きのうの行方 verda45 2015s
第1回 植物の時間割
題字・絵・文 瀬戸山玄
「植物系の人々」と会う機会が多い。
去年は紅茶づくり名人村松さんを静岡に毎月訪ね、茶畑の裏話をおりおり聞いた。「ほら、見えるでしょう?あの大きな穴。他の畑は全然荒らされないのにうちの畑だけ必ず、イノシシが夜やってきて好物のミミズを漁るんですよ」と半ばあきらめ顏で70代の彼が笑う。無農薬で20年作り続けてきたので土の中に微生物がいっぱい棲みつき、鼻の利くイノシシが真っ先に餌の匂いに勘づくのだ。それでも怒らず毎年とびきり上等な紅茶を秋までに200㎏近くこしらえる。いつも気前よく、それを帰り際にお土産に持たせてくれるので、お返しを考えるのが習慣になった。
時たま通う鹿児島では10月、芋焼酎に仕込む黄金千貫の収穫に運よく立ち会えた。「西に面した畑と東の畑じゃ芋ん味もちっとばかし違っちょっとよ。ほら試してみんさい」。ハーベスターを畑で妻と動かす日焼け顏の下池さんが、皮も中身も白い黄金千貫を二つに割って私に勧める。かじりつくと生でも十分甘く、すりおろしてサツマアゲの材料に混ぜて油で揚げるとえらく美味しい逸品になると解説した末、「少し持って帰りゃんせ」と一抱えも渡される。素直に嬉しいけれど、貰いっぱなしはやはり心苦しい。
念願かなった島民300人足らずの伊豆利島行きでは、9年前に帰島した小林さん夫婦が椿山を案内してくれた。親が50年間ほったらかした広い椿林が気がかりで早期退職。二人でUターンしてから見事5年で林を整えた。「ちゃんと手入れをすれば椿油が毎秋、一斗缶で60本くらい採れるんですよ」と相好を崩す。江戸期に整えられた島中の椿林が、蛾の幼虫ドビンワリの食害に見舞われたのに、まるで動じる気配がない。
お三方のゆるやかな姿と鷹揚さを思い浮かべるたび、自然界の流れに逆らわない生き方を羨ましく思う。手間ヒマかけて植物に命を吹きこみ、少々の異変にも慌てない余白の多い暮らしがまだ各地に残っているのだ。
土を介して他の命とつながり、そこから糧を得る生活には、効率性で割りきれない別次元のモノサシがある。それは見返りを求めてしまう人同士の愛情とも少し違うし、植物が「ありがとう」と言葉を返すわけでもない。でも「見守り続ける」間柄には、なにか共通する心地よい気配が漂う。よくよく考えてみると、種蒔きと収穫が一本の線で結ばれた植物の時間割には、そこに関わる人の欲深い思惑をゼロに必ず戻して心持ちを整えるスイッチが備わっている。
初めて私がそれに気がついたのは、人生に少し行き詰まりを感じて住まいを売り払い、川崎から世田谷に越して近所の有機農家を手伝いだす14年前のことだ。本業もそっちのけに朝から日暮れまで週三日、野鳥の多い畑でがむしゃらに汗を流した。自分の内面にやがて著しい変化が起きた。一言でいえば、植物と会話する自分に気づいたのだ。「今朝のトマトはどうも疲れ気味だな」とか、「ネギも丈が少し伸びて嬉しかろう」とか、「キャベツが夜な夜な夜盗虫にかじられて困っているぞ」といった小さな命の代弁者として、心に物語を描きだすことを覚えたのだ。そんな自分の新しいまなざしに新鮮な使命感も抱き、からだにも再び力が漲るようになった。それが思いもよらないほど自己信頼感も回復させてくれた。
そんな畑との関わりを四年近く続けた後、私の本業も「表現」から「記録」に自然と重心が移っていく。植物の健気さに向き合うと、表現という他人の目を意識したこだわりが、とても厚かましい営みに思えてしまったのだ。植物系の人々は皆、きっと気負うことなく命との対話を楽しんでいるにちがいない。
絵キャプション:19世紀風の揉捻機で紅茶を慎重にひねる村松さん
瀬戸山玄(せとやまふかし)
写真家・ノンフィクション作家
1953年鹿児島県生まれ。写真作法を若き日の荒木経惟氏に学び、写真家・ノンフィクション作家として活躍。テーマは風土と人間。食や生活をめぐる取材を続け著書多数。近年は板絵制作に邁進中。芸術家や職人などの現場を撮り続け、ドキュメンタリストを名乗る。東北の取材は20年以上続けている。