を回覧します。時間はかかりますが、一歩一歩、市民権獲得に向けた作業を進めるしかありません。自立のみちを切り拓くお手伝いをしたいと関係者で話し合いながら、何より、若者たちが気落ちしないように配慮しながら支援を進めています。是非、応援をお願いします!(完二)

大リーグの有名な通訳者が違法賭博で解雇されました。ギャンブル依存症の人の支援者いわく「彼は悪者ではなく病人。本人の意思や周囲の支えでは止められず、ギャンブルができなくなる恐怖で嘘に噓を重ねていく」。本当にその通りで、依存症の手ごわさを世に知らしめたともいえるでしょう。横浜にIRを誘致する動きに市民が反対をした頃を思い出しました。依存症に対し十分な対策をすると言いながら、市の医療ソーシャルワーカーに研修を受けさせる程度。依存症をなんと軽く見ていることか。IR計画を阻止できて本当に良かったと思います。今大阪でIRの計画が進み、そのためのインフラ整備を税金で賄うためとしか思えない万博も様々な批判を浴びながら中止されずにいます。依存症は誰でもなりうる病であること、本人だけでなく家族や周囲の人も深く傷つけることがもっと知られるようにと思います。(早苗)

昨年の大晦日。ネパール人の出国のゲートが大大大混雑していて驚きました。多くが出稼ぎのための出国です。女性の割合も増え、年代も幅広くなっているように感じました。出稼ぎ先に多いのは中東です。多額の借金をしているので話とは違う過酷な条件でも帰国の選択肢がなかったり、劣悪な環境で働かせられ、体調を壊して帰国をしたり・・・厳しい話はよく聞きます。一方、日本は人手不足と言われます。ある企業が、今後はネパール人技能実習生の日本への斡旋に力を入れるとの記事も見ました。確かに今、日本の現場は人不足で疲弊しています。ですが、日本全体で見たときに、大きな声で言われている「人手不足」とは、「大事にされない環境でも働いてくれる“人手不足”」「都合よく働く“人手不足”」のような気がしてなりません。人が人らしく生きられる環境を整えていけば、ゆっくりとかもしれませんが、働く意欲や心身の健康を取り戻す方、力を発揮できる方、まだまだ潜在力はあるのではと思います。「人手不足」とか「人口減少」とか国にとって都合の良い“数”だけをいう大きな声を聞く度に、そのような人たちがいないことにされているような気がして、私はとても悲しく複雑な気持ちになります。と同時に、国外に出稼ぎに出なくてもいいように、ネパールでの仕事創りを頑張らないとと思います。(百合香)

3月の勉強会では伊波敏男さんをお招きしました。当日前後もお夕飯をご一緒させて頂き、14歳で強制隔離をされた沖縄愛楽園でのお話から現在まで、多くの方との巡り合いが幾度とあったことを話してくださいました。それらのお話は、お一人お一人との出会いを大切にされてきた証のように、一つひとつが鮮明で、私たちも追体験をさせて頂いているようでした。そんな時、伊波さんが突然「あなたはもっと語れるようになりなさい」と笑顔で言われました。お話に相槌を打つなどしか出来ていなかった自分は、「そうか、もっと知識をつけなきゃ‥」ととっさに考えていると、「何が必要か分かりますか?気持ちです!」「そして人生は楽しくしなさい!」と言ってくださいました。国によって、人によって、苦しめられて来られたと想像する伊波さんの人生の中で、その分どれだけ人を大切にして来られたかが伝わってきました。とても力強くて、優しい伊波さんから、人と生きる上で大切なことを多く教えて頂きました。(萌)

