ネパールコーヒー物語その4 tsuna29 2023a
シリンゲ村での、コーヒー収穫後の工程をご覧ください!
収穫したコーヒーチェリーを「パルパー」という機械に入れて、赤い果肉を取り除きます。
その後、水で洗って、発酵、乾燥させ、「ディキ」という道具で薄皮をむきます。
地域開発 人が人らしく生きるために
有機証明取得とネパール大地震
文・ネパリ・バザーロ副会長 丑久保完二
2009年2月の訪問時。村人たちの歓迎から、期待の高さが伝わってきます。村人たちの将来のために頑張らなければと気合が入り、この訪問の1年半後に、国際有機証明を取得することができました!(中央・丑久保完二)
シリンゲコーヒーの有機証明取得
村人の希望に沿って、国際有機証明取得に向けた体制作りが始まりました。当時、電気がようやく日に数時間通じるか否かという状態だった村では、提出資料の作成(デジタル化)、認証機関との交渉は難しく、都市部にその機能を設ける必要がありました。そこで、全体をまとめる機能とオーストラリアの国際有機認証機関(NASAA)との交渉連絡をネパリが担い、村との連絡が常にスムーズに行われるように、カトマンズの輸出運送会社リチューアルフライトに担当を置き、ネパール語と英語の翻訳も行いました。その国際的協働作業の甲斐あり、2010年9月、ついに認証を取得しました。
印象に残っているのは、村のバドリさんやリチューアルのスタッフが有機JAS講習会をカトマンズで受けたとか、非常に多くの申請書類を作成提出したとか、電気のこない村ではコーヒーの皮むきもディキという木製の足で踏む道具を使っていて認証機関の検査官が驚いていたとか、NASAAに日本人女性の連絡係員(それも、ネパリの当時代表、土屋春代と同姓同名!)がいると知った時には、日本人が国際的に活躍していることに嬉しさも覚えたことがありました。
年1回の外部による書類とフィールド実地監査
当時の国際有機認証機関は、オーストラリアのNASAAという機関でした。認証が世界一厳しいとも言われていました。認証の仕方は、実施機関により様々です。書類監査や、任命されている現地の内部監査官へのヒアリングは必須ですが、栽培の現場まで足を運ぶ所は限られています。NASAAは、毎回現場まで足を運びます。シリンゲ村へは、カトマンズから山を3つ越える大変な行程です。グルミでのコーヒーの実地監査の時には、オーストラリアから来ていた検査官は、1996年2月に始まった内戦により、命の危険を感じて来なくなりました。そのためNASAAは、代わりにネパールの農業専門家に依頼するようになりました。彼らはネパールでは主流派を意味し、シリンゲの有機証明取得を快く思わない人々です。依頼された仕事に関することは、忠実に実施されていましたが、何かにつけてあら探しをし、村人の分断を試みました。監査が実施される時は、窓口を務めるネパリとしては全てを把握しておく必要があるので、私も毎回現地に飛び、同行しました。体調を崩し、風邪気味で鼻をすすりながらの同行など厳しい時もありました。全体としては、村人には刺激もあり、良い効果が生まれたと思います。後に、ネパール大地震が村を襲うことになります。その時は、監査に合わせて、NHK報道の現地特派員を連れてネパールへと行くことにもなりました。その後、検査官がインド人に代わり、インドの認証機関から派遣されることになりました。
2015年3月、インドからジャイさんという検査官が来るというので、私も、それに合わせて日本を発ちました。タイのバンコックに到着すると、ネパールのトリブバン国際空港では、トルコ機が着陸失敗して滑走路を外れ、空港が閉鎖されるという事件が発生。ジャイさんはインドからバスでネパールに入り監査は実施されましたが、私は、4日間、タイの空港で待機の末、日本に戻らざるを得ませんでした。(ジャイさんとはその後のやり取りでお互いの信頼関係が生まれ、沖縄カカオプロジェクトでインドからのカカオ輸入につながりました!)
ネパール大地震の発生
私たちはその頃、東日本大震災の救援でほぼ毎週末、東北各地を回るという日々を続けていました。ネパールのトリブバン空港に着陸失敗した事故から1ヶ月後、今度はネパールでも大地震が発生しました。震源が首都カトマンズ近郊だったため、被害も甚大でした。私たちは、福島で避難生活をしている人々を温泉に招待するため、車で横浜から温泉地に向かっている途中の出来事でした。ネパール大地震の情報がメールで入り、生産者への安否確認が車内で始まりました。2015年4月25日の出来事です。そして、5月12日にも大きな余震が発生しました。現地から避難キャンプの様子、街の様子などの情報が送られて来ました。シリンゲ村も、建物が脆弱であったこともあり、ほとんどの建物が損壊し、大きな被害を受けてしまいました。私たちは、1回目の地震直後の5月5日に、そしてその後も6月、9月にネパール各地の生産者や支援先、紹介された避難キャンプを回り、公的支援の動きや村人のニーズを見極めながら、多くの方々からお預かりした支援金をできるだけ有効に活かせるように、さらに遠隔地の緊急支援を優先するよう支援を実施しました。シリンゲ村の再興には、地震で壊れてしまった水道のパイプの復旧に早い段階で取り組みました。村の女性たちから予想以上に感謝され、その後も、シリンゲ村に私が訪問すると、遠方から何時間もかけて徒歩で会いに来て、感謝の意を示してくれたほどでした。
ネパール大地震で、内部監査官ユブラジ君の自宅は全壊しました。
パイプを支援しました。パイプは村人たちが運び、設置しました!
大地震による水道パイプの損傷は、命に直結する大問題です。パイプの復旧支援による水の再開にお礼が言いたいと、村の奥地から1時間近く山道を歩き、会いに来られました。女性たちも一緒に来られました。家事などの重労働がたくさんあるにも拘わらず、わざわざ来られるのは余程のことです。感謝の気持ちが伝わってきました。
NASAAの検査官によるヒアリングの様子。
左:収穫したコーヒーチェリーを「パルパー」という機械に入れて、赤い果肉を取り除きます。
右:薄皮をむくのに使われていた「ディキ」という道具。国際有機認証で求められるレベルと、電気が来ないコーヒー産地の村での実態には大きな開きがあります。これだけの差がありながら、有機証明の取得にいたったことは快挙です。
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