珠洲に戻る日を目指して tsuna40 2026sm
奥能登から
珠洲に戻る日を目指して
2024年元旦に起きた能登地震の時の様子、その後の歩み、将来の夢など、櫻田酒造の復興を父と共に目指す櫻田愼太郎さんに伺いました。
櫻田愼太郎さん
東京農業大学醸造科学科を2026年3月卒業。4月より車多酒造で働きながら、父と共に珠洲に櫻田酒造再建を目指す。
(写真はネパリ・バザーロ直営店ベルダにて)

〈対談〉 2026年2月28日 聞き手:土屋春代(ネパリ・バザーロ創立)
大地震が起きた時
櫻田 2階でサッカーを観ていました。最初に震度5弱の地震が起きて、父が蔵を見に行き、自分も行くかと階段を降りて廊下を歩いている時に本震が起きました。すごく揺れて外を見ると瓦が落ち土煙が上がり、今までも強い地震は経験してきましたがその比ではありませんでした。父が行った蔵を見たら潰れていたので、父が死んだと思って大学辞めて働くかと考えていました。でも、入口は瓦礫でふさがれていても裏口からは入れて、父がそこにいて無事と分かってほっとしました。人生で一番嬉しかったです。
土屋 お父さんという大黒柱を失うと思ったらパニックになりますよね。そんなときに大学を辞めて働こうとよく先のことを考えられましたね。
櫻田 妹がいるので、妹のためにも大学辞めて働くかと思いました。ちょうど横にあったトイレに自分は避難しましたが、戸が揺れて足が挟まって危なかった。今思うとよく生きていられたと思います。
土屋 お父さんは蔵の中で物が崩れたが機械の隙間で助かったのですね。すごい偶然。
櫻田 その機械も2日前に蔵に入れたばかり。それがなかったら、どうなっていたか。
土屋 お母さんと妹さんは?
櫻田 母は2階、妹は自分の部屋。住んでいる2階は揺れたが崩れなかったので、妹の部屋は大丈夫でした。その時は声だけ聞こえてどこにいるのか分からない状況でした。祖母が浴室の近くにいたので、3面囲まれている浴室なら安全だろうとそこにいてと伝えました。妹を迎えにいくときに、祖父が瓦礫の隙間で下半身少し埋まっていましたが、大丈夫と言って歩いてきて、父以外の無事を確認。最後に父の無事を確認できました。
土屋 ご家族が無事でよかった。周囲では亡くなった方もいらっしゃいました。津波は?
櫻田 蛸島は津波はきませんでした。父の兄が瓦礫に埋まり、2時間後に助けられました。声が聞こえたので無事と分かりましたが、大津波が来ると言われて置いていくしかなかった。津波が来なかったので、戻って人を呼んで助け出しました。津波が来ていたら危なかった。
父とともに再建を決意
土屋 大学で醸造科学科を選んだのは、将来お酒造りをしたかったからですか?
櫻田 小さい頃から酒造りに関わってきて面白そうと思っていました。家が酒蔵というのはなかなかないので、すぐにという訳ではありませんでしたが継ぎたいと思った時に継げるように選びました。地震が起きて、父が最初は心折れて辞める予定でしたが、酒米が見つかり再建を決意し、白山市の車多酒造(*)さんのところで場所を借りて造れるようになり、酒造りが楽しいと思えてやりたい思いが強まりました。
土屋 お父さんがすべてをなくして一回は廃業を決意された。でも、酒米が見つかりたくさんの方からの応援の声が届きまたやろうと思われたのを間近に見ていらして、支えたい、一緒にやりたいと思ったのですね。
櫻田 父が酒造りは大変だと言いながら楽しそうに造っていたのをずっと見てきたから、悲しそうな顔を見て自分も何とか力になれたらと思いました。
土屋 「またこの地で」と決心したのは凄いことだと思います。復旧復興と言うは易くても、壊滅的なあの状況を見たら…、決意できたのはなぜでしょう?
櫻田 地域の祭などでのつながりや蛸島の皆さんが昔からよくしてくださって、その恩返しが一番大きいと思います。漁師町で助け合ってきた、皆さん頑張っている。その恩返しというか、美味しい酒を造ってまた飲んでほしいという地元への思いが強かったです。
土屋 その方たちの中で、震災で亡くなった方も多いでしょう、寂しいですね。
