1. ホーム
  2. > 特集
  3. > 沖縄カカオプロジェクト tsuna15

沖縄カカオプロジェクト tsuna15

チョコづくり 未来づくり 沖縄産カカオの夢

子どもたちの未来を守りましょう。

インタビュー 「球美の里」代表 向井雪子さん

(聞き手 土屋春代 2019年10月26日)

≪向井 雪子≫
沖縄・球美の里 理事長、未来の福島こども基金 世話人1991年に発足したチェルノブイリ子ども基金の事務局長になる。その後、代表を経て、2011年に起きた原発大震災により、福島のこどもを支援する活動に取り組む。

≪土屋 春代≫
(有)ネパリ・バザーロ会長、NPO法人ベルダレルネーヨ共同代表ネパールの子どもたちの厳しい状況を知り教育支援活動を始めたが、深刻な貧困問題に直面。仕事の場を創ろうと1992年ネパリ・バザーロを設立。国内でも震災後の東北や数々の課題を抱える沖縄支援のために奔走。

支援活動の原点

土屋 向井さんの活動の始まりは何ですか?
向井 1986年のチェルノブイリ原発事故までは原発のことを知らず、「日本にも原発があって、これからもできるんだ、生まれた新潟にも原発があるのに教わってこなかった。家でも話さず知らなかった」と初めて意識しました。チェルノブイリ事故でお茶が汚染されたと聞いて身近に感じ、事故の2年後に「原発止めよう1万人行動」に参加しました。住んでいる埼玉で横のつながりができ、日本の原発を知ることから始めました。周りに仲間がいて、何も知らない私を引っ張ってくれました。科学者の話は難しいですが、いろいろな人が教えてくれました。知れば知るほど危険。知ったら元に戻れない。勉強を重ねると同時に、1990年頃助けを求める声がベラルーシの教会から届き、写真展やスライド上映をして、1991年にチェルノブイリ子ども基金ができ、それに私も当初から参加しました。
ベラルーシには保養の運営費や教材を求められて、オルガン、キーボードや様々な教材をコンテナで横浜から何回か送りました。「ベラルーシ子ども保養センター ナデジダ(希望)」には、助成金から体育館改築費用の一部を出しました。ウクライナでは黒海にある保養施設に資金協力しました。ナデジダは政府が今も6~7割支援して足りない部分を外国が支援しています。ほかにもチェルノブイリの子どもたち専用の施設がいくつもあります。独裁政治なので良くも悪くも安定していて、子どもにかけるお金は軍事費に比べたら安いものなので、一度決めたら、なくす必要がなければずっと政策は続いているのだと思います。30㎞ゾーンには人は住んでいませんが、その外側の低汚染地といわれる地域に住む子どもたちを、自治体が決めて順に利用させてくれます。子どもたちは移動するだけで、村の学校よりもすばらしい施設で医者もいるところで24日間過ごせます。それでも行けるのは該当の子どもの6割。全員とまではいきません。

土屋 チェルノブイリ子ども基金の会員はどれくらいですか?
向井 会員という括りではなく、支援者ですね。多いときは3000人。今は1500人くらい。一時、子ども基金の「子ども」も大きくなって団体名に合わないという声もありましたが、2世の子にも健康を害する子がいます。だんだん支援が少なくなり、細々と続く里子支援に特化して自然消滅するのも仕方がないかと思っていたときに福島の事故が起きました。チェルノブイリが見直され、募金もやや持ち直し、続けてほしいという声が増え、継続して支援するようになりました。

