暮らすように働く 2022年5月
スタッフの一言
4月29日~5月5日の間、スタッフ研修で沖縄の伊江島、久米島を訪問しました。伊江島では、「わびあいの里」で謝花悦子さんと4日間を過ごさせて頂き、援農で長くわびあいの里に関わられている大城さんと共に、様々な作業のお手伝いをさせて頂きました。今回は、「陳情書」(レプリカ)の展示という、大変重要な作業もさせて頂きました。復帰前の1965年に佐藤栄作元総理大臣が来沖した際、米軍による土地接収で苦しむ伊江島軍用地被害地主代表連盟により作成、提出された「伊江島軍用地問題に関する陳情書」が発見され、2022年2月に「わびあいの里」に返還されたものです。任せて下さった謝花さん、「沢山の仕事をしたい!」という私たちの希望に応えるために(!)、数か月前から細やかな準備をして当日も走り回りながら指示して下さった大城さん、わびあいの里を長く支えていらっしゃる皆さまに、感謝の気持ちでいっぱいです。また久米島では、9月発行予定の秋カタログの撮影を行いました。日本兵に虐殺された久米島住民の方々の碑、そしてご自宅があったとされるサトウキビ畑を周り、カメラに収めてきました。そしてカカオ生産者の皆さんにお会いし、今後のプロジェクトへの期待がより一層高まりました。秋カタログで詳しくご紹介いたしますので、愉しみにお待ち頂けますと幸いです!
伊江島のわびあいの里でお手伝いした後、秋カタログ特集でご紹介する久米島の「カカオ」と「戦争」のための撮影に行きました。私は度々の訪問でカカオの成長を見ていますが、久米島は久しぶりのみんなは、阿嘉さんのカカオハウスに入って、背丈をゆうに超えたカカオたちの成長に驚いていました。ちょうど、白い可憐な花もポチポチ咲き始めたところで、感激もひとしおだったようです。沖縄島で大事に育てているカカオから取り木した苗を贈るために来島された久保さんと、カカオのことを話し込んでいる阿嘉さん。真剣なおふたりの背中が眩しく見えました。そして、今年から栽培者の仲間になったリナさんが、久保さんからプレゼントされたカカオ苗を愛おしそうに大事に抱える姿に、これからの展開がますます楽しみになりました。以前、震災復興支援で陸前高田に椿苗を植樹した時、指導いただいた専門家の「植物は自分では移動できない。1度植えたからにはきちんと世話をするように」という言葉を思い出しました。想いを込めて受け継がれた苗はリナさんの愛情を受け、新しい土と環境にきっと慣れ、大きく育つだろうなと思います。(春代)
4月末から5月初めにかけて沖縄の伊江島と久米島を訪問しました。伊江島では、一般社団法人わびあいの里理事長、謝花悦子さんを訪ねました。春代さんが何度も訪ねての信頼から、家族のように歓待して頂き、充実した時間を過ごすことができました。草刈り、サトウキビ刈り、核模擬爆弾の再塗装、5メートルを超えるボードの作成と陳情書貼り、掲示、阿波根さんの彫刻のお掃除、入り口の表札磨きや枝木の伐採、電気の不具合調査と改善などを、園児、小学生の子どもたちも参加して作業を行いました。子どもたちにできる作業はないだろうから、船で渡り、近くの水族館を考えてもいましたが、適度にできる作業もあり、反戦平和資料館前では、関連した本を読み、核模擬爆弾のペンキ塗り、ギビ刈りにも参加。草刈りは、コロナの影響下、暫く援農の人たちがグループでは来れず、伸びた草をできる範囲で刈りました。草むしりは、早朝から夕食を食べるまで続けていましたが、私は、草刈り機で行い、入り口付近の太くなった枝はチェーンソーで切りました。高く長く伸びた木の枝は、脚立に登り、孫娘に切ってもらいました。春代さんは、阿波根さんの彫刻を磨いていましたが、なんと言っても、今回は、歴史上も重要な陳情書の掲示でした。このような貴重な仕事をさせて頂き、そのお気持ちに応えていかねばと思っています。謝花さんも、今後のわびあいの里の役割を再認識されたとお元気そうな姿をされていたのが嬉しくもありました。滞在中、食事を作り、出して下さったスタッフの方々、私たちの仕事の準備から指示、アドバイスして下さったボランティアの大城さんにも、大変お世話になりました。久米島は、また機会があったらとしますね。(完二)
