きのうの行方 tsuna4 2016a&w
第6回 ロシアピアニズムの扉
題字・板絵・文 瀬戸山玄
二足歩行で腕力を高めた霊長類は、木登り上手になって樹上の安心を得た。我ら人類は集団で丘に暮らし、脳の発達と繊細な手で道具づくりに励んだ。
そんな太古の進化を思うと、鍵盤楽器は奇跡のような余興の発明だ。なかでも硬木の箱に張ったワイヤーを羊毛のフエルトハンマーで叩くピアノは、18世紀以降の音楽家たちにプロの道を切り拓く。電気もない講堂で音量豊かに二千人以上の聴衆を魅了できたからだ。しかし一律に並ぶ88鍵の音階が、なぜ弾き手によってあれほど音色や響きに差が出るか?ど素人の疑問が、※『ロシアピアニズムの贈り物』という本に出会い、少しずつ解けはじめた。著者の原田英代さんは長年ベルリンで暮らす一流ピアニスト。2年前の出版記念演奏会で初めて耳にした、小さな体が奏でる大きな音色のきらめきに驚き、知人を介して帰国のたびに質問攻めにしている。
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中学生の頃から週末は夜汽車に揺られて、東京の名人宅へ稽古に通ったという。東京藝大を出て渡欧すると数々のコンクールに上位入賞。30代で成功を約束されながら、ロシアの名演奏家に再び弟子入りする。91年のソ連邦崩壊でモスクワ音楽院の重い扉が開かれ、絶頂を極めるメルジャーノフの深い音色に滞在先で打ちのめされたのだ。
帝政ロシア時代に編みだされた重量奏法の極意だった。巨匠はいきなり「チャイコフスキーを弾くなら、チェーホフを読め!」と日本娘を煙にまく。ナゾ解きに挑む彼女はレッスンの合間、『桜の園』や『三姉妹』などを精読。挙句に日本で叩き込んできた指の動きは2年かけてすっかり初期化され、ピアノという魔物との格闘が始まる。
重量奏法とはマイクのない会場で隅々まで美音を行き渡らせるための、鍵盤に重みをかける独特な技だという。ましてラフマニノフのようにドラマチックな曲は、7オクターブ半の鍵盤すべてを叩く。ピアニストの打鍵が浅いと音が薄くなって抑揚も生まれず遠くへ届かない。それに早いテンポの部分では、上半身が右へ左へと流れて体勢は一気に崩れる。
「指先だけで楽に弾くと響きの厚みが消え、第三関節で弾けば固い音になる。甲を柔らげて第一関節と第二関節を曲想で使い分けます。肩甲骨が広がり肋骨まで音が伝わると初めて豊かに響く」。まるで人体解剖図的なピアノ格闘術である。解釈と特訓に明け暮れた6年間には、音をあげた日もあっただろう。
【ジプシーとチャイコフスキー】
このロシア音楽との全身対話は、やがて民衆の底流に潜む歌声に導く。「ロシア正教会は礼拝堂に楽器持ち込みを禁じたから、歌が独自な発展をとげたんです」。実際、貴族の領地を耕す農奴には歌唱力と芸能に長けたジプシーの歌姫も多く、メランコリックな調べが広く愛された。かたやロマノフ朝の皇帝たちは憧れの先進国ドイツから妃をめとり、辺境の近代化を図るものの広大な国土は反乱が絶えない。そこでロシア人の心を一つに結ぶ精神的骨格づくりに音楽を積極的に取りこむ。
この思想は革命後のソ連にうけ継がれ、生活の安定した作曲家らは優れた表題音楽を次々と産む。中でも天才を発揮して祖国の誇りとなるのがチャイコフスキーだった。大作曲家は「朝は教会に通い、夜は居酒屋に入り浸ってジブシーの歌で和む」孤高なゲイでもあった。ロシア的メランコリーを愛した彼は、記憶の古層に埋もれかけたロシアらしさを西洋音楽に融合していく。彼の作品を弾くなら民衆の喜怒哀楽を同様に分ちあい、指の動きと想いが鍵盤で結晶化しないといけない。日本人に立ちはだかる壁を越えようと、ロシア史から合気道やブルース・リーの英語本まで読み漁り、重心を乱さず鞭をしならせるような体術を探った。
メルジャーノフ最後の愛弟子として30代終わりにお墨付きを得た彼女は、今や海外のコンクールで審査員まで務める。その後ロシアの演奏家は国の加護を失い、多くがグローバル化の波に飲まれ、利益第一のプロモーターは作曲家に敬意を払うこと無く彼らに超絶技を競わせた。ユーラシアの大地が育んだ輝かしい音楽界が安住の地を無くした今、音の秘密を掴んだ原田英代さんのピアノ人生は、民衆の魂を映すロシア人作曲家たちへのオマージュでもある。
※著作はみすず書房刊
板絵キャプション:左から順に恩人メルジャーノフ、天才ショパン、苦悩のチャイコフスキー、異能のラフマニノフそして原さん。
瀬戸山玄(せとやまふかし)
写真家・ノンフィクション作家
1953年鹿児島県生まれ。写真作法を若き日の荒木経惟氏に学び、写真家・ノンフィクション作家として活躍。テーマは風土と人間。食や生活をめぐる取材を続け著書多数。近年は板絵制作に邁進中。芸術家や職人などの現場を撮り続け、ドキュメンタリストを名乗る。東北の取材は20年以上続けている。