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暮らすように働く 2022年7月~12月

ネパリスタッフが、日々働きながら感じることを思うままに書いています。

12月

11月10日に福島県双葉郡と飯舘村に行ってきました。事故後、飯舘村や浪江町には何度か行きましたが、東京電力福島第一原子力発電所がある双葉町と大熊町は初めてです。まだ事故の収束の見通しも立たず空間線量が高い地域で、帰還困難区域と一部の来春解除を目指す特定復興再生拠点区域がまだら模様のようになっています。それは、通行禁止と遮断されている道路まで行かないと分からず、道路は封鎖できても、空気には壁を作れないので、つながっているのになぁと横目に見ながら通りました。津波で亡くなった大熊町の当時小学一年生の木村汐凪(ゆうな)さんをずっと探し続ける父親の紀夫さん。津波の後、避難命令が出て、その後も長期間帰還困難区域になり、捜索はなかなか進まず、これまでほんの一部のお骨やランドセルが発見されただけでした。沖縄戦遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんの遺骨収集に昨年4月に同行、具志堅さんとの交流が始まりました。そして、汐凪さんを一緒に探そうと今年の1月1日、具志堅さんは大熊に。そして2日、ほとんど欠けることなく残った大腿骨を発見しました。体で一番大きな骨だそうです。今、この国は原発の稼働年数を延長しようとしています。一番安易で最も危険な選択です。壊れるまで稼働するんだなと思いました。福島第一原発だけでは足りず、何基も事故を起こさせるつもりなのだと思うと、その無責任さに怒りを禁じ得ません。阻止できるのは今を生きている私たちです。(春代)

今年も、とうとう1ヶ月を切りました。コロナが流行する前は、例年、年末から年始にネパールを訪問、生産者の皆さんへのご挨拶や、養護施設や奨学生のホームビジット、学校や仕事場訪問をしていました。久々に、年末にかけて行って参ります。遠方まで足を延ばしたいところですが、時間的制約もあり、少しゆっくりとしたペースで行動をしたいと思います。初日は、クリスマスの日。早朝に、ソマンアカデミーという私立学校の宿舎でお世話になっている養護施設の子どもたちに会いに行きます。その後、生産者の方々を訪問しながら、翌日から東ネパールに飛行機で移動。多くの奨学生が学んでいる地域へ伺います。この時期、霧が発生して飛行機が遅れたり、キャンセルになったりのハプニングが多々起こります。今年は、スムーズに進みますように!詳細は、年間報告書でお伝えできればと思います。いつも支えて頂き有り難うございます。良いお年をお迎え下さい。(完二)

雑誌で紹介されていた「東京原発」という2004年の映画をビデオで観ました(ネット配信で便利になりましたね)。都知事が、都庁の隣の公園に原発を誘致しよう、交付金が得られるし、長い送電線がいらないし、熱を利用できるしと言い出す…実際は危険な原発建設を本気で進めるなら享受している東京に建てるべきだという問題提起なのですが、地震への脆弱さ、放射性廃棄物の処理問題、原発に集中するエネルギー研究開発予算等説明し、国への皮肉もいろいろ。有名俳優陣出演なのに、当時上映館を探すのが大変だったそうです。あれこれ起きた最後に、副知事「こんな事件が起こったんだから原発反対運動は黙っていても起こりますよ」知事「甘いな。こんなことで無関心な東京都民が動くと思うか。人間は過去のことはすぐ忘れる。終わったことには関心がない」…う~、その通りです!福島の事故から10年しか経っていないのに、原発再稼働、期間延長、新規建設が進められようとしているのですから。(早苗)

