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対談・人と共に生きる服 tsuna36 2025sm

人と共に生きる服
ネパリ・バザーロの服作り


服作りに共に励んできたコットンクラフトの女性たちと。

女性たちの自立を支援するため、より多くの人に仕事の機会を生み出すことができる服作りに情熱をもって取り組む春代さんを、プロの立場からサポートしてきたパタンナーの青木いみ子さん。これまでを振返りながら、ネパリが服作りで目指してきたこと、大事にしてきたこと、変わらない想いをお伝えできたらと思います。


2025年3月17日
対談 :青木いみ子さん×土屋春代
聞き手:高橋百合香(ネパリ・バザーロ代表)

青木いみ子(左)
ネパリ・バザーロ元技術顧問
服の創作作家。アパレル産業の第一線でパタンナーとして活躍した経験を活かし、ネパリの服作りを支える。ネパールの生産者の状況を自ら確認して、現地の技術に見合う工夫をしてきた。

土屋春代(右)
ネパリ・バザーロ創立
中学時代に知ったネパールの子どもたちの厳しい状況と、その20数年後に聞いた状況が殆ど変わっていないことに強い衝撃を受け、教育支援活動を始めた。しかし横たわる深刻な貧困問題に直面し、仕事の機会創出のため1992年ネパリ・バザーロを設立した。

形にならない数年間
高橋 なぜ服を作ろうと思ったのでしょうか。青木さんとの出会いは?
土屋 ネパリを起業しようとした時から服をメインに事業計画を立てました。ターゲットとなる買い手の女性たちは服を好み需要があり、仕事をする女性たちにとっても技術が身につき自立の機会が増えます。織り、染め、刺繍、糸、ボタンなど素材づくりを含め裾野の広い産業で様々な人の仕事につながります。ところがいざネパールへ行くと魅力的な布がない、技術が低いの無い無い尽しで、ネパールで服を作るのは並大抵ではないと知りました。鎌倉の取り引き先の方が心配して青木さんを紹介くださったのが1992年冬です。
青木 ネパールに学校を作ろうとすごく一生懸命やっている人がいるから話を聞いてあげてと電話をもらいました。
土屋 私は夢やビジョンを語り、服をメイン商品にしたいと話しました。青木さんが、気持ちはボランティアだが無報酬ではやらないと最初に言われたのが、私にとってはありがたかったです。無料だとお願いしにくい。力を貸してもらうのに遠慮せずにお願いできないと続けられません。
青木 春代さんには服を作りたいという強い気持ちがあり、私は天然素材が好きで、それが一番惹かれた点。それから春代さんがネパールへ出張するとネパールの素材を持ち帰り、何が作れるかミーティングをしましたが、なかなか思うようなものが出来上がってきません。春代さんの話を聞いても、どうしてできないのか疑問がたくさんありました。
土屋 服にできそうな布を持ち帰っても、次に行くともうその布がない。その繰り返しで、やっと形になったのは、1998年のカタログ第1号掲載の「シルクブラウス」。
青木 インドのタッサーシルクで作りました。
土屋 少しずつ形になり始めたのはカタログに載せて買って頂くことになってから。
青木 春代さんが苦肉の策で、ストライプの柄にブロックプリントで模様を入れて特色を出したのには驚きました。ワンピースを作り、後ろを紐で絞ってサイズ調整できるようにしました。
土屋 本格的な服の展開はマヌシの絞りから。絞り染めのテーブルクロスを見て服にできそうだと思いスカートにしました。

