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カンチャンジャンガ紅茶農園より tsuna15

地域開発 人が人らしく生きられるために

紅茶農園から生まれる希望

文・高橋百合香

3年ぶりの紅茶農園へ

2019年12月、完二さんと3年ぶりに東ネパールのカンチャンジャンガ紅茶農園(KTE)を訪問しました。タライ平野にあるバドワプルという町から北へ約100kmの道のりです。標高約3000mの峠を越え、未舗装で左右に深くえぐられた崖っぷちの道を走り6時間、ようやく到着した深夜の村には星が降り注ぎ、月が眩しいほど輝いていました。

専門教育支援の必要性

今回の目的は、主に奨学生のモニタリングです。私たちは、2007年から始めた専門教育支援に力を入れています。10年生までの基礎教育支援では、仕事を得て自立するところまではなかなか到達できず、高等教育が求められていたからです。KTEで働いて得られる現金収入は、大勢の家族を養うにはやっとです。どの家族にも大抵一人は病人がいるので、通院代、薬代がかかり、現金に余裕はありません。病院に行くことができず、亡くなってしまう方も多くいます。子どもの数も多く、日々生きていくことに必死で、自力で専門教育を受けさせられる経済力はないため、医療や農業、獣医など、村で役立つ技術を学び、いつか村に帰って貢献することを条件に支援してきました。原資は、NPO法人ベルダレルネーヨのサポート会費と皆様からのご寄付のみです。今回は約30人の奨学金候補生や奨学生、卒業生と面談をし、ホームビジットをしました。

ホームビジットをして

ジブン君(17)は獣医コース、シャンティラム君(16)は農業コースを志望しています。彼が4カ月の時にお父さんが亡くなりました。お母さんは5人の子どもを一人で育ててきました。病を患いKTEで働くことができなかった昨年は、ジブン君が学校を休んで家事を担い、お兄さんがKTEで働き支えたそうです。そのお兄さんは、ちょうどその日のフライトでドバイに出稼ぎに発つそうです。お母さんは少し寂しそうに、空を指して教えてくれました。ブローカーに払うための多額の借金をしたことでしょう。

嬉しい報告もありました。長女のバワラさん(24)が2年前からフィディムのFMラジオ局で働いているというのです。奨学金でマネージメントを学びました。「今日は私の番組に完二さんを招いて、ネパリ・バザーロの奨学金について皆に知ってもらおうと思っていたのに、時間がなくて残念!私はこのご恩を忘れたことがありません!」数年前のシャイな様子からは全く想像できないような自信に溢れた姿から、充実した日々が伝わってきて嬉しく思いました。

トップクラスで大学を卒業し、フィディムの銀行に就職したビマラさん(25)。働き始めて1か月、毎日新しいことを学び、仕事はとても楽しいといいます。4歳の時に実母を亡くし、父と父のお姉さん、新しいお母さん、2人の姉弟、3人の異母妹弟と暮らしていました。土間と、もう1部屋に皆のベッドが並んでいます。薄明りで、勉強に集中できる場所はありません。薪をくべて火をおこし、食事の準備をし、家畜の餌になる草を集め世話をして…家の仕事は重労働です。「教科書を読みながら45分かけて通学していました。ここまで来られたのは奨学金のお陰です。いつも感謝しています。後に続く子どもたちを支援して、恩を返したいと思っています!」

ロールモデルの登場

村々を歩くと、村人たちは親しげに私たちに話しかけてくれます。豊かな大自然に恵まれているものの、あまりにも遠隔地で厳しい生活を強いられてきた故に、置き去りにされたと憤る人々が反政府勢力の一員となることも多くありました。そのような中で、奨学金で学び、村で仕事を得て、いきいきと働くロールモデルの登場は、子どもたちに希望と夢を与え、生き方への意識に変化をもたらしています。奨学金があったからとはいえ、若者たちが一人ひとり自分の人生に挑戦し、努力を重ねた結果です。その成果が着実にさざ波のように広がっていくことを実感しました。新しいステージがみえてきました。

≪基礎教育支援≫
2002年から続けてきたKTEのワーカーの子どもたちへの基礎教育支援は、「全員が学校に通える」ということをネパールで初めて実現しました。それはワーカーの仕事へのモチベーションとなり、定着率が上がり、紅茶の品質向上につながりました。この奨学金があることで、10年間の内戦中も反政府勢力の攻撃対象から外され、守られました。評価が広まり、海外のバイヤーも増え、地域全体が活性化しているのを実感します。基礎教育支援は2015年からKTEに引き継ぐことができ、ほっとしました。

≪活躍する先輩たち≫

≪ネパリ・バザーロ×カンチャンジャンガ紅茶 お付き合いは1999年から≫