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暮らすように働く 2023年1月~6月

ネパリスタッフが、日々働きながら感じることを思うままに書いています。

6月

6月2日と3日、秋田県大館市にある「花岡平和記念館」に行きました。アジア太平洋戦争末期に中国から4万人もの人々を強制連行し強制労働させた日本。その中の986名が送り込まれた花岡鉱山。あまりの重労働と過酷な環境に餓死、拷問死、自死など毎日次々に亡くなり、このままでは全員殺されてしまうという危機感から人間の尊厳をかけて一斉蜂起しました。しかし、直ぐに鎮圧され更に多くの人々が殺され、日本の敗戦でやっと帰国できたのは半数近く。花岡事件は全国135ヶ所の中国人の強制連行、強制労働の現場の中でも連行した人々への扱いの残酷さ、死者数で象徴的と言われます。満蒙開拓団について調べると開拓団の人々の悲惨な逃避行の被害だけでなく、そもそも満州という日本の思うままに操れる偽の国家をつくり、中国やアジア諸国を侵略し非道の限りを尽くした加害の事実に突き当たります。その事実に向き合うための一歩は6月17日のくるみざわしんさんのお話を聴く学習会。花岡事件については来年、カタログに掲載する予定です。一歩ずつですが、加害の歴史を知る努力を続けたいと思います。(春代)

今年初めの体調は絶好調でしたが、2月に暗闇で転び骨折、5月連休を使って充実した沖縄訪問でしたが、内容とは裏腹に体調は疲れ気味。歩くのもやっとの日々が続いてしまっています。気合いを入れるものの、これはじっくり待つしかなさそうです。年末のネパール訪問から早や半年、モーニングスターチルドレンホームの身寄りがない子どもたちが、西ネパールの看護師を育てるキーとなっている学校で学び始めて2年が過ぎ、この度、訪問することになりました。思えば、この活動を始めたきっかけが、その学校のメインサポーターであるネパール合同ミッション(世界各地から医療、教育関係者が集まり、ネパールへの奉仕活動を続けているUMN)に所属し、西ネパールのタンセンに建てられた病院です。そこに派遣されていた岩村昇医師が日本の学校の講演に来られたことがご縁になっています。その後も、その病院がらみのお手伝いのご縁がありました。気が付いてみると、又、タンセンの看護学校訪問と不思議なご縁です。あと1年を切った在学の機会ですが、無事に自立をして育ってくれることを願っています。いつも、応援、有難うございます!(完二)
テレビでは好意的な評価が多くみられたG7広島サミットをモヤモヤしながら見ていました。核兵器は抑止力だと明言して保有する国々の首脳が原爆資料館を訪れましたが、戦争反対・核兵器反対の人が見れば、その想いをさらに強くする展示も、抑止力になると考える人が見れば、それが悲惨であればあるほど「やっぱり抑止に効果がある」と思うだけではないのでしょうか。自国の核保有は正当だが、他国には認めないというのは、「暴力はダメだ!暴力をふるわれたら、どうだ、痛いだろう!だから暴力はやめろ!」と自分より弱い相手をボコボコにしながら暴力否定しているような矛盾と身勝手さを感じてしまうのでした。(早苗)

入管法が改悪に向かっています。入管施設の中の映像をいくつも見ました。難民の方が命の危険を気力体力を振りしぼって虫の息で訴えているのに、せせら笑いながら対応する職員の方々。大人数名で、無抵抗の難民の方に、馬鹿にした言葉を浴びせながら、明らかに拷問、虐待を行い強制送還させる職員たち。無抵抗で無力の方が命を失うということが、どうして分からないのでしょうか?仕事だから?ルールだから?上司の指示だから?仕事を終えて施設を出ると、きっと所謂いい人も多いでしょう。なぜなのでしょうか・・・自分は安全地帯にいて、正しいことを行っていると信じているのでしょうか…。今、難民という立場の方々を排除しようとしている力の矛先は、同じくらいの、もしかしたらそれ以上の恐ろしい力で私たちにも向かってきているのに・・・。もし改悪されてしまっても、施行まで時間があります。反対の声をあげ続け、廃案にできる希望はまだまだあります。共に生きる大切な仲間の命を諦めないで頑張りましょう。(百合香)