久々に出展したグリーンマーケット。一人の高校3年生との出会いが印象的でした。「活動している人にこんなことを聞いていいのか分からないのですが」と前置きをされて“フェアトレード ”に対する疑問をぶつけてくださいました。日頃から問題意識、批判精神をもって学ばれていることが伝わってきました。私たちも“フェアトレード”という言葉のみがもてはやされ利用される背景には多いに疑問を感じているので、そこから色々な話になり、「一人ひとりが大事にされて、対等であることは当たり前のことなのに、それを目指すことが特別なことであるのはおかしい。こんな社会にしてしまって本当に申し訳ない。あなたが社会に出るまでに、もう少し良い社会にします。ごめんなさい」と言うと「何でこうなってしまうんだろうと思っています。お願いします」と頭を下げられました。ぶつけようのない怒りを感じました。若者に直接、お願いしますと言われたのは初めてで、今まで自分が言ってきたことがあまりにも軽く感じられてショックでした。誰もが将来に希望を感じられて、活躍できる社会の下地を、私たち一人ひとりの足元から作っていきましょう。2023年こそは、その始まりの年にしましょう。(百合香)

「来年こそはもっと明るい年にできるように…!」と年末には毎年考えているのですが、2022年は2021年と比較してどうだったかな?と振り返っています。防衛費の爆上げ、原発の再稼働・運転期間の延長、反省せず同じ言葉を繰り返す政治家たち…。少し振り返るだけでも明るい1年だったとは言い難いですが、でも、大きな社会よりも自分自身に焦点を当ててみると、「あれ?敵基地攻撃能力を保有することが、本当に(戦争をせず)日本を守ることにつながるのかな?」などと、以前と比べて一度立ち止まって考えられるようになったことは一つ成長したことだと感じています。大きな権力を持った動きは目まぐるしく、時には私たちの知らないうちに水面下で進んでしまいますが、「私たち国民はいつも見ているぞ!」という姿勢を忘れずにいたいです。(萌)

11月

美味しい新米の季節になりました。今年も品質の高いお米を収穫でき、アグリ笹森さんの稲作カレンダーの1年が無事終わります。本当に有り難いことで感謝しながら味わっています。このように毎年、当たり前のごとく美味しくいただいていますが、農家さんとの関係が深まるにつれ、お米だけでなくこの国の農業はどうなってしまうのだろうと危機感がつのります。食料自給率の低さは食の安全保障を脅かし、なんとかしなければと思いますが、農家さんの高齢化と後継者不足という現状は将来の見通しを暗くします。農業をしたいという若者、農業に夢を抱きやり甲斐を感じる若者に出会うととても嬉しくなります。若い人たちが農業を継続できるようにするために何ができるのだろうか。待ったなしです。考えつくどんなことでも、できることから始めましょう!(春代)

年末に久々のネパール訪問を予定しています。コロナの影響もあり、ネパール行きの航空券手配がかなり面倒でしたが、最近、タイ国際航空の姉妹会社がバンコックとカトマンズ間のフライトを再開したようです。次回から航空券の予約が楽になりそうです。ネパールのホーム支援は、2箇所でしていますが、子どもたちは元気とのことです。再会が楽しみです。東ネパールのインド国境に近い養護施設、スワボーダケンドラでは、台所や屋根修復の支援もして来ました。屋上に壁がない状態で危険なので、その修復もすることになりました。奨学生では、目的のコース(電気工事)を終えて、警察官になったとのニュースが入って来ました。電気設備を担当するのだそうです。制服を着て、お父さんと映っている姿、なんと微笑ましいのでしょう。生産者の方では、シリンゲコーヒーの組合代表をしているバドリさんが重体との一報。彼とは長い付き合いになります。当時は、車で行けるところから山を3つ超え、徒歩で8時間前後かかる村でした。欧米の国際協力機関から派遣された人が訪問することがあり、その時に足の怪我を負うという事故がありました。その方を背負って車の所まで運んだことが自慢の一つでした。昨今、彼も70歳を超えてからは、あっちこっちと病気をされて、突然に入院、重体だという情報が入りました。常に厳しい生活環境に置かれた彼の人生、良くなることを願わずにはいられません。(完二)

少し前に、辺野古で闘う方々を揶揄する映像を某有名人がSNSに流し物議を醸しました。気持ち悪くなりそうで見ることができず、「反論の場に同席したがあちらの土俵に乗ってしまった」等々こちらの方々の口惜し気な振り返りを見るばかり。見てないものを言う資格はないので、ここからは一般論です。本当の大物は驕ることなく、歳下や部下の言葉も敬意を持って聴き、間違いがあれば臆せず謝れるものかと思います。自分より立場の弱い人を叩いて傷つけて(パンチダウンというのですね)得意げにする人は、どんなコンプレックスで、何に蓋をして自身を飾り立てようとしているのか。安易に「いいね」をする人もそのカッコ悪さに気づいてくれるといいのですが。(早苗)