3月11日で東日本大震災から13年。関連番組を見て、発災直後から支援活動に入り、見た状況をまざまざと思い出しました。被災された方達は毎年この時期はどれほど辛いでしょう。深い傷が癒えるには時間が十分とは思えません。地震列島の日本は、この13年間に大きな地震が頻繁に起きています。東日本大震災と能登半島地震含め長野、熊本、北海道など震度6強以上の地震が15回も起きています。その尊い犠牲と体験を無駄にせず、被災した方達をどうしたら素早く救出できるか、生活安定まで物心両面で支援できるか、政府も自治体も十分な対策をとって欲しいと思います。厳しい寒さが続く能登半島で水道復旧がまだだったり、仮設住宅も足りません。相変わらず、被災したのだから仕方がないと言わんばかりの、自助努力に委ねた扱いに腹が立ちます。その一方で裏金問題を追及されている国会議員たちの無責任な答弁。時間をやり過ごせばすむとたかをくくった傲慢な態度。被災地、被災者のことは二の次、三の次です。この人たちを選んだ有権者はどれほど悔しい思いをしているか( していなかったら最悪ですが)・・・。次の選挙で落選させ、国民がちゃんと見ていることを証明しましょう。地方選も国政選挙も選挙は本当に大事です。被災して初めて分かるのでは遅いのです。(春代)

ネパールの養護施設MSCCの前理事長、故ラムチャンドラさんが一番気にされていたのが、身寄りのいないアシャさん、シムランさん2人の前途でした。MSCCには、基本的に高校卒業(16歳前後)するまで、例外としてその上の学校卒業までという規則がありました。身寄りがない、ということは、経済的自立手段を確保しなければなりません。結果として、故岩村昇医師が派遣されたタンセン病院に併設された看護師の養成学校に入学する機会を得て、昨年12月に卒業。3月初めには、全国統一の最終学年の成績も発表され、2人とも80%を越える優秀な成績でした。残るは、看護師資格の国家試験。今年の1月から3月まで、予備校に通ってもらっています。問題は、3月初めまでに、国家試験の出願をしないとなりません。その出願には、身分証明書(ネパールの一市民である証明)が必要です。なかなか許可がでずにいますが、先週末、市民権審査の最終段階に入り、ほぼ大丈夫だろう、との一報が入りました。まだ油断できませんが、皆で協力しています。(完二)

先月もこちらに書いた「沖縄狂想曲」を観てきました。映画にも出ている辺野古のリリーさん(ちゅらそば・旧Heaven Heaven)から「情報がたくさんだからペンと紙を持って行った方がいい」とのご助言をいただき、期待大。さすがに暗闇の中でメモはしませんでしたが、沖縄の歴史や現状を通して、日本とアメリカの関係、日本の主権のなさ、戦争当時も今もなお「国」が誰の利益をみて動いているのか、沖縄のことだけではなく、沖縄を通して日本の実情を伝えていて、ヤマトの人こそが観るべき映画でした。太田隆文監督が激務のため脳梗塞で倒れ、リハビリをしながら仕上げた映画です。現状を暴き、国に都合の悪い映画は、マスコミも取材の来ない、と今も体調のすぐれない中、広報に奔走され、終了後の舞台挨拶にも力が入っていました。上映館が近くにない人も観れるように配信もされるといいのですが。(早苗)

春はゆらぎの季節ですね。花粉症でお肌も荒れ気味。さらに庭仕事で虫にやられてしまい首が真っ赤に。トホホな感じでしたが、リキッドソープのモッチリ泡でやさしく洗って、ツバキオイル、ローション、クリームの順にたっぷり塗っていたら、お肌が落ち着いて良い感じに♪特に鼻の回りとか、唇の上のあたりとか、摩擦や乾燥で辛くなりますよね。そんな時はクリームがおすすめ。程よく馴染んでテカテカ&ベトベトしないので日中もOK。また首に触れる洋服もいつも以上に気を使い、Vネックで綿100%のネパリ服をあれこれ出してみました。Vネックは好きなのですが、ちょっと深すぎたり広すぎたりで着こなせなかった服が何着も。そうだ!と思ってサヌ・バイさんのうさぎのブローチや春の新作チクチクブローチをつけて空き具合を調整したら、お~何かいい感じ♪商品に助けられています。作り手の方々に感謝して、自分自身を整えることも大事にして、この春過ごしたいと思います。(百合香)

