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奥能登から tsuna34 2024w

文・土屋春代

日本海に突き出た能登半島の最奥部の珠洲市、輪島市、能登町、穴水町を奥能登と称します。日本で初めて世界農業遺産に認定された能登半島は、里山里海に囲まれ、豊かな食文化、生活に根付いた風習、優れた伝統の技が受け継がれています。その能登半島に、2024年1月1日16時10分、マグニチュード7・6、最大震度7の強い地震と一部地域には津波が襲い、特に奥能登に壊滅的な打撃を与えました。

奥能登の被災地を訪ねて
沖縄でのカカオ栽培とチョコレートなどの製品づくりによる仕事の機会創出を目指すと共に、福島の第一原発事故により保養の必要な子どもたちの支援活動をする沖縄カカオプロジェクトに賛同し、共に歩むカカオフレンズの方たちが日本各地にいらっしゃいます。被災状況を知るにつけ不安が募り珠洲市と輪島市のカカオフレンズの方を訪ねることにしました。珠洲市のフレンズ・坂本美穂子さんが家族で経営する「湯宿さか本」が4月6日から再開されると知り、直ぐに宿泊の予約をしました。

東日本大震災支援の経験からボランティアや復興工事の邪魔をしないように日を選び訪ねた能登半島の最奥部。そこには信じられない光景が広がっていました。4ヶ月近くなるのに震災直後かと錯覚する、手つかずに見える現場。自衛隊や工事関係の大型車両や重機がほとんど見当たらず静寂に包まれています。復旧復興工事のための渋滞もありません。東北の震災後に各地で当り前に見られた復旧に向けた光景がどこにも見当たりません。「買うのも応援、おみやげをいっぱい買ってきます」と周囲に約束して出かけたものの、営業していないのです。やっと見つけた店で輪島塗や地酒、いしりなどを買いながら、復興までの道のりを思い暗然としました。

報道で知る以上に深刻な状況は想像をはるかに超えていました。能登半島、特に壊滅的打撃を受けた輪島市と珠洲市の状況に、どのような支援ができるかを考えました。5月に再訪し方針を定め、6月に撮影と取材に出かけました。7月に輪島に行った時は復旧が進まないどころかより悪化しているようにさえ見え、不安と怒りが募りました。焼け落ちた朝市通り周辺から少し離れた住宅街を通ると、倒壊した家々の重い瓦屋根が道路上にあり異様です。両側からせり出した瓦屋根が道を塞いで通れない道路が増えました。傾いた電柱が倒れかかっている家屋をかろうじて支えている光景は近くを通るのが恐怖です。せめて子ども達の通学路だけでも危険を取り除いて欲しいという声を聞き当然の願いだと思います。解体をのぞむ家屋も2万軒を超えています。忙しく手が回らない、遠い、危険に近寄りたがらない等々、進まない理由は様々あるでしょう。しかし、一番優先すべきは住民の安全確保です。地震による直接死より、その後の災害関連死が多いのは災害列島日本として過去の経験が活かされていないという、恥ずべきことではないでしょうか?

復興支援の取り組み
生業の復活にむけての皆さんの必死な取り組みをお伝えし、復興までの道のりを応援したいと思い、地酒、輪島塗、いしりとあおさをご紹介することにしました。応援の気持ちが何よりの励ましと言われる被災された方たちに想いを届けましょう!

