きのうの行方 tsuna15 2020s
第13回 音をたぐる工作少年の耳
題字・板絵・文 瀬戸山玄
いい仕事の周りには、いい音がいつもあふれている。手先とからだが調和のとれた動きをする時は、音楽みたいに乗りもいい。
正月、久々のランタンづくりに熱中した。紙すき職人から昨秋プレゼントされた高級和紙を、複雑な立方体のカゴに貼りつけていく。一度失敗したものの、ゼロからやり直すと思いがけない姿が現れた。へたの横好きでも趣味の手仕事は、からだの中から音楽がときどき聞こえてくる。
工作との出会いは小学4年の引越しだった。都内から多摩川を越えた郊外の新駅近くに越すと、駅裏の街道ぞいに大工道具店を発見。小遣いのすべてがその店で消えるようになった。ただの道具集めが日曜大工に化けるのに時間はかからず、クギを打てば指を金ヅチでつい叩き、力まかせな小刀の切り傷が絶えなかった。それでも道具扱いに慣れて中学生の頃には、工作図鑑をみながら、蛍光灯を仕込んだ透視台を作れるまでに上達していた。そこまで工作に没頭したのは都内に長らく越境通学していたせいで、遊び相手が近所にいなかったことも大きい。
そんな自分が60代半ばになり、小学四・五年むけに工芸をアピールする、写真絵本づくりに取り組むことになるとは夢にも思わなかった。実は、岩崎書店『伝統工芸の名人に会いにいく』シリーズの全3巻が新春に出揃った。「やきもの」が大分県日田の小鹿田焼で坂本工さん、「紙すき」はユネスコ世界文化遺産に登録された埼玉県小川町の細川紙で内村久子さん、「曲げわっぱ」が秋田県大館市の柴田慶信さんと、南北にまたがる名人芸の話だ。江戸時代から続く伝統工芸はどれも人の都合よりも、季節の寒暖差や植物の生育を優先するモノづくりである。
紙すきなら、「ピッチャ、ピッチャ、ピッチャサ」と水音を奏でて「こうぞ」の和紙を薄く漉くことが、水温の高まる夏場は難しい。九州でも小鹿田は高冷地にあり、雪の降る真冬は焼き上がった器が窯を開けて冷気に触れると割れやすい。そこで春夏秋しか火入れをしない。また、樹齢百年以上の天然杉を使う曲げわっぱは、器をとじる山桜の皮が夏しか採ることがない。現地に通いつめるうち、いずれの手仕事も水の豊かさや土質の弱点や冬の不便を熟知した、昔の生きる知恵だったことに気づかされた。
擬音語や擬態語の効き目
でも、そうしたアナログ古風な伝統工芸の舞台裏が、小さいうちからパソコンやスマホに慣れ親しむ今どきの子たちに果たして面白く伝わるだろうか。そのことが取材中も頭から離れなかった。それだけに感度の高い子供のアンテナをワクワクさせる児童書にしないといけない。そこをクリアしないと、若い世代に伝統工芸品の愛用者を少しでも増やすという、書き手に託された隠れミッション・使命がぼやけてしまう。
真っ先に浮かんだのは、現場の臨場感を一緒に分かちあう工夫だった。一つが現地にしかない音を写真に被すこと。家が14戸たらずの小鹿田焼の里には、クネクネとした小川沿いにシーソーみたいな水力の土砕き器「唐臼」が30基散らばってそれらが一日中、「ギギギギギィ、ゴットン」とのどかな音を奏でる。そこで耳に届く擬音語をなるべく書き込んだ。するとなぜか写真が立体的に見えてくるではないか。
あらすじもまた、大切なお皿をバリンと割った母が娘と窯元まで旅する話。書道展に出す書を猫に汚された祖母が、飼主の孫娘を友人の和紙工房に連れていく話。かつて台風被害にあった秋田杉の美林に心を痛めた元きこりが、孫と曲げわっぱ職人を訪ねる話。そんな虚実入り乱れた作り話とアイデアと音が詰まり、三年がかりで絵本ができた。早い話、手仕事を紹介する3冊だけど、ずっと昔から知りたかった世界に覗き窓をこしらえた気分に近い。「そうか、こんな仕事のやり方があったか!」としばし悦に入る。人の仕草や風景には内面を映す擬態語が必ずあり、それは乱れた心を整える日本語のクスリだと言えなくもない。
板絵キャプション:写真絵本第2巻に登場するジローくん。賢くて表情豊かな猫探しに苦労しました。
瀬戸山玄(せとやまふかし)
写真家・ノンフィクション作家
1953年鹿児島県生まれ。写真作法を若き日の荒木経惟氏に学び、写真家・ノンフィクション作家として活躍。テーマは風土と人間。食や生活をめぐる取材を続け著書多数。近年は板絵制作に邁進中。芸術家や職人などの現場を撮り続け、ドキュメンタリストを名乗る。東北の取材は20年以上続けている。