星野源さんと荻上チキさんが対談された回のラジオが好きで、そこでお二人が興奮気味に紹介されていたフランスの社会学者ブルデューの名著「ディスタンクシオン」がずっと気になっていて、先日やっと「100分de名著」で内容を知りました。解説は沖縄や生活史が研究テーマの社会学者の岸政彦さん。若かりし頃にブルデューの影響を大きく受けられた岸さんの解釈と、社会学に対する姿勢に感動しました。岸さんが言われる社会学の役割は「自己責任にさせないこと」、そして「他者の合理性」を表していくこと。一見、理解することができない他者の生き方や言動の背景には、生まれ育った環境や周りの人間関係からの影響で蓄積されてきた文化的資本があって、必ず理由がある。その合理性を少しでも想像することができれば、他者を目の前に「私も、あなただったらそうするかも」ともっと優しくなれるのかなと、岸さんの社会学をもっと学びたいと思いました。ブルデューは本の中で『重力の法則は飛ぶことを可能にする』と言っています。これまでの人生の履歴の中で生きている不自由さを知れることで、本当の自由を自らの意思で選びとれるのかもしれないと思うと、「自由」の奥深さを感じました。(萌)

5月

5月3日の憲法記念日、沖縄島北部の大宜味村で対馬丸事件の生存者、平良啓子さんに体験談を伺いました。昨年の5月連休に続き、今年も孫3人を連れて沖縄に行くにあたり、どうしても平良さんのお話を孫たちに聴いてほしくて大宜味訪問を入れました。私はカカオフレンズツアーのご案内でいつも平良さんのお話を聴かせていただきますが、その都度、孫娘のことを考えていました。アメリカの魚雷攻撃で沈む貨物船から海に放り出された平良さんは9歳。孫娘も今9歳です。自分と同じ年の時の平良さんの凄まじい生存の闘い。家に戻られてからの沖縄戦の体験を聴いて孫娘がどう感じるのか。身を乗り出して聴いていた彼女に感想を聞くと、「言葉がでない」というひと言。受けた衝撃の大きさを表す正直な気持ちでしょう。戦争は絶対ダメと、辛い体験を語り続ける平良さんが代表を務める大宜味村憲法九条を守る会は、憲法九条を後世に残そうと2017年、役場敷地内に九条の碑を建立しました。戦争は天災ではなく人災だから意識して皆が努力すれば防げます。2度と悲劇を繰り返さないよう頑張りましょう。(春代)

ネパリのフェアトレード活動を始めて31年になろうとしています。当時、エネルギッシュに動いていたシリンゲ協同組合代表のバドリさんは、今年3月にお亡くなりになりました。そして、お連れ合いのクマリさんも具合が悪くなり病院に運ばれた、とたった今、情報が飛び込んで来ました。次世代へ交替している過程にあることを実感することが多くなりました。その間、物価の高騰も無視できないものになっています。嬉しいことは、次世代の若者が育って来ていることでしょうか。元奨学生も、社会の担い手の中心になる年代に入り、頑張っています。社会の変化と世代交代を考え、できること、できないことを取捨選択しながらも、初心を忘れずに進んで行きたいと思います。(完二)

GWに沖縄を訪問し、平良啓子さんにようやくお会いすることができました。9歳の時に疎開のために乗った対馬丸の撃沈と帰沖後の沖縄戦を生き延びた平良啓子さんのお話は力強く、過去から現在へと繋がっていきます。「戦前の軍国教育は今考えると馬鹿らしいが当時はそれを信じていた。戦争は政治家が起こす。戦争を始めたい時は教育に少しずつ入れてくる」と憤る平良さん。平和教育の場は学校だけではありませんが、学校で何をどう教えるかは重要です。そしてそれを牛耳っているのはその時代の政治家であることを考えたら、ますます選挙の重みを感じずにはいられません。
(早苗)

