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きのうの行方 tsuna11 2019s

第11回 難聴と日本手話

題字・板絵・文 瀬戸山玄

30年ぶりのバンコク行きを前に、伸びた髪をなじみの美容師さんにカットしてもらっていた時だった。
「せとやまさん、タクシー大丈夫なんですか?」

え!タクシーって?と一瞬混乱した。でもそれがタイ料理の好悪をわける香菜パクチーのことだと気づき、「あ~平気ですよ」と話題につなげた。「タクシーとパクチー」は母音三つが同じア・ウ・イで子音だけ異なる名詞だ。私の左耳は子音を拾うのが苦手で、こうした空耳が日常的に多発する。突発性難聴を患い、聴覚神経の枝が短くなったせいである。仕事柄、インタビューの機会が多い。ある頃から聞き直す場面が増え、それも失礼なので相手の文言をボイスレコーダーで確かめるようになったが、いつまでも誤魔化せない。そろそろ聞き書きも潮時かとあきらめはじめた四年前、息子とたまたま出かけた国際福祉機器展で、スイス製の最新デジタル補聴器に出会った。高額だったが中音域の子音を補うようにカスタマイズしたら空耳もぐんと減って仕事に復帰。でもヘアカットの時は、愛用の優れものを外すから、いつも空耳アワーなのだ。

いまでも聴力障害という洞穴から抜け出せた日の感激は忘れない。ピアノの音に浸り、雑音に会話が飲まれる宴席も恐れなくなり、判別不能な他人の会話が、電車内でいきなり耳に届くのに慌てた。そんな自分の顛末を面白おかしく話すと、「実は私も聴こえない」と次々カミングアウトする人々が現れておどろく。それも各分野で活躍されていた職業人ほど「聴こえるふり」をする傾向が強い。一流の医師や、ある賞の選考委員までいた。小さな障害を何食わぬ顔で隠すのは、弱点を人前にさらすのに抵抗があるからだという。 どこの国にも聴力を失った者と、聴力の弱い難聴者がいる。生まれながらに話せないろう者、幼児期の失聴で言葉を忘れて喋れなくなった唖者もいる。加齢による難聴者が市民権を得ているヨーロッパでは、国が補聴器購入者に助成金まで払う。日本では、聴覚障害と認定された人に対して、さらに審査の上支払われ、多くは片耳分だけだ。大音量×時間の積算量が閾値を超すと、だれでも加齢を引き金に難聴になる。その医学データが世論を動かしたらしい。

静かでにぎやかな教室

明治時代に始まる日本のろう教育は、口話法と呼ばれる聴覚の話法にずっと重点を置いていた。それは読唇術に象徴されるように、失聴による無言の唖者に話し手のアゴや口の動きに触れて覚えさせ、手話単語に直して発声させるので無理もあった。そんな障害児教育にも新しい風が吹き始めているのを知った。08年に品川に開校した私立のろう学校、明晴学園がとりくむ手話の再評価だ。公立ろう学校で異端に扱われていた「日本手話」を活かし、教師と生徒同士がコミュニケーションをはかる。年末に再放送されたETV特集『静かで、にぎやかな世界~手話で生きる子どもたち~』でご覧になった方も多いだろう。45分間の映像は声を荒げて威圧することなく、子ども同士がすごい速さの手話で口論したかと思えば、表情豊かに日常を語りあい、互いが舞台俳優のように輝く静寂な教室を映しだして目が釘付けになった。声にならない気持ちを全身で伝えて、教員と生徒、生徒同士、親子が思いを確かめあう場があった。手話が自然言語だという発見によって、日本手話は可能性を大きく広げたという。手や指や腕やアゴ、目つき顔つき舌までフルに使う教室での毎日は、健常者のモノサシからも自由になり、空気を読むことや忖度もしない。

番組の最後、一般高校に進学するろうの少年少女にディレクターが問う。「もし手話だけの世界と、日本語で暮らす世界を選べるとしたら、どちらに行く?」大半の生徒が手話だけの世界を選んだ。「祖国とは国語なり」という20世紀のしばりに一石を投じる衝撃的な結末だ。それは日本語で腹のうちをこそこそ探りあう、今どきの息苦しい義務教育を浮き彫りにする。アナログな手話普及とデジタルな機能回復術。やがて二つが、どのような身体像を生みだすのか目が離せない。

板絵キャプション:耳穴に住む空耳仙人と、少女が右手で左手甲をトントン刻めば手話のアリガトウ!

瀬戸山玄(せとやまふかし)
写真家・ノンフィクション作家
1953年鹿児島県生まれ。写真作法を若き日の荒木経惟氏に学び、写真家・ノンフィクション作家として活躍。テーマは風土と人間。食や生活をめぐる取材を続け著書多数。近年は板絵制作に邁進中。芸術家や職人などの現場を撮り続け、ドキュメンタリストを名乗る。東北の取材は20年以上続けている。