輝いていく女性たち
高橋  青木さんにネパールに行って頂こうと思ったのはどのような思いからでしょうか?
土屋 色の薄いものはできないとか、ファスナーはだめとか、制約が多いネパールの状況を話しても、日本のアパレルを知る青木さんには伝わりませんでした。現地に行ってもらうのが一番と思いお願いしましたが2002年6月は内戦が激化し渡航規制が厳しくなっていました。私が乗っていたタクシーが襲われたこともあります。運転手はあっという間に逃げて、取り残されたところを側の店の女性が手を掴んで引っ張り助けてくれました。そんな時期だから何かあったら大変という怖さがありました。連れていく責任。青木さんに伝えると、あなたは行って帰ってきているから大丈夫と言ってくれました。
青木 行くということは、今までよりもう一歩足を深く入れること。もう辞めるとは言えないという覚悟が必要でした。初めて行って工房を回ると、日本では、あれだめ、これできないと思っていても、皆自信を持って、ほらっと見せてくる。明るいし、素直だし、大らかで意欲がありました。これはできないのではなく、こちらの希望を知らないだけだと思いました。それならパーツごとのサンプルも用意したり、パターンの書き方を工夫したりして、理解してもらうようにこちらが努力する、発注の仕方も工夫する。それには継続的に現地に行って技術指導をしなければと思いました。
土屋 日本からプロがわざわざ来て教えてくれるというのが皆嬉しそうでした。そんな風に真剣に対応されたことがなかったから。自分たちはちゃんと教えてもらったという自信と誇りをもちました。
青木 ワーカーが出勤してくるのを見ると生活が分かって良かったです。仕事中とは違い、皆きれいに着飾っていました。自分たちで収入を得ておしゃれを楽しんでいました。
土屋 行く度に皆きれいになっていましたね。
青木 ただの縫子で終わるのではなく、一人が一枚を全部作れて自立できるようにという方針も大きかったと思います。
土屋 勤められなくなってもミシンひとつあれば仕事ができるということを目指しました。
高橋 私が初めてネパールへ行ったのは、青木さんの4回目の縫製指導の時。1週間ほどの研修で、女性たちの表情がどんどん明るくなっていき、自信をつけているのが分かりました。ここまで変わるのを見られたから、どんな仕事も女性たちに繋がっていると確信できて、私自身も続けられたと思います。


二回の研修で自信をつけて生き生きと働くチャンドリカさん(左写真右)。

日本の縫製研修で意識が変わる
高橋 なぜ日本で縫製研修をすることに?
土屋 ネパールでの指導は限られた時間に何ヶ所も回るので薄くなります。これ以上は日本に呼んでしっかり教えないとダメだと思いました。
青木 ネパールでの指導より時間が長いので、その人の性格も分かります。一人ひとり仕上がりが違って、服の雰囲気も変わります。きちっとなる人もいれば、温かい感じになる人もいて個性が出ます。コットンクラフトのベティさんが作った服をボディに着せると優しさが表れました。
土屋 上手にできるようになって青木さんに褒められた時の皆の嬉しそうな顔。ボディに着せると出来栄えの違いが本人にも分かり目指しているものが伝わります。
青木 私は立体裁断がまだ目新しい時代に勉強させてもらったので、布が下に落ちる、人の体は丸い、という観点でパターンを作っていました。立体裁断は実際に着てみたり目にしないと実感として分かりません。
土屋 ボディがないとだめだと、持ち帰った人もいましたね。
青木 意識が変わったと思います。それが違うだけで出来上がりが違います。
土屋 プロの人が見ても作りが丁寧だと言ってもらえました。
青木 例えば、ネパリは裾の三つ折りを布によってダブルステッチにしています。縫う人のことも大事ですが、お客様も大事。洗濯した後もよれないできれいに着られるようにダブルステッチ。アイロンをかけやすかったり、かけなくても着られたり、それがネパリの縫製の特徴。
土屋 研修ではなぜそうするのか理由をきちんと説明するので納得して仕事ができ、一人ひとりの技術が格段に上がりました。
青木 効率を考えたら倍の時間がかかりますが大事です。それまで彼女たちは出来上がったものをちゃんと見る機会がありませんでした。理由も含めてフィードバックしないと上達しません。
土屋 印象的だったのは、ネパールにいいミシンがあればと悔しそうだったこと。
青木 でも単純な足踏みミシンだから具合が悪くなるとすぐに直せます。日本のミシンはひとつ壊れたら素人には直せません。
高橋 あの頃のネパールは停電が多かった。それでも服を作り続けられたのは足踏みミシンだったから。
青木 縫製前の裁断も大事です。いいかげんに裁断されるときれいに縫えません。「地の目を通して」と何度も言いました。手織り布の地の目を通すのは大変ですが、意識すると仕上がりが全然違います。
土屋 裁断の人も研修に呼びました。
高橋 一人ひとりにとって、研修の思い出は特別なもの。日本に行くなんてまず考えられない生活環境の女性たちが、研修で得た自信、信頼、寝食を共にした経験。それがいい仕事をしようという思いと誇りに繋がっているのを今でも感じます。
土屋 私たちの研修ターゲットは現場の女性たちですが、いきなり招待しても上に反発されます。まず上の人を呼んでから現場のワーカー。また研修中はネパール語を教えてもらうことにしました。縫製は教え、ネパール語は教えてもらう。人と人として付き合うためにも上下を作らないのは良かったです。他にもセミナーで話してもらったり、取引先を回ったり。帰国する頃には皆さん堂々としていましたね。
高橋 お直しや出荷も経験してもらいました。作って終わりではなく、お客様の元へ届くまでの作業を実感してもらえたのは大きかったです。
土屋 マハグティのスミットラさんが忘れがたいです。ネパールでの打ち合わせではいつも険悪でした。文句ばかり言うと嫌われて。日本の研修で、不良品がたまっている現場を見たらすぐに実感して理解してもらえました。かつ面白く、示唆に富んだ例え話とか賢い人で車移動中に彼女と私はよく笑い転げていました。今はデザイナーとしてアメリカにいます。


