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暮らすように働く 2022年11月

スタッフ一言

味しい新米の季節になりました。今年も品質の高いお米を収穫でき、アグリ笹森さんの稲作カレンダーの1年が無事終わります。本当に有り難いことで感謝しながら味わっています。このように毎年、当たり前のごとく美味しくいただいていますが、農家さんとの関係が深まるにつれ、お米だけでなくこの国の農業はどうなってしまうのだろうと危機感がつのります。食料自給率の低さは食の安全保障を脅かし、なんとかしなければと思いますが、農家さんの高齢化と後継者不足という現状は将来の見通しを暗くします。農業をしたいという若者、農業に夢を抱きやり甲斐を感じる若者に出会うととても嬉しくなります。若い人たちが農業を継続できるようにするために何ができるのだろうか。待ったなしです。考えつくどんなことでも、できることから始めましょう!(春代)

末に久々のネパール訪問を予定しています。コロナの影響もあり、ネパール行きの航空券手配がかなり面倒でしたが、最近、タイ国際航空の姉妹会社がバンコックとカトマンズ間のフライトを再開したようです。次回から航空券の予約が楽になりそうです。ネパールのホーム支援は、2箇所でしていますが、子どもたちは元気とのことです。再会が楽しみです。東ネパールのインド国境に近い養護施設、スワボーダケンドラでは、台所や屋根修復の支援もして来ました。屋上に壁がない状態で危険なので、その修復もすることになりました。奨学生では、目的のコース(電気工事)を終えて、警察官になったとのニュースが入って来ました。電気設備を担当するのだそうです。制服を着て、お父さんと映っている姿、なんと微笑ましいのでしょう。生産者の方では、シリンゲコーヒーの組合代表をしているバドリさんが重体との一報。彼とは長い付き合いになります。当時は、車で行けるところから山を3つ超え、徒歩で8時間前後かかる村でした。欧米の国際協力機関から派遣された人が訪問することがあり、その時に足の怪我を負うという事故がありました。その方を背負って車の所まで運んだことが自慢の一つでした。昨今、彼も70歳を超えてからは、あっちこっちと病気をされて、突然に入院、重体だという情報が入りました。常に厳しい生活環境に置かれた彼の人生、良くなることを願わずにはいられません。(完二)

し前に、辺野古で闘う方々を揶揄する映像を某有名人がSNSに流し物議を醸しました。気持ち悪くなりそうで見ることができず、「反論の場に同席したがあちらの土俵に乗ってしまった」等々こちらの方々の口惜し気な振り返りを見るばかり。見てないものを言う資格はないので、ここからは一般論です。本当の大物は驕ることなく、歳下や部下の言葉も敬意を持って聴き、間違いがあれば臆せず謝れるものかと思います。自分より立場の弱い人を叩いて傷つけて(パンチダウンというのですね)得意げにする人は、どんなコンプレックスで、何に蓋をして自身を飾り立てようとしているのか。安易に「いいね」をする人もそのカッコ悪さに気づいてくれるといいのですが。(早苗)

10月の一言で、横浜市内の小学校で、フェアトレードを通して世界の問題を自分事として学ぼうと地道に活動されている先生がいらっしゃることをお伝えしましたが、またまた嬉しいことがありました。先生は別の学校に移動されたのですが、小学6年生の十数名が自ら学びを続け、横浜市のイベントで発表する機会を得たのです。発表の場にご招待頂き、参加してきました(ありがとうございました!)。厳しい環境で生きている世界の子どもたちに、自分の家族や友人のように心を痛め、自分たちにできることをしようと一生懸命訴える姿に感動しました。発表から「フェアトレードとは、一人ひとりが力を発揮できる場所をつくること」というメッセージを受け取りました。緊張の舞台で、自分自身にチャレンジしたみなさんが社会に出るまでに、多様な個性や力が発揮できる、生きやすい日本社会にしなければと心に誓いました。(百合香)

岡県の太宰府すぐ近く、二日市保養所跡地に行きました。祖父母の家の近くにずっとあったけれど、大人になってからも知らなかった場所。春代さんから、鈴木政子さんの「語らなかった女たち」という本をお借りしてから、いつか行きたいと思っていました。二日市保養所は、満州からの壮絶な引き揚げをされた方たちの中で、ソ連軍からのレイプ、自らの開拓団を守るための性接待などによって望まぬ子どもを授かった女性たちのために、当時は違法だった中絶手術が行われていた場所です。命からがらやっと日本に帰れる引き揚げ船の中で、この身体では祖国に帰れないと海に飛び込みまれる女性もいらっしゃったといいます。無事に帰国をされても差別を受けられ、何十年もその史実はタブーとされてきました。何層にも重なる被害と差別の構造に、本当に悲しくなります。教科書では教えてくれませんでした。そもそも日本がはじめた戦争。日本が中国から奪った土地。満蒙開拓団の方たちを盾として国境沿いに移住させた国策。日本の国策は、過去も今も、誰を守るためのものなのかが本当にわかりません。被害者にならないために、加害者にならない。そのために歴史と共に、史実も学ばなねばと思います。保養所跡地の水子地蔵を目の前にどう気持ちを寄せればよかったのか、そう簡単にはわからず、ただ座って時間を過ごしました。(萌)