 

奥能登へ 想いを馳せる

4月に「湯宿さか本」に泊まった時に珠洲と輪島の地酒を飲んで、優しい味わいと豊かな余韻に能登の地酒の素晴らしさを感じ、絶やしてはいけない、復活を応援したいと強く思いました。奥能登の酒造11軒すべてが全壊・半壊の被害を受け、今季の酒造りを断念しなければならないところや今後数年の酒造りの見通しが立たないところが多く、2024年秋までにどうにか再開できたのは2軒だけです。家族経営の小規模な酒造が多い能登では再建に長い年月がかかると思われます。少しでも早く復活できるように、継続的な応援をしたいと思います。

能登地方で酒造りを行ってきた能登杜氏は「日本四大杜氏」に数えられ、匠の技が生み出す能登の酒は愛され受け継がれてきました。豊かな自然と共生する能登で生業という言葉を強く意識しました。その土地の産物を活かし、その土地で造られる地酒は人々の暮らしに溶け込み欠かせない存在です。お米から造られる日本酒は日本の伝統的な風景や文化を守ることにもつながります。

「湯宿さか本」で出会いご縁を感じた櫻田酒造株式会社と株式会社白藤酒造店の復活応援にぜひお力をお貸しください。

「湯宿さか本 」坂本美穂子さん
ご縁をつないでくださいました。

珠洲市にお住まいの坂本美穂子さん(57歳)は沖縄カカオプロジェクトを支えてくださるカカオフレンズさんです。娘の菜の花さん(25歳)が沖縄の高校で学ばれ大好きになった沖縄。沖縄のためにできることを何かしたいと思ってカカオフレンズになってくださいました。今回の能登半島地震で大きな被害を受けた珠洲市、どうされているかとても心配でした。美穂子さんがご家族で経営されている「湯宿さか本」の営業再開を待ち4月15日にお訪ねしました。
「湯宿さか本」は落ち着いた佇まいで削ぎ落とされた美しさを感じる凛とした風情の素敵なお宿。泊まった部屋の庭に面した大きな窓から見える満開の桜。その見飽きない眺めに被災地であることを忘れそうでした。再訪し、インタビューをさせていただいたのは新緑の美しい時期でした。

被災した時のこと
常連客の方たちと恒例の年越しをして迎えた元旦。数名の方は帰られ、入れ替わりに来られる方を夫の坂本新一郎さん(70歳)が能登空港に迎えに出られた後、地震が起きました。残っていた人たちは津波の避難指示の放送で一旦山に逃げましたが大丈夫そうだと思えて山を降りると、新一郎さんが空港まで辿り着けず、宿から10分ほどの場所で動けず助けを求め、菜の花さんが迎えに行かれました。その夜は4台の車に分乗し消防署の駐車場で一夜を明かされました。美穂子さんは宿泊客に申し訳ないという思いで必死だったので怖いという感覚はなかったと言われます。朝になり明るくなったのでもう大丈夫だと宿に戻り、その夜は温かいものを食べて、やっと皆さんほっとされたそうです。

珠洲市は2022年6月19日に震度6弱、2023年5月5日に震度6強と地震が続いていますが、宿の建物は耐震のため基礎に丸太を何百本も入れてあり、今回も建物の被害が比較的小さく、新聞記者や避難所に居づらい親子などを1ヶ月くらい受け入れ共同生活のように暮らされたそうです。しかし、一見被害が少なく見えても実は結構建物が傾き、営業再開のためにはかなり直さなければならないと分かりました。再開をあまり遅らせることはできません。幸い、井戸があり水には困らなかったので、補修工事をして4月の再開にこぎつけました。地域の復興のためにもなるべく早く普通に戻ることが大事です。

珠洲の今後に思うこと
「お客様が珠洲が好きだから、この宿の暮らしが好きだからと来てくださる。ここまで来られるのにすごく費用もかかるのに宣伝までしてくださる。とてもありがたいです。被災して、いろいろな方に助けられています」と感謝される美穂子さんは、それだからこそ自分たちの町をどうしたいかを皆で真剣に考えたいと言われます。魅力的な珠洲になる要素はたくさんあると思います。皆さんが力を合わせて新しい珠洲を生みだされることを願ってこれからもずっと見守り、お手伝いしたいと思います。

湯宿さか本 石川県珠洲市上戸町寺社15-47 TEL:0768-82-0584

櫻田酒造さんと白藤酒造店さんのお酒を頂き、地酒の美味しさに目覚めました。

夕食のしめに出てきた焼きおにぎり。隠し味はタマタニさんのいしり。

黒漆が塗られた廊下や柱。

奥能登の地酒の復活を応援しましょう!

