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シナモンとターメリックの生産者を訪ねて tsuna36 2025sm

地域開発 人が人らしく生きるために

未来への希望と挑戦 vol.2

ネパールの奥地の村からシナモンが届きました!

厳しいヒマラヤの冬を乗り越え木々が一斉に芽吹く3月。
大地に広げた根が地中から水を吸い上げ樹液が幹の中を上がっていきます。
マランタナ村では、シナモンの収穫が始まります。

お湯を注ぐだけで、優雅で上品な甘みのシナモンティーに。
大自然を感じる一片の木の皮の魅惑的な甘い香りに心安らぐことでしょう。
美味しく体も整うシナモンはヒマラヤの大自然からの贈り物。

私たちの手元に届くまでの物語に想いを馳せて、味わってみてください。

シナモンはこちらからご覧頂けます。

シナモンティー
シナモンホール一片に、沸騰したお湯(約500ml)を注いで8分程蒸らします。ほのかな甘味があって飲みやすく、子どもにも人気の美味しさです。ホットはもちろん、常温に冷まして夏の水分補給にもおすすめ。お好みで二煎目もお愉しみください。
シナモンは、胃腸を整え、血行を活性化し体を内側からじんわり温めてくれるといわれています。抗酸化作用があるポリフェノールも含まれています。体をあたため免疫力をアップして、健やかにお過ごし頂けますように!

シナモン&フルーツのラム・アランジェ
イエラム(P27参照)にシナモンホールを1~2片浸します。3日程たって色付いてきた頃にお好みのフルーツを入れます。2週間ほどしたら飲み頃に。イエラムとシナモン、フルーツの味と香りはベストマッチ。

シナモン&はちみつトースト
シナモンとはちみつは相性抜群!さらにバナナとチーズを加えてトーストに。シナモンは甘味を引き立てるので、甘味があるものに加えると風味が増します。

シナモンとターメリックの生産者を訪ねて

文・高橋百合香

西ネパール・ピュータンへ
2024年12月30日から2025年1月1日まで、丑久保完二さん、蓑田萌さんと共にシナモンとターメリックの生産者に会いに西ネパールのピュータンを訪問しました。ネパールは西に行くほど貧困度が高まります。ピュータンは、1996年から10年間のネパール内戦時代、反政府勢力の拠点だったロルパと隣接しています。日々の生活は厳しく、多くの人々が内戦に巻き込まれ亡くなりました。2006年に包括的和平合意がなされてから約18年、現状を見たいと緊張しながら西に向かいました。

早朝のカトマンズ空港で、シリンゲ村出身の青年ラジクマールさん(31歳)と合流。今回のキーパーソンです。心なしか緊張しているようでした。西ネパールの都市バイラワへのフライトは約1時間遅れ。この時期は霧が出やすいためもっと遅くなることも想定していたので、上出来のスタートです。

30分でバイラワ空港に到着、そこからジープでピュータンの中心地ビジュアを目指します。完二さんが初めてバイラワに来たのは約30年前。コーヒーは売れないと諦めた農民たちがコーヒーの木を切り倒そうとしていることを知り、グルミとアルガカンチを訪ねました。カトマンズからの移動は、窓ガラスが割れて寒い夜行バス。当時はネパール語も不自由で英語も通じず、電話もありません。グルミから来た案内役の村人と離れてしまったら途方に暮れてしまうので、用を足す時もぴったりくっついていたという話を何回も聞きました(笑)。2回目はカトマンズから車で行きましたが、反政府勢力の活動地域に近いため運転手は怖がっていたそうです。それから内戦中も通い続けて信頼関係を築き、コーヒーではネパール初の有機証明取得を全面的に支援し、買い支えてきました。現在はネパール政府もコーヒーに力を入れるようになり、産業として育ちつつあることに時代の変化を感じます。

ひたすら車に揺られること6~7時間。道中、幹線道路にも拘わらず薪や家の資材となる木材を抱えて運ぶ女性たちが途切れることなく歩いているのを目にしました。気持ちが張りつめてきました。ようやくビジュワに着いた頃は日が沈んでいました。ラジクマールさんを通してスパイス生産者につないでくれた現地NGOカリカ開発センターの方々が待っていて下さり早速打ち合わせ。カリカは人々の収入向上による生活改善を目指し、40年程前から様々な活動をしてきました。現在は少女の人身売買や児童婚を防ぐため、女性たちの意欲を引き出し自立を促すことに力をいれていて、その柱を、有機農業による収入向上と教育支援と位置づけ活動しています。

