暮らすように働く 2022年9月
スタッフ一言
明治維新からアジア太平洋戦争敗戦まで77年。敗戦から今年で77年。同じ年月ですが、前期は戦争につぐ戦争。神国日本は負けないはずが最後は一億総玉砕を叫び、避けられたはずの多くの犠牲をだし、傷を深めるだけ深めてようやく終わりました。それからの77年は、その犠牲の上につくられた平和憲法に守られ(矛盾は沖縄に押しつけて)、一億総中流と言われた時期があるほど戦前とは比較にならない豊かで自由な社会を享受してきました。77年経った今、戦争の悲惨さを骨身に染みて知る世代が次々に退場し、戦争を知らない世代がほとんどです。強い不安を抱くのは私だけでしょうか。政治の世界でも、教育の世界でも、戦争だけは絶対に二度としてはいけないと強くけん制してきた世代が減るにつれ、戦争準備は着々と進んでいます。これまでのように自分のこと、目前のことだけを考えていてもなんとなく生きられる時代と違うはずですが、私を含め戦争を知らない世代の危うさは自分が何かしなくても平和はあると思い、戦争なんて“馬鹿げたこと”が起きるはずがないと安易に信じていることではないでしょうか?教えてくれる先輩たちがいなくなったら自分で考えるしかありません。どうしたら戦争をしない国にできるかを。(春代)
9月になると、奨学金候補生の声が聞こえてきます。私たちの奨学金は、ネパールで、生活がより厳しい家庭環境にありながら学びの希望がある子どもたちに優先して出しています。その中心は、遠隔の地であるカンチャンジャンガ紅茶農園の子どもたちですが、その子どもたちが高等教育を受けるために、可能であれば都市部で住み通います。そこにも、より厳しい家庭環境の少数民族が住んでいて、私たちが、この高等教育支援を始める前は、高校に進学したのは、その民族の歴史上1名という状態でした。その子どもたちへの支援も続けています。昨年は、11名、今年は9名の候補生が予定されています。年末は、そのご家庭を訪問もすることにしています。フェアトレードを続けているからできることに感謝でいっぱいです。(完二)
8月に伺った沖縄・伊江島のわびあいの里で購入した本「戦場が見える島 沖縄」(嬉野京子著)を、寝て帰るつもりだった飛行機の中で一気に読みました。アメリカ統治下の沖縄の惨状を伝えようにもジャーナリストには渡航許可が下りず、渡航できても「カメラを持ち込んだら命の保証はない」と税関窓口で言われる異様さ。目をつけられて伊江島で拘束されそうになり隠れて漁船で島を脱出、多くの人の助けを受けて那覇空港を飛び立て、自分は逃げ帰ればいいが、沖縄で闘う人たちには逃げ場がないと涙。島の人が伝えるのとは違う視点からその壮絶さが伝わってきました。阿波根昌鴻さんも重視していた「写真に残すこと」の意味、危険な地域に入り命を懸けて情報を伝えるジャーナリストの存在がどれだけ重要かを改めて感じました。(早苗)
私は国葬に反対です。只でさえ不平等・不公平で生きにくいのに、命尽きてもなお、その人の功績(国にとっての)に優劣をつけられるのは、何て悲しい社会なんでしょうか。国葬、という言葉を聞く度に、ハンセン病療養所・沖縄愛楽園内にある納骨堂を思い出します。国がとった強制隔離政策のため、らい予防法が廃止されてもご遺族が引き取りに来られないご遺骨がたくさんありました。映像で見た、満州からの引き揚げの途中に命尽きた方を土葬した、盛り上がった土も思い出します。国が始めた戦争によって、大切な命を失いご遺骨も拾われていない無数の命があります。さらに国は、ご遺骨が混じった土を辺野古新基地建設のための埋め立てに使おうとしています。国策で進めた原子力政策により福島原発事故が起こりましたが、行方不明者を捜索できず、未だ見つからない方も多くいらっしゃいます。どの方の命も平等に尊いのではないでしょうか。私たちの命は国のためにあるのではなく、その瞬間、瞬間を、その人らしく生き抜くためにあるのだと思います。(百合香)
「便利になる」とはどういう事なんだろうと近頃よく考えます。電子決済の種類が豊富になったり、年に何度も新型のスマートフォンが発表されたり、ソーシャルログインが一般的になったり。その「便利さ」を知らずとも生きていられた時があるというのに、「便利さ」を知ってしまった後は元の機能を「不便」であったと思い込んでしまいます。色々な場面での物事が便利になり、人の動作や思考はシンプル化しているとも思います。でも、便利になる過程や構造には様々なシステムや企業などが入り組んで複雑だと想像しますし、私個人の情報の所在はどこなんだろう、便利過ぎる世の中はどんな社会を目指しているんだろう、とも想像します。ぐるぐると考える中で、沖縄・伊江島のわびあいの里の謝花悦子さんが言われた言葉をいつも思い出します。「乾燥機付き洗濯機は、身体が不自由で、車椅子生活をしている私のためにあるんだと嬉しかった!」。私にとって必要ではない「便利さ」であっても、誰かの生活の中のが障がいが取り除かれたり、心から生きやすくなったりする方がいることも忘れてはいけないと教えてくれました。(萌)