ボディーに布を当て、ピンで組み立て、美しいラインと着心地を追求して形を作る立体裁断。


(左)向上心の高いチャンドリカさんに細部まで教える青木さん。
(右)コットンクラフトの裁断リーダー・マンジュさん。


自分が作った服の撮影に立ち合い嬉しそうなベティさん。


コットンクラフトの裁断リーダー・マンジュさんと縫製のベテラン・アヌソバさんの日本研修時。

変化した人生
青木 私が一番印象的なのはカンチさん。ネパールでの2回目の縫製指導の時、綺麗なショールをなびかせて、おしゃれなサンダルを履いていました。1回目とは雰囲気が違っていて、それだけで本当にやって良かったと思いました。
土屋 ネパールでは結婚せず女性が生きていくのは考えられません。カンチさんは長く仕事を続け職場でも家庭でも大黒柱になりました。カンチさんが働いて身に付けたのは縫製技術だけではなく、コミュニケーション能力も。医者に対しても委縮せず話せるので家族から病院の付き添いも頼まれます。母親から、あなたが結婚して家を出たら困ると言われたと聞いた時は、カンチさんが少し寂しそうに見えました。でも今は乗り越えて堂々としています。コットンクラフトのベティさんは離婚して自立しました。
高橋 離婚が決まった時皆で拍手しました。そもそも収入がないと離婚できません。
青木 ベティさんも印象深いです。研修中は頷くだけでしたが、仕上がりを見るとすごく優しく温かいものができあがっていました。
土屋 ベティさんは辛い時に泣いているのも見ていますが、「もう我慢はしない」と子どもと生きていくと決めた時には毅然としていました。乗り越えて強くなりました。
青木 ネパールでは40歳は家で大人しくしている歳。日本では年長者がバリバリ仕事をしているのを見てびっくりしていました。マハグティのチャンドリカさんも印象的です。縫製部門を指導する彼女に、始める前に先をイメージしてから取り組むようにと話しました。
高橋 2回の研修で、私たちが何を目指しているかを理解してくれたので、現場では他のスタッフとの橋渡しをしてくれて、今でも仕事がスムーズに進められています。
土屋 延べ27人、日本で研修しましたが帰国後に辞めた人は少なく、職場で職責を果たしてくれました。皆、研修で身に付けた技術や知識は自分にとって役立つだけでなく仲間や家族の生活を向上させると確信していました。