内戦で両親を亡くした子どもたちの養護施設も支援してきたそうです。代表のサナシュレスタさん(40歳)が、「内戦時代は激しい戦闘が始まると学校にも行けず、家にずっと隠れていてとても怖かった」と話して下さいました。それにこたえてラジクマールさんが「そうそう、戦闘が始まると、バンッ、バンッ、と地が鳴るような音が聞こえて恐怖だった」と。貧困、暴力、分断…その中を生き抜いてきた二人の会話に相槌さえも打てませんでした。「内戦が終わった今は平和です。希望ある未来のために活動しています」というサナシュレスタさんの言葉には重みがありました。

シナモンのマランタナ村へ
翌日早朝、いよいよシナモンが自生しているマランタナ村に向けて出発。カリカのスタッフで、植物療法の専門家でもあるレサンさんが案内してくださいました。ビジュワから車で1時間ほど奥地に入ったところに、見渡す限りシナモンの森が広がっていました!この地域は何世代も前からシナモンで生計を立ててきたそうです。シナモンを馬の背に載せて、バイラワまで4、5日かけて運び、塩と交換して村に持ち帰ったといいます。馬がない人は担いで歩きます。キャラバンを組み、美しくもあまりに過酷なヒマラヤ山脈を命がけで越え、塩を運び麦と交換する、ヒマラヤの塩の道を思いました。海がないネパールで塩がいかに貴重だったか、そしてシナモンがどれほど有用な植物で、この地で暮らす人々の生きる糧になっていたかを物語っています。

シナモンの生産者グループは10軒ほど。中心的存在のビシュヌさんにシナモンの森を案内してもらい、伝統的な収穫方法を見せてもらいました。シナモンの木の外側の樹皮をナイフで削り、内側の樹皮を薄く剥いて乾燥させます。現在は木を切り広い場所に運んで作業しています。適度な収穫は森の再生につながっています。

ビシュヌさんは35歳。14歳の時に結婚し15歳で出産しました。夫のチャッバルさんは44歳。15歳の時にインドに出稼ぎに。10年働き結婚。その後サウジアラビアで9年、カタールで2年働き、数年前にネパールに戻ってきました。「また外国に行かれるのですか?」と聞くと、「もう行かない、行きたくない」と。一人娘は今20歳。近くの町に下宿させ学校に通っています。自立するまであと数年の辛抱です。シナモンが次世代への希望につながることを願ってやみません。


伝統的な収穫方法。樹皮を丁寧に剥いでいきます。


貴重な森の恵みを頂いて、この地の人々は生かされてきました。


自生しているシナモンの木と。木の再生につながるように見極めながら収穫していきます。


左から丑久保、高橋、ビシュヌさん、チャッバルさん、ラジクマールさん、レサンさん。

ターメリックのセルシニ村へ
次はターメリックのセルシニ村へ。ヒマラヤ山脈を臨みながら、山を削って作られた細いガタガタ道を車に激しく揺られ、さらに奥地に2時間近く。天空の村のようでした。あまりにのどかで美しい景色に、厳しい大自然と共に生きる過酷さへの想像力が鈍ります。この村からも多くの若者が外国に出稼ぎに行っているそうです。しかも日本で5人も働いていると聞いて驚きました。渡航費用等を借金してでも、家族と離れて行かざるを得なかったのでしょう…。村に仕事があればと悔やまれます。

カリカはセルシニ村の女性たちの収入向上を目指し、4年程前からターメリックの有機栽培を進めてきました。生産しているのは27人の女性たち。うち11人が私たちに会いに集まって下さっていました。「農薬や化学肥料を使わない有機農業にこだわっているのは、皆さんの健康が何より大事だからです。そして豊かな大地のため。有機農業には未来があります」と力説するラジクマールさんの話を、瞳に強い意志を感じるリタさん(32歳)は一語一句聞き洩らさないように真剣に聞いていました。ターメリックは胃腸を整えてくれるので、私は御守りのように持ち歩いているのですが、そのターメリックが彼女たちの健康も守り、自立に繋がる希望にもなっている様子を目の当たりにし、身が引き締きしまる思いでした。ターメリックが入った「ネパール・カレー」の美味しさを一人でも多くの方に伝えられるように、もっと工夫し力を尽くしていかなければと思いました。


セルシニ村の美しい風景。


収穫したターメリックは新鮮なうちに薄く切り、乾燥させます。


ラジクマールさんの話を真剣に聞く女性たち。


セルシニ村のリタさん(中央)。女性たちが望む人生を生きられるよう応援したいと思います。

元奨学生ラジクマールさんの情熱と挑戦
次に向かったのはこの地域の自治体の役所。実は、今回の訪問の重要ミッションの一つです。

キーパーソンとお伝えしたラジクマールさんは、シリンゲ村の出身です。2009年に完二さんが初めてシリンゲ村を訪問した時に出会いました。当時14歳。以来、村に通う完二さんを待ち構え、有機認証取得の過程や村人たちとの交渉を間近で見て学んできました。農業に対して並々ならぬ情熱があり、私たちは奨学金支援を決断しました。ラジクマールさんは優秀な成績でチトワンにある農業高等専門学校を卒業。

