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対談・命こそ宝 tsuna40 2026sm

対談・命こそ宝

伊江島・阿波根昌鴻さんとの思い出

阿波根昌鴻(1901~2002)
沖縄戦の縮図と言われた伊江島で、戦後米軍に強制接収された土地の返還を求めて非暴力での抵抗運動を続けた。入手困難だったカメラで米軍の横暴や被害を記録するとともに、島民の日々の暮らしを撮りためた。農民の誇りと、戦争の愚かさ、平和を学ぶ教育の大切さを説き、反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家を設立。
写真:やすらぎの家 親族のお祝いを受けて 1987.1 (「天国へのパスポート」より)

対談 張ヶ谷弘司さん×土屋春代(2025年9月6日)

張ヶ谷弘司さん(写真左)
1946年 千葉県柏市に生まれる
1966年 学生時代の夏休み、初めて沖縄へ。以来現在まで一年に一度、精神的「人間ドック」のため通う
1971年 写真集「沖縄」共著
1992年 「こだわりの眼」写真で考える沖縄戦後史 沖縄タイムス社参加
2015年 「天国へのパスポート ある日の阿波根昌鴻さん」発

土屋春代(写真右)
ネパリ・バザーロ創立
中学時代に知ったネパールの子どもたちの厳しい状況と、その20数年後に聞いた状況が殆ど変わっていないことに強い衝撃を受け、教育支援活動を始めた。しかし横たわる深刻な貧困問題に直面し、仕事の機会創出のため1992年ネパリ・バザーロを設立した。

インタビューの経緯
土屋 張ヶ谷さんの写真集『天国へのパスポート』に掲載されている阿波根さんの写真と言葉から阿波根さんの人となりがよく伝わってきます。そして、張ヶ谷さんの阿波根さんへの深い愛と尊敬を感じ、お話を伺いたいと思いました。張ヶ谷さんが撮影された日常の何気ない映像を観ていると目の前に阿波根さんがいらっしゃるような感覚になります。水でも小枝でも大事にされ、鳥に気遣い、とても温かい。阿波根さんらしさが胸にすーっと染み入ります。私は阿波根さんに会いたくても会えません。生まれるのが遅くて残念でなりません。張ヶ谷さんに嫉妬を感じます。

張ヶ谷さんの最初の沖縄旅行
土屋 沖縄に最初に行かれたのはいつですか?
張ヶ谷 1966年です。今から59年前で学生のときに沖縄いいなと。あの頃海外旅行じゃないけれどドルが使えて、近くて、女の子が可愛いと聞いて、行かないわけにいかない。ひと月友だちと八重山、石垣島まで行きました。政治的なことがあると許可されないが僕は遊びだから簡単に入れました。職業は学生と書き、目的は観光。晴海埠頭から船で56時間。面白いのは、船が出て数時間後に船の中の売店の表記が円からドルにいきなり変わる。国境はこういうものかと不思議でした。総理府発行の「身分証明書」を持っての旅でした。

阿波根さんとの出会い
土屋 阿波根さんとはどのように出会われたのでしょう?
張ヶ谷 69年3月にもひとりで沖縄に行き、戻って4月に写真学校に入り、同じクラスの比嘉康雄さん(注1)と親しくなりました。比嘉さんは嘉手納の警察官でしたが1968年11月に嘉手納飛行場で B52爆撃機が着陸に失敗し炎上した時に沖縄はもうダメだ、こんなことがあっていいのかと、警察を辞めて、アメリカとは、沖縄とはどういうところなのかを知らしめたいと、警察で鑑識をしていて写真は得意だったので写真学校に入ったのです。1969年8月の夏休みに一緒に沖縄の写真を撮ろうと比嘉さんのコザの家に行きました。筑紫哲也の本で阿波根さんのことを読んだ比嘉さんに誘われて一緒に伊江島に行きました。阿波根さんは土地を守る会の会長でしたがそんなことは感じさせない普通の人。それから比嘉さんたちと学校の10人くらいのグループを作って6月23日の沖縄安保の大会を撮り、翌年から皆で行くようになり、何人かの仲間が比嘉さんのコザの周りを中心に、アパートに暮らすようになりました。
土屋 写真学校での比嘉さんとの出会いが阿波根さんと深く関わるきっかけになったのですね。