球美の里の設立経緯

向井 福島の事故が起きた2011年の6月にチェルノブイリ子ども基金の有志で福島の子どもたちのために「未来の福島こども基金」を作りました。まず、チェルノブイリの学びから、安全なものを食べるための測定器を福島6ヶ所に送りました。
土屋 そのうちの1ヶ所が「いわき放射能市民測定室たらちね」ですね。
向井 たらちねとふくしま30年プロジェクトが、今も測定を行っています。宮城や埼玉にも一部支援して測定器を送りました。私たちが送った後に国や自治体が揃えるようになったので、次に私たちが取り組んだのは、チェルノブイリで継続して行われ、効果を上げている保養でした。保養は、日本では馴染みが薄いですが、福島から離れ、一定期間安全なものを食べ、免疫力を高めるためのものです。2012年1月に大田元沖縄県知事に相談した時に、出身地の久米島を勧めてくれました。海も山もあり、人もいいと。10年使っていない陶器工房を5月から改築して、7月には球美の里をオープンしました。大田元知事が声かけしてくださった久米島の役場からも協力が得られました。復興予算が久米島についたので、町からもスタッフの給料が一定期間補填されました。今も地元の方々は保養の子どもたちのために、「なんくるさんしん」という民謡グループが歌を披露し、手話グループがパフォーマンスをしてくれます。海では生き物博士がヒトデなどの生物を説明してくれ、ホタル館ではホタレンジャーが案内してくれます。久米島は戦争被害を受けたところなので、学童には地元の人の説明で慰霊碑訪問を必ずしています。

球美の里の運営状況

土屋
子どもたちを継続して守っていかないといけません。寄付をくださる方は、増えていますか?
向井 増えてはいませんが極端には減らずに続いています。災害が各地で起き、継続的に支援してくれている企業も寄付先が分散されています。
土屋 支援する企業がもっと増えればいいのに。
向井 CSRもしぼんでいます。小さな企業は経営が大変なのでしょう。ドイツのドルトムント独日協会が浴衣を売るなどお金を作るためにいろんな工夫をして、毎年寄付をくださり、協力してくれているドイツの小学校に子どもたちのメッセージを届けてくれています。未来の福島こども基金にも、デンマーク、タイ、アメリカ、イタリアなどから支援があります。日本では報道が減って忘れられていっているのにありがたいです。
土屋 有給スタッフもいるので資金は重要ですね。スタッフは相当な覚悟をもってやっているでしょう。
向井 たらちねが現地パートナーとして保養者をコーディネートしてくれるのがありがたいです。たらちねとは測定器支援してからのつきあい。球美の里オープンの時は久米島事務局の他に、たらちねの中にいわき事務局も作ってもらいました。それを2017年に解消して、たらちねは「こども保養相談所」を自分たちで立ち上げ、私たちはそこに業務委託をしています。たらちねは、2017年5月に開設したクリニックにレントゲンを入れ、こころのケアや子どもドックも始めました。測定事業では、食品や水などの放射性物質の値を調べられます。尿測定も自前でできるように高度な測定器を入れました。コアスタッフのほとんどが主婦のパートです。時間をやりくりして頑張っています。測定は専門家でなくてもいいので、覚えたらできます。保養に来ていた母親も2人、たらちねのスタッフになりました。
土屋 そこで活動しながら、いろんなことを覚え、単なる仕事ではなく思いをもってやっていらっしゃる。
向井 そうですね。来てからいろいろ勉強して、触発されたという人もいます。
土屋 今、保養は年何回くらいですか?
向井 多いと17回、去年は14回。第1回から2020年1月の第112回までに述べ3767名の子どもたち、保護者を入れると4690名以上が保養しました。お父さんも行きたいという声も聞かれ、パパママ保養も始め、楽しんでもらっています。
土屋 保養を希望される親御さんは多いのでしょうね。
向井 チェルノブイリ、ベラルーシは平日に学校・クラス単位で参加しますから、人が集まらないという時期はありませんが、球美の里は長期休みが学童で、普段は母子保養なので、日本の風土としてお母さんが長期家を空けることは、放射能避難を抜きにしても厳しいです。そのうえ、国が安全と言っているのにと家族からも近所からも言われます。保養者が集まるときと、少ないときの波があります。集まらず保養中止の時もありました。
土屋 希望する人が多くて抽選という状態ではないのですね。
向井 長期休みの時の学童は大勢の参加がありますが、学校を休んでまでは行かせません。必要としている子はいっぱいいるのにもったいない。
土屋 保養に行けない子が心配。福島だけでなく、子どもたちを守ることが喫緊の課題だということをどうしたら理解してもらえるでしょうか。
向井 テレビで取り上げられて、絶対必要だという空気にならないと。一部の新聞に載っても広まりません。