奥能登酒造 復興応援会員を募集いたします!!

珠洲の櫻田酒造株式会社さん、輪島の株式会社白藤酒造店さんの復興を、共に応援して下さる会員を募集いたします!!!
◇一口:12,000円(税込12,200円)
◇期間:2024年11月から2027年12月の間にいつでも何口でも何度でも応募可
◇お礼:2028年1月までに、復興酒(720ml)を1口につき1本お送りします。
お預かりする応援金は、10,000円(非課税)をそれぞれの酒造さんにお渡しし、再建にお使いいただきます。2,000円(税込2,200円)は応援頂いた方への復興酒と送料などに充てさせて頂きます。お送りする時期は分かり次第お知らせします。

詳細・お申込みは、こちらをクリック!

櫻田酒造株式会社 石川県珠洲市
1915年創業。地元の方々への感謝を胸に、蛸島での再建を目指します。

櫻田酒造の4代目
櫻田博克(さくらだひろよし)さん(52歳)は珠洲市蛸島町で1915年創業から100年以上続く櫻田酒造の蔵元杜氏です。妻・朋子さん含め家族4人で営む小さな酒蔵です。能登半島の先端に位置する蛸島は、古くから漁師町として栄え、漁師さん達に支えられ、常に地元の人と接しながらお酒を造ってこられました。地元の方に喜んでもらえるお酒を造り続けることが一番の喜びと思っていた櫻田さん。今回の地震の甚大な被害を受けこの地域を離れる人は少なくないでしょう。しかし、蛸島の人たちのおかげでここまでやってこられたのだからと、この町での再建を決めました。

珠洲市を襲った2年連続の大地震
2023年5月5日にも珠洲市を震源とする震度6強の能登半島地震があり、3000棟以上の建物が被害にあいました。櫻田酒造も全壊は免れたものの損壊は激しく、お酒も廃棄せざるを得ませんでした。ようやく崩れた土壁を修理し、酒米を準備して1月に酒造りを再開できると喜んでいた矢先。追い打ちをかけるような前年を上回る大きな地震が起きたのです。地震発生時、櫻田さんは店の横にある酒蔵にいて頭上に屋根が崩れ落ち、設置されていた機械によってどうにか支えられ、自力ではい出ることができました。木造2階建ての店舗や酒蔵、住宅などあわせて5棟がすべて倒壊した光景を目の当たりにした時は廃業しかないのではと考えたそうです。避難所で毎日毎日悩み眠れぬ日々の中、たくさんの応援メッセージに励まされ、ここで辞めたら絶対に後悔するとの思いが強まり、もう一度酒造りをしようと決めました。倒壊した建物のがれきのすき間で割れずに残っていた約千本の日本酒と、使える状態だった酒米の存在が決心を後押ししました。

差し伸べられた温かい支援の手
30年ほど前から親交のある石川県白山市の車多酒造の車多一成さんに協力を依頼すると、即座に支援を約束してくださいました。櫻田さんは3月中旬から、車多酒造の施設で、倒壊した自社の酒蔵から見つかった酒米でお酒を造り車多酒造のお酒とブレンドし「能登の酒蔵復興応援」として販売しました。東京の大学で醸造を学ぶ息子の慎太郎さん(20歳)も休みに車多酒造の寮に住み込んで手伝い、父子で酒造りを始めました。櫻田さんは何年先になるか分からないが必ず復活させるという意気込みで歩み始めました。

5月、櫻田酒造のあった場所に行ってみると、壊れた建物の解体工事中で、何とその場にいらしたのは金沢に避難されている櫻田博克さんでした。5月中には解体を終わらせたい、再建の目標は2年先とおっしゃっていました。応援しています!