沖縄訪問では、命どぅ宝の家に4泊しました。昼間は働き、明るいうちにシャワーで汗を流し、食事は皆で作ってゆんたくしながら皆で食べて、夜はそのままクタっと寝て。阿波根昌鴻さんが戦争につながる全てのものを決して許さず諦めずに闘い続けた、その日々はどれほど厳しく壮絶なものだったのだろうかと思いますが、対照的に、命どぅ宝の家で過ごす日々はあたたかく、絶対的な安心感と、自分が活かされていることを感じます。そこからは、平和に続くもの、心安らかにさせるものには、限りない愛情を注がれた阿波根昌鴻さんの心が引き継がれていることを感じます。石ころにも雑草にも話しかけ、愛情を注がれたそうです。一人ひとりの心が平穏で満たされる、その積み重なりが平和な社会なんだなぁと感じました。美味しいものを食べた時、きれいなものを見た時、誰かと心が通じた時・・・心がふわっとあたたかくなる、その感覚を軽視しないで、大事にして、心の中にたくさん溜めていきましょう。(百合香)

伊江島のわびあいの里(命どぅ宝の家)に滞在させていただき、謝花さんご指示のもと倉庫周りの草むしりや荷物整理をしている時、「米軍演習場工事反対!」という手書きの大きな看板が出てきました。「これは基地の入口に立てていた看板だねぇ…」と謝花さん。農民の日々の生活、子どもたちにつなぐための土地、当時の方々が暮らしの中で必死に守られるようとしたものを、今を生きる自分は守ろうと行動できているのか?自問しながら、歴史が詰まった看板を壊さぬよう大事に汚れを落としていました。そんな時、謝花さんが私に「基地前に座り込む運動も必要。座り込みに行く時間も体力も、お金も十分ではないなか皆必死で行動している。それでも前に進まない現状。私たちは、暮らしの場から平和運動をすることも大事にしないといけないと思っている。おじい(阿波根昌鴻さん)がつくったこの里から…」と言われました。私自身の話だ、と思いました。私の、私たちの暮らしの延長線上(過去も未来も)にあるものは何なのか。謝花さん、阿波根さんの思想を学ぶだけでなく、自分自身で日々問いていきたいです。(萌)

4月

沖縄カカオプロジェクトのメンバーとして、リサチョコレート製造者を目指されている大阪のNPO・CPAOさんの製造研修のため、4月初旬に岩手県陸前高田市の工房・椿のみちに行きました。2月の沖縄研修に次ぐ研修です。沖縄は“なぜ沖縄か?”を知っていただきたくてご案内しました。陸前高田の工房ではリサチョコレート製造の素晴らしい職人となったスタッフたちから愛情いっぱい、惜しみない指導を受けてチョコレートづくりの難しさと楽しさを感じていただきました。CPAOの皆さんは帰ったらすぐにもスタートしたいと意欲満々で、工房スタッフたちも仲間としてこれからも応援したいと張り切っています。東日本大震災支援からスタートした国内事業が理不尽な扱いを受け続けている沖縄の、沖縄ならではの地の利を活かした産業づくりを目指す沖縄カカオプロジェクトに至り、ネパールもインドもつながる大きな輪ができました。層の厚みを増していく沖縄カカオプロジェクトの今後がとても楽しみです。ぜひ、カカオフレンズとしてこの輪に入って支えてください!(春代)

沖縄カカオプロジェクトのクラフトチョコレートを造る輪が広がっています。最近でも、大阪で、そして沖縄でその趣旨を活かしながら挑戦したいという動きがあります。進展がありましたら、お知らせしますね。ネパールでは、カトマンズ近郊の養護施設MSCCで最近、理事会が開かれて、代表理事が交代となりました。コロナが始まった頃に急逝されたラムチャンドラさんの後任です。今までその後を支えてくれたラムチャンドラさんのご家庭の皆さん、上の娘さんはご結婚され、その弟が、その後支えてくれていましたが、お子様が生まれ、お仕事も忙しくなっていました。次のステップに向けて、進んで参ります。応援、宜しくお願い致します!(完二)