10月の一言で、横浜市内の小学校で、フェアトレードを通して世界の問題を自分事として学ぼうと地道に活動されている先生がいらっしゃることをお伝えしましたが、またまた嬉しいことがありました。先生は別の学校に移動されたのですが、小学6年生の十数名が自ら学びを続け、横浜市のイベントで発表する機会を得たのです。発表の場にご招待頂き、参加してきました(ありがとうございました!)。厳しい環境で生きている世界の子どもたちに、自分の家族や友人のように心を痛め、自分たちにできることをしようと一生懸命訴える姿に感動しました。発表から「フェアトレードとは、一人ひとりが力を発揮できる場所をつくること」というメッセージを受け取りました。緊張の舞台で、自分自身にチャレンジしたみなさんが社会に出るまでに、多様な個性や力が発揮できる、生きやすい日本社会にしなければと心に誓いました。(百合香)

福岡県の太宰府すぐ近く、二日市保養所跡地に行きました。祖父母の家の近くにずっとあったけれど、大人になってからも知らなかった場所。春代さんから、鈴木政子さんの「語らなかった女たち」という本をお借りしてから、いつか行きたいと思っていました。二日市保養所は、満州からの壮絶な引き揚げをされた方たちの中で、ソ連軍からのレイプ、自らの開拓団を守るための性接待などによって望まぬ子どもを授かった女性たちのために、当時は違法だった中絶手術が行われていた場所です。命からがらやっと日本に帰れる引き揚げ船の中で、この身体では祖国に帰れないと海に飛び込みまれる女性もいらっしゃったといいます。無事に帰国をされても差別を受けられ、何十年もその史実はタブーとされてきました。何層にも重なる被害と差別の構造に、本当に悲しくなります。教科書では教えてくれませんでした。そもそも日本がはじめた戦争。日本が中国から奪った土地。満蒙開拓団の方たちを盾として国境沿いに移住させた国策。日本の国策は、過去も今も、誰を守るためのものなのかが本当にわかりません。被害者にならないために、加害者にならない。そのために歴史と共に、史実も学ばなねばと思います。保養所跡地の水子地蔵を目の前にどう気持ちを寄せればよかったのか、そう簡単にはわからず、ただ座って時間を過ごしました。(萌)

10月

沖縄の辺野古新基地建設に反対する市民が、米軍キャンプシュワブのゲート前で座り込みを続けて9月22日で3,000日になり、普段に増して集まった140人が9時、12時、15時と3回の土砂搬入の阻止行動をしました。市民に倍する機動隊に阻まれ退けられても座り込む市民たち。翌早朝、友人から送られた新聞記事の『本土復帰して50年。いまでも県民が闘い続けている。このことに本土側が応えないと現状は何も変えられない。子どもたちに沖縄の実状を伝え続けたい』大阪から駆けつけた中学教師のこの言葉が突き刺さりました。先日の知事選でも辺野古新基地建設反対を訴え続ける玉城デニー知事が再選され、沖縄県民の民意は明らか。感情論ではなく、軟弱地盤の上に専門家も警告する震度1でも崩れるおそれのある活断層が通る辺野古新基地予定地は、計算できないほど莫大な税金を投入しても完成は不可能です。他の場所ならよいわけではありませんが、なぜこの場所にここまでこだわるのか。「聞く耳」を全く持たぬ市民弾圧は沖縄だけの問題ではなく、抵抗を沖縄だけに押しつけ続けている現状を変えないと次は我が身です。(春代)