以前ラジオで、昨年にフランスで行われた国際産婦人科連合(FIGO)の学会に取材で訪れた方々の報告を聞いて感動しました。避妊や中絶、出産をいかに無償化できるか、そして一人一人の意思や選択の権利がどれだけ国から保障されているかの日本との差が歴然としていました。例えば、フランスでは薬局で緊急避妊薬を処方箋なしで購入することができ、25際以下は無料。国籍、性別、年齢問わず直ぐに手に入れることが出来るとのこと。現地取材に行った日本人男性も、実際にすぐに購入することが出来ていました。「悪用する人がいるのでは?」との質問に対して、「そのリスクよりも、目の前で困っている人を早く助けることが大切よ!」と現地ジャーナリストが答えていました。それに比べて日本は…、国民が声を上げて望む政策に対しても、「悪用する人が出てくる」「伝統的な家族観が崩壊する」など、(非現実的な)リスクばかりを並べて前に進まないことが多い気がします。まずは人を守る。人権第一な政治が私たちの国でも行われることを願って、日々学びながら選挙に備えたいです。(萌)

2月

能登半島地震の被災地でトイレトレーラーが喜ばれています。移動設置型の水洗トイレで1台のトレーラーに3、4つの個室があり、太陽光発電で停電している場所でも使え、水が出るので手も洗えます。1台のトレーラーで約1500回利用できるそうです。現在全国の20の自治体が所有し、災害時ネットワークを組み、被災地に集合させます。避難所に届いたトイレトレーラーを被災者の方が「ありがたいなんてもんじゃない」と言われていました。発災からずっと上下水道が使えないため、飲料水に不自由し、お風呂に入れず、トイレも極力我慢されています。避難所のトイレが詰まり、汚物を手で掻き出している様子もニュースで見ました。トイレトレーラーを所有している自治体はまだ少なく、災害列島日本では普及を急ぐ必要があります。所有自治体は購入費用をクラウドファンディングやふるさと納税で集め、導入を検討している自治体もそれにならうようです。その方法が悪いわけではありませんが、本来の税金で賄えないのでしょうか。軍事費を削れば、例えば、最近も墜落したオスプレイ1機分128億として4機でお釣りが出て、各装置や訓練費などを含めると1機当たり211億とも言われるので、その場合は2機にちょっと足せば、全国1741の市区町村に1台ずつ行き渡ります。税金の使い方、間違っています。(春代)

ネパールから元旦に帰国して早1ヶ月、あっという間の1ヶ月でした。昨年、長野県にある風越学園の中学1年生から3年生合同授業で、ハンセン病回復者で作家の伊波敏男さんが講演されました。お話を聞いていると、生徒さんの前に自分が声を出して泣きそうで、堪えるのが大変でした。差別とは、人権とは、ひとりの壮絶な人生のお話は、それこそ、感動と悔しさと涙でした。幾つかの山場があるのですが、小説家、川端康成さんとの出会いでは、ハンセン病が伝染すると多くの人が信じ、恐れられていた頃に、私服姿で療養所を訪問、激励した姿には、感動と畏敬しかありません。3月に、横浜でも予定しています。伊波さんは、これが最後かもしれないとの想いで話をして下さるようです。是非、皆さんも、特に若い人々、小中高生には来て欲しいと願っています。(完二)

時々映画を観に行きます。映画館の1800円は高くてためらいますが、一定年齢を超えて1200円で観られるようになると、気軽になった気がします。先日は「ヤジと民主主義」を観て、声をあげないと民主主義はなんて危ういものなのかと考えさせられました。この手のちょっと社会派の映画は休日でも年配者がちらほらしかいない感じでしたが、最近客が増えたような印象があります。「福田村事件」もかなり席が埋まっていましたし。いいことです。2月下旬には「沖縄狂想曲」が横浜でも上映されます。Heaven Heaven(ちゅらそば)のリリーさんも出られていますし、東京での上映初日の監督舞台挨拶をYouTubeで観て、早く観たいなぁと思っています。それにしても上映する映画館が少ない!!もっとあちこちで観られるようになってほしいものです。(早苗)