3月末に長野の満蒙開拓平和記念館で拝見した、画家・王希奇さんの大作「一九四六」がテレビでも紹介されていました。原爆投下、沖縄戦に並ぶ敗戦時の悲惨な出来事なのに、扱われることの少ない満蒙開拓団を語り継いでいかなければいけないと。敗戦直後、外地に残された日本人に対して、受け入れの余裕はないから日本国籍も捨てて現地でやっていけと切り捨てた日本。日本は外地の邦人に冷たかったという説明は、引き上げ者の帰国後の苦労を思うと政府だけのことではないと感じます。そして、それは現代を見ても、外国人技能実習生や入管収容者への不当な扱い、障害者・被災者・被害者が声を上げ始めた時の掌を返したバッシングなどにも共通する、異質なものへの排除の心理、内と外を切り分ける怖さを感じます。(早苗)

先日のこと。完二さんと孫のはると君(5歳)の会話が聞こえてきました。妖怪がいる?いない?と何やら真剣な議論をしている模様。完二さん「だってテレビに妖怪出てたじゃん」、はるとくん「・・・テレビで言っていることが、全て正しいんじゃないんだよぉ!!」おぉ・・・!すごい!ちゃんと分かっているんだなぁと驚きました。テレビはもちろん、大人が言っているから、学校で習ったから、偉い人が言っているから、ではなくて、得た情報を一旦疑って、自分で考える力をこのまますくすく伸ばして欲しいなと思いました。という私も、日々手元に届くたくさんの情報に飲み込まれることなく思考を続け、その中から血が通った情報や、声なき声を代弁している情報に気付けるように、感性を磨いていかないとと思いました。大事なことをあらためて教えてもらいました。ありがとう!(百合香)

満蒙開拓平和記念館の図書コーナーで、731部隊の元少年兵であった篠塚良雄さんの本(高柳美智子さん共著)を読みました。関東軍の731部隊が捕虜の方々に行った行為がはっきりと証言されていて、文字を読むだけでも苦しかったのですが、なぜ少年たちが当たり前かの様に罪を犯してしまい、戦後、撫順戦犯管理所での生活の中でどのようにして罪と向き合い“人”に戻れたのか、篠塚さんの人生にいつの間にか引き込まれていました。歴史を学ぶことは積極的にしたくても、本を読みながら「この言葉の意味なんだっけ」「この事件知らない、調べないと進めない…」と、読み進める手や頭がとまってしまうことが多々ある私なのですが、“過去の歴史”としてではなく“一人の人生”としてその歴史を知れる時、いつの間にかぐっと読み進めている自分がいて、私の頭や心にすっと落ちていく感覚があります。私たちが生きている今の社会は、これまでを生きて来られた方々の人生の上で成り立っていることを忘れず、敬意を持って歴史を学べたらと思います。(萌)

3月

2月23日、久しぶりに学習会を開催しました。コロナ禍でずっとできなかった集まりを再開するにあたり、「つなぐつながる学びの会」としてシリーズで行うことにし、その第一回目でした。長引くウクライナ戦争で核の脅威を実感する今、戦争で原爆投下された唯一の被爆国・日本が戦後、核とどう向き合ってきたか、なぜ、福島原発事故という被害甚大な核災害をなかったがごとく軽く扱うのか、数々の疑問を抱える中での学習会。元原子力発電所の技術者で核の真の恐ろしさに気づき、即刻全世界の原発を止めるべきと訴える小倉志郎さんをお迎えしました。設計から現場まで熟知した専門家の説得力あるお話に衝撃を受け、意見交換も盛り上がりました。そして、問題意識をもつ人々がどのような意見も自由に発言できる場がどれほど必要か強く感じました。これからも学びの会を続けます。ご参加をお待ちしています。(春代)

先月、骨折と手の平、人差し指を縫ったことを書き、皆さまからご心配頂いたメッセージを頂き、有難うございました!それから1ヶ月が経ち、傷もほぼ閉まり、後1ヶ月で完全に治りそうです。骨折直後沖縄に伺い、行く先々でご心配もかけてしまいました。その骨折も順調で、それなりに動かせるようになって来ました。どうか、怪我だけはお気をつけ下さい。悲しいお話が続きますが、シリンゲコーヒー協働組合代表のバドリさんが2月末にお亡くなりになりました。今後のことについては、シリンゲの皆さんとも話し合いながら体制を整えたいと思います。若者達が頑張ろうとしていますので、今後とも、宜しくお願い致します。(完二)