株式会社白藤酒造店 石川県輪島市
18世紀に廻船問屋として創業。酒造店同士の支え合いでもろみを救出。

 

白藤酒造店のこと
輪島はかつて北前船の寄港地として栄え、白藤酒造は18世紀に廻船問屋として創業し、江戸時代末期(19世紀中頃)より酒造業を始めました。大学で醸造学を、能登杜氏のもとで酒造りを学んだ白藤喜一さん(50歳)は2006年より9代目蔵元となり、共に醸造学を学び、酒造りの心臓部の麹を担当する妻の暁子さん(51歳)と共に高品質の酒造りをしています。2017年には全日空の国際線ファーストクラス提供酒にも選ばれました。

2度の地震に襲われて
蔵元杜氏に就任した翌年、2007年3月25日、震度6強の能登半島地震が起きました。酒蔵はほぼ全壊、仕込んでいたお酒も失う被害に遭い、廃業の危機に立たされた喜一さんと暁子さんですが、ふたりは諦めませんでした。それどころか、その年には禍を転じて福となし、自分たちの酒造りに合った蔵を新築し、一段と品質を向上させたのです。地域の復興にも役立つように地元のアスナロや杉の木を使用しました。

その地震から復旧し、これからという時でした。今回の地震で店舗、事務所、住居、納屋、貯蔵用冷蔵庫建屋は倒壊、貯蔵蔵はほぼ全壊、前の地震後に新築した蔵は建屋自体は大丈夫でも、タンク、お酒をしぼる機械などの設備に大きな損害が生じました。前回の地震は被災地域が限られ、町の復興も早かったのですが、今回は広域で、しかも上下水道や電気など主要なインフラの復旧がとても遅かったため打撃は比較になりません。辛うじて住める部分で不自由ながらも頑張っていらっしゃいますが、これほどの試練にどうやったら耐えうるのか、私には想像もつきません。

酒造店同士の支え合い
1月4日、この窮地にいち早く駆けつけたのは大学の醸造科の先輩である、山形県の鈴木酒造店の鈴木大介さん(50歳)。蔵には発酵途中のもろみがあることを確認すると戻って準備をし、13日に福島県の髙橋庄作酒造店さんを伴い出直し、2日間かけて約4000Lのもろみを救出しました。石川県羽咋市の御祖酒造がそのもろみを引き受け、搾って瓶詰めをして預かりました。白藤さんは4月に受け入れの目処がつき引き取り販売しました。

1月31日、断水が続く白藤酒造に生活用水約1000Lを届けたのは長野県の湯川酒造店。空いた荷台に、精米済みの酒米1tを載せ持ち帰って醸造し、白藤酒造のお酒を再現しました。暁子さんも現地に出向いて仕込みに参加されました。

このような助け合いがあるから前に進むことができるのですね。酒造店同士とても仲が良く、暁子さんは金沢などに避難している他の酒造店に「淋しいから早く帰ってきて!」と願っていらっしゃいます。厳しい状況の中にあっても明るい喜一さんと暁子さん。目の前のことを一つずつ少しずつ進めていき、来年はここで自分たちのお酒を1本でも2本でもいい、醸したいと言われます。実現を願って応援します!

ご縁は山形へ。

鈴木酒造店 山形県長井市
創業は福島県浪江町。原発事故で故郷を失い山形へ。能登半島大地震発生直後、白藤酒造のもろみを救出。

奥能登の酒造店の応援をしたいと思った時、ぶつかった壁があります。ネパリ・バザーロは沖縄の伊江島で造られているラム酒を扱いたいと思い、アルコールの販売免許を取得しました。しかし、日本酒は新たに免許を取得しなければならず、申請には酒造店による生産量の証明が必要です。現在、櫻田酒造も白藤酒造も自社で製造していないため証明書の発行ができません。先に進めず途方にくれました。