最近よく「実体がある物を運ぶ仕事」にもっと敬意を持たないとなと、ぐるぐる考えています。SNSは便利で早く、多くの人に届けられる便利なツールではありますが、プラットフォームを運営する世界のごく一部の大企業の手のひらの上で、私たちは発信したり、議論したりしています。利権のある大企業にとって都合の悪い情報はアカウント停止になります。ひどい事だと思いますが、企業が運営しているのでそうなりますよね。だからこそ、実際にカタログを作って印刷して、お手元に届けて、私たちなりの情報や声をお届けする、そのつながるルートは絶対に手放さず、大事にしたいと思っているのですが、最近は運送会社も過酷です。近隣の営業所はこの春何カ所も閉鎖し統合されました。働く方も大変そうですし、多くの方が職を失っています。日々の仕事も有難いですが、被災時等に家や道を把握している人が地域にいるのは財産だとも思うのです。物が実体のある物として手元に届くことの価値を見直していかなければ、どうなるでしょう…カタログや商品を、皆さまのお手元にお届けできるということが、どれほど素晴らしいことなのか…手遅れにならないうちに…春カタログ、楽しみにお待ちください!(百合香)

オーストリア出身の哲学者、ウィトゲンシュタインが残した「私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」という言葉にとても感動しました。学生の頃にあまり本を読んでこなかった自分を反省して、出来るだけ本を読むようにしているのですが、その中でこれまで知らなかった言葉に数多く出会います。その度に、その言葉の持つ意味を調べ、その言葉がどの様な歴史の中で生まれ、どのような社会構造の中で使われるのかを学ぶことが出来ます。例えば「家父長制」という言葉も、これまで言葉の意味を深く知ろうとしていませんでしたが、日本の戦争責任やジェンダー問題、臨床心理学など、様々な分野の本やメディアの中でよく目にし、「家父長制」という社会システムが様々な歴史・社会問題を作り上げてきたことを知りました。言葉を知っているか否かで知れる社会の密度も変わってくること、様々な立場に置かれた人たちの存在を知れることにもつながるのだと思います。伊江島の「反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家」の館長、謝花悦子さんが言われる「学びに余りはない。不足が出るだけだ」という言葉を思い出します。(萌)

1月

横浜市にある大川原化工機という化学機械メーカーが軍事転用のおそれのある機械を中国に不正輸出していたとされ、社長と役員が3人逮捕されたという報道が2020年にありました。横浜、中国、生物化学兵器という言葉が並び気になっていましたが、公判直前に起訴が取り消されたという報道に、疑いが晴れてよかったと、そのまま忘れていました。2023年9月と12月にNHKは「“冤罪”の深層」「続報・“冤罪”の深層」という番組でその事件を詳しく調査、報道しました。その報道によれば、ある警視庁公安部の人間が描いたシナリオ、中国への不正輸出摘発で大きな成果をあげたいと、その機械は生物化学兵器にはなり得ないという業界の常識を無視し、何が何でも立件しようとした“冤罪”だったというものです。それが真実であれば市民や社会を守る警察と検察が権力を悪用し、中国脅威論を煽り、技術を磨き真面目に仕事をしている会社をとんでもない会社にでっちあげ、社会に無用な敵意や警戒心を起こさせるものです。大川原社長達は逮捕され1年間拘留され、3人のうちおひとりは拘留中に発見されたガンの治療をきちんと受けられず命を縮めたことからも、冤罪により精神的な苦痛を受けたと国と東京都を訴え、12月27日の判決は原告の主張を認め国と都に賠償を命じるものでした。無実の罪で拘留中に亡くなった方に対して謝罪はと問われた検察官は「その時は正しいと思って起訴したのだから謝罪はしない」と、過ちを認めませんでした。“捏造”だったという内部告発が関わった警察官からあったことが救いですが、繰り返されると案ずるのは杞憂であって欲しいと思います。(春代)

ネパールに昨年12月23日から元旦まで行って参りました。短い滞在にぎゅっと詰め込んだ旅程、遂に消化不良で回れない場所が出て猛反省しています。急な変更もあり、皆さまからご支援頂いた身寄りがないアシャさん、シムランさんの学校再訪問は果たせませんでしたが、コーヒーのグルミ協同組合に向かう途中、学校のあるタンセンを通るので、タンセン病院前で休憩しました。ネパール到着翌日は、ジャジャルコット大地震の様子をジャーナリストからお聞きしたり、ハンセン病回復者のみなさんが住む集落にお伺いしたり、クリスマスイブにMSCCのアシャさん、シムランさんを含めた子どもたちと会食したり、ネパールの商品を私達に送ってくれている皆さんとお会いしたりしました。翌日は、国内線で、東ネパール、インド国境付近へ。少数民族の皆さんが待つ場所に伺い、その後、家庭訪問や近隣の養護施設へ。特に、中州に住むご家庭は、多々あるものの、改めてその生活の大変さを感じました。是非、2023年活動報告書で報告していますので、お読み下さい!(完二)

