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カンチャンジャンガ紅茶農園より verda06

地域開発 人が人らしく生きられるために

ネパール紅茶が創り出す世界

文・ネパリ・バザーロ副会長 丑久保完二

村の生活改善と、それを支える人々

遠く町から離れた紅茶農園、澄んだ水と空気。
そこに、人々の温かい助け合いと、自然と調和した暮らしを発見した。

ネパールの東、バドワプルから北へ約100キロ走ると目的地フィディムに着く。ネパールで有機栽培をして唯一海外の有機証明機関(オーストラリアのNASAA)から認証を受けている紅茶農園だ。いくつもの山を越え、紅茶で知られるお茶畑が続く田舎風景のイラムまで舗装された良好な道を飛ばすと、そこから先はぬかるみだらけの泥道だ。深く車輪でえぐられた土の轍を、ハンドルを取られないように慌ただしく右に左に動かし、ゆっくり進む。雨が降り、雪道のようにすべる道を走る、走る、走る。「あー、崖!!」と思う間もなく車がそちらに向かって滑って行く。何度も手を突っ張り、顔が緊張する事も度々。夜も更けてあたりは真っ暗闇。3,000メートルの峠を抜け、高山病のように頭が痛くなる。突然に細い険しい道を急降下すると、そこにフェアトレードの世界が広がっていた。

紅茶の生まれる世界。カンチャンジャンガの魅力。

茶摘み女性の一日≫

ネパールの東部、世界で3番目に高い山、カンチャンジャンガ(英名:カンチェンジュンガ)の麓には、青々としたお茶畑が広がっている。ここでお茶摘みとして働いているサスワティ・バスコタさんは、快活な女性。ジャニタールに7人家族で住んでいる。21歳の若さながら、他6人の家族、お父さん60歳、お母さん50歳、19歳と16歳の弟、19歳と12歳の妹の面倒をみている。弟、妹は学校へ行っているが、彼女は学校へ行ったことがない。

朝5時に起き、顔を洗い、部屋を掃除する。そして朝食を作ると、7時頃から家族が食事を始める。彼女が食べるのは最後で、9時ごろだ。食事の後片付けをして仕事にでかける準備をする。ドコ(背負いカゴ)を担ぎ、20分かけて紅茶農園に出かける。そこで、深いお茶の 木の茂みに入り、器用に注意深くお茶の葉を摘む。熟練している彼女の指は、ほとんど機械的に確実に緑の葉を摘み、背中のドコに入れる 。右手でも左手でも葉を摘み、ドコに入れて行く。一番重要なのは、細心の注意を払って、お茶の葉を傷めないように扱うことだ。途中、 お昼には自分の家から持ってきたお弁当を仲間たちと一緒に食べ、世間話に花を咲かせる。 仕事は、雨が降ると、農園から支給されたカッ パを着て行う。茶摘みがない時期には、木を切って、お茶の木のメンテナンスを欠かさない。午後2時頃、サスワティさんはお茶畑に戻り、また摘み取りを続ける。太陽はゆっくりと大きくせり出した岩のある山肌に姿を隠し始め、女性たちは再び集まる。茶葉は、その後、風 通しの良いウェザリング・ハウスに集められ、工場に運ばれて出荷される形態に加工される。4時半まで仕事をして家に戻ると、5時。夕食の支度にかかる。そこへ、家族が全員そろうと夕食を始める。夕食後、家族団欒を楽しみ、9時になると寝床につく。

このお茶がサスワティさんの口に入ることはないが、どこかの国の人々がこの紅茶を楽しんでいることを彼女は知っている。

≪農園工場で働く女性≫

ここで働いているタラ・ポーデルさんは、28歳。朝5時に起きて、お茶の支度をする。小さな家を3つに仕切り、粗末なベッドに薄いシーツ(毛布)、一間は、キッチンと居間を兼ねる土間。そこには、簡単な容器がほんの少しあるだけで、土間に敷くムシロも何もない。外に出ると、右手はカンチャンジャンガ(8,586m)、左手にマカルー(8,463m)が遠く上の方に見える。この農園のあるフィディムは、海抜2,500m。新鮮な空気が美味しい。

9時になると、工場での仕事が始まる。紅茶の最終工程、茎など不要な物を取り除く大変重要な仕事だ。仕事が終わるのは5時、でも、 家計が大変な彼女は、工場のすぐそばにある家に戻り、10歳になる娘が作った夕食をとると、またすぐ工場へ戻り、10時まで仕事をする。 なにも財産のない彼女にとって、農園から無料で借りている家は大変貴重だ。

