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さとうきびから生まれたスピリッツ tsuna32 2024sm

沖縄・伊江島とラム酒と阿波根昌鴻さん(後半)

非暴力で闘った阿波根昌鴻さんの想いを受け継ぐ

文・土屋春代

沖縄のガンジーとたたえられる阿波根昌鴻さん(1901年3月3日-2002年3月21日)の存在を1990年代末に知ってから伊江島は私にとって沖縄の象徴的な場所となり、阿波根さんにお会いしたい、行きたいという思いを募らせました。しかし、ネパリ・バザーロを1992年に起ち上げて、まだ事業は軌道に乗らず悪戦苦闘している時期で、数日といえども仕事を離れて伊江島に行くことはできませんでした。初めて伊江島に行ったのは2017年。沖縄カカオプロジェクトを開始し沖縄と本格的に関わるようになった年でした。

阿波根さんの闘いの原点
あらゆる地獄を詰め込んだようなと形容される凄惨な沖縄戦。その激戦地の中でも特に沖縄戦の縮図と言われた小さな島が伊江島です。3人に1人が亡くなりました。伊江島のヌチドゥタカラの家(命こそ宝の家)は阿波根さんがつくられた反戦平和資料館です。戦後の銃剣とブルドーザーと言われた容赦ない暴力による強制収用で農地を奪われる中、生きるために必死で作物をつくろうとして米軍に射殺された島民、生活のために不発弾を分解し部品を販売しようとして爆死した一家の主、土地返還闘争の様子など、阿波根さんが当時はとても高価で、入手も困難だったカメラを買ってうつした写真の数々、降り注いだ弾丸の薬莢の山、その頃の暮らしが分かる生活雑貨や衣類がむき出しで展示されています。戦争の地獄は戦時中だけでなく、戦後も続き、沖縄では現在も続いていることが強く伝わってきます。
館長の謝花悦子さんは阿波根さんと50年以上ともに活動され、誰よりも阿波根さんを知り、その遺志を継がれ、絶え間なく訪れる来館者に阿波根さんの言葉と想いを伝えておられます。謝花さんは「阿波根はガンジーとは違う。農民なんだ」と強調されます。
阿波根さんは人が生きるのに必要な食物を生み出す大地を守り、食料をつくる農業は尊い仕事であるのにもかかわらず農民は大切にされていないと考え、農民がもっと学んで誇りをもって生きることができるように農業や暮らしに必要な学問を無料で学べるデンマーク式農民学校を創ろうと目指されました。長年にわたって伊江島の北西の土地を地主を探しては交渉し手に入れ、ついに4万坪に。その土地は北風が強くて草木も生えぬと言われた土地でしたが、コツコツと通い続けて様々な草や木を植えては土地に合った草木をみつけ増やし、根気強く耕し続けました。防風林もでき広大な土地はついに森林になり、農場や建物もでき学校の準備がほぼ整った時、沖縄が捨石とされた戦場になってしまいました。一緒に学校を運営することになっていた一人息子の昌健さんは戦死。土地は丸裸になり、戦後、強制収用され米軍基地となってしまいました。
やっと生き延びた人々を飢えさせてはならないと必死に抵抗を続けた阿波根さん。非暴力を貫いた闘争で徐々に土地の返還を勝ち取り、島の3分の2も接収されていた土地を3分の1まで縮小させました。基地があるから攻撃を受ける。生きとし生けるものの大事な大地で人殺しの訓練をし、自国の人々の命を失わせ、他国の人々の命を奪ってはならない。
阿波根さんの教えが受け継がれているヌチドゥタカラの家に通い、阿波根さんの言葉に囲まれ、当時のままのような環境の中で過ごす時、心の中で阿波根さんと対話します。そして、平和な社会を守るためにもっとできることがあるはずとの思いを新たにします。

