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暮らすように働く 2020年7月

スタッフひとこと

前高田の工房「椿のみち」に、昨年11月末の訪問から半年以上も経った6月末、ようやく行くことができました。昨年8月から本格化したチョコレート製造のために月に2回程度は通っていたのでこの空白は打撃でした。しかし、行きたくても行かれない分、これまで以上にお互いを信頼して仕事ができ、久々の再会の喜びは大きく、結びつきはより強まりました。これで収束が見えてくればどんなに良いかと思いますが、6月から再開した宿もレストランも感染防止対策を徹底しているのに客の姿はほとんどなく、東京の新規感染者数も連日100名を超え、他の地域もじわじわと増えている状況には束の間の安息さえ与えてくれないのかと恨めしくなります。今後もなかなか物理的距離は縮められないかもしれませんが、信頼や思いやりの上に築かれたつながりはより大切になると実感しました。春代

パールでのニューコロナ感染は、首都カトマンズでは落ち着きをみせていて、間もなく国際空港も開かれそうですが、インド国境付近では、まだ感染が広がりをみせていて予断を許さない状況です。このような状況下では、養護施設の子どもたちや生活環境の厳しいご家庭は、尚一層厳しい生活を余儀なくされています。カトマンズ近郊の養護施設では、今年2月に理事長のラムさんが亡くなり、この厳しい環境下で、彼に代わって子どもたちの面倒をみる人はなく、ネパール政府は、親戚でもなんでもいれば返せと言って来ます。子どもたちは行き場を失っています。親も親戚もいない子どもたちは、金銭的負担は倍増しますが、近隣のホステルのある学校にお世話になることにしました。高校を卒業する子どもたちは、東ネパールの奨学金を出している子どもたちと共に学ぶ予定にしていましたが、このコロナ騒ぎで危険も伴うので諦め、暫く、カトマンズで学ぶことにしました。お父さんは亡くなり、お母さんは行方不明、叔母さんがいるのでホームを出なくてはならない幼い姉妹は、その叔母さんにも幼い子どもが3人いて、とても経済的には面倒をみれないだろうと確信しますが、先の方針があるので、様子をみながらサポートして行く方向で進めることにしました。皆様とご一緒に、子どもたちが夢を持って進めるように見守りたいと思います。(完二)

パリの服はもちろん冬も快適なのですが、蒸し暑い夏になると本領発揮!と感じます。べたべたしたり妙にひんやりする化繊と違って、竹布も薄手綿も素肌にサラリとして幸せな気分です。レース織もちょっと地厚なようですが、通気性・吸水性がいいのでタオル地のような気持の良さ。同じ型のTブラウスを、織違い・色違いで何枚も揃え、日替わりで楽しんでいます。次第に色あせてきた服もありますが、それはそれで楽しんだり、染め直してみたりして、長く愛用していきたいと思っています。(早苗)

ZOOMは、皆さんすでにお使いでしょうか。ついに(恐れていた)ZOOMでの大学講義の依頼があり、話す側になってしまいました。顔が見えない、反応が分からない中で、予定していたこと以外は話さず、話せず、でした。場を共有していると、一歩踏み込んだことも相手の表情を見ながら話したくなったりしますが、顔が見えないことの不安は大きく、淡々と終わらせてしまったかなと、学生さんに申し訳なくも思いました。にも拘わらず、「ZOOM退出」した瞬間、現実の空間に引き戻され、「ここはどこ?」「あれ?皆がいない?私一人?」のような不思議な感覚になりました。まるでドラえもんの世界。打ち合わせが効率よく行えたり、距離のハンディがなくなる便利な部分と、直接会うからこそ起こる人と人の化学変化や、現場だからこそ感じ取れることなど、非効率でも大切な部分を、バランスよくしていかなければと思います。これから長くお付き合いしていかなければならない時代になってしまいました。とほほ。(百合香)

の最近のホットな話題は、東京都知事選です。多くの人が「時代の転換期」だと感じる今、命を預ける東京都のトップに誰を選ぶのか、私自身は都民ではないのにワクワク、緊張しています。一人で盛り上がるのもつまらないので、自らのSNSを使って自分の考えや応援したい候補者、20代の同世代にもわかりやすく楽しく政治に関われるようなメディアをシェアしていました。少しずつですが友人たちもSNSで反応をしてくれて、いつの日かは候補者討論や開票特番などをお酒を飲みながら、あーだこーだ自分たちの未来について語れる日が来てほしいと思っています。ですが、いまだにメディアは「若者の政治離れ」という言葉を簡単に、無責任に使用します。国民レベルの話をしてくれない政治家たちが多い中、どちらが離れていっているんだ!なぜいつも「若者」が悪者なんだ!と感じてしまいます。テレビはもちろんツイッターやフェイスブック、YouTubeなどで流れる情報は、意識をしていなくても個々のアイデンティティの一つに自然となり得ると私は思います。手軽に情報を得られる時代だからこそ、メディアの媒体は慎重に選びたいです。(萌)