阿波根さんの最初の写真集『人間の住んでいる島』の出版
土屋 写真集を出すことにしたのは、阿波根さんが撮りためた写真を見てこれは凄いと思ったからですか?
張ヶ谷 私たちは阿波根さんをあれだけのことをしてきた人とはあまり知らないから平気ですごいことがやれたのだと思います。沖縄の人なら、大変な人とわかるのでビビってしまう。沖縄問題とか平和とかよく解らないまま、とにかくこの大事な写真がどうして世に出ていないのかというのが一番でした。阿波根さんは最初は若者の無謀な計画を心配して止めましたが、一人で行った時に話していて、フィルムのネガは映像が消えていく、薄くなる。特に現像の仕方が悪いとダメだと言うと、阿波根さんが「やりましょう!」と言いました。あとで恐くなってしまいました。考えようによっては、本当に難しいことだと。
土屋 阿波根さんの徹底した非暴力の土地闘争、乞食行進までした凄まじい運動を知らず、でも写真自体の価値の高さに気づき出版すべきだと実現されたのですね。
張ヶ谷 写真集ができあがって見せたら、謝花さんが「あなたがたは一体どんな人達ですか」と言われた。僕たちは沖縄仲良しグループですと言いましたがあの時代に伊江島に来るのはほとんど赤い旗の労働組合。謝花さんにはノンポリが珍しかったのでしょう。10年かけて行くたびに話をして写真集まで作る。始めは全部自分たちで費用をもち迷惑をかけないと話を通しましたが、阿波根さんが利益があっても損をしても、お互いに半分ずつと言ってくれました。阿波根さんは写真集を喜んで、これから新聞社にいってあなたがたのやったことを知らせたいと言われました。そして、阿波根さんから僕の母親へのお礼状まで届いて驚きました。こういうものの考え方をするのかと。
土屋 この写真集を出した意義はものすごく大きいと思います。伊江島に最初に行かれてから写真集ができるまでの13年間いろいろあったのですね。謝花さんにしてみたら、この若者たちをどう理解したらいいんだと思ったのも分かります。いつかしら感謝や信頼になり、阿波根さんも写真集をいつも枕元におくほど喜ばれたのですね。
張ヶ谷 ほとんどの本が、沖縄、伊江島に関係するときに『人間の住んでいる島』を参考にしたと書かれていて、それを見るたびに作って良かったと思います。

阿波根さんが目指した農民学校と息子・昌健さん
土屋 沖縄戦がなかったら阿波根さんの農民学校は実現していました。悔しいです。
張ヶ谷 農民がちゃんと人前で話せるよう、農業と学問が一緒になったものを作りたいと、木もない草原のような土地を少しずつ買い集め4万坪にしました。息子の昌健さんも教師になり準備が整ったところで最後の晩餐会をしようと東京から呼び寄せた。しかし、戦争になり第62師団(石部隊)に配属され消息が分からなくなりました。学生服を着せて逃がしたという話もありますが慰めで言ったのかもしれません。昌健さんの写真は何枚か残っていて、自分よりいい人間だったと阿波根さんは言っていました。戦後、阿波根さんがいつも黒い傘を持っていて、何故と聞かれて、これは昌健が持っていた傘だから、これがあれば眠れると言っていたと側にいた郵便局員が証言しています。局員の方は泣けてきてしょうがなかったと。戦死した弔慰金をなぜ貰わないかと聞かれて、お金ではなく息子を返してほしいと言ったそうです。