昨年末に引き続き、伊江島のヌチドゥタカラの家に3泊させていただき、草刈り、門の表札磨き、核模擬爆弾の再塗装、陳情書の展示など貴重なお手伝いをさせていただきました。ウクライナ侵攻が長引くこの時期に、改めて反戦平和資料館で時間を過ごせたことは、大きなことと思います。「基地をもつ国は基地で亡び、核を持つ国は核で滅ぶ」。阿波根さんの残された言葉がさらにリアリティをもって迫ってきました。「平和の最大の敵は無関心。戦争の最大の友も無関心。」無関心ではないつもりでいても、あきらめて、声に出さずにいたら同じこと。戦後、大切な農地を軍用地として強制的に奪った米軍と闘うために阿波根さんが作られた陳情規定には、「反米的にならない。嘘や悪口は言わない。生産者である農民の人間性が優れていることを自覚し、誠意をもって、道理を通して、子どもに話すように破壊者である軍人を教え導く心構えが大切」と書かれています。今、国連などでロシアからの発言が始まると抗議として離席するのは正しいのか?ロシア外交官を国外追放にするのは正しいのか?「ウクライナに来る者はケーキの手土産ではなく欲しいのは武器だ」と公言する大統領に武器を流し続けるのか?日本を含む欧米諸国のロシアやウクライナへの対応を、阿波根さんなら何とおっしゃるのかと何度も思い出していました。GW中の伊江島はちょうどゆり祭りを開催していて、観光客が反戦平和資料館に「ここはどういうところですか?」と立ち寄っていらっしゃいました。連日のニュースで、攻められたらどうする、軍備は必要、という方向に流れていきがちな今だからこそ、阿波根さんの平和への想いを皆が知り、学ばなければと思います。(早苗)
陳情書が展示できた時、謝花さんが涙を流されていました。壮絶な戦争体験、その後の非道残忍な米軍占領下、そこからの要求は「一日も早く日本国民として日本国憲法の下で、安心して生活ができるようにわれわれを引きとってもらいたい」という祖国復帰を願うもの。しかし今、その願いは果たされているのでしょうか。「命がけで本土復帰運動をしたことを後悔している。何故、あの時独立運動をしなかったのか」と謝花さんは言われました。陳情されていることは、読めば読むほど、今を生きる私たち、一人一人に向けられているもののように感じました。非道残忍な米軍占領下よりもひどいかとも思える、憲法も守られていない、そしてそれを許している今の在り方は何なのか。阿波根昌鴻さんをはじめ、被害地主代表の方々の怒りと願いにこたえるため、私たちはどう生きるべきなのか・・・。消化しきれない思いを抱えつつ、後半は久米島へ。私たちの訪問に合わせて、沖縄島のやんばるから、久保さんが大事に育てたカカオの苗を持って来られ、リナさんにプレゼントして下さいました。「はじける農業」がキャッチコピーのリナさんはカカオを嬉しそうに受け取り「可愛い!可愛い!」を連発しながら愛情込めて植えられました。元気いっぱいの若者です。プロジェクトを支えて下さっている皆さまのお気持ちも、しっかり受け取られたことと思います!阿嘉さんのカカオはハウスの天井に届くほど立派に育っていて感動しました!久保さんが「ここまで来たら大丈夫」と言われていました。「大切な仕事をしている農民こそ、もっと誇りをもち、人間らしい生活をするためにも、農業だけでなく、社会のこと、生きるために必要なことが学べるように」と阿波根さんがつくりたかった農民学校と、沖縄カカオプロジェクトが交差しました。共に学び、日々の暮らしの中から平和な未来を紡いでいく、その道筋と私たちの役割を再認識した沖縄でした。皆さまのご支援、本当にありがとうございます!(百合香)