卒業後は農業学校で教えながら、農業で生きていく道を模索していました。シリンゲ村の実家はコーヒー農家。ラジクマールさんはシリンゲ協同組合の代表を引き継ぎましたが、父親は、自分が元気なうちは外で稼いで来いと言い放ちます。将来への不安や葛藤も抱えながら、「やると決めたことは手を抜かずに精一杯やります」という言葉通り、教師の仕事に真摯に向き合い、生徒からとても慕われていました。休日を利用してスパイス調査に取り組む中で、高専時代の教師や旧友のネットワークからカリカと出会い、何度も現地を訪ねて信頼関係を築き、私たちに繋げてくれたのです。ネパールでは、農薬や化学肥料の過剰使用によって住民に健康被害が出たり、土地が痩せたりするなどの問題が出ているにも拘わらず、使用を推進する動きがあります。ラジクマールさんは伝統的な自然にそった農業が大事という信念を貫いてきたからこそ、カリカが目指す道、必要としていた人材にぴたっとはまり奇跡的な出会いとなりました。

さらにラジクマールさんが目指しているのは、シナモンとターメリックでピュータン初の有機認証を取得すること。成功したらマーケットが拓け、地域の活性化や人々の自立に繋がるから自分にやらせてほしいと、何度もピュータンの自治体の代表にプレゼンをしてきていたのです。

この日はそのラストチャンス。皆で役所に行きました。地方政府の長はじめ、役職の方々が集まる中、ラジクマールさんが口火を切り、いかに有機が大切か、この地に可能性があるかということを訴えていました。そして、人には任せず自分が全部責任を持って全うするからやらせてほしいと力説。私たちは堂々とした話しぶりに圧倒されつつ、どうなることかとハラハラしていたらあっという間に和やかなお茶タイムに。皆さん甘いチヤをすすり出しました。どうやらOKが出たようです。3年間の予算獲得成功です!ラジクマールさんはようやく緊張が解け、ほっとした表情をしていました。しかしここからがスタート。大役を自ら引き受け、さらに大きなプレッシャーの中での日々が始まることでしょう。

希望ある未来に向けて
会議の最後に、ラジクマールさんが完二さんを皆に紹介しました。「自分に有機の大切さ、知識を教えてくれたのは完二さんです。僕は彼から全てを学びました」と。完二さんは「30年前のグルミとアルガカンチでの挑戦の波が、時空を超えてピュータンにも届き、次世代の若者たちによって新たな挑戦が始まることを嬉しく思います」とエールを送りました。

その日の夜はホテルに戻り乾杯をしました。完二さんの得意のジョークがいつにも増して冴えていて、楽しい夕食の時間でした。ラジクマールさんが照れながら、完二さんに感謝と労わりの気持ちを込めてマッサージ。最後のプレゼンを完二さんの前ですることができて、どれほど誇らしかったことでしょう。私たちにとっても最高のプレゼントでした!この日はよく眠れたようで、翌朝ラジクマールさんは寝坊をして出発が遅れるというオチつきでした。

帰路、茶屋に寄ってはちみつがたっぷり入ったチヤを飲みながら「ピュータンに初めて来た時、知り合いは一人もいなかった。今は皆、家族みたいに迎えてくれる。完二さんやネパリの仲間を紹介できてほっとした」とラジクマールさんが言われました。私たちにはずっと以前からの知り合いのように見えました。彼の情熱と純粋で優しい人柄に、皆さん心を許しているようでした。そしてふと、兄姉の話をしてくれました。実は自分は4人目の子どもだった、と。母親は17歳で初めて出産。最初の子どもは男の子で1か月、次は女の子で23日、次も女の子で2週間で亡くなったそうです。陸の孤島といわれるシリンゲ村で、大変な苦労をして生きてきた母親を見て育ったのでしょう。なぜここまで有機への情熱が揺らがないのだろうと思っていましたが、垣間見る思いがしました。「有機農業を通して皆さんが自立できるよう、精一杯サポートします!」とセルシニ村の女性たちに誓っていた姿を思い出しました。

帰国後数か月たちました。ラジクマールさんは完二さんにアドバイスをもらいながら書類の準備をしたり、検査官との交渉をしたりしています。近々ピュータンを再訪するそうです。ワクワクした高揚感が伝わってきています。

人が人らしく生きられる未来のための希望に満ちた挑戦が、遠いネパールの小さな村で始まります。スパイスやコーヒーを味わいながら、これからも共に応援して頂けますと嬉しく思います!


プレゼンの場で熱く語るラジクマールさん。


プレゼン終了後、村の役人、カリカのスタッフの方々と。

シナモンはこちらからご覧頂けます。