沖縄戦後の占領政策
土屋 戦後、沖縄の占領政策はあまりにも過酷でした。その沖縄の犠牲が本土では知られていません。二度と繰り返さないために戦前から敗戦までのことを学校できちんと教えるべきなのに、それをしないのは、日本が負けたから、不都合なことは知らせたくない。戦争責任から逃げ回っているとしか思えません。
張ヶ谷 いろいろ調べると本当にひどい占領政策で沖縄の犯罪史を読んだら最後まで読み切れないほど酷かった。これほどの酷い実態があって、しかもサンフランシスコ平和条約で簡単に売り渡され天皇が認め今もそれが続いている。どう考えても本土の人間の罪は大きい。
土屋 本土に復帰したといっても沖縄の人々が期待した平和憲法適用でも核抜きでもなく、基地負担はかえって増えてしまった。米軍兵士による犯罪は多発。搾取の構造は変わりません。
張ヶ谷 核の模擬爆弾の射爆場を戦後何十年経ってもやっている。嘉手納でもやっていたが場所が狭くてよくない、伊江島は島だからというのでやり始めて、事件が起こって3人亡くなっている。スクラップにして生活のために売ろうと弾薬を解体していたら爆発した2名、他に演習弾の直撃で1名。村も琉球政府も自損行為だという。阿波根さんが自分達は土地を取られ、援助もなく、勝手なことをして、そして、この爆弾はどこの国のものか、落としていいと許可していないと怒った。阿波根さんの感じ方は凄い。米軍が持ち込もうとしたミサイルを伊江島の島民は断固とした態度で3日で戻させた実績もあります。本土では知らないでいることが多すぎる。
土屋 本土で阿波根さんは知られていません。悔しいです。知る必要がある。
張ヶ谷 沖縄のことはまず国会議員に勉強してほしい。沖縄に来て、歴史を知らないと沖縄も不幸だし、日本も不幸。沖縄にあれだけの基地があってベトナム戦争、イラク戦争と自分のふるさとから軍機が飛び立つなんてとても耐えられないはずだった。住んでいないと分からないことが自分にも多いが、あまりにも知らなすぎる。
土屋 沖縄を知らないと、今の日本が分かりません。遠方で見えないからと政府も米軍も私たちの税金でやりたい放題。引き返せなくなる前にNOと言わないととんでもないことになります。
張ヶ谷 那覇空港の案内の所にも沖縄の歴史を知るコーナーがあってもいい。ちょっと時間がある人に沖縄の歴史を知ってもらえる。
土屋 皆が様々な方法で歴史と現状を伝え広めるといいですね。阿波根さんは「無知は怖い、学びなさい」と繰り返し言っています。日本は愚かでアメリカを知ろうとせず負けた、アメリカは日本を研究しつくし征服したと。

