人と共に生きる服 verda22
心を織る 自然をまとう
受け継がれる希望 ~マハグティのアシュラム(カトマンズ)
文・土屋春代
広々とした敷地が伸び放題の草に覆われ、傾きそうな幾棟もの古い建物がひっそりと建つ。昔はラナ家(注)の意に沿わない女性たちを隔離した施設だったとある人から聞き、食堂の窓に鉄格子がはまっているわけに納得した。古くとも織機やミシンが何台もあり、設備があるのに、この研修施設にはなぜ人が居ないのだろうと首を傾げた。宿舎や子どもたちの学校、小さな診療所まである。マハグティの歴史に早くから登場するアシュラムだ。
行き場のない女性、生きる術のない女性たちに2年間の住まいと技術指導を無料で与え、“生きる力をつけよ”と、トゥルシ・メハール氏が開設したアシュラムはジャナカプールとこのカトマンズの2ヶ所にある。
私が初めてカトマンズのアシュラムを訪れたのはネパリ・バザーロを設立して2、3年後、1995年頃だと思う。取引しているマハグティの利益の中からアシュラムの運営資金が出ていると聞き、どんな所かと案内してもらった。荒涼とした様子に胸を突かれ、予想と違ってほとんど人がいないことに驚き、理由を聞いた。入所を切望する女性たちは数多くいるが、マハグティの販売が思うように伸びず、利益が出ないため呼ぶことができないと知った。
まだネパリ・バザーロを設立したばかりで軌道にのっていない時。悔しいけれど力がない。いつかこの風景を変えたい、ここに多くの女性たちが住み、研修を受ける風景を見たい。その夢が実現する日まで、荒涼としたこの風景を記憶に焼き付けておこう!忘れてはならない!
以来、私の原風景となった・・・
(注)ラナ家:ラナ家を創設したジャンガ・バハドゥールは1846年、王宮大虐殺事件を機に権力を握り宰相の地位についた。以後、ラナ家は階級的な支配制度を確立し、ネパールを実質支配した。1951年トリブバン国王による王政復古まで、ラナ家による専制政治が続いた。
夢の実現
2007年4月、アシュラムの事務所でアニタ・タパさん(注)と打ち合わせをしている時、窓の外の小道を食堂に向かう数名の若い女性たちが目に入りました。「最近はずいぶん研修生が増えましたね。以前と様変わりですね」と言うと、「今年7月からの2年間の研修生はなんと100人の予定ですよ!」と教えてくれました。「えっ!100人?それ、ほんとですか?」と驚いて身を乗り出すと、「本当に100人です。だからベッドも足りないし、準備が大変!」と、アニタさんは笑いながら肯定してくれました。この敷地に100名もの女性たちが共に暮らすのです。学び、食事し、時には喧嘩もしたり。どれほど賑やかなことだろうと様子を思い描いた時、思わず目頭が熱くなりました。
最初にアシュラムを訪れた時に誓ったことは、ずっと仕事の原動力となっていました。あの時に焼き付けた風景はいつまでも消えず、行動に駆り立てます。何度指摘しても同じようなミスを繰り返し、品質が思うように向上せず落ち込んだ時、あまりにも危機感のない対応に、やる気があるのかと厳しく問いかけ、じっとうつむくだけの責任者たちを前に、投げ出したくなった時も、あの風景はマハグティから離れることを許しませんでした。
2007年9月、ネパール全土から集まった研修生たちに会いたくて訪れました。十数年前の、あの時のアシュラムと同じ場所とは信じられないほど、そこは活気に満ち、迎えてくれました。この活気が再び消えることのないように、2年後、4年後、その先も今回同様、多くの女性たちが集えるように、まだまだ気を緩めることはできそうにありません。
≪マハグティの誕生≫
マハグティ創設者トゥルシ・メハール・シュレスタ氏(1896‐1978)は若き日をマハトマ・ガンディーと共に暮らし、その影響を強く受け、行き場のない女性たちの避難所、後に「マハグティ」という大きな組織の基となるアシュラムを1927年に開きました。
彼が生まれた当時、ネパールは独裁者ラナ家の専制政治下にありました。圧制による民衆の苦しみ、極端な貧富の差、カースト制による差別、特に女性に対する酷い扱いなどに心を痛め、国民に教育を受けさせず一切の自由を認めないという愚民政策をとるラナ独裁体制の下で、国民の知る権利を主張し、1920年永久追放という処分を受けました。
国を追われた彼はインドに出て、ガンディー氏に出会い、彼の信念、迫害された民衆が技術を習得し自立を目指すように促す思想に共鳴し、糸紡ぎとはた織りを学び専門家となりましたが、母国ネパールの圧制に対する怒り、解放のために戦う意思はますます強固になり、1923年ガンディー氏の口添えを得て帰国を許され、糸紡ぎと織りの小さな工房を始めました。
≪アシュラムに暮らす女性たち≫
お昼ごはんは当番制で作ります
ごはん作りは楽しいひと時。それぞれの村の話に花が咲きます。
ビスケットと豆のカレー
いつも食事は質素です。でも、村の食事に比べたら、やはりカトマンズは種類が豊富。2年間のトレーニング期間の生活費、授業料は無料です。97人の女性たちの中には子どもがいる人も17人。子どもたちは、アシュラムの学校に通っています。
お昼の時間は食堂がにぎやか
毎朝1時間の識字クラスもあるので午前中は勉強で頭が一杯。お昼の休憩はほっとできる時間です。そして午後は、また頑張ります!