3年前までは、このフィディムの奥にある母親の家で暮らしていた。その時は、農業と季節的な一時の荷物運び、オレンジを運んだりしていた。それは大変辛い仕事であったが、それでも、いつも仕事がある訳ではなく、特に資産もない彼女は、仕事がない時は借金をして食べ物(お米)を買った。教育も受けていない彼女には他に手段がない。農業もうまく行かず、生活は厳しかった。そのままでは生活していけなくなり、叔父がこの農園を紹介してくれた。夫も半年前、畑の収穫を断念しこの農園で働き始めた。今は、仕事がいつでもあるので、子どもたちに服を買ってあげられる。食べることもできる。義理の母の葬式や2人の妹の結婚式で借金をしているので、その返済のため、残業でがんばっている。9人家族だが、義理の兄弟、義理の父は、あまりに貧しいので、他の親戚の所へ行ってしまった。今、長男(13歳)をジャパの叔父に預け、農園の奨学金を使いながら学校に行かせている。ここには、1人の息子(5歳)と2人の娘(10歳、7歳)と夫の5人で住んでいる。

3年前のことを思うと今は天国のようだが、それでもまだ問題がある。それは借金が増えていること。ここ数年利子が低くなったとはいえ、銀行で借りても15%前後、そこへ金貸しから借金するともっと高利だからだ。3年前に借りた借金が今や倍になってしまった。
毎月の彼女の収入から食料を買うと、残るのはごくわずかだ。更にその他の生活費を払って、後は借金の返済金に。しかし借金は減らないどころか増えてしまう。大きな不安を抱えていた時、夫もこの農園で働くことができるようになった。これで借金を減らしていける。仕事に慣れれば賃金も上がり、まだ学校に行かせていない長男以外の子ども達も学校に通えるようになるだろう。

持続的で環境にやさしい農業を求めて

この事業は、協同組合組織で農家の人々自身の力により1984年に始められました。100を超える農家が手を取り合い、自分達の土地を出し 合って協同組織の紅茶農園を作りました。山の傾斜面を使って紅茶農園を作るには、一般に斜度60度までとされています。ここは最大斜度 70度の急傾面があり、そのため耕作ができない土地とされていました。今では、そこに紅茶という換金作物を生産し、生活改善に役立って います。また、紅茶の木で地滑りを未然に防いでもいます。それを可能にしたのは、有機農業の実践です。土壌を肥沃にし、退化を押さえています。先祖代々受け継がれた叡智を利用し、あらゆる伝統的な手法で土壌の質を改善し、長期に渡り土壌を肥沃に保っています。養分 の供給は、周辺の田畑で生産されるたい肥、緑肥を基本にしています。虫の駆除には、IPM(Integrated Pest Management)方式を採用しています。自然の中にある成分を使い、無理のない形で防虫効果を出しています。

食料安全基準への動き

この農園が提供する紅茶は、1998年にオーストラリアの有機農業の証明機関NASAA(The national association for sustainable agriculture, AUSTRALIA Ltd.)から認可を受けています。NASAAは、2001年10月、JASより日本有機証明機関としても認められています。世の中の食料安全基準の動きに合わせて、HACCPを工場に導入中でもあります。HACCPとは、食品の安全性を獲得するために食品の生産から消 費までの各段階においてあらゆる健康危害を予測し、その影響を分析し科学的検証に基づいて予測される健康危害の防止方法を決め、その効果をモニターする手法のことです。また、FLO(Fair Trade Label Organization)の認定を2000年11月に受け、フェアトレードの対象である生産者としての認定も受けています。

地域への貢献とパートナーシップに向けて

町から遠く離れたところにあるこの紅茶農園は、その地域の生活水準向上に大きく貢献しています。紅茶工場では約50人、紅茶農園では 200人ぐらいの人々が働き、茶摘みの季節には更に多くの人々が働いています。生活道路を確保し、教育支援を行い、ソフトローン貸付けなど幾つかの福祉プログラムも実施しています。最近では、家族計画に対する人々の意識の向上を図りたいと考えています。どんなに一生 懸命働いても厳しい状況にいる人々の生活、理不尽さを少しでも改善したいからです。ここで働く人々は、以前より暮らしが楽になったといいます。毎日仕事があるのは、とてもありがたいといいます。ここでの生活はまだまだ厳しいですが、貧困を解決する即効薬はありません。このような、小さな地道な努力の積み重ねが大切だと感じています。この紅茶は、ヨーロッパへはドイツ、イギリス、ノルウエーのフェアトレード組織を通じて、日本へはネパリ・バザーロを通じて出荷さています。人々の想いを紅茶に載せて、新しい社会創りは始まっています。

verda 2002春夏 Vol.06より)