ネパールは、10月5日からダサインという日本のお正月のような重要なお祭り(祝日)が始まります。温暖化で、以前だと秋晴れの良い天気になる頃ですが、まだ雨模様の日が多い昨今です。明日からダサインが始まるという時に、突然、シリンゲコーヒー生産者の一人、ユブラジ君から連絡が入りました。なにやらセミの鳴き声はするし、人々の話し声がします。2年ほど前に、コロナ禍で彼のお姉さんが泥酔した夫に殺されるという悲劇が起きました。その1年ぐらい前には、お母さんが心臓を悪くしていて、治療の甲斐無く他界されています。お父さんも病気がちです。嫁いだ一番上のお姉さんが、娘さんを連れて実家に戻っていました。夫に殺されたお姉さんの一人息子は、ユブラジ君家族(ユブラジ君とそのお父さん)と暮らしています。和やかに笑顔で話している姿をみて、私たちも嬉しくなりました。良い1年になりますように!(完二)

半数以上の反対があっても止められないまま国葬(儀?)が行われました。民主主義っていったい…?友人代表の弔辞は、なんて薄っぺらな!と思ったのに、野党まで絶賛してるって、ホント?!「ボク、こんなにやりましたよ、ワンワン」っていう身内向けの自慢話としか思えないのに…。曲がりなりにも国税で行うのだから、「丁寧な説明をしていきたい」といいながらしてこなかった実施の理由が伝わるような、反対している人も「そういうことなら国葬の意味もあるか」と思えるような、そんな弔辞を(できるものなら)してほしかったと思ったのですが。やったもの勝ちで終わらない
よう、忘れずに今後も注目していきたいです。(早苗)

とても嬉しい再会がありました!横浜市内の小学校で、子どもたちが、世界の問題を自分事に感じられるようにと、フェアトレードを通した活動を長年地道に取り組まれている先生がいらっしゃるのですが、教え子が高校生になり、学校のプログラムを通して事務所にいらしてくださいました!なぜずっと気にかけてくれていたのか伺うと、「自分が知っていたら、一人の人には伝えられるかなと思って」と。素直な言葉にはっとしました。たった一人でも、出会った人に伝わるあたたかな言葉と気持ちを大事にして、みんなが一人に伝えて、輪を1mmずつでも広げていくことが大事だなと思いました。蒔いた種は、確実に芽が出て、これからぐんぐん成長していくんだなと嬉しい気持ちになりました。(百合香)

「被害者にならないために、加害者にならない」。沖縄で平和学習講師をされている22歳の仲本和さんの言葉がとても心に残っています。9月25日に沖縄県が主催した「若者と考える米軍基地と沖縄の未来」というシンポジウムに登壇されていた仲本さんは、沖縄外から来られる修学旅行生対象に「沖縄戦跡や基地のガイド」や平和学習を企画されています。「平和な社会に生きたい」と願う気持ちは誰であっても同じだと想像するのですが、戦前であるかのような政権の動き、そして沖縄への変わりのない構造的暴力がなめらかに続いている現実をみると、平和を望む気持ちとなぜここまで乖離してしまうのだろう…と思ってしまいます。そんな時に、仲本さんが言われた言葉がアジア太平洋戦争をとても端的に表していて、はっとさせられます。戦争を体験された方々から直接お話を聴くことも難しくなり、両義性のある戦争を被害側しか伝えない教科書が”知識”としてより主軸になってしまうのではと不安になりますが、仲本さんが言われた言葉は、まずは歴史を学ぶこと、その上で被害者にならないために、自分たちの暮らしの中でどんな選択を積み重ねていくべきなのか、その軸になってくれる言葉だと感じました。(萌)

9月

明治維新からアジア太平洋戦争敗戦まで77年。敗戦から今年で77年。同じ年月ですが、前期は戦争につぐ戦争。神国日本は負けないはずが最後は一億総玉砕を叫び、避けられたはずの多くの犠牲をだし、傷を深めるだけ深めてようやく終わりました。それからの77年は、その犠牲の上につくられた平和憲法に守られ(矛盾は沖縄に押しつけて)、一億総中流と言われた時期があるほど戦前とは比較にならない豊かで自由な社会を享受してきました。77年経った今、戦争の悲惨さを骨身に染みて知る世代が次々に退場し、戦争を知らない世代がほとんどです。強い不安を抱くのは私だけでしょうか。政治の世界でも、教育の世界でも、戦争だけは絶対に二度としてはいけないと強くけん制してきた世代が減るにつれ、戦争準備は着々と進んでいます。これまでのように自分のこと、目前のことだけを考えていてもなんとなく生きられる時代と違うはずですが、私を含め戦争を知らない世代の危うさは自分が何かしなくても平和はあると思い、戦争なんて“馬鹿げたこと”が起きるはずがないと安易に信じていることではないでしょうか?教えてくれる先輩たちがいなくなったら自分で考えるしかありません。どうしたら戦争をしない国にできるかを。(春代)