カタログの特集で今まで沖縄の記事を読んでいましたが実際に今回沖縄へカメラ係として同行させて頂き、特集に書いてあったことへの理解が増した旅でした。伊江島の反戦平和資料館では、戦争が今自分の隣にあるように感じました。謝花さんが毎日紡いでくださる場への感謝と、ネパリの皆さんが今まで作ってくださった関係性の中で今回は私も子どもたちも貴重なお仕事のお手伝いをさせていただき温かく迎えていただき、感謝ばかりです。久米島でも戦争で亡くなった方の碑のお参りに同行させていただき沖縄の戦争という側面についても知らないことがたくさんあることを知りました。また、久米島ではカカオの苗を植える場に立ち合わせていただき(詳しくは特集をお楽しみに)、農家の素敵な方々と素敵な畑に出会い、とても刺激を受けました。子どもたちの感じたこともまたじっくり聞いて話してみたいと思っています。改めてチョコレートを味わいたいと思いました。(ひろ)
安倍元首相の判断、言動が全く納得いかなかったので安倍さんの在職中、せっせと、おかしなところをSNSなどに投稿していたころ友人に「巨人の肩に乗っていることを忘れない方がよい」といわれて違和感を感じながらも「払ってる税金分文句を言ってる」とその場を濁したことがありました。僕の中で、どうも納得いかない言葉だったのですが、伊江島に行って自分の中で、はっきりと理解した部分がありました。それは「今の日本、僕自身は、巨人の肩に乗っているのではない。伊江島の農家さんのような人たち、自然と共にくらし、それでも戦わなければいかなかった人たち、戦い続けてくれた人たち、一人一人の延長に僕がある」ということです。どれだけ有名で功績を残したといわれる政治家たちの働きがあったのか僕は詳しくは知りませんが、その人たちによって、切り捨てられ、裏切られてきた中で諦めずに戦い続けてくださった、ひとりひとりの行動や思いの先に僕たちの自由や平和への希望があるのだと、はっきりと自覚できた旅になりました。阿波根さん、謝花さんに感謝でいっぱいです。もっと学び、深く関わっていきたいとおもいました。春代さん、ネパリのみなさん、すてきなご縁をいただき、ありがとうございます。(よし)
謝花悦子さんは、阿波根昌鴻さんが大切にされていたいくつもの言葉を私たちに教えてくれます。その中でも、謝花さんが何度も言われる「実学」とは、阿波根さんと過ごされた約50年の中で、謝花さんご自身の言葉として私たちに、子どもたちに教えてくれていることがわかった5月の訪問でした。3歳の時に発病され、戦争がなければ飲み薬で治ったはずの病や戦争に対しての怒り。痛みがなく、人に頼らずに働けることへの喜び。戦後、不自由なお身体で東京へ3年間学びに行かれた時の覚悟と強い想い。地上戦が終わった後も米軍と日本政府に土地と尊厳を奪われ続けることへの怒り。平和を学習し闘い続けた阿波根さんへの尊敬と生き方への学び…。自分自身が体感したことは、いくつになっても自分の学びとして残ると言われていました。5月15日で沖縄“復帰(返還)”50年。謝花さんの傍で過ごさせて頂いて、戦時中、そして戦後の伊江島のお話を聴くと、今の沖縄は誰の元へ復帰したのかより分からなくなります。本やネットで学べる知識だけではなく、謝花さんの言葉や生き方を私の実学としてじっくりと学んで、「お互い感謝の気持ちで平等に分け合える社会」を願った阿波根さんの想いを無駄にしないように今の社会を生きていかないとと改めて強く思います。(萌)