コットンクラフトの軌跡
土屋 コットンクラフトを経営するサラダさんはアイデア豊富で熱心。人気だった「不思議バッグ」は彼女の発案でした。サラダさんの仕事は丁寧で質が高いのでこの人ならと思い、服をやってみませんかとこちらから勧めました。最初は無理だと尻込みしていましたが、日本に呼んで店を見て回り、次第にやる気になってくれました。マネジメントがしっかりしていてとても頼りになりました。しかし、ここまで品質にこだわる必要があるのかと最後まで言っていました。ネパールではそれほど技術がなくても通用するから大丈夫、管理が大変だと。閉鎖する時になってようやく分かってくれました。雇っていた人たちは引く手あまたで仕事先探しに苦労しないどころか、技術の高さが評判で最初からマネジャーとして採用され、待遇も良くなりました。
青木 サラダさんも閉鎖にあたって皆が路頭に迷っては困ります。
土屋 技術が高かったから周囲から評価され、セービングファンド(注)で退職金も渡せて感謝されました。
青木 私たちのやってきたことが、はっきりした形で実を結びました。


コットンクラフトでのミーティングはいつも真剣勝負です。

人と共に生きる服
青木 春代さんは転んでもただでは起きない。いくら何でもこれは無理だろうと思っても、例えば紙布もそうですが、諦めないで形にして実現していて凄いと思います。
土屋 努力が報われる成功体験を積み上げたからできると思えます。でもひとりではできません。皆の支えがあったから。
青木 それを見守っている完二さんも凄い。
高橋 春代さんが諦めなかったのはネパールの女性たちが原点にあるからでしょうか?
土屋 自分が一生賭けてやりたいことに巡り合ってしまったから。
青木 ネパリとの40~60代、特に50代はネパールの方たちと直接たくさん関わりました。自分で言うのも何ですがよく頑張ったと思います。普通では体験できないことを体験させてもらえました。
土屋 青木さん抜きには考えられません。感謝しています。
高橋 そうして生まれた服が沢山あって、お客様に愛用して頂いています。お会いしたことがなくても、着て下さる方が心に浮かびます。癒されたり、そっと背中を押してもらえたり、人と共に生きる服だと思います。
青木 私は天然素材が好きから始まり、それまでに努力したり、苦い思いをしたりしながら身につけた技術、知識を誰かに伝えなくてもいいのかしらという気持ちもありました。それをネパールの方たちを通じて少しでも伝えられ、天然素材のさりげなくおしゃれでシンプルな服作りが実現でき、何十年経っても愛用して下さっているのは本当に嬉しいです。やってきて良かったと思います。
高橋 ネパールも日本も状況が変わり以前のようにたくさん作ることはできませんが、多くの人の想いがこもった一型一型を大事にして、生産者に必要とされる限り、細々とでも作り続けていきたいと思っています。
土屋 ネパールの女性の人生を変える服。それが日本の方の人生に寄り添う服となり、繋がっています。お金儲けのための服、消費される服ではない。そこが嬉しい。

(注)セービングファンド:将来に向けて積み立てる資金。生産者団体とワーカーが同額、ネパリ(NPO法人ベルダレルネーヨ)が両者を足した額を毎月積み立てました。

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カンチ・プタワールさん

文・高橋百合香

緊張感が漂う日本での縫製指導の最中、微かな鼻歌が聞こえてきたことがあります。最初は空耳かな、と思っていたのですが、間違いなく聞こえてくるのです。鼻歌の主は、リズムに乗って気持ち良さそうにミシンをかけるカンチさんでした。楽しそうに服を仕上げています。思わず春代さんや青木さんと顔を合わせ、私たちの緊張も少しほぐれたのを覚えています。服作りが心から好きなんだなぁ、そんなカンチさんが作った服はさらに心地良いだろうな、と思いました。