9月になると、奨学金候補生の声が聞こえてきます。私たちの奨学金は、ネパールで、生活がより厳しい家庭環境にありながら学びの希望がある子どもたちに優先して出しています。その中心は、遠隔の地であるカンチャンジャンガ紅茶農園の子どもたちですが、その子どもたちが高等教育を受けるために、可能であれば都市部で住み通います。そこにも、より厳しい家庭環境の少数民族が住んでいて、私たちが、この高等教育支援を始める前は、高校に進学したのは、その民族の歴史上1名という状態でした。その子どもたちへの支援も続けています。昨年は、11名、今年は9名の候補生が予定されています。年末は、そのご家庭を訪問もすることにしています。フェアトレードを続けているからできることに感謝でいっぱいです。(完二)

8月に伺った沖縄・伊江島のわびあいの里で購入した本「戦場が見える島 沖縄」(嬉野京子著)を、寝て帰るつもりだった飛行機の中で一気に読みました。アメリカ統治下の沖縄の惨状を伝えようにもジャーナリストには渡航許可が下りず、渡航できても「カメラを持ち込んだら命の保証はない」と税関窓口で言われる異様さ。目をつけられて伊江島で拘束されそうになり隠れて漁船で島を脱出、多くの人の助けを受けて那覇空港を飛び立て、自分は逃げ帰ればいいが、沖縄で闘う人たちには逃げ場がないと涙。島の人が伝えるのとは違う視点からその壮絶さが伝わってきました。阿波根昌鴻さんも重視していた「写真に残すこと」の意味、危険な地域に入り命を懸けて情報を伝えるジャーナリストの存在がどれだけ重要かを改めて感じました。(早苗)

私は国葬に反対です。只でさえ不平等・不公平で生きにくいのに、命尽きてもなお、その人の功績(国にとっての)に優劣をつけられるのは、何て悲しい社会なんでしょうか。国葬、という言葉を聞く度に、ハンセン病療養所・沖縄愛楽園内にある納骨堂を思い出します。国がとった強制隔離政策のため、らい予防法が廃止されてもご遺族が引き取りに来られないご遺骨がたくさんありました。映像で見た、満州からの引き揚げの途中に命尽きた方を土葬した、盛り上がった土も思い出します。国が始めた戦争によって、大切な命を失いご遺骨も拾われていない無数の命があります。さらに国は、ご遺骨が混じった土を辺野古新基地建設のための埋め立てに使おうとしています。国策で進めた原子力政策により福島原発事故が起こりましたが、行方不明者を捜索できず、未だ見つからない方も多くいらっしゃいます。どの方の命も平等に尊いのではないでしょうか。私たちの命は国のためにあるのではなく、その瞬間、瞬間を、その人らしく生き抜くためにあるのだと思います。(百合香)

「便利になる」とはどういう事なんだろうと近頃よく考えます。電子決済の種類が豊富になったり、年に何度も新型のスマートフォンが発表されたり、ソーシャルログインが一般的になったり。その「便利さ」を知らずとも生きていられた時があるというのに、「便利さ」を知ってしまった後は元の機能を「不便」であったと思い込んでしまいます。色々な場面での物事が便利になり、人の動作や思考はシンプル化しているとも思います。でも、便利になる過程や構造には様々なシステムや企業などが入り組んで複雑だと想像しますし、私個人の情報の所在はどこなんだろう、便利過ぎる世の中はどんな社会を目指しているんだろう、とも想像します。ぐるぐると考える中で、沖縄・伊江島のわびあいの里の謝花悦子さんが言われた言葉をいつも思い出します。「乾燥機付き洗濯機は、身体が不自由で、車椅子生活をしている私のためにあるんだと嬉しかった!」。私にとって必要ではない「便利さ」であっても、誰かの生活の中のが障がいが取り除かれたり、心から生きやすくなったりする方がいることも忘れてはいけないと教えてくれました。(萌)

