ネパールコーヒー物語 verda13
地域開発 人が人らしく生きるために
援助から貿易へ、自立への挑戦
文・ネパリ・バザーロ副会長 丑久保完二
西ネパールの遠隔の村々で、人々の収入向上に役立っているヒマラヤンワールド・コーヒー。そのコーヒーに関わる農家は約千世帯にも及びます。現地の人々がフェアトレードに期待するもの、それは、私達の想像を遥かに超えていたと云ってよいでしょう。政治的混乱が続くネパール。その中で、人々の生活は続いています。困難な状況下で持てる唯一の希望。それが、継続的に市場への橋渡しをするフェアトレードです。 2005年2月1日、民主主義が根付かないままでいたネパールに政変が起きました。政権が王政に逆戻りした瞬間です。1週間、電話もインターネットも繋がらない状況が続き、その後、首都カトマンズはなんとか普段の状況を取り戻したものの、農村部への情報統制は続きました。
どのような政情の変化があろうとも、その国を支えるのは、一人一人の力です。人々が経済的にも力を付けること、それが明日の社会創りに繋がります。人々の生活がある限りフェアトレードは必要とされています。
遠隔の村々への貢献
ネパールの地方社会では、多くの人々にとって、まず食を確保し貧困を緩和することが急務です。山岳部では、往々にして食糧は十分に確保できていません。それは、灌漑された平らな土地が不足し、米を育てる場所も制限されるからです。急な傾斜でトウモロコシ、小麦や野菜を育て、肉やミルクを得るために、2、3頭のヤギ、鶏や水牛に飼料を与える必要もあります。その様な生活の中で、フェアトレードにより市場が見込めるコーヒー、スパイスなどの換金作物は、安定した現金収入を得ることを可能にします。そして、教育など子どもたちへの将来投資が可能になります。ネパリ・バザーロが長年関わっている西ネパールのグルミやアルガカンチの人々にとって、コーヒーはとても貴重な農産物になっています。
グルミは、1944年にネパールで初めてコーヒーが植えられた所で、その木は今でもこのアプツォール村の住民によって大切に保存されています。また、政府のコーヒー開発センターは、ネパールの中で唯一この地に設立されています。多くの政府機関が反政府勢力により爆破されている中で、ここだけは被害を受けていません。この地域は、ネパールを代表するコーヒーの生産地で、住民の誇りでもあるのです。その隣接する区域が、アルガカンチ、ピュータン、そして反政府勢力の拠点、ロルパへと続きます。ロルパに近づくほど、貧困度合いが高まります。
貧困の原因は様々ですが、その一つに、遠方の地には開発援助が届きにくい、届いていない現実があります。外国からの援助は、このネパールではあまり効果が得られていません。厳しい見方をすれば、援助は農村部にまでは及んでいないからです。人々の生活向上には経済的自立と、そのための生産手段が必要です。幸い、コーヒー、スパイスなどの生産には大変適しています。問題は市場を見つける力がないことです。もし、ネパールの産物が適切な市場に提供できるのであれば、貧しさはそれほど問題にはならないでしょう。農村部の輸出可能な産物を作る小さな生産者の市場を広げることは、収入向上だけではなく、社会的、文化的向上にも繋がります。ネパールの基本的な要求は、援助ではなく貿易なのです。
フェアトレード団体であるネパリ・バザーロは、何年もの間、生産者グループから直接、手工芸品、紅茶、コーヒーなどを購入し続けてきました。それは、農村部の仕事の機会創出ということだけではなく、ネパールの環境を守るという意味でも大変に有意義なことです。私達は、これら小さな生産者の作った新鮮で美味しいコーヒーを飲むことで、彼らの生活の維持と壮大なヒマラヤの自然を保護できるだけでなく、私達自身も、食の安全を手に入れることができるのです。時代は、お互いが豊かになる関係を求めています。
グルミ、アルガカンチをグルミ協同組合のパルシュラムさんの案内で訪問しました。その時の様子を少しお伝えします。
ジバナール・カナールさんとの再会
グルミ協同組合が扱うコーヒーの最初のメンバー、それがジバナール・カナールさん(55歳)です。彼は、グルミではなく、アルガカンチの農民です。アルガカンチには、グルミの中心部であるタムガスを経由して2004年4月、オーストラリアの有機証明機関NASAAの検査官と共に入りました。その時に、チャットラガンジーという村で彼とお会いしました。今回訪問した2005年3月11日は、まだ2月1日の政変直後で落ち着かない時でしたが、臨機応変に訪問予定を組みながら、グルミ、アルガカンチへの旅に出かけました。グルミの生産者をまわり、アルガカンチに昼頃到着すると雨が降り始めました。その雨はすぐにどしゃ降りの雨に変わり、滑りやすい細い泥道になり、私達の乗るジープも遂に動けなくなりました。予定した生産者との会談をキャンセルせざるを得ませんでした。たまたま道端にあった茶屋で雨が上がるのを待つことにしました。
