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ネパールコーヒー物語 verda35

地域開発 人が人らしく生きるために

シリンゲ村のコーヒー農民たち 偏見と差別との闘い その3

文・ネパリ・バザーロ副会長 丑久保完二

コーヒーなどの嗜好品や食品原材料は、値上がりが激しく、売値に転化できない洋菓子店、喫茶店など小さな店は閉店に追い込まれているところもあります。小売価格を据え置いたまま利益を出そうと、原材料の質を落としたり、原産地を偽ったりする企業もあります。日本の社会に多大な影響を与えているこれら一連の動きがある一方で、市場が不足している生産者が多くいるのも事実です。つまり、供給不足でもないのに高騰しているのです。これは、生産者にとっても、消費者にとっても喜ばしい状況ではありません。明らかに、投機の対象として高騰していると読むことができ、私たちの生活を脅かしています。

お取引先から、「ネパリ・バザーロ(以下ネパリ)も原料の高騰で大変でしょう?」と聞かれることがあります。こと、コーヒーに関しては全く動ぜず、生産者の方々とより良き道を求めて進んでいるといえます。フェアトレードの仕組みなくしてはできないことです。安心して暮らせる住みやすい社会を私たちの手で創る手段がここにあります。

前号では、コーヒー生産者、シリンゲの人々の置かれた状況、貧しいが故に、周囲から無視され、排除され続けた人々とともに偏見や差別と戦い、自立に向けて努力している過程をご紹介しました。今号では、その後の状況を、厳しい生活の実体も含めながらお伝えします。

自然農法で育てたネパールコーヒー

ネパールコーヒーは、浅煎りから深煎りまでのローストが可能な豆で、とりわけ深煎りは、甘みも出てとても美味しいコーヒーです。シリンゲはコーヒーの生産地域の一つ。ラリトプール郡の最南端に位置します。起伏が激しいカブレ、マクワンプルに接し、行き来の難しい所です。カトマンズからバスを乗り継いでほぼ1日掛かり、そこから徒歩で険しい山道を数時間歩くとシリンゲに辿り着きます。

ネパリの「シリンゲ村物語」のコーヒーは大自然の中で、昔からの自然に沿った農法で大切に育まれています。そして、村での栽培、加工、選別から、カトマンズでの再選別や厳しい品質チェックまで、一貫した工程管理により、質が良く安全で、安心して飲んでいただけるコーヒーです。ここでは、村の様子をご紹介します。

コーヒーの生産地シリンゲ村の動き

2011年2月25日、昨年5月の訪問に続く5度目の訪問になりました。前回より道路が延び、ナムンダラから歩いていた頃に比べると4時間の短縮です。

2010年12月末、念願の国際標準の有機証明を取得しました。今回はそれに伴う内部監査に立ち会い、問題がないかどうかをチェックし、もし問題があればその改善をすることが主な目的でした。又、協同組合の事務所設立のための用地探しと購入、緊急支援ファンドをスタートさせるためでもありました。私たちの訪問に合わせ、協同組合の年次総会も開かれました。ネパール国花ラリグラスが綺麗に咲き、周囲を華やかに彩っている季節でした。

昨年までの度重なる妨害との必死の戦いがまるで嘘のように、協同組合代表のバドリさんは、〝コーヒー叔父さん〟として地域で一目おかれる存在になっていました。皮むき機も、ネパリが4台支援、協同組合も自力で1台調達し、木製の古い物から水力を利用する新しい物に一新、効率も一段と良くなりました。状況の改善を象徴するかのように、赤いラリグラスがそこここに咲き誇るシリンゲは
輝いて見えました。

農民の生活と苦悩

ネパールは農業国で、国民の約8割が農業に従事しています。農民の暮らしは、天候に大きく左右されるため収入が不安定です。そして、医療が発達した現在では、病人がでれば、高額な手術代、薬代など現金が必要となり、農民にとっては大変な困難を招くことになります。又、教育の必要性の認識も高まり、ここでも現金を必要とするようになりました。しかも、村には専門的な教育を受けられる学校がなく、高学年になれば都市部で下宿するなどして勉強せざるを得ないため多額の費用がかかります。ある程度の安定した現金収入がなければ高等教育は夢のまた夢となります。

ネパールは1950年まで、約1世紀を支配したラナ政権(*)の愚民政策(国民を支配しやすくするため教育を受けさせなかった)の負の遺産で、識字率は今日に至っても低く、暗い影を落としています。シリンゲの人々は、その影響を色濃く受けた人々、ということができます。組合員のなかにも読み書きできない方が多くいます。そのことから、土地をだまし取られた話は沢山あり、組合理事の一人、インドラマニさんも、所有する土地26ロプニ(1ロプニは約160坪)の内、10ロプニを失っています。
収入を得る手段の少ない厳しい状況から、大家族で生活する傾向にありますが、どこの家族にも病人が一人は居る、と言っても過言ではありません。慢性化した病であれば、薬代が家計に重くのしかかっています。