8月

ネパリ・バザーロはこの8月から31年目に入ります。1992年8月に創業してから30年も経ったとは。それほどの長い年月が経ったという実感がありません。それは、充実していたことの証しでしょうか。活動仲間に恵まれ、お客様とも価値観を共有する同志のように感じられる環境で、やりたいことが次々と現れ、あっと言う間に時が過ぎたようです。もう、若い時のような体力はありませんから、どれだけ動けるか限界は感じますが、知りたいことが山のようにあるので、動ける間はどんどん出かけて行こうと思います。そして、若い人たちの応援をしたいと思います。長い間、ご支援をいただき本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。(春代)

驚異的な円安のなか、コーヒー、カカオが間もなく入って来ます。まだまだコロナの影響で、物流も以前のように円滑ではありませんが、少しは改善の兆しがあります。生産者の暮らしはどうかと言えば、かなりの疲弊が垣間見れて、物流が滞った分、暮らしは大変そうです。シリンゲ協同組合の代表をされていたバドリさんは、高血圧と高血糖で体調が悪く、お連れ合いは、気管支が弱く、息子さんも病気がち、薬を買うのも大変な状況になっています。そのようななか、組合メンバーの女性たちが集まり作業をして、コーヒーを首都カトマンズまで送ってくれました。その分、現金化も早まり、お互いに助かっています。その期待に応えられるように、これからも頑張らねばと思う昨今です。(完二)

新型コロナ流行も3年半となり、今年も各地でイベント再開に悩んでいるようですね。8月初めの横浜の花火大会は開催され大勢の人出だったようですが、同じ県内でもコロナ第7波で急遽中止となったイベントもあるようです。大きなイベントも地域の小さなお祭りも3年開催しないと再度開催するハードルはかなり上がるような気がします。地域のコミュニティや継承してきた文化が変化してしまうようで残念です。(早苗)

7月の野田村訪問では、山葡萄農家の渡辺正敏さんから、満州引き揚げの壮絶な体験を聴かせて頂きました。本を読んだり、春代さんから話を聴いたりしてきましたが、直接聴かせて頂いた言葉はとても重たく、どう受け止め、どう継いでいくのか、その責任をずっしりと感じています。「平和であってほしいんだ」「武器を捨てて、憎しみの連鎖をたちきらなければ」と言われる正敏さんの、心の底からの願いを託されました。「山葡萄の栽培は続けられなくなってしまって、ご縁がなくなってしまうかと思ったけど、こうして会えて、嬉しいねぇ」と言ってくださった時のお顔も忘れられません。お話を聴いた後に見た山葡萄畑は、今までとは全く違った光景に見えました。(百合香)

7月は、私にとって3度目の期末でした。食品から衣類、雑貨まで、全ての商品の数をカウントしていく棚卸の時期でもあります。今年の棚卸の日にはボランティアの学生さんにも来てもらい、商品一つひとつを数えてもらいました。忙しい日ではありましたが、初めて触れる商品たちに「可愛い!可愛い!」と言いながらも、真剣に作業をしてくれてとても助かりました。私はネパリで働き始めてまだまだ3年ですが、データ上の在庫数とカウント数に差異があると、この商品は今年倉庫から久しぶりに動かしたからなぁ…、この商品はあの商品と似ているから何か間違ったか…!?と、少しずつですが原因を推測できるようになりました。少量多品種の商品たちの動きを、この1年少しでも感じられていたかなと思います。毎年あっという間に時が過ぎていきますが、積み重ねていけるように頑張りたいと思います。(萌)