この悪天候下では、お客さんもいません。ここの茶屋と隣の茶屋で、小学生ぐらいの子どもたちが5、6人共に遊んでいました。そこで、子どもたちと話をしたり、遊んだりしながら待ちました。「腕相撲しようか!」「おじさんの腕、太いね。でも、筋肉の盛り上がりがなく柔らかだよ。ハハハー」日本語で名前を書いてあげたりもしました。しかし、寒い。山の上なので、天候が悪くなるにつれて気温もかなり下がってきました。日本では寒い3月も、緯度が沖縄に近いネパールでは、平野部であれば夏の直前で暑さが増している頃です。でも、ここは山の高いところ。2000mぐらいでしょうか。その寒さのまま一夜を過ごすのでは風邪をひきそうでした。周囲がすっかり暗くなっても雨は止まず、翌朝まで降り続けました。電気も雨が降ると漏電するので消えてしまい、ロウソクの明かりで夕食を待ちました。この先、まだ、3箇所ぐらいの場所で遠くから集まってくれた村人達が私達を待っています。彼らに連絡しなくてはなりません。激しい雨と暗くなる夕暮れの中、パルシュラムさんは休む間もなく彼らに連絡するために傘を片手に出て行きました。本当に、遠方へ来るたびに、道なき道を通り、農家を一軒一軒訪ねてまわったり、このような悪天候でも連絡に走りまわったりする彼のひたむきな姿勢には心を打たれます。
その後、起伏の激しい山道を徒歩で2時間かけて村人がこの茶屋に来てくれました。それが、ジバナールさんとの再会でした。トタン屋根をたたく激しい雨音に包まれながら、ジバナールさんは話を始めました。
「ケルンガ村から来ました。チェリーの豆で100kgを生産しています。ネパリ・バザーロが毎年定期的に買い上げてくれるので、とても助かっています。だから、どうしても会ってお礼が言いたくてここまで来ました。家族は、5人の娘と3人の息子と妻。娘3人は嫁ぎました。畑から採れるスパイスや野菜でも収入を得ていますし、食べるために米も作っていますので、コーヒーだけに頼っているわけではありませんが、それでも、コーヒーから得る収入は家計の25%を占めます。確実に売れるということはとても心強いのです。様々な生活用品を購入することに使っています。特に、子どもたちの教育に使う計画ができるので、とても助かります。今年はコーヒーの出来が良いですよ」
ネパール発展に向けた施策
ネパリ・バザーロは、女性、遠隔地、環境という3つをキーワードとしてコーヒーに取り組んでいます。コーヒー豆の良し悪しを選別するのは、村でも町でも女性の仕事です。家庭状況の厳しい女性達の収入手段として大切な役割を担っています。特に、5年前、この地域で電気が来ている最奥地であったグルミ郡ジョハン村にコーヒーの皮むき機を設置し、そこで、豆の品質選別作業のため女性達を雇い、更に、女性の生産者の指導を行うため女性のグループリーダーを育てる等、様々な施策が始まりました。また、ネパリ・バザーロとしてもコーヒー豆の品質をより向上させるために、カトマンズで豆の選別作業を行う女性を雇っています。生活が大変なうえに仕事が無かった女性達です。その一人であるチャンパさんも、この仕事で子ども2人の面倒をみながら生計を立てています。
遠隔地と付き合うということは、流通費用もかかるので、その遠いということが却って長所となるような付加価値のある施策を考える必要があります。元々自然農法で環境にやさしい農業をしてきたので、その伝統を活かして有機農業を促進するように働きかけてきました。更に環境にも優しい再生産植物(NTFP※)の促進です。再生産植物としては、スパイスやヘナ、ロクタ(紙の原料)をベースに新しいプログラムを進めています。ここ、グルミとアルガカンチは、様々なスパイスの栽培にも適しています。私達が訪問した2005年の3月は、ちょうど、シナモンとベイリーフが出荷されるところでした。新鮮なシナモンの匂いを嗅いでいたら、その明るい将来がみえてくるかのようでした。コーヒーのみならず、他の産物でも収入を得ることは、収入安定の面からもメリットがあります。
この再生産植物の構想は、ネパリ・バザーロ独自に必要性に迫られながら進めてきたものですが、気がつくと、世界各国の国際協力機関、アメリカ、ドイツ、スイスの国際協力NGOとその協力関係にある国際NGOが同様の構想を作っていました。世界は、正にこの方向へ動いていることを強く感じた瞬間でもあります。また、その背景に、ハーブとスパイスの国際市場が急成長をしているという事情があります。ネパールは起伏に富んだ自然と気候の宝庫です。その自然が小さな生産者の自立に役立つ生産手段になるのであれば、なんと嬉しいことでしょう。