鈴木酒造店との出会いと重なるご縁
神奈川県横須賀市に掛田商店という白藤酒造と長い付き合いの酒店があると知り、お話を伺いに行きました。地震直後に山形から駆けつけ、白藤酒造のもろみを救出した鈴木酒造についても詳しいお話を伺うと、福島県浪江町請戸で江戸時代の天保年間より酒造りをしていた酒蔵で、福島第一原子力発電所事故により廃業の危機に陥ったものの、山形県長井市で後継者のいなかった酒蔵を引き受け、2011年12月から鈴木酒造店長井蔵として酒造りをされていると知りました。

浪江町請戸は原発事故後に何度も行った場所です。請戸海岸の対岸の棚塩に被災してボロボロになった集会所がまだ残っていた頃、そこから請戸を見ては津波でがれきの下敷きになった人々のこと、緊急避難指示が出され、その人々を救えなかったことを考えました。原発事故さえなかったら助かった命がそこにはありました。棚塩の集会所は1970年代、浪江・小高原子力発電所の建設計画に反対する人々が集まり活動拠点としていたところです。2011年の原発事故後しばらくして撤去され、跡地は除染で削った土を入れたフレコンバッグの置場になりました。

鈴木酒造が移転した山形県長井市もご縁のある所です。山形県は長野県に次ぎ、多くの満蒙開拓団を送出したところで、ソ連との国境近くに入植した板子房置賜郷開拓団の置賜地域に長井市はあります。岩手県野田村の山葡萄生産者の佐藤さんの父親、佐藤清太郎さんが所属した開拓団です。何というご縁かと驚きました。

満蒙開拓も原発事故も多くの人々の命と人生を奪い狂わせました。輪島市も2007年の大きな地震から頑張って立ち直ってきましたが、今回の地震は破壊力が違います。能登を見捨ててはならない。血の滲むような努力の末に酒造りを復活させた鈴木大介さんは誰よりも強く思っておられるでしょう。

この重なるご縁は偶然とは思えません。東日本大震災支援を続けてきたネパリ・バザーロとしては鈴木酒造のお酒を扱わせていただきたいとお願いし、日本酒の販売免許も得ることができました。

鈴木酒造さんが浪江と長井に寄せる想い、味わって飲み比べてみてください!純米吟醸酒「磐城壽」と「一生幸福」のご注文はこちらをクリック。

鈴木酒造店さんでは、スタッフの方が生き生きと働かれていたのが印象的でした。

麹(こうじ)造りについて熱く語る鈴木さん。

精米した白米を洗い、水に浸けます。

麹菌を米全体に混ぜ合わせます。

大きなタンクにびっくり。

東日本大震災で被災した棚塩の集会所。

酒蔵の向こう側は海という立地の浪江では、海の暮らしに寄り添った酒造りをしてきました。長井蔵のある置賜盆地は、酒造りに必須の厳しい冬と清らかな水に恵まれています。

能登の伝統の味 いしりのすすめ

株式会社タマタニ 板垣猛さん 石川県輪島市
震災で経験した支え合う大切さ。感謝の気持ちで、もっと美味しいものづくりを!

被災して
魚醤の「いしり」などを製造するタマタニ。経営する板垣猛さん(56歳)は津波警報で避難所に逃れましたが、心配で夜中に海沿いの会社を見に行かれました。瓦は落ちていたものの、建物自体は残っていたのを確認し、翌日から従業員の安否確認をされました。幸いなことに皆無事でしたが、技能実習生の寮も近くのスタッフたちの家も全壊し避難所に入りました。どこもかしこも悲惨な有様に呆然とし、ただ見るしかなく何もできない自分の無力さを、あの時ほど痛感したことはなかったと言われます。工場の中もぐちゃぐちゃで、片付けなければと頭では分かっても心と体がついていかなかったそうです。直してもどうせまた余震で倒れるだろう、ここではもう仕事は無理ではないか、スタッフをこれからどうしたらいいのか、様々な不安感情が押し寄せ身動きできない状態でした。