持続可能な農業の可能性を感じて
島民が夢見た島の原料で島で造る島酒イエラムサンタマリアは島の基幹農産物であるさとうきび作を守りつつ、伊江島を世界に向けて発信していくことも夢ではない重要な製品になろうとしています。
阿波根さんは農民であり続け、命を生み育む土を大事にされました。今、日本の農業は危機に瀕しています。カロリーベースで自給率37%。しかも、もっと下がると予測されています。自給できている米さえも農業者の高齢化と継承者の少ないことから今後は賄えなくなります。基地が集中し軍事要塞化している沖縄だけでなく、全国が軍事基地化しつつあり、軍事予算が倍増しています。でも、どれほど基地を増やしても、ミサイルや戦闘機を配備しても、食料の輸入ができなくなった時、自国で必要とする食料を自国で生産できなければ国民は餓死してしまいます。食料の安全保障の対策がとられず軍事の安全保障ばかりを重視しているこの国は破滅から免れることができるのでしょうか。
若者が就農、就業したくなる環境がつくられ、農家の努力が報われる価格がつけられ、付加価値の高い加工品ができたら。様々な農産物や加工品で各地のテロワールを競い合うようになればと、持続可能な農業の可能性を感じました。

阿波根さんの写真展が本土で初めて開催されました
カメラを手にした阿波根さんは米軍の横暴を言葉で訴えるだけでは伝わらない、嘘や誤魔化しでなかったことにされてしまう、物的証拠となる写真が必要と考え、当時、珍しかった写真機を買い、様々な写真を撮影されました。その貴重な写真の大量のネガが最新技術でデジタル化され、350枚のプリントが2024年2月23日から5月6日まで埼玉県東松山市の原爆の図・丸木美術館で展示されました。
阿波根さんはどんな些細なことでも記録され、膨大な写真や資料を残されました。それは時を超えて私たちにありのままの真実を伝え続けます。目を見開きしっかり見なさい、耳をすましてよく聴きなさい、生有る限り知ること学ぶことが大事、阿波根さんの教えが心に響きます。写真展が各地で開かれることを熱望します。

写真集「天国へのパスポート ~ある日の阿波根昌鴻さん~」より
著・撮影/張ヶ谷弘司 (写真集お問い合わせ先:わびあいの里 TEL 0980-49-3047)


©一般財団法人わびあいの里
展示された未公開写真の中からわびあいの里の許可を得て4枚掲載。反対闘争の写真と日常の生活の写真、人々のポートレイトが同時に展示されていて、農地を取り上げられ、食べるに事欠き餓死者が出るほど困窮していた当時、激しい抵抗運動をしつつも生き抜こうとする人々の様子がいきいきと伝わります。


©一般財団法人わびあいの里


©一般財団法人わびあいの里


©一般財団法人わびあいの里


「ヌチドゥタカラの家」と「やすらぎの家」は阿波根昌鴻さんと謝花悦子さん、おおぜいのボランティアの人々の長年の努力によって築かれ守られてきた学びの場。平和への想いと祈りに満ち、訪れた人々の気づきを助けます。

4月20日(土)、写真展開催中の丸木美術館でトークイベントが開催されました。

●トークイベント
「人間の住んでいる島」
●出演
比嘉豊光さん(写真家)
玉城睦子さん(伊江村立西小学校元教頭)
小原真史さん(丸木美術館・阿波根昌鴻さん写真展
キュレーター、東京工芸大学准教授)

美術館によると参加者は300名を超え大盛況。最初、ゆったり並べられていた椅子では足りなくなり、椅子を追加して隙間なく並べてもなお足りず、床に直接座り込む人々。主催者は会場の扉を開け放ち、会場外からも視聴できるようにするなど対応に追われていました。
沖縄のガンジーと言われる、非暴力不服従の反戦平和運動を貫かれた阿波根昌鴻さん。ウクライナ、パレスチナなど戦火が広がる現在、阿波根さんの信念「みんなが反対すれば戦争はやめさせられる」というシンプルで力強い言葉が重く響きます。

この日のために謝花悦子さんが伊江島からわざわざ来られました。1枚1枚、写真を懐かしそうに見入りながら説明される謝花さんの周りには人垣ができ、ひと言も聞き漏らすまいと熱心に耳を傾けていました。


謝花悦子さん(前列中央)


写真を見ながら説明する謝花さん。

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