各国の国際協力機関や国際NGOと情報交換はしていますが、心配なこともあります。彼らの弱点、つまり、市場と繋がっていないことから失敗するケースが多いことです。取り扱う品目の中にコーヒーも含まれていますが、その唯一の市場の可能性は、現在のところアメリカです。しかし、継続的農業、つまり農民のことや有機農業のことは気にしていません。気にするのは価格と必要量の確保です。欧州の国際協力機関はこのことをとても心配していますが、市場がなければ仕方がありません。ネパールのコーヒーは、ネパリ・バザーロが関わる西ネパールの有機(自然)農業と、アメリカが関わろうとしている東ネパールの農業に二分される危機に立っています。一度化学肥料を投入すれば、それを自然に戻すことはとても時間と労力がかかることになります。一時的には生産量が上がっても、やがて土地が疲弊し、生産量が減っていきます。狭い土地で行う農業は、他の農産物にも影響を与えます。
現地でも、その将来を心配し、有機農業を守ろうと活動する意識ある人々がいます。その人々と情報交換をしながら、活動を続けています。市場と繋がっている私達の活動は、従来の技術開発協力と違い、具体的な要求をすることができます。それは、「消費が生産を決める」という関係です。私達の考えが、どのようにして農業に影響を与え、環境に負荷をかけるか、知る、知らざるに拘わらず、それが遠い外国の遠隔の地まで影響を与えます。環境に負荷をかけない農業というロードマップを実現するために、意識ある人々は闘っています。一人一人の想いは、時代の声となり、遠くネパールの遠隔の地に届き始めています。
※)NTFP(Non Timber Forest Product)
環境にやさしい、負荷をかけない育成の早い植物を意味する。紙では、ケナフ、ネパールの紙の原料ロクタがこれに該当する。
≪グルミ協同組合長 ハリー・ゴータムさんのメッセージ≫
「ネパールのコーヒーの歴史は約60年前に遡ります。西ネパールのグルミで植えられたアラビカ・コーヒーが最初です。農民達は、使われていない土地を使用し、徐々に換金作物としてコーヒー栽培が広がってきたのです。大変奥地なので、化学肥料は使用していません。農民は、牛糞を肥料として使用しています。また、政府もコーヒー生産を推奨したので、今では質の高いコーヒーが採れるようになっています。約10年前に、ネパリ・バザーロがグルミを訪れ、3年間の購入協定を結んでくれました。その頃は、市場がなく、農民は木を切らねばなりませんでしたが、今では継続的にコーヒーを売り、収入を得ることができ、大変感謝しています。そのお陰で、隣のアルガカンチでもコーヒーの木を植えています」
≪ グルミ協同組合専務理事 パルシュラム・アチャルヤさんのメッセージ≫
「ネパリ・バザーロは、今日まで大変良い仕事をして、この地域社会に貢献しています。その結果、貧しい農民達も満足のいく生活ができるようになりました。子どもたちの学校への支払いや本の購入もできるようになりました。このように生活が向上し、ネパリ・バザーロと付き合っていることを大変誇りに思っています。農家の人々の生活向上に向けて、私達協同組合も注意を払ってきました。協同組合で働く人々にも女性を雇用するなど新しい試みもしながら、生産者にとって必要な支援をしてきたと思います。今後も、ネパリ・バザーロは、私達と協力して生産者の継続的な支援、開発の仕事をしてくれると確信しています。ネパリ・バザーロがいるからこそ、私達もこの僻地で人々のために仕事ができます。共に、この社会を良くしていくこと、それが、私の夢であり、願いです」
≪ネパリ・バザーロ コーヒーの取り組み≫
1994年9月 ネパールのカブレよりコーヒーを正式に輸入
1996年5月 コーヒー調査に各地域を訪問
1997年2月 グルミのバラタクサルを状況調査で訪問1998年6月 グルミのモジュワを訪問、今後の協力 関係を話し合う。合わせてパルパ、モダ ンポカラも調査訪問オーストラリアのオーガニック証明機関(NASAA)、グルミを調査
1998年8月 青年海外協力隊ネパール会と事務局へ情報収集の協力を依頼する
1999年3月 グルミとの直接取引協定を結ぶ
2000年1月 ビラトナガール、ジャパ、イラム調査、共同組織を作る打合せコーヒー皮むき機設置
2000年4月 ジョハン村訪問(コーヒー状況確認)
2000年8月 有機証明、国内市場の創造、国際市場に通用する価格への取り組み体制討議
2001年4月 2001年度の取り組み協議
2002年12月 3年間協定の更新
2003年3月 国際NGOを通じてのスイス国際協力団体と情報交換
2003年6月 世界生協デーにて、ネパール全国協同組合(NCF※)から表彰を受ける
2004年3月 コーヒー選別にかかわる女性の生活調査2004年4月 グルミ、アルガカンチへオーガニック証明の再調査実施(グルミ郡庁所在地タムガス訪問)
2004年8月 ドリップバッグ・コーヒー発売
2005年3月 グルミ、アルガカンチの生活状況調査(アルガカンチ郡庁所在地サンディクハルカ訪問)
※)NCF (National Cooperative Federation) ネパール国内に於ける協同組合の全国組織
(verda 2005秋冬 vol.13より)