7月

気になっていた映画を観に行きました。「PLAN75」は近未来の日本にこういうことが起こるかもしれないという恐い映画。急速に進む高齢化と少子化で若者にしわ寄せがいき、不満が爆発。長生きは社会の迷惑なのか?若者の夢を奪うのか?国は75歳以上の安楽死を合法化し支援する。すると、経済効果も現れ、さらに対象年齢を65歳まで引き下げようという案も浮上する。全く、有り得ない話でしょうか?一人世帯や身寄りのない人も増えています。年金支給開始年齢は遅くなるし、高齢者に働き場はなかなかない。血縁(けちえん)ではなく結縁(けちえん)。世代を超えて人と人のつながりを結び直す、市民による地域の受皿づくりが急がれるのではないでしょうか。(春代)

コロナの脅威がなくなったわけではありませんが、今年は、久々にネパール訪問をする予定です。カトマンズ近郊の養護施設、生産者、奨学生の皆さんと直接お会いすることも久々です。入荷の方は落ち着きをみせていて、順調です。季節にあわせて、紅茶、コーヒーも入荷、カカオも間もなく入荷します。円安の影響を大きく受けているので、そろそろ落ちついて欲しいところです(厳しい!)。今月は、養護施設の子どもたち支援の7月から12月の定例分を送ります。子どもたちは、元気に暮らしているとのことです。応援を日頃から有難うございます。(完二)

このお手紙を読まれる頃はどんな気候になっているか分かりませんが、書いている今、7月初めは早くに梅雨が明け、この時期とは思えない高温の日が続き、暑さに体が追いつかず、外を歩くだけで疲労困憊です。まだまだ夏は長いのにどうなることやら。こんな時はスパイス料理で栄養を摂りましょう!ネパールカレーのスパイスは、一パック使ってカレーにするのもいいですが、小瓶に入れて炒め物やスープにパパッと振って香り付けするのが最近のお気に入りです。一振りで香りが立って食欲増進です。(早苗)

夏カタログのナチュラルセラピーカカラさんの「触れることやリラックスすることを通して、一人一人の中に争いのない平和な社会が作れると思っています」という言葉は心に響き、お客様からもたくさんの共感の言葉を頂きました。そんな時に長くお世話になっている石川県のお店「al(のっぽくん内)」にお声がけ頂き、萌さんと、お客様にツバキオイルのハンドマッサージをさせて頂くことになりました。早速カカラさんのレクチャーを受け、事務所では春代さん、完二さん、早苗さんに練習台となってもらい、毎日のようにハンドマッサージ。する方も気持ちよく、癒しの時間となりました。そしてのっぽくんでは、素敵なスタッフの皆さまに迎えて頂き(ありがとうございました!)、お客様にドキドキのハンドマッサージ。カカラさんに教わったように、手のひらの広い面で、しっかりお肌に密着させることを意識しました。そして、自分自身がリラックスをすること。こんなにたくさんの人の手に触れたのは初めてですが、相手を信頼し、心を開き、自分をゆるめるその延長に、平和な社会があるんだろうなと思いました。恐怖や不安、憎しみではなく、愛や平穏な心で満たされた社会になるようにと心から願います。これからもハンドマッサージ続けていきたいので、練習台になってくださる方、大募集です(^^)(百合香)

みなさまのお手元に7月のお便りが届く頃には、参議院選挙の結果が出ていると思います。今回私は、人生で初めて期日前投票をして来ました。ただ良い社会にしたいだけ、生きにくいと思うときに、政治が私たちを助けてくれる存在になって欲しい、そのために「一票一揆〜!」と念を送りながら投じて来ました。ネパリの事務所には、2005年に映像文化協会さんがつくられた「命こそ宝 阿波根昌鴻から平和のメッセージ」というカレンダーが飾られています。(伊江島・ヌチドゥタカラの家の館長、謝花さんから春代さんが譲り受けたものなのですが、なんと今年と同じ暦だったのです…!)カレンダーには阿波根さんの大切な言葉と共に、世界や日本、沖縄の歴史の出来事が、1日1日の枠に書かれています。7月11日の枠には「2004年参議院選挙、沖縄選挙区で革新統一候補の糸数慶子氏初当選」と。おお、阿波根さんが、2022年の大事な参議院選挙に向けて私たちにメッセージをくれたんだと勝手に嬉しくなりました。私たち一人ひとりの狼煙、永田町に届きますように!(萌)