市の広報誌に4月9日の統一地方選挙の案内が載っていて、あぁ、もうこの時期かと日の経つ早さに慌てています。国政選挙よりもっと投票率が低くなりがちな地方選挙。有権者の半分も投票しないのはとても残念なこと。そういえば以前、市の選挙啓発ポスターが有名人の顔と投票日くらいしか載せていなくて、いやいや投票促すならもっとアピールすることあるでしょうと思ったけれど、案外投票日すら意識していない人も少なくないというエピソードもありました。もうすぐ選挙だねぇといろんな人と話題にして、自分も候補者の情報を積極的に集めて、少しでも選挙が盛り上がるといいなと思います。(早苗)

「異次元の少子化対策」なる言葉が突如表れ、批判殺到しています。その内容にはここでは触れませんが、個人的に「少子化“対策”」という言葉を聞く度に、心がモヤっとしていました。子どもが少なくなると労働人口が減り、税金が減り、様々なインフラが保てなくなり、消滅してしまう村や町が出てくると・・・。だから、「少子化」は「国難」であると・・・でも、子どもが生まれてくるのは労働力のためでしょうか?地域の機能を保つためなのでしょうか?そうではないんじゃないかな、と、「少子化“対策”」という言葉を聞く度に、何だか悲しい気持ちになっています。ただただ、人らしく幸せに生きるために生まれてくるんじゃないのかな、と思います。そうして生まれてきた子どもたちが、どんな人口構成であろうとも幸せに生きられるような仕組みを考えることが政治の役割なのではないでしょうか。もちろん、昔は子どもだった大人たちも、今を生きる人、みんなが幸せに暮らせるように。政府が産むことを奨励することも抑制することも、個人の性と生殖の権利に国が介入すること。そこには、これまで多くの差別や暴力、闘いの歴史がありました。“モヤっ”を放置せずにいたいなと思います。(百合香)

福島での原発事故が起きた時、私は栃木県にいて高校1年生でした。もうあれから12年が経とうとしている中で、気がつけば、福島とその周辺の私の同世代の方々が甲状腺がんで苦しまれていて、そして東京電力を訴えるための裁判を起こしていました(「311子ども甲状腺がん裁判」)。彼らが甲状腺がんに苦しまれている頃、大学生だった私は東北に何度か通っていました。女川町の原発PRセンターにも個人的にふらっと立ち寄りましたが、その時は原発の問題はあまり理解していませんでした。28歳になった私の世代は、仕事をもっと頑張ろう、新しいステージに挑戦したい、結婚して自分の家族を持ちたい、自分の人生の優先順位をそれなりに自由に決められる年齢だと思います。だけれども、責任の所在が確かにされない原発事故によって甲状腺がんになってしまい、時間とお金を治療につかい、大学も仕事も諦めざるを得ない苦しみの中で生きられている同世代がいること、その苦しみがない人生に私は生きていたということ、甲状腺がんになる確率はあった私なのに、これまで意識していなかったことを今やっと気づきました。3月15日に、その裁判の第5回口頭弁論があります。原告の皆さんの意見陳述は今回が最後とのことです。意見陳述はホームページにアップされます。私は、原発についての自分の考えを文字にすることをいつも迷ってしまいますが、原発事故後に甲状腺がんになってしまった方がいることは事実で、その事実を知る前の私にはもう戻れないので、近しい友人や知人にも原告の皆さんの存在と言葉を伝えていけたらと思います。(萌)

2月

本がどんどんたまります。本箱を買っては溢れ、買っては溢れてしまいます。しかも探しにくい。そこで、ジャンルごとに整理しました。沖縄戦、特攻隊・戦争・近現代史、沖縄問題、満蒙開拓団&青少年義勇軍、ハンセン病、在日外国人、福島原発事故、他いくつかのグループに。見やすくなった!と喜んでいると後ろから「よく集めたね!」と、家人のひと言。「集めた?読んだのです!」と私。でも、もう一周、二周読まないと理解には至りません。良書はスルメと同じ?読めば読むほど面白くなります。(春代)