12月末に沖縄に伺いました。今回はショップベルダ担当スタッフの上原さんと一緒で、様々な体験を共有できました。伊江島・ヌチドゥタカラの家の謝花さんとご一緒する時間が少ししかなかったのが心残りですが、佐喜眞美術館、南部の資料館や戦跡をじっくり巡り、辺野古では抗議船に乗せていただき、お世話になっている方々ともいつもよりゆっくりお話をすることができ、貴重な時間を過ごさせていただきました。カナサの篠原さんから教えていただいた目取真俊さんの本を帰りの飛行機で一気に読みました。辺見庸さんとの対談「沖縄と国家」は、根腐れしていく日本社会、沖縄を語ることは沖縄問題を作ったヤマトゥを語ること、沖縄に住む人だけが当事者ではなく日米安保に乗っかって生活している人すべてが基地問題に責任を負う当事者…とグサグサきました。続けて小説も読んでいます。(早苗)

1月1日にネパールから帰国しました。2022年末の訪問時は、コロナ禍を乗り越え3年ぶりの再会をただただ喜び合っていましたが、1年たった今回は生産者の方々に元気がない感じがしました。ワーカーが減っている工房もありましたが、「あのワーカーさんはどうしたの?今働いている人は何人?」何て口が裂けてもこちらからは聞けません。理由は簡単、注文が足りないから。コロナ禍の打撃は弱いところへ大きくなって襲い掛かっています。さらに大きな戦争が2つも起こっているという異常事態の世界情勢。お金は底なしに軍需産業へ。「たくさん注文をくださいね!」と笑顔で言われると「ネパールも大変なのは分かるけれど、日本も経済状況が深刻で、円安だし、政治もひどいし…」何てつらつら言い訳をしても、「でもネパールの方がもっと大変でしょ」と。うーーん…返す言葉がありません。力不足に悔しい日々でしたが、それでも、サンプル制作が始まると目をキラキラさせて一生懸命作って下さる姿や、逆境の中でも感謝の気持ちを忘れずに挑戦する若者たちの生き方に心動かされ、希望を感じました。内戦や政情不安を生き抜いてきた彼らの逞しさは並大抵のものではありません。きっと未来は拓ける!諦めず一緒に頑張ろうと思います。今年も皆さまのご支援をどうぞよろしくお願いいたします!!(百合香)

年末、ネパリのスタッフとして初めてネパールを訪問しました。感じたこと、皆さんにお伝えしたいこと、ぐるぐると頭の中で整理できていないこと…たくさんあります。その中でも、ネパールの出稼ぎの現状にとてもショックを受けました。家族の暮らしを支えるため、200万人もの人が海外に出稼ぎに行っており、労働環境の悪さゆえに、年間1000人もの方が亡くなられていること、腎臓病を患い帰国されても働くことのできない身体になってしまう方が多いこと、訪問前にテレビ番組で知りました。ネパールの現状を突きつけられた感覚で、少し放心状態になってしまいました。そしてネパール訪問中、生産者や奨学生の方々のお話を聞いていると、出稼ぎに行かれた方々が私たちの身近にもいらっしゃることを知り、厳しい現状を再び痛感しました。ネパール国内で十分な仕事があれば、自らの将来を想像することができる仕事があれば…。ショックを受けると共に、私たちの役割である、「仕事をつくる仕事」の重要性を感じました。現実を知ること、見て聴くことは苦しい作業ではありますが、その分やるべきことがハッキリとしてきます。生産者の方々にとっても、お客様にとっても、ネパリにとっても、心強い存在になっていけるよう、今年も頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします!(萌)