阿波根さんの反骨精神と限りない優しさ
張ヶ谷 伊江島の石川清食さんは本部で生まれて、徴兵拒否で2本指を切った。本部事件というのがあって、徴兵検査があり、関節のきかない青年に徴兵忌避だと無理に麻酔を注射し伸ばそうとしたので周りが怒って何人か負傷者が出た事件。あの人たちはもともとは琉球王国の士族。明治の廃藩置県で首里から国頭や伊江島など北部に移り住んで、農民になった子孫。阿波根さんのお父さんも髪を結っていました。そういう環境で反骨精神、反権力の精神を阿波根さんは代々受け継いできました。50年くらい前に、阿波根さんに東京にまた来ることがありますかと聞いたら、「私はもう東京には行く気がしない。東京にいた頃、美しいと驚きいつまでも住みたいと思ったが、8ヶ月住むと、もうこの汚らしい街に留まりたいとは思わなかった。東京での奪い合い、騙し合いに比べ、伊江島の城山からの景色はいつまでも飽きない。海あり農作物が青々と茂り、農家に疲れた農民がいる。人間らしい暮らしがある」。こんな阿波根さんの「疲れた農民がいる」とは普通言えない。
土屋 農業に励むという表面的な言い方ではなく、疲れるまで働き、得る実り、流す汗。農民の暮らしが滲み出ています。独特の表現ですね。
張ヶ谷 阿波根さんが心筋梗塞で倒れて入院したら、病院の洗面所がきれいになったそうです。阿波根さんが掃除していたらしい。
土屋 阿波根さんは愛楽園(注2)のトイレも掃除されましたね。
張ヶ谷 戦争中、両親を亡くしたふたりの姉妹を引き取り育てました。
土屋 世に知られるリーダーで立派なことを言う人でも、偉業を果たした人でも、実生活は別という人もいますが、阿波根さんはどこからどこまで阿波根さん。
張ヶ谷 もともと家も貧しいなかで、女性が水汲みで大変だったとか、お茶を沸かすのに女性がマッチ一本失敗しても離縁だと言われた時代に、自分は見ていて耐えられない、自分のことは自分でしようと自然に思っていたらしいです。
土屋 張ヶ谷さんから伺う阿波根さんの普段の様子はほのぼのとして癒されます。本当に稀有な方ですね。阿波根さんは入院されていた時に看護師さん達に大人気で、皆がお世話したがったそうですね。
張ヶ谷 面白い人、いつも笑っている人だった。話は面白いし、まいっちゃうなという。どこからも聞いたことのない話、本でも読んだことのない話。独特でした。こういう考え方をするのか、という独自の考え。
土屋 常識的なところから湧いてくる考えではないのでしょう。すべてのものに命を感じ、声を聴きとっています。
張ヶ谷 里で芋掘りを一緒にしていたら、そのやり方では芋が傷つくからだめだと言われた。釘一本もさびついているのを拾ってきて大事にする。錆びてるのを使ったってとみんなは言うが、阿波根さんはもったいないと考える。
土屋 そんな阿波根さんの精神に多くの人に触れてほしい。わびあいの里で反戦平和資料館を見学した後、くつろげるカフェがあったらいいなと思います。そこで阿波根さんの映像を観たり、語り合える場があったら阿波根さんに出会えるような気がします。私の夢です。
張ヶ谷 阿波根さんは里に訪れた方々の帰りの船に向かってお部屋から無事を祈って手を合わせていたと後で知りました。おじい(阿波根さん)の魂は今も里に留まり人々の訪問を喜ぶでしょう。

(注1) 1938年〜2000年。戦後の沖縄を代表する写真家。沖縄戦、アメリカ占領、日本復帰という本土と異なる歴史を歩んだ沖縄社会と人々の姿を捉えた。特に久高島に100度以上通った映像と祭りの考察は世界的評価。主な作品『神々の古層』『神々の原郷 久高島』
(注2) 沖縄県北部の屋我地島にある国立ハンセン病療養所

陳情小屋前 1955 (「人間の住んでいる島」より)

 

波止場 支援者への見送り 1969.8 (「天国へのパスポート」より)

 

(右)自宅裏庭 謝花悦子さんと 1981.1 (「天国へのパスポート」より)
(左)那覇 喫茶店 1983.2 (「天国へのパスポート」より)

 

自宅 写真記録「人間の住んでいる島」を手にした御夫妻 1983.1 (「天国へのパスポート」より)

 

やすらぎの家 かわいがっているひよこ 1985.5 (「天国へのパスポート」より)

 

中庭 いつも手提げ袋をもって 1996.2 (「天国へのパスポート」より)

 

中庭 いつも時間オーバーの話し 1992.4  (「天国へのパスポート」より)

 

ぜひ、下記の写真集をお手に取ってご覧ください!ご注文は、書籍タイトルをクリックしてください。

(左)天国へのパスポート ある日の阿波根昌鴻さん
■【著者・発行人】張ヶ谷弘司
■【ページ数】72頁
■ DVD付(約20分)
■ 2,273円(税込2,500円)

(右)人間の住んでいる島 沖縄・伊江島土地闘争の記録
■【著作・発行】阿波根昌鴻
■【ページ数】168頁
■ 3,055円(税込3,360円)