久々のネパールから1ケ月が経ち、その時に約束して来たことへの実現に向けて追われる毎日を過ごしています。コロナ禍では、より立場の厳しいご家庭では、女性が被害者になるケースが目立ち、現実に見聞きもしました。そうでなくても女性への差別、暴力は多いと、コロナ禍で亡くなられた牧師のラムチャンドラさんから聞いていました。その一つひとつに向き合い、問題を解決に挑戦して行きたいと思っている矢先、買い物からの帰り道、暗闇で転び、両手を怪我して、挙げ句に骨折までしてしまいました。慎重さが足りない自分を反省しています。早く治して、課題に挑戦して参ります!(完二)

「ソ連兵へ差し出された娘たち(平井美帆・著)」を読みました。敗戦時に中国に取り残された開拓団が、自分たちを守るためだと未婚の女性たちをソ連兵の「接待」に送り出した事実を丁寧に調べたノンフィクションです。衝撃的な痛ましい事実ですが、無事に日本に戻った「接待」責任者の男性が、「接待」を強いた女性に対し穢れた存在と蔑むばかりか、「ソ連兵のケツを追っていた」とからかったという根深い女性差別と無神経さには何より怒りを覚えました。その差別意識は決して今は消え去った過去のことではないでしょう。この悲惨な事実を第三者が「非常時だから」と語ったことに対し、「非常時だからしかたがないのであれば、非常時ならばまた同じようなことが起こるということ。つまりはその事実を肯定しているということだ」という一文は、様々な問題にも共通し、忘れず胸に刻んでおかなければと思いました。(早苗)

『原発を並べて自衛戦争はできない』と書いたプラカードを首から下げて、いつも一人デモをされていらっしゃる元原発技術者の小倉志郎さん。昨年11月、JR横浜駅構内でプラカードを外すように駅員に求められたそうです。昨年7月、「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である―大飯原発運転差止請求判決の要旨から」と書かれたTシャツを着て、原発事故の避難者関連訴訟の傍聴のために福島地裁にいた松本徳子さんは、メッセージ性があるので脱ぐように職員に求められたそうです。松本さんは福島県郡山市から自主避難されました。先月のこと。私は久しぶりに帰省し、空港に向かうバスの中で、母と過ごす残り僅かな時間を惜しんで話をしていました。「緊急の時以外、お話しはお控えください」。静かな車内にアナウンスが響き、ドキっとしました。緊急の時って・・・?これって、本当にコロナ対策ですか・・・?声をあげる権利を、私たちはこの3年間自ら差し出しているように、私は思えてなりません。もうやめませんか。私たちの声を取り戻しませんか。戦争が始まって、「あの時は仕方なかった。声をあげられなかった」と、後悔する前に。(百合香)

同性婚や選択的夫婦別姓がまだまだ認められない社会にうんざりしています。それらの法律が通ったところで、これまでの日常が脅かされ、悪影響が及ぶ人はきっといないはずです。ただ、好きな人が誰であるかで社会から抑圧され続けてきた人々、姓の選択を強制されていると感じる人々が自由になり、本来の自らの人生を歩めるような基本的な人権がやっと手に入るだけのことだと思います。「日本の伝統的な家族観が壊れる」と言う層もいますが、家族の形を、なぜ国家に、政治に決められないといけないのでしょうか。国家のもではなく、家族それぞれのものです。「性的マイノリティへの理解を深めましょう」という言葉も、私の中ではとても落ち着きません。もちろん差別やヘイトクライムは絶対的に許せるものではありませんが、ただ好きな人と生きるために、“社会から理解してもらう”という言葉がそぐわない気がします。そういった大切な法案が、数の論理である国会内で話し合われていることも忘れてはいけないことだと思います。(萌)