有機証明の内部監査員でもあるユブラジさんは村で高校卒業資格をパスした若者世代の筆頭です。お姉さんたちはみな結婚し、両親との3人暮らしです。彼の家を訪問する度に気づいたことがありました。屋根の茅葺が傷む一方で手入れがされていないのです。どちらかと言えばおっとりとしている彼ですが、地図を器用に描いたり、色々と先のことを考えたり、仕事振りも真面目です。その彼が何故?答えは簡単でした。61歳のお母さんが心臓を患っていたのです。7年前に医者にみてもらった時、手術を薦められたそうですが、お金がなく断念。以来、薬をのみ続けています。それが、家計を圧迫していたのです。お父さんも、ネパール特有の座る姿勢から腸が下がり、普通に座ることができません。協同組合は新しくできたばかりで組合としての収入がほとんどないため、その仕事は、全てボランティアで引き受けなければなりません。このような話は、ユブラジさんのご家庭に限らず散見されることです。

農産物故の厳しい状況もあります。昨年は、ホワイトボーダーという虫によりたくさんのコーヒーの木が被害を受けました。この病気にかかると、木を伐り燃やす以外に有効な方法はありません。遅れると被害は広がり、更にダメージが大きくなります。

ケダールさん、イッチャさんは、村でも上位のコーヒー生産量を誇っていましたが、今では、ほとんどの木を失いました。イッチャさんご夫婦は高齢で、頼りにしていたたった一人の娘さんは駆け落ちして突然出て行ってしまったそうです。これから、どうやって生きていこうかと途方にくれていました。

組合との協働と挑戦

昨年末の数年がかりだった有機証明の取得はとても嬉しいできごとでした。シリンゲの農民の方々の喜びは、それは、それは大きなものでした。協力してくれた輸出代行事務所の代表ディリーさんやラクシミさんたちスタッフ全員も興奮し喜び合いました。勿論、私たちも。

コーヒー生産に関連する設備の増強も実施し、新しく作る事務所と倉庫の土地も購入、登記も終わりました。昨年、豪雨で半壊した協同組合長、バドリさんの家のようなケースを支援する仕組み、「緊急支援ファンド」も作り、運用しています。私たちとしては課題山積の中、全力を挙げてシリンゲの人々をバックアップし、福祉面の充実にも努めてきた結果がここに出ています。しかし、それはゴールではなく、やっとスタートラインに着いたのだと分かりました。共に脅威にさらされながら偏見や差別と闘う中で、個々の家庭が抱える問題もよく見えてきて、その根深さ、大きさが分かってきたのです。

これから目指すことは、先のユブラジさんのような人々に、協同組合のためにがんばった分、給与が出せるようにしていくこと(それにより薬代も賄える)、家庭の生活状況により、東ネパールで展開しているような高等教育への奨学金を出していくこと(現在は、ケサブさんを支援し、農業専門家になるべく勉強をしてもらっています)など、次世代を育てながら、収入向上を通じ様々な課題をシリンゲの人々自らが改善していけるような力をつけることです。そのために更なる収入向上の手段として、スパイスを栽培する計画もしています。

世界的な投機に左右されず、安全で安心な職づくりを通じ、「共に生きる」道を模索し、シリンゲの人々とこれからも挑戦して参りたいと思います。

≪ケサブさんの頑張り≫

シリンゲの期待の星、ケサブさん( 21歳)はすごく負けず嫌いの頑張り屋です。彼には農業の専門家になりたいという夢がありましたが、親に財産や安定した収入がなく、叶わぬ夢と諦めていたそうです。

ネパリがバドリさんたちに協力してシリンゲ協同組合を設立し、有機証明取得に向けて動き出した時、将来を考え誰かに専門知識を学んで欲しいと思い、中心になって活躍していたケサブさんに打診しました。ケサブさんは夢が叶うかもしれないと分かった時、天にも昇るほどうれしかったそうです。その時、きらきらと強い光を放ち、輝いた彼の瞳が忘れられません。

ところが、実際に学校に入ってみると、授業に追いつくのがものすごく大変だったそうです。ケサブさんは、どこかの会社の経理に雇ってもらえるようにと、SLC(*1)合格後、商業コースを選択したので、全国に3ヵ所しかない難関の国立農業大学に合格しても、科学コースから進級した他の学生に比べて大きく遅れをとっていたのです。2年間の内容をわずか1年で学び、早く追いつこうと必死で勉強しています。でも、子どもの時に心臓の大手術をし、それ以後も薬を飲み続けている彼にとって、暑いチトワン(*2)での勉学は重く大きい負担です。倒れて病院に運ばれたこともあると聞いては心配で溜まりません。しかも、組合のことで、有能な彼がどうしても必要となり、長距離バスに乗って時々シリンゲに戻ってきています。

「辛くない?続けるの、大変だよね」と心配すると、「ずっと夢見ていたことが実現したのだから、必ずやり遂げます。それに、組合も僕にとっては命と同じくらい大事だから、する仕事があれば、どんなに無理をしても戻ってきます。この出会いだって組合のおかげです。組合がなかったら僕の今はないのですから」と、言いました。その強い意思を包む身体がもっと丈夫だったら、この人はどれほどの仕事をやり遂げられるのだろうと思いました。しかし同時に、小さい頃から身体が弱く、両親の不仲など家庭環境も大変だったことが、今のケサブさんの優しさ、強さを養ったのだとも思います。

ケサブさん、あなたの夢はあなただけの夢ではありません。身体に気をつけて、少しだけ、ビスターレ(ネパール語で“ゆっくり”の意)、ビスターレ。

※1:10年間の基礎教育を修了したことを証明する国家試験。
※2:ネパール南部、インドとの国境に位置する亜熱帯のタライ平原にある町。1984年には世界遺産にも登録された、野性動物の宝庫として知られるチトワン国立公園がある。

(Verda 2011秋 vol.135より)