きのうの行方 tsuna24 2022su
第17回 パキケタスの首輪
題字・板絵・文 瀬戸山玄
シロイルカといえば、モコモコした白い巨体と思いのまま動かす首や胸ビレや目が愛らしく、日本には横浜・八景島シーパラダイスと名古屋港水族館にしかいない人気者だ。北極海がもともと古巣の哺乳類ベルーガ(ロシア語で白)だけに飼育も難しい。このキャラのたつ愛嬌者をまえから一度見たいと、蔓延防止のさなか半日がかりで名古屋港水族館まで出かけた。
長引くコロナ禍で動物園や水族館はどこも来場者が激減して台所が苦しいというが、予約不要な平日の昼下がり。思いのほか親子連れが多く、「これならエサ代確保も大丈夫」とホッとした。だが肝心のシロイルカの観覧ショーは、天井工事でまさかの展示休止。けれど大水槽で楽しそうにお腹を上にして背泳する姿に和み、ガラス越しにたっぷり堪能できた。しかもここは、公益財団の施設なので研究陣も充実しており、展示物や解説が誰がみても面白くてわかりやすい。
そもそもイルカやクジラの誕生は、巨大隕石の衝突などによって地球上から恐竜たちが姿を消した後の話。夜の森を生活の場にして生き残った小型の哺乳類が細かく枝分かれの末、浅瀬に棲むものが現れる。実はイルカやクジラたちの先祖はそれだというから驚く。とりわけ「パキケタス」という過渡期の半陸半水の動物には好奇心をわし掴みされた。パキスタンで発見された骨を解析してみると、鼻のとがった細長い狼のような姿になり、耳の骨がクジラ特有の形をしていたことから、水中の音まで聞き分けられたとみられる。
展示コーナーで復元イラストを見た途端、ボクは半年前から飼いはじめた秋田犬・トクちゃんをすぐさま思い浮かべてしまった。すらりと伸びた脚や、長い尻尾や体つきがとてもよく似ていたからだ。たちまち妄想に浸った。「大型犬は、イルカやクジラときっと遠い昔の親戚にちがいない」と。
水族館から愛犬に一直線
この犬もどきな5300万年前の初期のクジラ「パキケタス」は、パキスタンのパキとラテン語のケタス=クジラという合成語で、やがてエサの豊富な海辺で巨大化していく。考えてみれば水族館で調教されてショーの目玉となるのも、アシカからシャチまでなべて水生の哺乳類に他ならない。エラ呼吸に頼るマグロやサメは曲芸に不向きなのだろう。つまり調教できるのは、水辺で人と長く密接に交流できる肺呼吸の哺乳類だけに限られるのだ。
飼育員の調教ぶりを観察してみると、芸をしたら必ず頭を撫ぜて褒めると同時におやつを与えそれを繰り返す。哺乳類は褒められると喜び、動作を記憶する流れだ。とにかく褒められるのが嬉しい動物らしい。人気のパフォーマンスであるイルカショーを見ても、調教する飼育員は褒めるのがやたらとうまい。ペットと化した哺乳類の犬と同様、イルカもやっぱり褒められるのが大好きなのだ。
愛犬のしつけに悩んだ際も、専門家からは、何か動作が上手にできた時は必ず頭を撫ぜて、ご褒美を少しやってくださいと言われた。そこに思い至ると、いよいよ犬とクジラやイルカは遠い親戚同士なのだと固く信じはじめた。ただしホモ・サピエンスと呼ばれる人類の誕生は、およそ500万年前のアフリカでの出来事だ。4000万年以上も、人と接しないブランクがあるのに、なぜ私たちはイルカやクジラと信頼を交わしコミュニケーションが取れるのだろう。そもそも霊長類の人に限らず、犬でも馬でも牛でも哺乳類は頭をなぜられると、どうしてみんな喜ぶのだろうか。
きっと顔面から突き出した鼻が、嗅覚をより発達させたからではないか。食物の良否を嗅ぎ分け、尿から敵味方を判別し、フェロモンの匂いで子孫を残す生存戦略の骨格をなしてきた嗅覚の記憶。久しぶりに再会した好きな相手に尻尾をふって大喜びするのも、鼻が効くからなのだ。この調子では、元マタギ犬の秋田犬とクジラとイルカを結ぶ補助線探しで、なんども水族館に通うことになりそうだ。
板絵キャプション:人類誕生がより早ければ、パキケタスとはどんな関係が育まれたのだろう?
瀬戸山玄(せとやまふかし)
写真家・ノンフィクション作家
1953年鹿児島県生まれ。写真作法を若き日の荒木経惟氏に学び、写真家・ノンフ
ィクション作家として活躍。テーマは風土と人間。食や生活をめぐる取材を続け
著書多数。近年は板絵制作に邁進中。芸術家や職人などの現場を撮り続け、ドキ
ュメンタリストを名乗る。東北の取材は20年以上続けている。