工場再開に至るまで
ベトナムからの技能実習生のミーさん(33歳)は地震に驚き、着のみ着のまま裸足で寮から飛び出しました。近所のご夫婦が一緒に避難所に連れていき、血だらけの足裏を手当てして靴をはかせてくれました。ミーさんは板垣さんの顔を見て安心し「私はこの会社が好きで、ここを動きたくない。避難所生活でもいいから、会社に残る」と言い、それを聞いて板垣さんは自分がしっかりしなければと思われました。工場を専門家に見てもらうと補修箇所はたくさんあるが建物の構造上は問題ないと分かり再建する決心を固め、ようやく1月末頃から片付け始めました。片づける毎に前向きになり3月31日に水がきて、4月中旬から少し製造を始め、5月には避難していたスタッフも戻り本格稼働できるようになりました。お客様からも製造復活を待っていると励まされました。仕事を再開すると生活の目途がつき安心したからか、スタッフは冗談も出るようになり笑顔が戻りました。仕事は本当に心の支えだと言われます。

13年前に板垣さんは今いるスタッフと一緒にタマタニを作り上げ、スタッフは大事な仲間。板垣さんは仕事中毒と思うくらい仕事が大好きだが、それは、いいことも悪いことも含め、みんなと一緒に働くことが好きなのだと言われます。今回の被災で人生観が変わったそうです。スタッフたちに「震災でいろいろな人たちに出会い、いろいろな経験をして、感謝の気持ちをもった。助け合い、支え合う大切さを十分すぎるほど感じたはずだから、今度は感謝の気持ちをもの作りに生かそう。きっとより美味しいものができる。そういう会社に今からしよう」と言われました。新生タマタニ誕生!と言いつつ皆さん一生懸命に仕事をされています。

被災して気づいた大事なこと
地震翌日の夜から女性たち4、5人が材料を持ち寄り避難所で炊き出しを開始されました。板垣さんはそこでいただいた具のないおにぎりと味噌汁がとても美味しかったそうです。炊き出しをしている人たちも避難所を運営している人たちも全員家が全壊していることを知ると何か協力できないかと、工場に残っていた水産物を全部開放し、各避難所にも持っていかれました。何もできない自分の無力さを痛感している中で、役に立てることが嬉しく、具のないおにぎりが美味しかったのはみんなで支え合うから、米粒の一つ一つに思いがあるからだと気づき、今まで食べた中で一番美味しかったわけが分かったと言われます。
 
復興への想い
復興には10年以上の長い年月がかかると思います。震災前から高齢化、過疎化という問題がありました。道路や上下水道などのインフラの復旧が遅れ、避難した人たちがどれだけ戻ってくるか見通しが立ちません。崩れかけている家屋や潰れた家などはほとんど元旦のままだと皆さんが言われます。見捨てられたような空虚感を抱かれている方も多いと感じます。板垣さんは「それでも前向きにやっていくしかない。せめて瓦礫だけは片づけてほしい。それさえしてくれればあとは我々がやる、それぐらいの気持ちです」と言われます。板垣さんはできることを一つずつされ、多くの方の支援も受けて立ち直られました。ネパリ・バザーロが販売という形の支援をしたいとお伝えしたことも本当に嬉しく励みになったと言ってくださいます。世界中で酷いことが起きているが、皆が感謝の心を繋げ〝つなぐつながる〟そうすれば世界は平和になるのにと言われます。戦争や貧困、格差社会などとんでもない。同じ人間なのに、ひとりにできることはささやかだけれど、集まれば美味しいおにぎりになると思うと言われる板垣さんの笑顔はとても爽やかでした。

いしりが入った大きなタンクが並ぶ倉庫。「自分なりに様々な製造方法を試行錯誤してみた結果、行きついたのは昔ながらのやり方。時間も手間も場所も必要だけれど、伝統的な製造工程が一番だと思いました。先人の知恵と努力がつまっています」と板垣さん。