櫻田 寂しいですね。誰も悪くないし、仕方ないと思うしかないと思っています。斜め向かいのおばあちゃんと娘さんも、丁度横浜から正月に帰省していて、亡くなりました。昔からよくしてくれていました。そうした方のためにも蛸島が復活して、珠洲を忘れずに来てくれる人が増えるといいと思います。
震災後も酒造りを続けられたことが幸いして
櫻田 時間が経つと忘れられていきます。早く復活して造りたいですが無理なので、そこは割り切って、復活した時にはすごく美味しいと言ってもらえるよう、地震の注目だけでなく、味で認めてもらえるようにと考えています。
土屋 車多酒造さんとはどういうつながりがあったのですか?
櫻田 父が石川県の酒造組合で会長の車多さんと繋がりがありました。二人とも酒好きで仲良くしていました。地震の時に連絡をいただいたものの最初は電波が通じませんでしたが、声をかけてもらい、酒米も見つかって造れるようになりました。自分たちのために樽を空けて、米も用意してくださってありがたいです。石川県の酒蔵は仲がいいので県内での助け合いが早かったです。ライバルでもあり、仲間でもあり、いい酒を造るため切磋琢磨しています。
土屋 互いに伝統を守ってきたリスペクトがあるのですね。車多酒造さんでお酒を造って震災前の5割の生産量になったのは凄いですね。愼太郎さんは震災後テレビによく出ていましたが、いつもニコニコ笑顔。とても辛い時があったはずですが。
櫻田 最初の、父が死んだかという時は辛かった。それと、家が崩れるのを見た時くらい。避難生活も私は東京に戻るまでで短かったのとストーブや石油があったので、フライパンで料理したりキャンプのように。父も本当は辛かったかもしれないけれどニコニコしながらやっていて、妹も笑顔だったので、そんなに辛いと思わなかった。震災当日の夜は寒くて、毛布一枚で眠れないと思いましたが気が付いたら朝までよく寝ていました。皆生きていたからもうどうでもいいやと。自分は、何もわかっていなくて、深く考えていなかった。時間が経つと現実味を帯びてきて、でも、落ち込むよりも頑張ろうと思えました。
土屋 そういう環境でやろうと思えるのは凄い。お父さんが笑顔なのは頼もしいですね。かっこいいお父さんですね。
櫻田 頼もしかったですね。お酒飲むと大変になるけど(笑)。
これからの夢
土屋 酒造りのどういうところが好きですか?楽しいところは?
櫻田 タンクの一日毎の変化が楽しい。最初タンクに米を入れると米粒が固いのが、日が経つと溶けてブクブクしてきて、日本酒の香りが出てきて、泡が上がったり、下がったり、いい香りになり、日毎に日本酒を造ってるんだという実感があります。自分はまだできないが、自分の思う通りに仕込み、思う通りに溶けて、思う通りに発酵したら楽しいでしょう。
土屋 来年6月を目指して蔵ができたら、造るお酒はいつ頃の仕込みになりますか?
櫻田 昔は冬だけ仕込んでいましたが、年中造れるように空調を効かせ、冬のような温度にすることもできます。その場合、小さい蔵のほうが有利。空調をつけるか、どうなるかまだわかりませんが、空調があったら6月からできます。なければ12月から仕込み、新酒の生酒はすぐできるので1月にはできます。早く造ろうとしたら一ヶ月でできます。いろいろやってみたい。
土屋 「日本酒を楽しむ会」のような催しをやりたいと思います。お酒と美味しい食べ物で。日本酒の美味しさを知ってもらいたい。はっぴ着て参加してください。蔵ができたら忙しくて来られないかもしれませんが。
櫻田 父に任せて来ますので呼んでください。若い人もそうしたイベントに結構きています。日本酒離れと言われますが、機会さえあれば、日本酒は美味しいので。
土屋 大慶のファンも増えてきました。最後にメッセージを。
櫻田 新しいお酒ができたら櫻田酒造だけではなく、能登の酒を飲んでほしい。今回の地震で奥能登地域に11ある蔵のうち再開しているのは3つだけ、皆大変な思いをされている。諦めている人もたくさんいます。美味しいと思っていただけたら、楽しく飲んでいただけたら嬉しい。
土屋 私たちも頑張って売っていきます!
櫻田 戻ってすぐに戦力となれるようにがむしゃらに頑張ります!!!

写真中央は車多酒造の名誉杜氏の故中三郎杜氏。左が櫻田博克さん。

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