カンチさんは、ハルチョーク村から2時間ほどかけてマヌシに通っています。貧しく因習的な村で男性は働かず、女性たちは子育てをしながら石切り場の粉砕作業などで細々と収入を得て暮らしていました。30年ほど前、女性たちが収入を得て自立できるようにとNGOマヌシが技術指導に通いました。当時14歳くらいで学校を辞めて家を手伝っていたカンチさんは、マヌシから縫製と編み物を習い、その後マヌシで働き始めました。

20歳の頃に父親を事故で亡くしたカンチさんは、一家の大黒柱として母や兄妹を支えてきました。マヌシに通って収入を得て、給料を貯めて買ったミシンを自宅に置き、夜は持ち帰った仕事に精を出します。ぐんぐん上達し、縫製リーダーとして現場を任され、日本での技術研修の機会も得ました。ネパールを訪ねる度に、カンチさんが仕事に喜びを感じ、いきいきとしている様子が伝わってきました。

2024年末にお会いした時、「カンチさんの夢は?」と訊ねると、「自分のお店を出したいです。自宅の近くに。裁断してくれる人を探さないと!」と嬉しそうなカンチさん。女性が自立して、新しいことに挑戦するなど考えられなかった時代から、着実に変化していることを感じました。私もチャレンジして生きて行こう!と力をもらいました。


親戚からも頼りにされているカンチさん。


日本研修時のセミナーで堂々とスピーチ。


ミシンをかけながら夢を語るカンチさん。マヌシから届く「風のラップパンツ」はロングセラーです。

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お客様のお声

お出掛けの時はネパリさんの服です。「保多織ダブルスカート」の軽やかさが気に入っていて、気分もワクワクします。落ち込むことも色々あるけれど、ネパリさんの服にいやされて「初めの1歩」を出すことが出来ています!コロナ中、お出掛けはあまり出来ませんが、必要な時はネパリさんの服に「大丈夫」をたくさんもらって行ってきます。(北海道 Y・Y様)

商品を決めるまでに、あれこれ悩む時間も私にとっては楽しい時で、ネパリのスタッフの方々に一緒になって考えてもらえることは本当に嬉しく頼りにしています。一年半ほど、ネパリのお洋服に袖が通せなかった分、いま取り戻して心を充たしています(笑)障がいと病気の両方を持つ子供を育てていると、時に自分に負けてしまうこともあります。そんな時ネパリの服をあれこれコーディネートしながらリセットして又一歩踏み出します。皆さんの後記を拝読し、あたたかい心がこちらにもしみてきてホッとさせてもらっています。(岐阜県 A・A様)

以前お客様の声で退院時に着るための服を注文しているという旨の話が掲載されていましたが、人生を前向きに考える人がいるのだなぁと、嬉しくなりました。私も真似させていただき通院時、入退院時にネパリの服を着用しています。新しい服は気持ちを明るくします。只今、次の入院に向けて準備中です。(大阪府 M・T様)

いつも不思議なのですが、ネパリさんの服はカタログのモデルさんとは程遠い私の身長でもそれなりに合ってくれ、そして着れば着るほど更に自分に馴染んでくれます。(東京都 M.K様)

コットンクラフトさんの創る服は不思議なエネルギーを与えてくれる、私にとって魔法の服!?なのです!!!カタログを見ているだけで「何て素敵な服!!」とワクワク感。身に着けるだけで元気が湧いてきて外出も楽しくできました。初めて見た時、とてもおどろきました。高い技術力、さらに丁寧な手仕事、まるでオーダーメイド!なのに庶民でもちょっと背伸びすれば買えるお値段!?二度と出会えないかもと爆買い!!やっぱり買っててよかったです!(神奈川県 Y・E様)

スタッフの方が書かれていた「弱い立場の他者のための企画開発販売」のくだりで、私が購入していることがそういう心の豊かな物に通じていれば嬉しいと思いました。ファッションが自己表現なら、ネパリの服を身につけていることが、はじめて出会う人たちへのメッセージになるのかもしれません。着ていると心も体も快適になるので、これからも愛用していきます。(兵庫県 M・I様)