旨味のかたまり、能登いしりで料理上手に!いしりのパスタは絶品です!
能登地方に伝わる魚醤「いしり」は、日本三大魚醤の一つ。タマタニさんのいしりは、サバとアジが原料です。魚を丸ごと使用し、塩だけを加えて3年間寝かせています。自然発酵、自然熟成、非加熱、海の旨味が凝縮された万能調味料です!様々な食材との相性が良く、料理の隠し味として最適です。何か味が物足りないな、という時にほんの少し加えるだけで、旨味がぐっと深まります。「能登いしり」のご注文は、こちらをクリック!

 

海の風味が広がります!

道下睦美さん 石川県輪島市
輪島の朝市は大切な場でした。

輪島の朝市で、海産物を販売されてきた道下睦美さん。地震で朝市通りにあった実家が燃えてしまいました。朝市は商売だけの場所ではなくて、仲間やお客さんとの井戸端会議の場所で楽しく仕事をしていたので、復活を待ち望んでいらっしゃいます。

乾燥あおさは、パリパリっとした食感で、いつもの料理にトッピングしたり、お汁に入れるだけで、磯の風味が口の中いっぱいに広がります。ごはんにのせて、お醤油や椿油を垂らしても美味。能登の肥沃な海は、海藻の宝庫です。昔から約30種類の海藻が食卓を彩ってきました。
春が旬のあおさは、2024年は地震の影響で収穫できませんでした。現在は、他県産のあおさを使用しています。あおさのご注文はこちらから。

伝統工芸 輪島塗を次世代へ

輪島といえば、漆器の輪島塗が有名です。4月に行った時に再開したばかりの輪島塗会館に行きました。応援のためにも何か購入したいと思い、店内を見ていると沈金の美しいぐい呑みに魅せられました。これでお酒を飲んだら美味しいだろうと想像し、よいものに出会ったと喜び帰宅しました。輪島塗会館の道路向かい、ちょうど前日から再開したばかりという酒店で買った地酒をそのぐい呑みでいただきました。期待通りの美味しさに、やはり器は大事だと実感しました。

輪島塗伝統工芸士 梶原康庸さん 石川県輪島市
お客様の気持ちになってものづくりをしています。

輪島塗の歴史と高い評価
輪島はケヤキやアスナロなど木地に向いた木が豊富にあり、室町時代から漆器がつくられていたといわれます。その漆器文化が地域を越えて広がり技術もさらに向上したのは江戸時代。

輪島塗は加賀藩の庇護を受け、技術の高さ、美しさ、堅牢さで人気を集めました。輪島は北前船の寄港地だったので輪島塗が全国に広がり、購買力をつけた民衆が購入するようになり需要が伸びました。生産が分業制で効率がよく高まる需要にも応えられました。1977年に漆器として全国初の国の重要無形文化財に指定されました。

輪島塗の堅牢さと美しさ
輪島塗の一番の特徴は「分業制」と言われます。124にもおよぶ製造工程は、高度な技術を持つ職人たちで分業されています。丈夫さと美しさを徹底的に追及した職人たちが、技を極める過程で生み出したと考えられています。輪島で「の」と呼ばれる珪藻土が発見され漆に混ぜ下地に用いた結果、輪島塗の強度が大幅にアップ、優れた断熱性ももちました。また、布で補強する布着せの技術の確立により、丈夫さと剥げにくさが増しました。日常使いをしてもいつまでも美しさを楽しめます。長期使用で傷がついたり、漆が薄くなったら塗り直し修理して使うとますます愛着も深まります。輪島塗は最初は高いと思ったとしても長期に使えるので納得です。