今後の課題

土屋 一番大変なこと、課題は何ですか?
向井 寄付も広めたいですが、まず、必要な子どもたちが保養に来られること。情報が行き届かずに来られない子もいます。保養を知ってもらい、参加者を広めたい。まだまだ知らない人が多いのです。たらちねが福島県内の各教育委員会すべてに電話して働きかけて、パンフレットを学校で配布してもらえるようになりました。初参加者の多くは口コミや学校でもらったチラシです。広めて、知ってもらいたいです。
ぜひボランティアにも来てほしいです。全国から学生さんに来てもらっています。子どもたちは学生たちが大好きで、大きくなったらボランティアになって戻ってくる子もいます。ぜひ応募して下さい。資金集め、ボランティア、どれが欠けても保養はできません。

≪沖縄・球美の里

「沖縄・球美の里」は、沖縄県の久米島にある、国内で唯一、通年で利用できる福島の子どものための保養施設です。
2011年3月11日の東日本大震災により福島第一原発事故が発生しました。年月が経った今も、また、放射能汚染地域-場所によっては、チェルノブイリでは居住が禁止されている地域と同じレベルの放射線量がある地域-に住み続けている人も大勢います。そこに住む子どもたちは、「あそこに行ってはいけない」「あれに触ってはいけない」「これは食べてはいけない」など多くの制約を受けながら、毎日暮らしています。
汚染された土地に住んでいる子どもや、事故当時被曝した子どもは、汚染されていない土地で、一定期間保養することによって、病気になりにくい身体をつくることが可能です。チェルノブイリ原発事故の被害を受けた子どものための保養施設『希望』(ベラルーシ)の統計によると、保養した子どもの体内放射性物質は25~50パーセント減少し、9割以上の子どもに、明らかな健康回復が見られます。
福島の子どもたちに、自然の美しい久米島で、思いっきり遊んで、食べて、自然に触れて、楽しく過ごして、心身の健康を維持してもらいたい、免疫力や抵抗力をつけてもらいたい-それが沖縄・球美の里が取り組む「保養」です。
(沖縄・球美の里 リーフレットより)

≪チェルノブイリ原発事故とチェルノブイリ法≫

1986年4月26日にウクライナ(旧ソビエト連邦の共和国の一つ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉が爆発した事故は原発事故中最も深刻なレベル7の事故となりました。コンクリートで覆い固め(石棺)ましたが、半径30キロ以内は今でも立ち入りが禁止されています。放出された放射能の影響は隣接するベラルーシ、ロシアに留まらずヨーロッパ各国にも広がりました。ウクライナでは168の村が消滅したと言います。数年後から子どもの甲状腺がんが多発し、30年以上経っても多くの人々が健康に障害を抱えて苦しんでいます。
1991年2月、チェルノブイリ法が制定され、年間5ミリシーベルト以上の地域の人々は汚染されていない、或いは汚染の少ない地域に移住しなければなりません。年間1ミリシーベルトから5ミリシーベルトの地域は避難の権利があり、避難を選択した場合、移住先での住宅提供、仕事のあっせんや医療補助などが受けられます。住み続けることを選んでも賠償や医療無料化、汚染されていないところで一定の期間保養することなどができます。
一方日本は20ミリシーベルト以下は安全で普通に暮らせるとして避難指示を解除しています。

≪「ナデジタ」希望という名の保養施設≫

ベラルーシ(旧ソビエト連邦の共和国)にナデジダという保養施設があります。施設は民営ですが、保養費用は国家が負担しています。国の予算で全て賄いきれない部分は、日本(「チェルノブイリ子ども基金」など)やドイツなど外国から支援を得たりしているようですが、事故後34年経っても国家予算で保養を続けているのはそれだけ放射能の影響があることを認めているからに他なりません。汚染地域の子どもたちが学校のクラス単位で保養をします。年間を通して24日間、14回の保養が行われています。

【 職員数】 180人
【1回の受入れ人数】  310人/ 夏期は450人
【これまでに保養した子ども】 7万人以上
(「チェルノブイリ子ども基金」ニュースレターより抜粋)