きのうの行方 tsuna32 2024su
第20回 楽しい漂流教室
題字・板絵・文 瀬戸山玄
編集者やライターになりたい人向けに、東京・青山で書き方を教えはじめてから16年たつ。
週末の教室に集うのは男女30名弱。私は課題添削と座学2時間を月一で4回こなして、3回目はゲストを囲み公開インタビューをおこなう。事前の下調べと聞書きのコツに慣れてもらうためだ。年に二期8回のペースだから、場数をざっと128回踏んだことになる。ルーティン仕事に陥らず今日まで情熱を保てたのは、読書案内→旅行記→他人の苦労話→ゲスト談要約という題材選びと、職種もまちまちな新人を半年ごとに募る事務方の骨折りがあるからにほかならない。それでも予想しない事態が途中であれこれ起きた。
講座開設から3年目の3月11日には東日本大震災が発生、翌日土曜からすべて休校となった。それどころか福島原発メルトダウンという大ピンチに、東京教室は放射能蔓延の恐怖から閉鎖を噂され、講師は急きょ大阪教室に派遣された。そこで初めて関西人特有の軽妙な語り口と中島らも風な文章に出会うのだが。東京の授業はほどなくして再開。好景気の残り火なのか、勤務先の大手企業が授業料を負担して講座に通ってくる者もまだ多かった。30代40代の自費組には異色の体育大や音大出がちらほら現れ、身体感のある読物を目にする機会に恵まれた。近年、noteなどネット上への小説や雑文の投稿が盛んだが、そこと世代幅と毛色も異なる者が多いように思う。何しろ経歴も色々。元AV女優の機知に富む文を書く者もいたりした。
4回の課題は彼らの味わう苦境や時流を映しだす。それも教える側を奮起させる熱源になる。めざすべきは各自の言語表現を型枠にはめるより、「文体探しの実験室」だと看板も改め、埋もれた才能や長所探しに徹した。例えれば着心地の良い服を選ぶと身も心も軽やかになり行動的になるのと似ている。書き手の体質にあう文体を試着しながら最良を身につければ、自己表現や心持ち考え方も伸びやかになり、元気で伝わりやすくなるだろうと気づいたのだ。
呪縛にサヨナラ
授業後の教室で、半ばカウンセリングに近い相談をよく持ちかけられた。提出率の悪かったひとりは窮状をこう訴えてきた。
「つきあっている彼氏がヤク中になり、その世話で書けませんでした。何とか卒業制作は出したいんです」閃いた助言は、「ならばヤク中脱出記をまとめてみたら」だ。卒制は担当外でその顛末は知るよしもないが。また大学生の参加がある頃を境に底をつき、替わって職種もまちまちな男女が自腹で集うようになった。すると教室の雰囲気も「長距離バスに乗合わせた客同士」みたいになごみ始めた。
2020年春からのコロナ蔓延の衝撃は、生対面を根こそぎ自宅発信のzoom遠隔授業に変えてしまった。でも慣れると対面と別な親近感が芽生えて悪くない。惜しむらくは身の上相談的な個人面談の場が消えた事。不可解なことに毎期、事象に対するコメントや批評を自ら明らかにするのに臆病な文体が目立つ。「そういう自分の考えや意見を文中で書いても良いのですか?」と問うてくる男女が必ず現れるのだ。
そのためらいは長年の学校教育の中で刷り込まれた、自己信頼感の希薄さに通じているように思う。敗戦後のGHQによる巧妙な検閲と言論弾圧を米国の図書館で精査した作家・江藤淳は、『閉ざされた言語空間』を書いた。暴露された日本支配の闇はとうに期限切れの筈なのに、その根は深く21世紀になって自主規制という形で影を引きずっているのかもしれない。自分の意見はなるべく脱色して「目立たずに生きたい」という風潮がいまだ燻り続けているのだ。昨今の「読んで欲しい」症候群の広がりで、そんな狭い了見と自己規制の壁を吹き飛ばせたら、少しは風通しよく合意形成しやすい社会に近づけそうだ。所詮、小さな講座に過ぎないけれど、自分に馴染む文体を見つける即ち、文字を通して自分と対話する思索の足場を軽やかに確保することだけはまちがいない。
板絵キャプション:「ク・セ・ジュ」とは自らに、私は何を知っているのだろう?と問う思想家モンテーニュの警句
瀬戸山玄(せとやまふかし)
写真家・ノンフィクション作家
1953年鹿児島県生まれ。写真作法を若き日の荒木経惟氏に学び、写真家・ノンフィクション作家として活躍。テーマは風土と人間。食や生活をめぐる取材を続け著書多数。近年は板絵制作に邁進中。芸術家や職人などの現場を撮り続け、ドキュメンタリストを名乗る。東北の取材は20年以上続けている。