ぐい呑みの作者、梶原泰庸さんにお会いして詳しくお話を伺いました。梶原さんはという、分業制の輪島塗のプロデューサーのような存在です。塗師屋は塗りを担うだけでなく、木地師や研ぎ師など全ての工程の手配も行い、企画から製造・販売までを取りまとめる役割です。梶原さんは個人やレストランなどを主な顧客とし、直に販売されています。出向いて用途やデザインなどを綿密に打合せ希望に応えたいと、喜ばれる様子を想像しながらつくられるそうです。

輪島塗会館の2階は資料展示室になっています。輪島塗の作業工程が分かるように、実際のお椀を工程毎に並べて展示しています。一番元の木地を手に持って、あまりの軽さに驚きました。とても薄いのです。光にかざすとその薄さがよく分かります。落としても弾んで割れません。強いのです。どうしたらここまでできるのか。細部にわたる説明を伺うと、どの工程も考え抜かれていることが分かります。輪島塗の長い歴史の中で職人たちがより強く、美しいものを求めて努力してきた結果、これほど優れた漆器をつくりだしたのだと知りました。

その輪島塗が今、重大な危機に瀕していると梶原さんは心配されます。家や仕事場が全壊し金沢などに避難している方たちがまだ戻っていません。輪島に戻っていないだけでなく、仕事を辞める人も出るでしょう。分業制であるということは、その段階のどこかを担当する人がいなくなれば全体が回らなくなるということなのです。仕事を再開したところもあるが以前のような勢いはない。震災の衝撃で前向きな気持ちになれないことも大きいのだろうと梶原さんは言われます。梶原さんも家と仕事場が全壊し仮設住宅で暮らしておられます。皆さんがショックから立ち直り、自信を回復され輪島塗の伝統をつないでいただきたいと願っています。そのためにも作る人と使う人の関係づくりをお手伝いしたいと思います。

- - - 日本の漆器 - - -
漆器は中国発祥で技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていた。ところが、北海道函館市南茅部地区から出土した漆の装飾品6点が中国の漆器(7400年前)を大幅に遡る約9000年前(縄文時代早期前半)の装飾品であると確認された。さらに、福井県(鳥浜貝塚)で出土した漆の枝は世界最古の約1万2600年前(縄文時代草創期)のものであると確認され、漆木はこの頃すでに存在していたことが証明された。同遺跡からは技術的に高度な漆工品「赤色漆の櫛」も出土、この他、漆工品も含めた木材加工の関連品が多数発見されている。
(フリー百科事典『ウィキペディア 日本の漆器:歴史から一部抜粋)
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輪島塗の製造工程をご説明頂き、受け継がれてきた伝統の素晴らしさを実感しました。「伝統工芸は親が使わなければ滅んでしまいます」と梶原さんが言われたのが印象的でした。

光が透けるほどの薄さの木地です。とても軽くて丈夫なので、お子さんやご高齢の方も負担なくお使い頂けます。

美しさと丈夫さ、実用性を兼ね備えた輪島塗は、ごはんやお汁など、毎日の食事で使うお椀に最適です。手で持ったり、口をつけて食べることもあるお椀。滑らかな手触りや、やさしい口当たりは、自然素材で作られた輪島塗だからこそ。使い込むうちに光沢感も増していきます。

漆は抗菌性があります。また輪島塗は、断熱性と保温性に優れています。熱い汁物を入れても、手に伝わる温度は心地良いので安心です。保冷性も良いので、フルーツやアイスクリームにもおすすめです。

輪島塗の美しさのひとつ、の加飾が施されたぐい呑み。沈金とは、塗面を彫ってできたくぼみに漆をすり込み、そこへ金・銀の箔や粉を埋めて模様を描く技法。彫る溝の深さや角度によって立体的に表現することも可能です。お酒を注ぐことで立体感が増します。

輪島塗のお椀とぐい吞みは、1月初旬に入荷の予定です。ご予約承ります。 お椀はこちらぐい吞みはこちらからご覧下さい。

奥能登に想いを馳せて、地酒やいしり、あおさ、輪島塗をお手にとって頂けましたら幸いです。被災された方たちに応援の想いを届けましょう!