アシュラムの中にあるヘルスケアセンター
トゥルシ・メハール氏がその才能を愛し、支援したミラさんという女性は医者になり、アシュラムの敷地の中に小さな診療所を開き、地域の人、アシュラムの人々の治療をしています。パタン病院に勤務する傍ら、毎週土曜日の休日にはここで多くの人々を診ています。
そして最近、地域のメディカルセンターとして改装し、設備も改善して再オープンしました。毎日常勤の医師が通うようになりましたが、診察料も薬もとても安く提供しています。研修生などアシュラムの住人は無料です。このように誰でも気軽に安心して医療を受けられるように必要な投資をし、地域住民の健康も守るなど、最近、マハグティのアシュラムは地域への貢献がますます充実してきています。
私たちの部屋
ベッドと出窓の一つずつが一人分のスペースです。大勢でも、ほとんど私物がないのでお部屋がいつも広々すっきりしています。女性たちは、地域、民族、カーストがかたよらないように、28の郡(地域)、様々なカースト、状況の中から、より困難な人々が集められました。
裏の畑
アシュラムの敷地は広く、畑もたくさんあります。必要な野菜のほとんどはここで栽培します。
≪アシュラムに暮らす女性たち≫
2年の間に、織りと縫製のトレーニングを1年ずつ受けます。縫製は2クラス。24人ずつで48人。織りは3クラスで合計49名です。自分たちが着るサリーや洋服も自分たちで織って仕立てます。たくさんの課題を仕上げるので、地元のマーケットでも販売します。
研修生 スガンダ・マッラさん(20歳)
西ネパールのルクム郡、チムリダハ村から来ました。村は首都カトマンズから車で2日間、その後、徒歩で4時間のところにあります。両親、姉2人と妹、弟3人の9人家族です。私の村はマオイストと政府軍の戦闘の激しかったところで、親戚、知人など多くの方が亡くなり、本当に恐い思いをしました。15歳の時に病気になってしまい、将来のこと、どのように生きていくかを必死に考えました。学校は10年生まで行きましたが、戦いの最中だったのでSLC(注)は受けられませんでした。村を見回したとき、ダマイという服を作るカーストがあるのですが、男性ばかりでデザインが古く、新しいデザインを考え、村の女性たちが好むものを作れば仕事になるのではと考えました。村役場で働いている義兄から今回のマハグティのトレーニングのことを教えてもらい希望が湧きました。将来はトレーニングセンターのようなものを作り、村の女性たちにも自分が習ったことを教え、生活を良くする手伝いができたらうれしいと思います。
*縫製を教えている先生も、彼女は優秀で一番成績が良いと褒めていました。
(注)SLC:10年間の基礎教育を修了したことを証明する国家試験。
研修生 サラ・カダさん(24歳)
エベレストに近いドラカ郡、ジュグ村の出身です。私の村は、あまりにも遠隔地なので政府軍も来ず、戦闘はありませんでした。母と兄家族、妹の8人家族です。6年生のときに父親が亡くなり、学校を退学せざるを得ませんでした。
昨年、カトマンズに住む姉をたより、村から出て来ました。将来のことを考えながら歩いていた時に、たまたまアシュラムの前を通りがかり、研修のことを知りました。村の状況はどこもそうですが、自分の畑で取れるものだけでは飢えをやっと凌ぐ程度で、少しの余裕もありません。必要なときはヤギや鶏を売って現金を得ていますが、それだけではあまりに生活が厳しく、将来に希望をもつことなどできません。ジュグ村は電気もきていなくて、薪を採りに行くだけでも重労働です。2年間のトレーニングを終えたら、こちらに残り、店を持つのが夢ですが、でも、どうやって実現したらよいのか・・・。トレーニングはとても楽しく、技術を覚えられるのは本当にうれしいのですが・・・。
寮母 ギタ・シャルマさん(64歳)
この仕事を始めて3年になります。たまの休みに近くに住む息子のところに行き、アシュラムを留守にすると、皆が淋しがり、戻ると、とても喜んでくれるので嬉しく、まるで自分の娘たちのようにいとおしく感じます。トレーニングを受けている人は、誰といわず、皆が大変な境遇の人たちなので、技術を身につけてより良い人生を築いてくれることを願い、できる限り精一杯のお世話をしています。異なる環境、民族の人たちが共に住むので、小さなトラブルはよくあります。言葉使いなど、社会生活のマナー、ルールを学ぶ機会もなかった人たちが多いので、そういうことも教えています。
縫製教師 サクンタラ・バスネットさん(48歳)
アシュラムで教えて15年が経ちました。昔、ガレル(政府のトレーニングセンター)で縫製を習いました。その後、家にいて仕事はしていませんでしたが、頼まれてアシュラムで縫製の指導をするようになりました。15年間大勢の人を教えてきましたが、今回は教えるのがとても楽です。以前は研修生を選抜する時、厳しい境遇だけをみて選んでいたので、ほとんど学校教育を受けていない人でしたから、どんなに努力しても結果が出なくて、仕事につながらないことが多かったのです。今回は、生活状況のみでなく、素質、やる気のある人を選んでいるので、結果がどんどん出ていて、将来が楽しみです。
(verda 2008年春 vol.22より)
服のお買い物はこちらから!