1月

新年早々何を書こうかと迷いました。気になることはたくさんありますが、1月だから、年のスタートに相応しい元気なことを書こうと思うと、どうも出てきません。私は悲観的な人間ではないと思うのですが、最近、ため息をつくことが多くなりました。年のせいでしょうか。まぁまぁ、愚痴はこのへんで、今年の計画を少しご披露します。3年間、学習会など人が集まることを自粛してきましたが、皆さんとシェアしたいテーマがたくさんあるので、専門家や体験者をお招きして学びたいと思っています。原発について、アジア太平洋戦争に関すること、在日外国人の問題等々。専門家のお話を聴くだけでなく、参加者が語り合えるような場にしたいと思います。ぜひ、ご参加ください!(春代)

3年振りにネパールに行って来ました。やはり、この目でみる、感じるは大切で、多くの発見、出会いと感じた旅となりました。最初に目に入って来たのは、仕事が減っている状況でしょうか。単にコロナの影響だけではなく、パラダイムシフトが起きているからだと思います。生活の向上が見られる一方で、置き去りにされ、依然として厳しい生活を余儀なくされる人々との二極化が進んでいるようにも感じました。その厳しい生活をしている皆さんも、少し応援をして向上する機会を得られた奨学金は、卒業生後、生きる技術、仕事を経て自らステップアップして行く姿を幾つも感じることができました。皆さまの応援あっての結果に感謝しています。(完二)

年末の沖縄で、ずっと行きたかった佐喜眞美術館に伺いました。沖縄の地で拝見する「沖縄戦の図」は重く胸に迫ります。スパイ容疑で日本軍に殺された人、ガマに逃げ込む人たち、集団強制死を迫られる人々、痛恨之碑。ちょうどヤマトからの学生が来ていて、館長のお話を後ろで聞かせていただけました。戦時下の群集心理、「真実を見つめる少年」にだけ描かれた瞳。学生さんたちからは幾つも質問があがり、頼もしく感じました。普天間基地を見下ろす屋上では、県民の意思を無視して基地を沖縄に押しつけるヤマトへの怒りを投げつけられ、学生たちはどう感じたのか。心の隅に刻まれて、これからのいろいろな場面で考えるきっかけとなることと思います。(早苗)

3年ぶりのネパールで、生産者の方々や奨学生、養護施設の子どもたちとようやく再会することができました。感染拡大に厳しい経済状況に、困難な中を生き抜き、逞しく成長している若者たちには感動しました。また、生産者の工房では、代表やマネージャーの方々だけでなく、ワーカーの方々も喜んで下さっているのが表情から伝わってきて、来れて良かったと心から思いました。ネパールではほぼ日常を取り戻していますが、「ネパリが来てくれて、やっとノーマルに戻ったと思えた」と言ってくださったのが嬉しかったです。コロナ禍で厳しいロックダウンが2回あったネパール。家から出られず、刑務所にいるようだったとマハグティのスニールさんは言われていました。私たちも行きたくても行けない、耐え難い時間でした。こうしてお会いして、たわいのない話で大笑いして、場と時を共有することが、生きる力になりますね。日本社会も、自分たちの生きる力を信じて、社会を取り戻していきましょう。(百合香)

フォトジャーナリストの安田菜津紀さんと佐藤慧さんの年末年始の取材報告を聴きました。沖縄で遺骨捜索を続けられている具志堅隆松さんと共に、福島県大熊町で娘の汐凪さんの遺骨を探し続けている木村紀夫さんの元へ再訪問され、搜索をされた報告です。感じたことは書ききれない程たくさんあるのですが、年末にかけて動きのあった原発や軍備費の「大転換」について、木村さんが涙ぐまれながら言われた言葉がとても重く、私の中に残っています。「何かあった時に、避難が必要な原発をなぜわざわざつくるんですか…。こんな悩まなくて言い訳ですよ。世の中の99%ぐらいの人たちはそういうことを考えないっていう…。本当に息が詰まりそうな感じですね。そういうことをちゃんと伝えられない、言えないって。特にここ(福島)で」。日本は年が変わると同時に「昨年のことは忘れて、気持ち新たに!」という風潮があると思うのですが、忘れてはいけないことがたくさんあります。年越しを喜べない人々はきっとたくさんいいらっしゃると思います。いち日、ひと月、1年の積み重ねだと思い、私たちの今の足元がどんな社会につながっているのか、考えながら日々を過ごしていきたいと思います。(萌)